1話
ここは都会の狭間にあるオアシスだ。
私はここに来るといつも思う。
疲れた私の楽園であると……。
「ふっふっふっ〜、苺が赤くみずみずしくて美味しそう」
苺を大事そうに一つ一つ摘んで籠に入れる。この苺を味わう至福の時を思うと、思わず笑みが浮かぶのだった。
そして、このままでも美味しい苺をさらに美味しく味わう為に、私の頭の中で苺菓子レシピが舞っている。
ここは私が休日になると来る貸し農園だ。園芸は楽しい土をいじり作物を愛情込めて育てる。
その作物を収穫して味わう時が今の私の一番の楽しみだ。その為に野菜や果物を美味しく料理する手間は惜しまない。
そんな私は今日も貸し農園で、一日を穏やかに過ごすことになると。
この時はそう思っていた。
私は苺の入った藤の籠を持ちながら駐車場に向かっていると、桜の木の陰に黄金の光の玉を見つけてしまい、好奇心で近づき触れると目が眩むような黄金の光が体を包み込む。
私は意識を失ったのだった
* **
目が覚めた時には、何もない白い世界にいた。
『白い世界』
それが、その空間で最初に思った感想。
数分経つと現れた目が眩むような眩しい黄金の光の玉が語りかけてきた。
「キミには異世界に行ってもらう。緑の魔法の知識と才能を授けよう。この魔法は植物を操ること、植物を創造すること、どんな植物でも育てることができる。異世界でキミの助けになるだろう。では、良い人生を……」
私はその瞬間また目が眩むような黄金の光に包まれ意識を失ったのだ。
* **
次に目覚めると、鳥の鳴声が響く森の中にいた。この時の私は不思議な体験をしたのに取り乱すことなく茫然としていたと思う。
だから自分の体が縮んだことや髪の色が変わったことなど気付かず、あの黄金の光の玉の言葉を現実として受け止められなかったのだ。
それから数十分その場所に、ぼんやりと突っ立っていた。
だけど突然夢から醒めたように町か村を探そうと思いたち、今は森の中を祈りながら歩いている。
数時間歩いた、疲れて喉が渇いて涙が止めどなく出てきた。
なんでこんなことになったのか考えたり、あの時あの桜の木に近づかなければと思ったりする。
でも今は苦しくても歩かなければと思い、森の中をさまよい歩いてやっと湖が見えた時には嬉しくても喉の渇きで声も出せなかった。
私は喉を潤す為に必死で湖の水を飲んだ。そして、湖の水面に映った自分を見て驚く。そこにはサラサラストレートの白銀の髪は腰まであり、瞳はエメラルドの宝石のような緑色で二重の目はパッチリ、肌は白い陶器のようになめらかさで天使のように可愛らしい十二歳くらいの少女がいた。
水面に映った自分の姿に、思わずため息をつきながら確認をした。
頭を振ると、水面に映ったのは頭を振った少女。
可愛くなって若返っていると認めるしかない、今までの自分の姿を失って悲しいだけど可愛くなって嬉しいと言う良くわからない気持ちだ。
ここは異世界、これからどうやって生きて行けばいいの……。
この時やっと私は、これは現実だと認めたのだ。
そして、異世界に来たという予想外の事態に不安が襲ってきた。
遠くの方からは、野獣の遠吠えが聞こえてくる。
ここは異世界の森。
何が襲ってくるかわからない。
凶暴な野獣もいるかも……、怖い。
この時に初めて怖さを認識した。
黄金の光の玉よ……。
こんなに弱い私に何をさせたいの。
そう思ったら悔しくなってきた、この気持ちに負けるものかと思った。
だから、この異世界で絶対に生き抜いてみせる。
そして、この世界で幸せなになろう。
決意をして顔を上げるとそこには炎のように紅い髪と目が印象的な美しい女性がいた。
目が合うと、その女性は優しい微笑みを浮かべる。
「こんな所で座り込んでどうしたの?迷子にでもなったのかしら?私はナタリー・ルクレール、紅蓮の魔女よ」
私は魔女と言う言葉に驚き、そして異世界だからと納得した。
私は異世界で初めてあった人に、縋り付きたかったのだと思う。
私は目に涙を溜めながら、優しそうな印象のこの人にこれまでの出来事を少しずつ話すことにした。
ナタリーさんは頷きながら、私の話を静かに聞いてくれる。
最後まで聞き終わると、ナタリーさんは小さな声で呟く。
「貴女は渡り人なのね」
「渡り人……?渡り人ってなんですか?」
私が質問するとナタリーさんは丁寧に渡り人について教えてくれた。
渡り人とは神様が世界の均衡を保つために、色々な世界から数十年に一度の割合で異世界人を連れてくるという。連れてこられた渡り人はこの世界に来ると姿が変えられてしまうそうだ。
「この国では渡り人は、知らない知識や技術を持っているので比較的優遇されていると思うわ。そして、この世界の人より魔力量が多いのよ。こんなこと言うのは心苦しいのだけど……」
ナタリーさんは、ここで言葉を詰まらせた。
「お願いします。教えてください」
私は何故か聞かなければと思い力強く言う。
「わかったわ。渡り人で元の世界に帰れた人はいないと言われているのよ」
ナタリーさんは悲しそうな目をして言った。
元の世界に帰れないそのことは予想していたけど、やっぱり悲しくて心が痛い。
家族と二度と会えない……。
もちろん友達とも会えない……。
悲しい、寂しい……。
でも私はさっき決意したのだ、この世界で幸せになると。
そして次の瞬間思ったのは……。
わたしのなまえはなんだったかな?
「あの……、名前が……」
私は動揺してしどろもどろになりながら言葉を発した。
「あっ、忘れていたわ。ごめんなさい。名前の記憶も渡り人は無くなるのよ」
ナタリーさんは顔を曇らせながら言う。
「名前どうしよう……かな……」
私は自分の名前の記憶をなくしたことに、すごく動揺した。
姿だけでなく名前もなくなったことが、身を切られるような思いだったのだと思う。
「私が名付けてもいいかしら?貴女の名前」
「お願いします。私に名前を付けてください」
私はこちらの名前などわからないので、ナタリーさんに名前を付けて貰うことにした。
ナタリーさんは数分考えてから、私に可愛い名前を付けてくれたと思う。
「ルティアってどうかしら?」
ルティア…•、響きが可愛い名前だと思った。だから私は、直ぐにルティアと言う名前が気に入たのだ。
ナタリーさんに感謝しながら、心からこの言葉を伝える。
「ありがとうございます」
名前が決まったことで、私は少しだけ安心できた。
「どういたしまして。ねえ、ルティアはこの世界で行くとこないでしょう?だから私の弟子になってみない?この世界のことや魔法の勉強をしてみたいなら手助けできるし、弟子になって私の家に住めば住む所に困らないわ。どうかしら?」
初めて会った私にここまで言ってくれるナタリーさんなら、信じられると思い、直ぐに弟子なることを決める。
弟子になるならとナタリーさんは家名のルクレールを、私に名乗るようにと言ってくれた。
だから私の名前は、今日からルティア・ルクレールになった。
ナタリーさんに会ったことで、最悪だった私の運命は明るく光り輝きだしたのだと感じる。