7月29日 ―2―
「やっと入って来た。いつまでやるのかと思ってたわ。ほら、座って」
朝食を用意していたらしい彩さんが座るように促す。
既に、六人掛けのテーブルに朝食が並べられていた。
言われた通りに手近な所に座る。俺が入口に一番近い隅の席に座ったのを見て、麗華さんが俺の左隣り、佐橋さんが向いに座った。彩さんも、佐橋さんの隣に腰掛ける。座って一息ついたところで、彩さんに抗議をする。
「彩さん。気付いてたなら、助けて、くれても」
「嫌よ。母さんの相手は面倒だもの。それに、あれは太郎さんホイホイよ」
「彩ちゃん、その言い方はお姉さん傷つくわー」
麗華さんの抗議をスルーして、ホイホイについて尋ねる。
「何、それ?」
世の太郎さんを誘引する素敵アイテムですか?
「昨日、迷惑だから朝食は遠慮しようって雰囲気だったけど、来ざるを得なかったでしょ? 今朝、思い出したのよ。公演の日は皆で朝食を取るの。それで、母さんに頼んだのよ」
「確かに、来ざるを得なかった、けど……。今日だけじゃなくて、今後、朝食は、ここで、食べることを、約束、させられたよ」
「え? 私、そこまでは頼んでないんだけど……」
彩さんが想定外とでも言うように驚きを見せる。
「おまけに、佐橋さんに、カラオケ無料、撤回させ、られるし」
「おやー、何か問題あるのかい、太郎君? 交渉は成立したはずだよねー」
「問題は無いです。諦めました。けど、納得はしてないです」
あんな、人の足元見るような形で掻っ攫っていった佐橋さんを、しばらく許せそうになかった。
「なんだか、ごめんね。太郎さん。本当に、ただ今日の朝食に呼ぼうと思っただけなのよ」
そう思うのなら彩さんから、さっきのことを取り消すように働きかけて欲しい。俺には、もうどうすることも出来ないから。
「でも今更、母さんにやっぱり無しって言っても聞き入れるはずもないのよね。太郎さん、諦めて」
彩さんに、あっさりと見捨てられた!
「それとー、約束が反故にされた時にはー。私が大変な事になるから気を付けてねー、郎ちゃん」
その脅しは、無視出来ないので止めて欲しい。自分で大変な事になるとか言わないで下さいよ! あんな状態の麗華さんは二度と相手したくない。怖いし。間違いなく俺が折れるしかなさそうだし。
「わかってます。約束は、守り、ます。というか、守るしか、ない、です」
「まあ、いいじゃないか、太郎君。毎朝、ちゃんとご飯が出てくるんだから」
「それが嫌なんです! ちょっと、黙ってて下さい」
出来ることで返していけばいいとか思っていたけど、してもらうばかりで何を返したらいいかもわからない。だから佐橋さんが言うようには、すんなりと受け入れることが出来なかった。
「太郎君、怖いよー。というか、ご飯作ってもらえるのが嫌なのかい? もしかして、朝は食べない派だったのかな?」
「朝食は毎朝取りますよ。でないと、不健康ですから。そうじゃなくて、俺がやりたいというか――」
「あらー、なら最初っからそう言ってくれればいいのにー」
嫌だなんて、言える空気じゃなかったじゃないですか!
「なら郎ちゃんに、朝食を作ってもらう日もあればいいのよねー」
俺がやりたい、ってとこだけ拾わないで下さい。
でも、ベストではないけどベターだとは思う。毎朝、朝食をご馳走になって洗い物してるだけだと気疲れして禿げる。絶対に。
断れない以上、やれることはやっていないと落ち着かない。この辺で妥協するのが限界か。
「あの、それじゃ、せめて、週七、以上で、俺に、作らせて、下さい」
結局、無理やりに仕事を貰って気を紛らわせているだけな気もするが、まあ、多少の我が儘はお互い様ということで勘弁して欲しい。
「太郎さん、少なくてもこれくらいは、みたいな言い方してるけど。それ以上ないわよ?」
あれ? そうだったかな?
「んー。いいわよー。郎ちゃんがそれでいいならー。ただしー、美味しくないと嫌よー」
「ありがと、ございます」
「味は大丈夫だと思うわよ。太郎さん、料理上手だから」
「へー、太郎君。料理上手いんだー。じゃあ、僕も今度ご馳走になろうかなー」
「佐橋さんに作るのは嫌です」
「なんだい。まだ根に持ってるのかい、太郎君。諦めたって言ったのに。でも、僕としても譲れないところだよ。懐が痛むからねー」
「別に、根に持ってないです。ただ、佐橋さんに何かしてあげる気になれないだけです」
佐橋さんとは当分はこんな感じで接していくことに決めた。