とある帰還のその後
開いてくださってありがとうございます。
この話は、前作「とある招喚」とはまったくつながっていない話です。
雰囲気も、こちらはしっとり系となっています。
船についての用語等は正確ではないかもしれません。どうぞご容赦のほどを。
《これで輝石の欠片は全て揃いました。》
ニューファンドランド島沖約200kmの大西洋上に浮かぶ一隻の大型ヨットの上。
満月の光に明るく照らし出された世界の中で喜びに抱き合う少女と少年を、青年はその氷蒼の瞳でじっと見ていた。
少女の歳の頃は12歳くらい。月の光を受けて仄かに輝く白銀の髪が腰の下までさらさらと背を覆っている。少年の首に巻きつく腕も白く、真珠のような輝きを放っている。
少女の体には15歳くらいの少年の薄く陽に焼けた腕が回されている。少年の黒髪は組みひもで無造作に束ねられていて、今は月明かりに照らされ赤みがかって見えた。
全身から喜びを溢れさせ笑いあう、美しい一対だった。
ひとしきり喜び合うと、二人は互いの体に腕を回したまま、顔を青年に向けた。
エメラルドを嵌め込んだかのような少女の瞳は喜びの涙で潤み煌き、琥珀色の少年の瞳は反対に笑みを消し静けさを湛えていた。
整った顔の造作といいその色合いの妙といい、ほんとうに、完全な一対だ、と青年は思った。
《貴方たちには本当にお世話になりました。》
少女の声が頭に響く。口から空気を震わす術を持たないこの巫女姫は、こうして思念を声として送るのだった。
この声を聞くたびに、「銀の鈴を振るような声」とはこのようなものだろうかと思わずにはいられない。
どこか幼さを残した透明感は、異界の巫女姫である彼女そのものだった。
《輝石が揃ったからには、すぐに戻らなければなりません。いろいろとお世話になりましたのに、このまま立ち去る無礼をどうぞお許しください。》
求める物を探し当てたら帰って行く――それは、彼女たちが現れたときからわかっていたことだった。
青年は己の思いを隠し、柔らかく微笑むと首を横に振った。
「君たちの行く手に‘神’の祝福があらんことを」
少女の体に回された少年の腕に力が込められる。二人の体を取り巻くように風が吹き、ふわりと浮き上がった。そのままゆっくりと、空へ向かって昇っていく。
高く、高く。月に向かって小さくなっていく二人を、青年はじっと見つめていた。
二人の姿が点となり、やがて視界から消えうせてようやく、青年は切ない溜め息を漏らすことを己に許した。
「セイル様……」
盛大に吐き出した息と共にデッキの手すりにもたれかかる青年の背後から、控えめに呼びかける声。
それが気心の知れた――彼には自分の想いなどばれているだろう――私設秘書にして幼なじみのものと分かっていたから、呼びかけられた青年は手すりに額を押し付けたままの姿勢を変えなかった。
「情けないとは思わないか、クロード?28歳の、企業買収も顔色を変えずにやってきた大人が今更十代のように恋だなんて」
少しおどけた、自分自身を笑うような青年の言葉に、しかし付き合いの長い幼なじみには友人の苦しい心の内がよく分かった。分かってしまったからこそ、からかうような言葉を返す。
「本当に情けないですね。これまでさんざん女性たちを手玉にとって泣かせてきた貴方のそんなザマを見たら、過去の情人たちが揃ってシャンパンで乾杯しますよ」
「まったくだ」
くくくっと自嘲がの笑いがこぼれる。
「だが、仕方ないだろう?今度の相手は、自分の半分ほどの歳の――少年だ。勝手が違うのも当然だろう?」
五日前に会ったばかりの、おまけに異世界の人間で、麗しい巫女姫サマ一筋の護衛で。あれだけお似合いの相思相愛なら、告白するのも野暮というものだ。
「…………」
問いかけの形をとってはいても、友人の中で答えが出ているそれに、クロードはかける言葉を持たなかった。
青年は手すりにもたれたまま、月に照らされた海をぼんやりと見つめながら、心は少年と出会った時へと飛んでいた。
五日前の夜、満月に少し足りない月が昇った海上に浮かぶクルーズ客船のデッキで、二人はパーティを抜け出し風に吹かれていた。
青年は退屈していた。
アメリカと欧州で知らぬものはない財閥の、後継者候補の一人として財閥の一部門を任されていた彼だったが、「上が休まないと下も休めない」と強制的に夏の休暇を取らされた。それを聞きつけた悪友や取り巻きの女性たちに半ば無理やりに連れて来られたこのクルーズのパーティの中身と言えば、意味の無い社交辞令や誘惑ゲームだらけ――要するに休暇でない時のパーティとなんら変わりの無いものだった。
擦り寄ってきた女性の香水の濃さに辟易して、誰も居ないトップデッキに逃げ出してもう30分以上。風も強くなってきて、夏とはいえさすがに体も冷えてきたところで中に入ろうかとタバコの火を消したところで、その二人は現れた。
この世界に散った輝石――彼女たちの世界を滅びから救うために必要な神の石――を求め来た巫女と、巫女を追っ手から護る戦士なのだと、少女を庇うように抱えてふいに空から現れた少年は告げた。
誰のいたずらだと一蹴しなかったのは、少し欠けた月に照らされた少女の美しさがこの世のものではあり得なかったせいだろうか。
騒がれたくなかったら協力させろと半ば脅し、自家用ヘリを呼んでクルーズを抜け出したのは、良い退屈しのぎになりそうだと感じたからだとばかり思っていたが、後にして思えば少年の真摯な瞳に惹かれるものを感じていたのかもしれない。
陸地に戻り大型ヨットに食糧その他の装備を積み込み、口の堅いメンバーを最低限必要な人数だけクルーとして呼び集め、準備を整えて巫女姫が指し示す方向へ出航したのは翌日の午後のこと。
最後の一つというその欠片は何故か反応が弱く、通常であれば二日かからないその海域に到着するまで倍の時間がかかった。その間も幾たびも追っ手という影の化け物の襲撃を受け、ただ一人その化け物たちとと戦える少年がひたすらに剣を振るい続けた。
危険な状況も忘れ、剣を振るう少年の纏う鋭い刃のような雰囲気に見惚れる自分に呆れ。
確かな方向を示せずに涙する巫女姫を慰める、その微笑みをこちらにも向けて欲しいと渇望する自分が狂ったのかと悩み。
昼夜を問わない化け物の襲撃のせいで少年の顔に疲労の影が濃くなってくるのを見てもなお、このまま見つからなければずっと一緒に居られるのにと願う自分を自覚したときに、これが恋だとわかった。
相手の身を考えずに引き止めたいと願う自分の浅ましさにもかかわらず、そんな自分に嫌悪を覚えないことに、どれだけ重症か嫌でも気づかされた。ノーマルなはずの自分がここまでもの狂おしく想う相手が少年ということに、最初こそ戸惑ったものの、すぐに気にすることを止めたのも‘重症’と判断した一つだったが。
巫女姫と引き剥がしてその視線と微笑を自分だけに向けさせたい。
腕の中に閉じ込めて二人の体が溶け合って一つになるくらい強く抱きしめたい。
頭のてっぺんから足の爪先まで髪の毛一筋その吐息に至るまで全部ぜんぶ自分のものに――
力づくでもという考えが過ぎらないでもなかったが、行動に移らなかったのは――移れなかったのは、常に少年の傍にいる巫女姫の清らかさに邪心が削がれたのか、それとも少年のひたすら少女にのみ向けられる愛おしげな笑みをこそ慕ったものだったのか。
相手が使命を果たし異世界へ帰った今となってはどうでも良いことだったが。
最後まで気づかれずに――気づかれなかったと信じたい――見送れた自分を褒めてやりたいものだ。
厭味のように心の中で自分に向けてつぶやくと、また一つ、青年の口から盛大な溜め息が漏れた。しかし――――
『はぁ〜、これで終わった、眠れる〜』
さっきの溜め息の時と違い、今度は別の溜め息と声が重なった。
!!
考えるより早く振り向けば、目の前には今の今まで思い描いていた相手。
驚きのあまり声も出ず、いやいやこれは自分の未練が見せる幻かと秘書兼幼なじみの友人を見れば、こちらも瞠目して声も無い様子。
二人して見えているのならば幻ではないのだろうが……。
気がつけば、いつの間にか近寄ってがっしりと両肩を掴んでいた。思ったより華奢な手ごたえにどきりとする。
掴んだ力が強すぎたのか少年が少し顔をしかめるが、離したら消えてしまいそうな気もして力を緩めることができない。
「帰ったんじゃないのか!?」
「帰りましたよ?」
「じゃあ何で君がここにいるんだ!?」
「眠いので一休みさせてもらえればと思いまして」
「…………」
「…………」
「どうして一緒に帰らなかったんだ?」
「彼女を帰した後そのまま帰るつもりだったんですが、この体調では海に落ちそうでしたので」
「…………」
「…………」
どうも会話が上手く噛み合っていない気がして、青年は落ち着こうと大きく深呼吸を一つ。それから自分の胸までしかない少年の目を覗き込んで、改めて問い直した。
「巫女姫は?」
「彼女の世界に帰りました」
「‘彼女の’世界?‘君の’世界ではないのか?どうして一人で残って――」
もしや、まだ追っ手の残党が残っていて、そいつらを阻むために一人残ったのか――?
その可能性に気づき緊張の度を高めようとする青年に、少年は疲れた顔で爆弾を落とした。
「私の世界はここですので、こちらに残るのは当たり前ではないでしょうか?」
「………………何だって?」
思ってもみなかった言葉に、一瞬思考が止まり、動きも固まる。
次の瞬間とっさに出てきたのは言葉は
「君は、中学生なのにあんな危険なことをしていたのか!?」
だった。
「は?」
今度は言われた少年が呆然とする。
『中学・・・・・・って13〜15歳?・・・いくら東洋人が若く見えるって言っても成人女性にそりゃないんじゃ・・・・・・』
驚きが大きすぎたのか眠気で頭が働かないのか――その両方なのだろうが――つぶやきが英語でないことにも気づいていない。
しかし青年は聞き漏らさなかった――少年にとっては不幸なことに。
さらに不幸なことに、青年はその言語が‘日本語’であると理解した。財閥の中で情報・通信・次世代エネルギー部門に携わる青年は、ビジネス上の有利性を考え日本語――日常会話を越えるレベルの――を習得していたのである。そして、優秀なビジネスマンらしく、自分にとって重要なキーワードを聞き逃さなかった。
‘成人’‘女性’という言葉を。
‘成人’していれば自分が追いかけ手に入れ側に置いても未成年の場合――某アーティスト――のような醜聞にはならない。
‘女性’であれば跡継ぎがだの孫がだの曾孫がだのとうるさい一族のジジババ――父親含む――もとい、長老会も口を出す筋合いは無くなる。
‘住む世界’といういかなる権力・財力も及ばない壁を除けば、邪魔に入られて一番厄介なのは財閥――身内だったが、その理由となる二大要素が存在しないとなれば憚る物は何一つ無かった。
‘恋人’や‘配偶者’がいるかどうかなど‘彼女’の心さえこちらに向けてしまえば済む話で、小石ほどの障害にもならない。
一呼吸分ほどの間に思考を素早く巡らせると、青年は微笑みを浮かべて‘彼女’に話しかけた。
「疲れているのに変なことを聞いてすまなかったね」
相手の左肩を掴んでいた右手を背中から相手の右手に回し、その体をさりげなく自分にもたれかかるように、ほんの少し傾ける。
「ん……」
‘彼女’はもう頭を上げる気力も無いようである。
「十時間でも二十時間でも、好きなだけ寝ていいからね」
「……そんなにはいりません。五、六時間…だけ…」
「私たちの仲で遠慮は無しだよ。一人で立っていられないほどふらふらで強がるんじゃない。さぁ、運んであげるからこちらに寄りかかって」
抱き上げようとする青年に‘彼女’は少し抵抗したものの、もうまったく目が開かない状態で、すぐにあきらめて力を抜いた。
「すみません……」
‘彼女’を姫君のように抱き上げた青年は、最後に自分の秘書に目くばせをしてから船内への扉に向かった。
「遠慮は無しだと言っただろう。悪いと思うなら、一つ約束して欲しい。目が覚めたら帰る前に挨拶に来てくれないか?」
自分の肩に顔を寄せ、今にも眠りの淵へ落ちそうな‘彼女’に、青年は最初の罠をしかけるべく甘く囁く。要となる最初の一手を打つ時間を稼ぐために。
口は囁きながら、足は寝室に向かって進みながら、青年の心は喜びに浮かれていた。
ああ、それにしても、無防備に眠る‘彼女’の何と愛らしいことか。見惚れていた戦いの緊張感とはまったく逆の姿もこんなに愛しいとは、やはり末期だ。
末期だと思いながら、そう思えることに浮かれているる自分がいる。 そんな自分の‘異常’さえ嬉しいのだと自覚して、青年は‘彼女’を落とさないように、起こさないように、慎重に寝室への扉を開けた。
一方、変わらず満月に照らされたデッキに残る‘有能な秘書’である友人は、腕の中の‘宝物’――獲物と呼ぶべきか?――を大切そうに抱えて去っていく青年を見送ると、自分のやるべきことを頭の中で整理してゆく。
まずは船を西に向け、最寄の港へ全速力で向かうよう船長に指示を出す。
次に陸地の部下に――真夜中だろうが二十四時間体勢であるから問題ない――連絡を取り、地球の裏からでもキャッチできる高性能且つ超小型の発信機を準備の上、船が港に着くまでに届けさせる。
その発信機を‘彼女’に気づかれないようにどう付けるか――これは自分の仕事ではない。
…………睡眠を取って回復すれば、不思議の力で‘跳んで’帰ってしまうであろう‘彼女’。
その住み家を突き止めさえすれば、あの‘有能な上司にして幼なじみ’である青年は必ず求めるものをその手にするだろう。
先ほど青年が浮かべた甘い笑み――ぞっとするような甘さを湛えた――を思い出しながら、友人はそう確信していた。
fin.
最後までお読みいただきありがとうございました。
この後、‘彼女’は外堀を埋められてから青年のアタックを受けるものと思われます。