第4話 犬や猫じゃあるまいし
「いきなりこんなことを言うのはどうかと思いますが──」
真剣な光を宿した瞳に見据えられ、俺の喉がゴクリと鳴った。
「相葉くん、お願いしますっ。私を……ここに泊めてくださいっ!」
……やっぱりそうきたか。
家出というワードを聞いた時点で、薄々予想はしていた。しかし、こうして真正面から頼まれると、さすがに動揺せざるを得ない。
月島さんと一晩、同じ屋根の下で過ごす。そんなの──
「いやいやいやっ、だめでしょ! さっきも言ったけど、今は俺一人なんだよ? もうちょっと身の危険とか考えようよっ!」
そりゃ俺だって、月島さんとお近付きになれるチャンスに心が躍らないわけではない。けれど、現実的に考えたらハードルが高すぎる。
俺が早口でまくし立てると、月島さんは小首を傾げて、きょとんとした。
「相葉くんは、危険じゃないと思いますが……助けてくれたうえに、ご飯まで食べさせてくれましたし。それに、私が眠っている間、なにもしませんでしたよね?」
「しなかったけどっ!」
「なら、私としてはなにも問題ありません。他に、頼るあてがないんです……どうしても、だめ、ですか……?」
「だめ、というか……そろそろ帰った方がいいんじゃないの? きっと家の人も心配してるだろうしさ」
「嫌です、帰りたくありません。心配なんて、させておけばいいんですよ」
どんな大喧嘩をしたらそうなるんだよ……。
気にはなりつつも、深入りすればまた地雷を踏み抜きそうで怖い。
「で、でもさ……学校はどうするつもりなのさ。今日は日曜だったからいいけど、明日は普通に授業あるじゃん」
真面目そうな月島さんだ。さすがに休むとは言わないだろう──そう思っていたのに。
「……両親が仕事に出た後にこっそり戻って、遅刻して行こうと思っています。幸い、家の鍵だけは持ってますから」
この方向も、あっさりとかわされた。万策尽きた俺は、もはや口を閉ざすしかなくなる。
その沈黙を好機と捉えたのか、月島さんはさらに畳み掛けてきた。
「お願いしますっ! 相葉くんだけが頼りなんですっ! ここで断られたら、どこかの公園で野宿するしかなくなります……!」
「それはもっとだめだって……昨夜は運よくなにもなかったかもしれないけど、危なすぎるからっ!」
「じゃあ、ここに置いてください……屋根の下で休めるのなら、廊下でも玄関でも構いませんから……」
「むっ……」
胸の前で両手を組み、涙に濡れた瞳で見つめられると……どうにも弱い。
無理に追い出せば、この子は本当に野宿しそうだ。ふざけて言っているんじゃない、それは目を見ればなんとなくわかった。
それでも、最後の一線を越える勇気はまだ出なくて。
「相葉くん……拾った女の子の面倒は、最後まで見るのが筋じゃないですか?」
「……そんな犬や猫じゃあるまいし」
「相葉くんがお望みでしたら、そのように振る舞います。なりふり構っていられませんから」
「いやっ、少しは構おうっ?!」
いきなりなにを言い出すんだ、この子は?!
「構いませんっ。ねぇご主人様……ここにいさせてほしいわん」
「ぐぅっ……!」
美少女から繰り出される『ご主人様』呼び。さらに『くぅ〜ん』と弱々しい鳴き声が聞こえてきそうな犬の真似。
そんなの反則だろっ……!
なんか変な属性に目覚めてしまいそうなんだが?!
「お気に召しませんでしたか……? でしたら、これはどうでしょう──お外で寝るのは怖いにゃん……助けてほしいにゃ」
「がふっ……!」
俺の目には、月島さんの頭に猫耳が生えた幻覚が映っていた。
か、可愛い……!
もっとにゃんにゃん鳴いてほしい……!
──って、ちっがーーーうっ……!!
これをいつまでも続けられたら、俺の理性なんて一瞬で吹き飛ぶ。そうなったら、俺が月島さんにとって危険な相手になってしまう。
慌てて脳内で繰り広げられそうになっていた妄想を打ち消し、俺は月島さんに向き直った。
「わかった、わかったから……!」
「本当ですかにゃ? 泊めてくれるんですかにゃ?」
瞳をキラキラさせたまま、なぜか猫モードを継続する月島さん。手までにゃんこの形にして、身を乗り出してきた。
「だからそう言って──というか、もうそれやめてくれないっ?!」
「えっ……気に入っていただけたのかと思いましたにゃん」
「いや、うん……可愛いとは思うけどさ、ちょっと変な気分になるというか。心臓に悪いから……」
「そうですか……残念です」
月島さんのにゃんこの手が、しゅんとしおれた。
なんか……なりふり構わないとかいう割に、意外と余裕あるんじゃないの?
むしろ、楽しんでたよね?
とは思うけれど、安堵の息を吐いた月島さんを見ていると、前言を撤回する気にはなれない。俺はどっと押し寄せてきた疲労感をため息に変え、立ち上がった。
「……相葉くん?」
「風呂いれてくる。昨日も入ってないんだろうし、外で倒れてたんだから、さっぱりした方がいいでしょ?」
「それは、そうですが……」
「じゃあ、すぐ準備するよ。それまではあっちのソファにでも座ってゆっくりしててよ」
頬を赤らめ、もじりと身を捩らせた月島さんを横目に、俺はダイニングを抜け出す。
泊めると決めた以上、いい加減にはできない。
浴槽を手早く洗って、給湯ボタンを押し込む。じわじわとお湯が溜まり始めたのを確かめて、バスタオルやバスマットを揃えていく。棚を漁れば、新品の歯ブラシも見つかった。
「……よし、これで十分かな」
気遣いというよりは習慣に近い作業を終え、リビングに戻る。すると月島さんは、妙にソワソワと落ち着かない様子で待っていた。
「……どうしたの?」
声をかけると、びくりと肩を跳ねさせ、恐る恐る口を開く。
「あの……お風呂はちょっと……」
「なんで?」
「それはその……着替えも、ないですし……」
「あー、そっか。忘れてた。俺のでよければ貸すよ。ちゃんと洗ってあるし、安心して」
「ち、違います……そういうことじゃなくて……」
「じゃあ、なに──あぁ、そういうことね。汚れた服は洗濯するし、乾燥かければ朝までには乾くから平気だって」
そうだよな。汚れた服をもう一度着るのは俺だって嫌だ。とにかく、まずは着替えの用意だ。
俺は座る間もなく、今度は階段を駆け上がり自分の部屋のチェストから部屋着を引っ張りだす。
「サイズは……まぁ我慢してもらうしかないか」
俺よりも一回りは小柄な月島さんだ。きっとぶかぶかになるだろうが、他にないのだから仕方がない。
それを抱えて戻ると、ちょうどお湯張りが終わったところだった。
俺は着替えを押し付け、背中を押すようにして風呂場へ案内する。
「あ、相葉くん……? やっぱりいいですって……寝る場所さえあれば……」
「はいはい、つべこべ言わない。泊めてあげるんだから、言うことは聞いてもらうよ。あぁ、そうだ──脱いだ服は洗濯機に入れといて。月島さんが風呂に入ったら回すからさ」
「でも……!」
「大丈夫だってば、覗きゃしないよ。ほら、行った行った」
まだなにか言いたげな月島さんを、やや強引に脱衣場へ押し込む。それでようやく観念したのか、やがて、微かに衣擦れの音が響いてきた。




