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家の前に落ちていた女の子を拾ったら、懐かれた上に居着かれた〜気付けば手料理でポンコツわんこを餌付けてた〜  作者: あすれい


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第53話 物騒わんこと、嵐の前の静けさ

 弁当を食べ終わっても、俺達はすぐには教室に戻らなかった。屋上に続くドアの小窓から差し込む昼の陽射しが、まるでスポットライトのように俺と沙霧を照らしている。


 静かで、なんだか愛おしい時間。


 騒動の鎮圧を後回しにしたい、というよりも、口の中に残る甘い玉子焼きの余韻にもう少しひたっていたくて。


 それに──


「んふふっ、ご主人様ぁっ♡ お腹いっぱいですわんね?♡」


 沙霧にも、窮屈な擬態を解いて、ありのままのわんことしてくつろぐ時間が必要だろう。


 弁当箱を鞄にしまった沙霧は、俺に軽く身体を預けてくる。満腹感と寄り添う温もりが心地良くて、俺はつい小さくあくびをこぼした。


「ふあぁ……だねぇ」


「あらご主人様、おねむですか? それなら、またお膝をお貸ししますわんっ♡」


「いやいいよ。俺より、沙霧の方が早起きしたんだから眠いでしょ。昨日は沙霧にしてもらっちゃったし、順番的に今日は俺がしてあげる番なんじゃない?」


「やっぱりご主人様は優しいですわんね♡ では、せっかくですのでお言葉に甘えて──えいっ♡」


 愛らしいかけ声とともに、沙霧はころんと横になり、俺の太ももの上に頭を乗せた。微睡むような瞳が、俺を見上げる。自然と手が、沙霧の髪に伸びた。


「よしよし。寝心地は悪くない?」


「最高ですわん♡ どんな高級な枕でも、ご主人様には敵いませんもの。勝手に他の誰かに使わせてはいけませんよ? ご主人様のお膝は、愛犬専用ですのっ♡」


「使わせないよ。俺の愛犬は沙霧だけだからね。可愛い可愛い、俺のわんこさん」


「きゅーん♡ 幸せですぅ……♡ もちろん、私のお膝もご主人様専用ですので、安心してくださいね?」


「うん……またそのうち使わせてもらうよ」


「わんっ♡」


 あぁ……やばいなぁ。

 こんなのもう、両想いじゃん。


 沙霧のことが好きすぎる。

 きっと沙霧も……。


 いっそのこと、ここで告白しちゃっても──


 ……いや、まだだな。


 もし告白が成功して恋人同士になったら、二度とこの面白可笑しい関係には戻れないかもしれない。つまりこれが、最後のわんことの触れ合いになる可能性だってある。


 戸惑うことも多かった。

 散々振り回されてきた。

 怒ったこともあるし、恥ずかしい思いをしたこともある。


 けれど、この奇妙な関係が──ご主人様とわんこという関係が、俺達の距離を一気に縮めたのは間違いない。


 一緒にご飯を食べ、一緒のベッドで眠り、リード代わりに手を繋いで、甘えられるのも甘やかすのも──全部、わんこモードが可能にしてくれた。


 そう考えると、沙霧は奇跡の発明をしたようなものだ。


 だって、沙霧を拾ってからまだ三日しか経っていないのに──高嶺の花としか思っていなかったはずの女の子を、こんなにも好きになってしまったのだから。


 そんなことを考えながら、俺は昼休みが終わる直前まで、膝の上の愛おしい女の子の頭を撫で続けた。


 これが今できる、精一杯の愛情表現だと言い訳をしながら。それでも、覚悟だけはしっかりと決めて。


「さて、樹くん……名残惜しいですが、そろそろ戻りましょうか?」


 予鈴とともに身体を起こした沙霧は、しっかりと擬態を纏わせていた。その唐突な切り替えが少し寂しくて、俺は軽く茶化す。


「あれ? 今日はサボりの提案はしないの?」


「……もうっ、樹くん意地悪です。そんなことおっしゃると──戻りたくなくなってしまいますわんっ♡」


「うん、俺も本当はもう少しだけ沙霧とこうしていたいけど……本気でサボるわけにはいかないし。はぁ……また次の休み時間は消火活動かぁ」


 気が重い。でも、沙霧を責める気はこれっぽっちも起きなかった。もっとスマートな方法があったんじゃないかと思うのに、事の発端を引き起こした当の本人はあっけらかんとしすぎているし。


「ですから、それは私がどうにかすると申し上げましたのに。その方法も、ちゃーんと考えておりますわんっ!」


「今日はいったい、どうするつもりなの?」


「もちろん、探りを入れてくる人はみーんな、血祭りに上げてさしあげますわんっ♡」


 いい笑顔で物騒なことを言うせいで、背筋がゾクリと冷たくなった。


「こわっ!! やめてよっ? 教室で流血沙汰とか洒落にならないからねっ?!」


「……冗談に決まってるじゃないですわん。そんなことをすれば、ご主人様と一緒にいられなくなってしまいますもの。本末転倒ですわん!」


「冗談の顔じゃなかったけどねっ?!」


「……きゅーん?♡」


「可愛いかよっ!」


「えへっ♡ お褒めにあずかり光栄ですわん♡ というわけで、行きますよ樹くんっ!」


「えっ、ちょっ!!」


 連れ出された時も強引だったが、戻りも強引だった。沙霧は俺の腕を引っ張って立ち上がらせると、そのまま来た道をずんずん突き進んでいく。


 あのっ、沙霧さんっ?!

 めちゃくちゃ見られてますわんっ!!


 って、やっべ……!

 沙霧のわん語がうつったぁっ!


 そうして俺達は、今日も五時限目開始のチャイムが鳴る直前に、教室へと滑り込んだ。


 先生はまだ来ていない。けれど、俺達は妙に静かな空気に迎えられた。もっと騒ぎになっているのかと思っていたのに、時折チラチラと視線を感じるだけで──


 五時限目が終わっても、質問攻めにあうことはなかった。相変わらず突き刺さる視線に居心地が悪くなって、俺は健太を問い詰めた。


「……これ、どうなってんの? なんか変な空気なんだけど」


 俺には、嵐の前の静けさのように思えた。この後、なにか良くないことが起きるんじゃないかって。


「んー? これかぁ? いやぁ、なんか神生がそっとしとけって言うからさぁ。青白い顔して、人の恋路を邪魔すると、犬に噛まれて死んじまうぞって。他の皆も昨日のことは覚えてるだろうし、とばっちりは受けたくないんじゃね?」


 ……そこは、馬に蹴られるんじゃなかったっけ?


 けど、言い得て妙だな。

 

 沙霧の本性はわんこである。

 しかも、俺以外には猛犬の。


 沙霧の視線が教室の端から端へと流れるたび、何人かがビクリと肩を震わせた。小さくヒュッと息を呑む音も聞こえてくる。


 昨日の消火活動は、想像以上に効果を発揮していたらしい。


 でもそれって……。


「いや、死にゃしないだろ! ってか恋路って……!」


 バレてるのと同じことじゃんか!


「まぁ、なんにせよ良かったんじゃねぇの? 俺ももう詮索はしないから、月島とよろしくやれよ」


「いや、だからそういうんじゃ……!」


「ちくしょうっ、羨ましいぞ樹っ!」


 そう言って、健太は俺の腹を拳で軽く突いた。取り付く島もないとはこのことか。健太は、まるで俺の話を聞いちゃいなかった。


 騒動になれば、火消しもできた。しかしこれでは、ただ公認の仲になっただけ。


 それがなんとも気恥ずかしくて、俺は放課後まで呆然としていた。微かに耳に届くヒソヒソ声が、俺の心をざわめかせる。


 そしてその放課後──


 ずっと胸の奥でくすぶっていた嫌な予感が形を成して現れ、この日、俺と沙霧の運命を決定付けることになる。

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