7月28日 ―8―
「ねえ、兄ちゃん」
「なに?」
「えっとね、……もっと、兄ちゃんのパパとママの話聞きたいかな? 特にね、兄ちゃんのママのこと、あたしきっと好きになると思うんだ。でも、直接会えないから。お話、出来ないから、兄ちゃんが話してくれないかな」
本当に、いい子だな。俺がどうしたいのかわかってて、こういうこと言ってくれるんだろう。
ただの俺に都合の良い解釈にすぎないのかもしれないけど、そんなことはないと思う。手荷物は二人に預けているので、空いている手で、アリアちゃんの頭を撫でる。
「ありがと。えっと、じゃあ、そうだね。もう、ちょっと、いいかな」
「うん。お願いするよ、兄ちゃん。それと、手、恥ずかしいよ」
「あ、ごめん」
急いで手をどける。小さな子の頭は、良い位置にあって、つい撫でたくなる。卓真君の時もやってしまったし。
「太郎さん、アリアはそのままでも構わないから。それより、お母さんの話、してくれるんでしょう?」
「良くないよ。さては、彩ねえ。兄ちゃんに本当は自分がなでなでしてもらいたくて、羨ましかったんだな?」
「そんな訳ないでしょ。アリアと一緒にしないでくれる?」
「無理しなくていーんだよ? そういうのって三十過ぎても、してもらいたい人はしてもらいたいんだって。だから、さあ兄ちゃん!」
いやいや、彩さんには流石に。最早、それはする方も恥ずかしいと思うんですよ。
「何で、例えが三十過ぎなのよ! それと太郎さん! どうして、右手を上げかけているの? 本当にやったら、……刺すわよ?」
どこを? 何で?
上げかけた手が、行き場をなくして俺の目の前をさ迷う。とりあえず、俺を暴挙へと導いた役に立たない頭へと不時着させた。かなり勇気を振り絞った訳だが、あっさりと釘を刺されてしまった。勇気の浪費だった。
「え、えっと、母さんの、話、だったよね。母さんのパートの話、とかで、いいかな? あの人、問題を、起こしてばかり、だったんだけど」
手を降ろして、さあ話題を切り替えましょうとばかりに、俺は話を進める。
「パートで問題って、太郎さんのお母さんって何してたの?」
「えっと、スーパーで、働いて、いたんだけど。かなり酷かった、みたいで。レジ打ちをやらせたら、来たお客さんと、その場で長々と、話し込んだり。商品の場所、聞かれれば、それを教えてやるのは、簡単だ。でも、人に、答えを貰って、その先に成長は、あるのか? とか、意味不明な、こと言って、煙に、巻いたり」
「兄ちゃんのママは、何日でそこ、クビになったの?」
「何で、そんなこと、聞くのかは、わかる。けど、なってないよ」
「冗談よね? 何で、それで続けられるの?」
「あ、あはは。何で、だろうね?」
彩さんの驚きももっともだと思う。俺としても、なぜ? と聞かれれば、みんな良い人だったから、としか答えられない。
「あ、でも一応、お店に、貢献もしてた、みたい。なんか、在庫の処分とか、させると、大活躍、だったんだって。口八丁で、お客さんに、売りつけてたって」
「売りつけるって、お客さん可哀そうだよ」
「でも、太郎さんのお母さんは、お客さんが欲しいと思って買っていったんだから問題ない、とか言いそうかしら。わからないけど、楽しんでたんじゃない? 在庫品がどうしたら売れるかを考えるの」
「うん、彩さんの、言う通りで。言い訳も、動機も」
「でも、兄ちゃんが働いてた訳じゃないのに良く知ってるなー」
「いつも、今日は何したって、嬉しそうに、報告するから。母さん。子供かよって、何回、言ったことか。それと、そのスーパーで、えと、バイト、してたから。よく、話、聞かされて」
「兄ちゃんがバイト!?」
その驚きは失礼だと思うよ、アリアちゃん。まあ、わからないでもないが。
「でも、仕事中に声かけられることだってあるでしょう? それに、一緒に働いている人とはどうしていたの?」
彩さんも、驚きを隠さないで尋ねてくる。
「言葉って、意思疎通に、必須じゃ、ないと、思うんだ」
バイトを始めた頃は、今より少しだけマシだったこともあるかもしれない。
「そんなこと言う人が、働けるなんて……」
実際、何とかなっていたんだからそこまで言うことないんじゃないかな?
「えと、何か、言われる、前に、思いつく限り、仕事してたら、幸い、首肯だけで、乗り切れた、かな」
「兄ちゃん、なんか凄いこと言ってない?」
呆れたように、アリアちゃんが聞いてくる。
凄くない。普通だと思う。俺はそう信じるよ。
そう思いながら、言葉を続ける。
「それと、職場の人は、おばちゃん、ばかりで、その、適当に、相槌だけ打てれば、会話、成立してた、から」
「それは、会話とは言わないと思うのだけれど、太郎さん……」
「兄ちゃんのママが、クビにならなかったのも不思議だけど、それでやってこられた兄ちゃんも不思議だよ」
その言い分は、聞き捨てならない。俺は、母さんのように怒られることはしていないというのに。
「あの、俺、そんなに、言われるようなこと、した? 店長さんにも、随分、しっかり、しているねって。褒められた、のに」
「店長さんにとっては、ずっとマシだったんでしょうけど」
「兄ちゃんのお母さんみたいな、変な人じゃなくて良かったって意味じゃないのかな?」
そうじゃないかとは思っていたけど、考えないようにしてきたのに。あっさりと言ってくれる。
「ところで、兄ちゃん。兄ちゃんのママのことは何となくわかったけど、パパはどんな人なの?」
「ああ、親父? 見てもらった、方が早いと、思うけど。もうすぐ、家に、着くし。……そうだな、仕事しか、出来ない人? かな。堅物って、訳じゃ、ないん、だけど。というか、変態だし」
駅を出てから結構歩いたので、そろそろ家に着くころだ。
「仕事、しか?」
アリアちゃんが、こちらを見上げて尋ねてくる。変態の方はスルーしてくれた。ありがとう、俺も説明はしたくなかったんだ。
「あー、うん。基本、身の回りのことに、無頓着で。自他共に認める、ズボラ。職場では、凄い信頼されている、みたいなんだけど。正直、家で見る親父が、バリバリ、働いている、姿はイメージ、出来ないかな」
「仕事しか出来ないのに、仕事をしているところがイメージ出来ない? どういうこと?」
「えと、会えば、何となく、わかると、思うん、だけどな」
「じゃあ、それは会ってからのお楽しみね」
そんな話をしていると実家が見えてきた。周りには民家が一に畑が三といった割合で並ぶ景色が広がっている。
「あそこがウチ」
そう言って、視界に入ってきていた家を指さす。