5月 ―2―
救急センターについて母親が治療と検査を受けている間、男の子と通路の椅子に並んで腰かけて待っていた。その間、父親の連絡先を聞いたくらいで会話は特にせず、二人の間には沈黙だけが漂っていた。
正直な話、何と声をかけていいかわからなかった。下手に喋ろうとすると、謝ることばかりが頭に浮かぶ。
「あの、すいません」
一瞬、自分が口に出してしまったのかと思った。
だが違った。声をかけられたのだ。そこには三十代後半位だろうか? メガネをかけた、サラリーマンでもやっていそうな雰囲気の男性が立っていた。
「連絡、ありがとうございました。その子の父親です」
男の子に連絡先を聞いてから、父親にすぐに連絡を入れておいたのだった。
「どうも。まだ、検査が終わっていないので、お電話した時以上のことはわかっていません」
「そうですか……」
話が切れる。この人も落ち着かないのだろう。正直、他人事には思えず、結果が出るまでは俺もあまり話す気分になれなかった。
もう父親も来たので俺は帰っても良かったのだろうが、出来れば母親が無事であることは確認しておきたかった。それに、男の子が俺の服の裾を掴んでいる。これを振り解くことはしたくない。そうして、また暫く無言の時間が過ぎる。
待っていると担当の医師が来た。男性が奥さんの安否を問う。
「妻は、……大丈夫ですよね?」
「現状、命に別状はありません。ただ骨折している箇所の状態が芳しくないので、しばらく入院して頂くことになります。それと、事故の際に頭部を打っているので、詳しく検査をして様子を見る必要もあるでしょう」
「そう、ですか。ありがとうございました」
その報告を受けた後、入院先の話やその手続きなどがあるそうで、父親は医師に付いて行くことになった。
「この子のことは、見ているので行ってきて下さい」
「そうですか。ありがとうございます。卓真、お兄さんと一緒にもう少し待っててくれ」
男の子、卓真君はこくんと頷いた。
「それでは、お願いします」
そう言って、父親は手続きに向かった。さて、とりあえず無事でよかった。
「よかったね。お母さん、怪我しちゃったけど」
「う、うん……。……よ、よが、った……」
まだ、泣くのを我慢している見たいだった。事故の時にやったように頭を撫でる。
「お疲れ、頑張ったね。君の頑張りがお母さん助けたんだよ。もういいよ、我慢しなくて」
それを聞くと、卓真君は泣いた。今まで我慢した分までぼろぼろと涙をこぼして。何か言っているがその声は音にならない程に擦れてしまっていた。ただ、口の動きを見ればわかる。何度も何度も言っていた。よかった、と。
卓真君が泣き止むまで待っていると、父親が戻ってきた。
「お待たせしました」
手続きも無事終わったようだ。さて、今度こそもう、俺は要らないだろう。
「それじゃあ、俺はこれで失礼します」
「今日は、本当にありがとうございました。救急の方が、現場に居た方がしっかりした方でとても助かったと。あなたがあそこに居てくれて本当に良かった。卓真のことも、ありがとうございます」
「俺が居なくても、誰かが同じようにしてくれましたよ。大したことじゃありません」
「いえ、そんなことはないです。卓真のこともあります。あの、連絡先は先程連絡を頂いたものでいいですか? 必ず、お礼に伺います」
「はい。何かあれば、そこにかけて下さい。でも、お礼はいいですよ」
やらなきゃいけなかっただけだ。お礼が欲しくてやった訳じゃない。自分のためにやったことでお礼など貰えない。
「いえ、そういう訳にはいかないです。ぜひ、お礼させて下さい」
だが、この男性は頑として譲らない。言葉以上にその表情が強い意思表示をしている。ここで問答を繰り広げる訳にもいかないし、俺が折れるしかないのか……。
「えっと、じゃあ、奥さんが全快した時に連絡下さい。皆さんそろって、元気な姿を見ることが出来たら、嬉しいです」
「そうですか……、では必ず。ほら、卓真。お兄さんに挨拶しな」
まだ涙が眼に溜まっていたが、最後に卓真君は笑ってくれた。
「にい、ちゃん。今日は、ありがとう。どうしたらいいのか、教えてくれたから、頑張れたよ。またね。ばいばい」
「うん、またね」
そうして、親子とはそこで別れた。カラオケは諦めた。時間も経っていたし、気分も乗らなかったのでまっすぐ帰った。一日、気が張り過ぎていて緊張もどこかへ行ってしまっていたようだ。コミュニケーションが恙無く行えたのは僥倖だったが、とても疲れた。
事故、残酷な描写に入るのでしょうか、悩んでます。
轢逃げは残酷な行為だとは思いますが……。




