第41話 隣席わんこと、二人で作る味
食事というは、ただ腹を満たすだけの行為じゃない。見た目、香り、味──そういう五感を全部ひっくるめて楽しむものだ。誰とどこで、どんなシーンで食べるのかでも、不思議と味が変わったりする。
だから俺は、食器にもこだわる。沙霧との食事を、少しでも特別なものにしたくて。
俺は食器棚の中に並んだ皿の中から、今夜に相応しい和皿を選ぶ。取り出した皿に天紙を敷き、天ぷらを彩りよく盛り付けていく。
ナスの紫、ピーマンの緑、人参の赤、ごぼうの茶色。薄衣を纏った四色が互いを引き立て合って、見た目にも楽しい。
唐揚げは大皿に山盛りにして、各自で取って食べるスタイルに。明日の弁当に回す分だけは、バットにきちんと取り分けておいた。
「沙霧、盛り付け終わったのからテーブルに運んでくれる?」
「わんっ♡ お任せくださいっ!」
沙霧は元気よく返事をすると、天ぷらの皿を大事そうに両手で持ち、慎重な足取りでダイニングへと向かった。けれど、そのお尻では、待ちきれないと言わんばかりに、忙しなく尻尾が揺れている。相変わらず、食いしん坊なわんこだ。
沙霧が配膳を頑張ってくれている間に、俺は炊飯器の蓋を開け、しゃもじで中身をさっくりと切り混ぜる。釜の底の方には、こんがりとしたおこげがしっかり出来上がっていた。
これがまた、美味いんだよな。
二人分の茶碗を並べ、沙霧の方には多めにおこげをよそってやる。美味しいところを、たくさん味わってほしくて。きっと、一口食べた瞬間に見せてくれる笑顔が、大切な思い出になるはずだから。
そう思った直後、ふと手が止まる。
『……もしそうなったとしても、それも樹くんとの大切な思い出ですよ』
さっきの沙霧の言葉が、ふと頭に蘇った。
あれは、どんな意味だったんだろう。
俺はずっと、そこに囚われている。
沙霧も、俺との時間を大切に思ってくれている……のかな?
それとも、自分がいつまでもここにいられないことに、薄々気付いているのか?
そんな考えが胸の奥でもやもやと重く渦巻いて、息苦しさすら感じる。
そんな時──
ガタガタッ!
ダイニングの方から、妙に騒がしい音が響いてきた。沙霧は皿を運びに行ったっきり、戻ってきていない。
「……なにしてんの? まだ運ぶものあるよ」
「──ひゃわんっ?!♡」
カウンター越しに声をかけて返ってきたのは、いつもより情けなくて、可愛らしい悲鳴。カウンター越しに覗き込むと、沙霧の肩がビクリと跳ね上がった。
「わふん……見つかっちゃいましたわん♡」
振り返った沙霧は照れ笑いを浮かべながら、またガタガタと音を立てて椅子を押している。その小柄な身体で、ぐいっ、ぐいっと、椅子を移動させているのだ。まるで、自分の居場所を探すみたいに。
「……なんで椅子動かしてんの?」
沙霧がこれまで使っていたのは、ちょうど俺の席の真正面に置かれていた父さんの椅子。それなのに今は、俺の椅子のすぐ横にぴったりと寄せられている。
「えへへ……こっちの方がいいかと思ったんですわん♡」
もじもじと指を絡めながら、どこか誇らしげに笑う沙霧。完全に褒められ待ちの顔だった。
「向かい合わせじゃ、だめだったの?」
「だって……せっかく一緒に作ったんですから、ご主人様の近くで食べたいですわん……だめ、ですわん?」
その声色があまりにも健気で、可愛らしくて。
ふっと気が緩んでしまって、なにも言えなくなる。
それに、沙霧のわがままを全部受け止める──それが、今夜の俺に課せられたミッションでもあるのだ。
「わかったよ。今回から、隣で食べようか」
「わんっ♡ この先ずっとですわんっ♡」
「……えっ? ずっと?!」
あ……俺、今回からって言ったわ。
自分の失言に気付いた時にはもう遅い。沙霧の顔が一瞬でぱぁっと輝き、尻尾の振り幅は最大値を記録していた。この期に及んでは、もはや訂正なんてできるわけがない。
頭を撫でたり、抱っこしたり。色々とやらかしているくせに、隣り合って食事をするだけのことに、やけにドキドキする。
炊き込みご飯をテーブルに置けば、配膳は終わり。観念して椅子に腰を下ろすと、沙霧も俺の横に座り、なんの躊躇いもなく左腕にぎゅうっと抱きついてきた。
俺の胸に立ち込めていたもやもやが少しだけ晴れた気がした。
温もりを感じられる距離に沙霧がいる。
それが今のすべてだった。
けれど、ここからは食事の時間──
「あの……沙霧? これじゃ食べられなくない?」
「そこは私には、わがまま放題の権利がありますわんっ♡ ご主人様ぁ、あーん♡」
「……それが狙いか。この甘えん坊めっ」
ちょんと軽く額を弾くと、沙霧は目を細めてくすぐったそうに笑った。
「ご主人様の調教の賜物ですわん♡」
「調教って言うのやめなさいっ!」
「きゃいんっ♡」
叱っても喜ぶだけとは、本当にどうしようもないわんこだ。誰が沙霧をこんな風に育ててしまったのか。
……って、俺か? 俺なのか?
思わず頭を抱えそうになりつつも、その甘えに激弱な自覚もある。
「で、なにから食べたいの?」
「唐揚げっ! 唐揚げが食べたいですわんっ!」
「はいはい、唐揚げね……ふーふーは?」
「もちろん必須ですわんっ」
「……ったく」
呆れたふりをしながらも、自然と箸は唐揚げを摘んでいる。
こんなわがままを、あとどれくらい聞いてあげられるんだろう。歪で奇妙なこの関係、その終わりを想像してしまってから、俺の心は乱れっぱなしだ。
もっと。
もっとわがままを言ってほしい。
尽きることなく、甘えてほしい。
可能な限り、叶えてあげるから。
すでに粗熱は取れているはずの唐揚げを口元に寄せ、息を吹きかける。意味なんてなくたっていい。沙霧がそれを望んでいるから。
「ほら、あーんして?」
「あーんっ♡」
沙霧は嬉しそうに、俺の箸ごと唐揚げに噛み付いた。しっかりと唇を閉じ、上品にもぐもぐと口を動かす。ふにゃんと蕩けるように緩んだ表情を見て、俺は勝利を確信した。
「ふあぁぁ……♡ こんな美味しい唐揚げ、初めてですわん♡ 噛めば噛むほどお出汁が染み出してきて、病みつきになりますわん♡」
「まだまだあるから、たくさん食べてよ」
「わんっ♡ でも、これじゃご主人様が食べられませんね。お返し、しますわんっ!」
そう言って、沙霧は俺の腕から手を離し、箸を握る。迷いなく唐揚げを摘み、俺の目の前に差し出した。
「ご主人様ぁ、あーん、ですわん♡」
「えっ、あ、あーん……?」
戸惑う隙も与えない、早業だった。口を開いた瞬間、ひょいと唐揚げが放り込まれた。
「ねっ、ねっ? 美味しいですわん?」
「ひょっろまっへ……」
急かす沙霧に、慌てて咀嚼する。鶏の肉汁とともに出汁の旨味がじわりと溢れて、口の中を満たしていく。
過去に何度も作り、食べてきたはずなのに──
「ん……今日の、いつもより美味いかも」
「ですよねっ? ご主人様の作るお料理は、最高ですわん♡ それに……こうして一緒に食べると、もっと美味しくなりますわん♡」
「……うん、そうだね」
レシピは一切変えていない。なのに味がこんなにも違って感じるのは──
紛れもなく沙霧がいるからだ。
こんなんじゃ……全然足りない。
「沙霧、次はどれが食べたい?」
「おナスがいいですわんっ! 天つゆで食べるの、楽しみだったんですわん♡」
「うん、じゃあたっぷりつけようね」
心の渇きを潤すように、俺は何度も沙霧の口元に料理を運ぶ。そのたびに弾ける沙霧の笑顔を、記憶に焼き付けながら。
炊き込みご飯のおこげを食べた時の表情は、この世のものとは思えないほどに愛らしかった。




