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7月28日 ―9―

 道路に面した我が家は、その他の三方面を畑に囲まれた近代風日本家屋といった趣だ。畑と家の敷地を分ける生垣が綺麗に切り揃えられているのが見える。

 前回、帰った時に酷い有様だったので、業者を呼んで整えてもらうように言っておいたのを親父が手配してくれたのだろう。

 家の前まで来ると、違和感に襲われる。何が原因かと、家を眺めるとすぐに答えは判明した。ここから、確認出来る戸が全て閉まっている。何日か家を空ける時には、戸締りをしっかりするようにとは言い含めてある。家に親父が居ないのだろうか?

「えっと、戸が全部閉まってて暗い感じだな、兄ちゃん。なんだか淀んで見えるよ」

「奇遇だね。俺も、だよ」

 そう答えて、道路から敷地内へ。家の玄関の前に立ち、格子戸に手をかける。やはり玄関に鍵が掛っている。親父には昨日、帰る旨を伝えていたはずなのだが。

「どうしたの? 太郎さん」

「いや、鍵、掛かってて」

「留守なの?」

 続けてアリアちゃんにも尋ねられる。

「そんなことはない、はず、なんだけど」

 問題があったなら連絡を寄こすくらいはするはずだ。となると考えられることは一つ。

 とりあえず、インタホンを押してみる。……反応なし。いつもならここで連打するのだが、大学生にもなってインタホンを連打する雄姿をこの二人に見せつけるのは気が引ける。だから俺は携帯を取り出して、親父に電話を掛けることにした。実に待つこと、三十七コール。やっと電話が繋がった。

「んあ? どちらさんで?」

「携帯に掛けてんだ。出る前に誰からかぐらい確認しろよ」

「ああ? あー、太郎。おはよう」

「おはよう。親父。ところで、今日はいい天気だ。ちょっと、外出てみな」

「……なんだそりゃ? まだ、暗いぞ。朝っぱらから元気だな」

 やはりか。おそらく、何日か会社の方に泊まっていたのだろう。向こうに泊まる場合は、ほとんど追い込みかけている時で睡眠も碌に取っていない。最近は、そこまで忙しいことも殆どなくなってきていたはずだが。

 だが現状から推察するに、仕事が終わったからか、俺が帰ると言ったからか、会社から帰ってきて、そのまま眠りについたと考えるのが自然だ。家を締め切っているから昼夜の感覚もないし、いくら寝ても寝足りない状態のはず。

 時計を見れば時間くらいはわかるはずだが、我が親父殿なら気がつかなくても仕方がない。なにせ、寝起きで且つ仕事が絡まない時、親父の脳の回転速度は微風に揺らぐ風車並みだ。

「いいから、玄関開けて外見てみろって」

「あー、わかったよ。はー、眠い。……そういや、今日、昼にこっち来るんだったっけか? 到着の二時間前には、連絡くれ」

 家の中から階段を下りる音。人の気配が近づいてくるのが感じられる。

「いや、二時間前って、そりゃ無理だよ」

「何で?」

 そうして玄関の向こうに親父が立った。内側から格子戸を開錠し、今、引き戸が開けられる。

「もう、来ちゃってるからな」

「げっ!」

 携帯を片手に、ランニングシャツとトランクスだけを身に着けたおっさんが俺達の前に姿を現した。首から下は残念な格好だったので、首から上に目を向けてみる。

 短髪に髭、そして黒く太いフレームのメガネが特徴と言えば特徴か。メガネの奥に見える切れ長の目が不機嫌そうにこっちを見ている。短髪に髭とだけ言えば譲司さんと被るように思えるが、実際にはまるで違う。

 譲司さんが整えられた短髪と綺麗に蓄えた髭を持つダンディなおじさまとするなら、親父はぼさぼさの頭に無精髭、不摂生な漫画家のような有り様だった。首から上も残念な様相を呈しているな。

 その親父が、引きつった笑みを浮かべたかと思うと、直ぐに引き戸を閉めて、鍵を掛けた。

「おい、親父。何で閉めんの!」

 思わず、携帯ではなく目の前の戸を挟んですぐ向こうにいる親父へ向けて怒鳴る。

「むしろ、何でもう来てる? 早すぎるだろ」

 一方の親父は、冷静に受話器越しにボソボソと喋りかけて来る。そろそろ頭も覚醒してきているだろうに、未だに親父の中では時刻は早朝のようだった。今度は、落ち着いて俺も携帯へと声をかけた。

「もう昼だよ。わかったら、さっさと開けろ」

 それからしばらく、受話器の向こうが沈黙した。その間に扉から親父が離れて行くのを感じる。そしてやっと口を開いたかと思うと、碌でもないことを言い放った。

「……わかった、今が昼なことは認める。だけど、鍵は開けられない。その辺で、二時間ほど時間を潰して来てくれ。というか、そもそも何で、自分で鍵開けないんだ? 好都合だけど」

 鍵を開けられないってどういうことだよ! しかも、この糞田舎で二時間も時間を潰すって至難の業だぞ。目に入るものと言えば、民家と畑しかないじゃないか。

 それと、俺は鍵を開けたくても開けられないのだ。実家の鍵は忘れてきてしまった。

 ……仕方なかったんだ。家を出る直前に本棚を確認したせいで、焦ってたんだよ。そういうことってあると思うんだ。

「無茶言うなよ。この辺で二時間なんて不可能だ。いいから、開けろ。お客さんも来てるんだ。いつまでも、玄関先で待たせる訳にはいかないだろ」

「客? 確かに、それは良くないな。よし、太郎。一時間でいいから、お客さん連れて時間潰してきてくれ」

 この人は本当に……。

 冗談抜きで、いつまでも二人をこんな所に立たせておく訳にもいかない。

「兄ちゃん、どうしたんだ? なんであの人は鍵かけちゃったの?」

 痺れを切らしてアリアちゃんが尋ねてきた。携帯のマイクの部分を手で覆って、アリアちゃんに答える。

「いや、親父が、一時間、どっかで、潰してこいって。たぶん、家の中が、カオスな、状態なんだと」

「太郎さん、私達どこかに行って……」

「いや、待って。大丈夫だから」

 それをさせる訳にはいかない。あまり使いたくないのだが、やるしかないようだ。魔法の言葉を使わせてもらうことにしよう。改めて、俺は携帯越しに親父に語りかける。

「親父、最後通告だ。いいか? 一度しか言わないからな。……自宅警備って割と楽な仕事だと思うんだ。就職先、ここでいいか?」

 親父が慌てているのか、家の中からドタドタと足音がする。こちらへ近づいてきているようだ。

「待て、太郎。早まるな。それ、約束と違うだろ! 開けるからな。今の、無かったことにしろよ」

 言い終るのと同時に、玄関の引き戸が開錠される音が聞こえた。

 やれやれだ。さて、家に上がるとしよう。

 引き戸を開けると、先ほどは親父の影になって見えなかった家の内情が見て取れた。

「おい、親父」

「なんだ、太郎」

 もう見られてしまったからか、開き直った態度で返事を返してくる。

「これはどういうことだ」

 廊下のあちらこちらに、一日着たものをその場で脱ぎ捨てたかのように衣類が固まっている。さらにちらほらと、コンビニ弁当のゴミらしき物も目に入る。廊下でこの惨状なのだ。他の場所はさらに酷いことになっているだろう。こんなの、親父なら二時間あっても片付かない。どうするつもりだったのだろうか。

「いや、ここ三週間ほど忙しくて。家には飯と風呂に帰ってきていたようなもので」

「三週間休みなしか?」

「あ、ああ、半日休みが取れた日は一日、二日あったが。だからな、本当は今日に――」

「よし、言い訳はいい。さっさと着替えてこい。お客さんの前に、汚い格好で出て来るな」

 相当きつかったみたいだな。だが、それはそれ、これはこれだ。忙しいなりに、もう少しやりようはあっただろう。

「……はい」

 ランニングシャツにパンツ姿の小汚い親父をさっさと退散させる。俺は俺でやるべきことができてしまった。まさかここまでとは思わなかった。

「ごめん。想像、以上だったので、ちょっとだけ、待ってて」

「うん、いーよ」

「手伝えることがあったら、いくらでも言ってね」

「ありがと。とりあえず、リビング、不快感を抱かない、程度には、してくるから」

 先に俺一人だけ靴を脱いで家に上がり、リビングの片付けに向かう。家に上がる時に後ろから、アリアちゃんの声が聞こえてきた。

「家の中見た時の兄ちゃん、彩ねえみたいだったね」

「それ、どういう意味よ――」

 まったくだ。さっきの俺が彩さんみたいだったって? 俺はあそこまで怖くはない。

「私、あんなに怖くないわよ」

 ……、何も言うまい。

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