第13話 甘えわんこ、居着く
「ご主人様っ、お荷物お預かりしますわんっ!」
月島さんは立ち尽くす俺から離れ、肩にかけていた鞄を奪い取った。そして俺の腕を掴み、先導するように引いていく。まるでここが、自分の家であるかのような振る舞いで。
俺はどうにか靴を脱ぎ捨て、足をもつれさせながらそのあとに続く。
「お疲れでしょうから、まずはゆっくりくつろぐといいですわんっ!」
リビングへと連れていかれた俺は、ソファに座らせられる。月島さんはキッチンへと向かい、冷蔵庫から作り置きのお茶を取り出し、グラスに注いで持ってきてくれた。
なんという忠犬。
ご主人様呼びも相まって、やってることはメイドさんみたいなのだが、それも悪くない。
お茶を一息に飲み干すと、じんわりと身体が冷えていき、ようやく家に帰ってきた実感がわいてきた。
あぁ……やっぱり我が家は落ち着くなぁ。
ちょっとポンコツなのが玉に瑕だが、甲斐甲斐しくて可愛いわんこメイドっぽい子もいるし、最高か?
…………。
じゃねぇよっ!!
だから違うんだってばっ!!
我ながら流されやすいやつである。月島さんがナチュラルにわんわん言うせいで、すぐにおかしな妄想ワールドが展開されてしまう。
俺はがっくりとうなだれた。
「あの……月島さん?」
「わんっ! なんでしょう?」
名前を呼ばれた月島さんは、わんこよろしく元気に返事をして、俺の隣に腰を下ろす。ぴったりと寄せられた肩、黒髪が揺れ、甘い香りが立ち昇った。
愛犬と恋人の狭間のような距離感に戸惑い、じっと見つめてくるぱっちりとした瞳に気圧されつつも、どうにか切り出す。
「えっと、さ……家に、帰ったんじゃなかったの?」
「はい、一度帰りましたよ?」
「いや、そうじゃなくて──なんでまだうちにいるのかって意味だったんだけど」
「はて?」
こてんと小首を傾げた月島さんは、俺がなにを言っているのかさっぱりわからないという顔をしていた。むしろ、意味がわからないのは俺の方なのに。
しばし見つめ合うだけの謎の時間が流れ、不意に月島さんがポンと手を打った。
「あぁ、そういうことですか。たぶんご主人様は勘違いをしてますわん!」
「勘違いって……? だって、今日家に帰るって──」
「それが勘違いなのです。私、『戻る』とは言いましたが、『帰る』とは一言も言ってませんよ」
「…………」
俺は口を閉ざし、記憶を精査し直す。あれは、昨夜の夕飯の後のことだった。そこで月島さんはこう言ったはずだ──
『両親が仕事に出た後にこっそり戻って、遅刻して行こうと思っています』
確かに……帰るとは言ってないな。
ということは──
騙されたっ?!
どうやら月島さんは、あの会話の中に叙述トリックを仕込んでいたらしい。そして、単純な俺はまんまとそれに引っかかったというわけだ。ポンコツわんこに出し抜かれたことが、地味に悔しかった。
……いや、待てよ?
騙されたのかもしれないが、おかしな点が一つ残されているぞ。
俺はそこに光明を見出した。光明になり得るかは不明だが、ツッコミポイントを見つけてしまっては、突かずにはいられない。
「学校に来なかったのは、なんで? 遅刻して来るって言ってたよね?」
「あっ……そうでしたね。えへへ……ちょっと色々あって、行く余裕がなくなってしまったんですわんっ」
「色々って……?」
またわんわん言い始めたことは、この際目を瞑ろう。一々突っ込んでたらキリがない。
「それはですね……荷物が多くて、運ぶのに二往復もするハメになったせいです。おかげですっかりお疲れわんちゃんになってしまって──てへっ、ついサボっちゃいましたわんっ」
照れ隠しのようにペロリと舌を出すのはとても可愛らしいが、それよりも聞き捨てならないワードがあったような。
「荷物って……なに?」
「あれですわんっ!」
月島わんわんは、しゅびっとリビングの片隅を指さした。そこには、本来我が家にはない大きなキャリーケースとボストンバッグ、それから俺のものではない学生鞄が鎮座していた。
これ以上の説明は不要だった。その中にはきっと、着替えやらなにやらに加えて、学校で必要になる諸々までもが詰め込まれているのだろう。それはつまり、うちに居着く気満々ということで。
「ちょっ、それはだめでしょっ?! 一晩だと思ったから泊めたんだけどっ?!」
「……だめ、なんですか? ご主人様、最後まで面倒見てくれるって、言ってくれましたわん……」
「ぐっ……」
うるうると涙で揺れる瞳で見つめられると、強くは言えなくなってしまう。月島さんの言う通り、最後まで面倒をみろと言われて、わかったと答えたのも俺なのだから。
「ここでご主人様に捨てられたら……路頭に迷うしかなくなるわん……そしたら、今度はきっと悪い人に拾われて──私、あんなことやこんなことをされてしまうに違いないわん……」
「それはっ……!」
わんこを拾う人の全員が全員、善人とは限らないのは事実。もし悪意を持った人間に拾われでもしたら、それはもう目も当てられないことになるだろう。
変なことをされたり、ひどい扱いを受けたり。下手をすれば、ちゃんとご飯をもらえなかったりするかもしれない。そんなの、動物愛護の精神に反する行いだ。想像するだけで怒りがわき上がってくる。
こんなに可愛いわんこを虐待するなんて、天が許しても俺が許さん。
「ご主人様ぁ……いい子にしますから、ここにいさせてほしいわん。優しいご主人様と一緒がいいの……だから──捨てないで……」
小さな手が、震えながら俺の制服の袖口を掴んだ。今にも泣き出しそうな顔を見て、冷たく突き放せるほど非情にはなりきれない。一度拾ってしまったという責任感もある。
俺はため息とともに頭をかいた。同時に、これは自分のためでもあると言い聞かせる。確か、犬や猫を捨てるのは法に触れる行為だったはずだ。ここで月島わんこを放り出して、罪に問われるのはごめん被りたい。
「……わかったよ。捨てたりしないから」
「本当ですかっ?!」
「だからそう言って──」
「ありがとうございます、ご主人様ぁっ!」
ぱぁっと花が咲いたように笑うと、月島さんは勢いよく俺の胸に飛びついてきた。
「うわっ、ちょっと近いって!」
「嬉しいわんっ! やっぱりご主人様は優しい人ですわんっ!」
頬を擦り付けてくる月島さんの髪が首筋をくすぐり、嫌になるほど心臓が跳ね回った。
「ご主人様ぁ……きゅ〜ん♡」
「あぁもうっ……! わかった、わかったからっ!」
このままだと顔までペロペロと舐め回してきそうな月島さんを、頭を撫でて必死でなだめる。
……まぁ、嫌ってことはないか。
ここまで甘えられちゃあ、ねぇ?
たぶん俺は、すっかりこのポンコツわんこにペースを握られてしまっている。わんこは月島さんのはずなのに、首輪を付けられたのは俺のような気がしてきた。
──こうして、月島さんの我が家での居候生活が本格的に幕を開けたのだった。ご主人様とわんこという、奇妙な関係で。




