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栄光の彼方に光る月  作者: はぐりはるひさ


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8/8

第8話

夜が明け、朝がやってきた。

決戦の舞台、甲子園球場のダッグアウト前には、

一塁側・三塁側それぞれで両校の選手たちがウォーミングアップをしていた。

一塁側には間谷地高校、三塁側には多々井学園高校が陣取っている。


「みっくん・・・みんな・・・今年もここまで来られたね」


「「「はい!!」」」

「「「おう!!」」」


「なんていうか・・・なんかもう懐かしいな、なんでだ?センバツには出なかったからか?」


「みっくん、それは・・・」


「へへっ、冗談冗談、それよりもお前ら・・・もう言わなくても分かってるな?」


「「「「「おう!!!!!」」」」」


「さぁ、今年も勝って帰るよ、そんなわけで今日も・・・ファイトだー!」


「「「「「ファイトだー!!!!!」」」」」


試合に先立って、両校のキャプテンが審判室に呼ばれた。

立会人のもと、じゃんけんによって先攻後攻を決めるためだ。

その結果、多々井学園高校が勝ち、後攻を選択した。

それに続いて、スターティングラインナップがアナウンスされていく。

両校のラインナップは次の通りである。


先攻・間谷地高校

1(8)滝谷

2(2)醒ヶ井

3(5)若江

4(9)ミツキ

5(4)伏見

6(1)カナタ

7(3)阿倍野

8(7)汐見

9(6)高井田


後攻・多々井学園高校

1(4)浅木

2(6)井原

3(3)戸笠

4(5)浦上

5(2)久留田

6(9)椋留

7(7)矢野

8(8)菱川

9(1)今本


『さぁ、いよいよ全国高校野球選手権大会も、長かった開催期間の集大成、決勝戦です

 今年の対戦カードは、2年連続の決勝進出となった間谷地高校と、四之宮琉生監督率いる初出場の多々井学園高校となりました』


『いやぁ、それにしても多々井学園は、四之宮監督のもと、見事にここまで勝ち上がってきましたねぇ』


『打線の破壊力もさることながら、3年生の左腕エース今本君の力投もありました

 準決勝では登板がありませんでしたが、この決勝で満を持しての登板です』


『大会屈指の右腕、間谷地高校の堀江君との投げ合いは見ものですねぇ』


『その堀江君も、準決勝では登板がありませんでした

 お互いに休養を充分にしての対戦ですから、熱戦を期待しましょう、まもなくプレイボールです』


両校がホームベース付近に整列すると、お互いに礼をする。

場内にサイレンが鳴り響いて、多々井学園高校のナインが守備に就く。

そして、球審からの号令がかかった。


「・・・プレイッ!!」


多々井学園高校先発の今本は、スラリとした体型ではあるが、

その左腕から放たれる140km/h台後半のストレートと90km/h台で大きく曲がり落ちるスローカーブが武器の本格派だ。

変化球は他には落差の小さいフォークがあるが、ほとんどストレートとスローカーブの2球種だけを投げる。


投げるボールの種類が少ないとはいえ、緩急とストライクゾーンの奥行きを自在に操ることで、

今本はまず、1回表をあっさりと三者凡退で終わらせた。今日は絶好調と見える。


今度は間谷地高校が1回裏の守備に就いていくが、ここでいきなり一つの『異変』が起きた。

ホームベースで守っている選手の背番号が『2』ではないのだ。

その『背番号2』はまだグラウンドに出てきていない。

スタンドが少しそわそわしてきたところで、アナウンスが響いた。


「間谷地高校、守備の変更をお知らせいたします

キャッチャーの醒ヶ井君がライト、ライトの春見君がキャッチャー

2番、ライト、醒ヶ井君、4番、キャッチャー、春見君、以上に変わります」


そう、ナインが守備位置へと散ったとき、ホームベースに現れたのは『背番号9』のミツキだった。

アナウンスの間に、スターティングラインナップ発表の時点ではキャッチャーとなっていた醒ヶ井も、ライトの定位置に就いた。

ミツキはマウンドに向かい、カナタに声を掛けた。


「ようカナタ、久しぶりだな」


「待ってたよみっくん、じゃあ・・・やろっか」


「おう!」


改めて、球審からプレイコールが発せられ、1回裏が始まった。

注目のカナタの第一球は。


「・・・なんだそれは・・・なんだそれはぁ!!

カナタぁ!!上町ぃ!!なんだそれはぁぁぁ!!」


三塁側のダッグアウトから四之宮が騒ぎ立てる。

その勢いは、まるでグラウンドに飛び出してくるのではなかろうか、というほどだったが、

四之宮が血相を変えるのも無理はなかったし、当のカナタはマウンドで平然としていた。


何を甘いことを言ってるんですか、四之宮選手

ボク、あのとき、ちゃんと言いましたよね?

『甲子園の土を持って帰るのは、あなたたちのほうですよ』・・・って

いや・・・だとしても、自分でもよく間に合わせられたな、って思いますけどね、ふふふっ

さぁ、四之宮選手・・・試合は始まったばかりですよ・・・?


脚を大きく振り上げ、トルネード式に捻った身体から、右腕を巻き付けるようにして、

カナタが初球に投げてみせたのは、なんと153km/hのストレートだった。

それが綺麗にインコースに突き刺さり、まずはストライクを取ったのである。

それは、この大会、ナックルボーラーとして復活したと見られていたカナタとは、

まったく別人の投手、まったく別物の投げ方だった。

実はこれは、カナタが仕組んでいたことだった。

話はカナタとミツキの出産後、練習参加に復帰したころに遡る。


―――――――――――――――—――――――――――――――――――


「・・・ねぇ、みっくん」


「なんだよ、カナタ」


「あとで室内練習場来てくれる?それと、ヨシノちゃんも」


「ん・・・?あぁ・・・おう・・・」


カナタの呼び掛けに応じて、ミツキはヨシノと共に室内練習場に入った。

ナックルボールの練習のために、昨年の初冬からずっと使い続けた空間。

自分にはカナタのナックルは捕れない、そうはっきりと自覚したばかりなのに、

何を今さら・・・今度は何をしようというのか、ミツキは困惑の色を隠せなかった。


「みっくん、お待たせ、じゃあ座ろっか」


「カナタ、お前・・・お前にも分かっただろ、俺にはお前のナックルは捕れねぇ、って・・・」


「誰がナックル投げるって?」


「はぁ!?カナタお前、ふざけてんじゃねぇぞ」


ミツキはカナタの近くへと歩み寄った。

その表情は先ほどの困惑からは一変、今度は明らかな苛立ちを隠さなかった。


コイツ・・・マジで俺を馬鹿にしてんのか?

俺がカナタのナックルを捕れないのは、誰が見たってはっきり分かる

そのカナタが俺をここに呼んで、投げるから座れ、と、ほざきやがる

それで、「誰がナックル投げるって?」と来やがった

・・・あぁ、いいさ、分かったよ

俺を笑い者にしてぇんだったら、勝手にしてくれ


しばし無言の睨み合いがあったあと、ミツキはホームベースに戻り、捕球姿勢を取った。


「みっくん、行くよ」


「いいから早くやれ」


そしてカナタが投げた一球は、ミツキの気持ちを一瞬で整理させ、

ヨシノには、カナタというピッチャーの底の深さを知らしめた。


「どう、みっくん?」


「・・・カナタ、お前」


「それならみっくんでも捕れるでしょ?」


「カナタ先輩・・・身体はなんともないですか!?」


「あぁ、うん、ヨシノちゃんから見てどうかな、このフォーム」


「いや・・・それは・・・私から見ても完璧ですけど」


「ならよかった」


ミツキは感涙に震えていた。

まさか・・・まさかカナタがもう一枚ジョーカーを手札に入れていただなんて。

そして、そのジョーカーであれば、例え自分が引いても有効に使うことができる。

それはもはや、ジョーカーというよりは、スペードのエース。


「これなら俺でも捕れるか、って・・・?」


「うん、どうかな、みっくん?」


「捕れないわけねぇだろ!!あのナックルが酷すぎるだけなんだよ!!

アレが捕れるサメのほうがおかしいんだよ!!」


だったらよかった

ボクはね、みっくん、ボクはどうしても、みっくんにキャッチャーやってほしいんだよ

ボクはみっくんと2人でやってきたから、ここまで登ってこられたんだよ

だったらさ、最後まで付き合ってよ、みっくん

みっくんも思った通り、これはスペードのエース

最後の最後まで残しておきたい最強のカードだよ

その最後のとき、ボクはやっぱり・・・みっくんと組んでいたい


「残り時間は少ないけど、大丈夫そうかな?」


「任せろ、ナックルでさえなけりゃ、どうとでもしてやる

お前こそ、残りの時間でこっちも完璧に仕上げようぜ」


「うん、ありg

「礼を言うのは俺のほうだぜ、カナタ

ありがとうな、俺をもう一度、お前のキャッチャーに選んでくれて」


「ボクにはみっくんしかいないんだよ

さぁ、ヨシノちゃんも、もうちょっとだけボクたちに付き合ってもらうよ」


「は・・・はいっ!!カナタ先輩!!ミツキ先輩!!」


この人は・・・この人たちは本当にすごい・・・

女体化しても、妊娠しても、そのたびにしっかりと乗り越えてきてる

私は・・・私は幸せ者だ

私は確かにプレーを続けることを諦めちゃったけど、この人たちと一緒に過ごせるだけで充分だ

カナタ先輩とミツキ先輩、この2人と出会って、同じ時間を過ごせたこと

そして・・・この2人と過ごす時間を与えてくれた監督さんとも出会えたこと

私は・・・そのおかげで私なりに野球を続けられていることに感謝しなきゃ


こうして、カナタは『本格派サイドスロー』という、最後の切り札を手に入れた。

しかし、これは本当に『最後の切り札』だ。

しかるべき舞台まで使うつもりはないし、使ってはいけない。

かといって、こういう手も使えるようになったことは知らせておく必要があるし、

そのために、そのときはミツキをキャッチャーにしてほしいことも知らせておく必要がある。

その報告と相談を実行に移したのが、県大会決勝を勝利したあとのこと。


そう、四之宮が間谷地高校を訪れ、監督室へ上町を尋ねたあの日のことだ。

四之宮と高津が去ったあと、カナタは上町に、この件について相談した。


「いや、でも・・・やるからには勝ちたいじゃないですか・・・

あっ・・・そう、そうだ!監督、それでちょっと相談が・・・」


「なんだ、いったいなんだっていうんだ、カナタ」


「いや、実はですね・・・とにかくこれを見てください」


カナタはポケットからスマートフォンを取り出すと、

一つの映像を再生して、上町に見せた。

そこに映っていたのは室内練習場で件の投球をしているカナタと、それを受けるミツキの姿だった。


「カナタ・・・お前・・・これは・・・っ!!」


「どうですか、監督」


どうもこうもねぇよ、カナタ、お前ホントにさぁ・・・

まさか、お前一人でここまで思い付いたなんて、私がビックリだよ

それに・・・これならミツキも大丈夫そうだな

・・・よし、分かった、分かったよカナタ


「お前が言いたいことは分かったよカナタ、で、私はどうすればいい?」


「ボクは、最後の最後までこの手を使うつもりはありません

この手を使うのは本当に最後の最後、甲子園の決勝だけです」


「ほう?」


「それまではナックルボーラーとして猫を被っています

でも、そのときが来たら、みっくんをキャッチャーに戻してください

ボクはみっくんと一緒だったから、ここまで来られたんです」


カナタのその想いに上町は、やはりカナタはカナタだと思った。

普段はクールを装っているが、その内心には勝利に対する貪欲な気持ちが熱く燃え上がっており、

そして仲間のことを大事にしたいと考えている。

そこに加えて、こういう『知恵が働く』部分もしっかりと身に付けたことは、上町を大いに喜ばせた。

カナタのこの相談を、上町も認めない道理はなかった。


「分かった、私も約束しよう、しかしカナタ、お前・・・」


「・・・なんですか?」


「おっまえ・・・ホント、どこで教わったんだ、こんなやり方・・・」


「ホント・・・『誰』の教えなんでしょうねぇ・・・」


―――――――――――――――—――――――――――――――――――


大会期間中、準決勝を除くすべての試合で、

いわんや県大会からずっとナックルボーラーとして投げ続けてきたカナタの、『華麗な復活劇』。

今、『彼女』がその小高い丘の上から見せているのは、

女体化する前、カナタがまだ男だったころに見せていた姿と、ほぼ変わりなかった。

右腕を身体に巻き付けるようにして振り抜き、そこから放たれるボールは球速と球威の両方を併せ持っていた。

しかし、カナタのピッチングは、確実に進化していた。

女体化したことによって得た豊かな胸は、今のカナタのフォームに慣性と遠心力をもたらし、

そうして投げられているボールには、女体化する前以上の威力がついている。

変化球こそ、女体化前に投げていたようなスプリットは投げられなくなっていたが、

それに代わる決め球として、横に大きく滑っていくスライダーと、

打者---特に右打者---の膝元に鋭く落ちるシンカーを身に付けていた。


これを、出産が終わり、この甲子園決勝を迎えるまでの2ヶ月弱でカナタは仕上げたのである。

もちろん、構想自体はそれ以前からあったのは、想像するに難くない。

だとしても、たったそれだけの時間で、それもナックルボーラーという猫を被りつつ、

県大会そして甲子園本戦を進めながら仕上げていったのだから、如何にカナタというピッチャーの底が深いか、である。


多々井学園高校の選手たちからすれば、絶望に他ならなかった。

聞いていた話と、まったく違うピッチャーが目の前にいるのだから。

サイドスローのナックルボーラーが来るから、ボールをしっかり見極めて、甘いところをしっかりと振り抜け。

自分たちが戴く監督の言葉だ、それは何よりも重いし、何よりも説得力がある。

その言葉を、その監督を信じてここまでやってきたというのに、

実際に自分たちの目の前に現れたのは、サイドスローではあったが、ナックルボーラーではなかった。

それどころか、見た目こそは慈愛に満ちた『女神』のようだが、これではまるで『死神』そのものではないか。


ここに、多々井学園高校の面々は、混乱に陥った。

聞いていた話と違うモノが出てきたことに、強固だったはずの信用も失いつつあった。

選手たちよりも、四之宮のほうが、より混乱していたのは言うまでもない。


「な・・・何故だ・・・何がヤツを、いったいそこまで・・・」


カナタがやってみせていることは、四之宮には到底理解できることではなかった。

いや、四之宮に限ったことではない。

少しでも野球をやっていた人間であれば、ここまでのスタイル変更を、

それも短期間のうちに何度も行ない、それを成功させているなんて、理解するほうが無理なのだ。

ましてや、自分のスタイルを貫いて、プロ野球の世界で15年を生き抜いた四之宮である。

カナタのやったことが、一歩間違ったら選手生命が終わりかねない危険なギャンブルであることは、重々承知している。


「そこまで・・・そこまでして、キミは私に勝つつもりなのか・・・カナタくん・・・」


これでは・・・これではまるで・・・私がキミに教えられているようではないか・・・

私がキミに、分からさせられているようではないか・・・

私は・・・私がやってきたことは、間違い・・・だったというのか・・・?


カナタが起こした混乱から、四之宮が一種の恐慌状態に陥っているのを、

高津は傍らで見ていてはっきりと理解していたが、掛ける言葉が見つからなかった。

というより、四之宮でさえ理解できないことを、高津が理解できるはずがないのだ。

カナタの指導者であり、高校の3年間を共に過ごした上町のことは高津もよく知っている。

しかし・・・上町がこれを、はっきりとカナタに指導したとは思えない。

上町が教え子の選手生命を天秤に乗せるような真似をするはずがないことを、高津は分かっているからだ。


上町・・・お前・・・いや、お前がそんなことをするはずがない

だとしたら、これは・・・堀江君が自分でやったこと、ということなのか・・・?

君は・・・そこまでして・・・


ミツキという最高のパートナーを取り戻したカナタの快投は、回を追うごとにますます冴え渡っていく。

スコアボードには0が並んでいくが、それは間谷地高校も同様であった。

多々井学園高校の今本もまた、カナタにつられるように力投を見せていた。

だが、それに危機感を覚えていたのは、ディフェンス面の指導を担当している高津だった。


「なぁ、今本・・・お前・・・もう少し押さえていかないか・・・?

このままあいつに合わせて投げ続けていたら、多分お前は・・・」


「だったらアイツから1点でもいいから取ってくれよ!!お前ら何やってんだよ!!」


今本がベンチで声を荒げた。


強打の多々井学園高校が聞いて呆れる

聞いていた話と違うだけで、こうも一気に打てなくなるものなのか

お前らが打ってくれないのなら、俺もなんとかして抑え続けるしかない

アイツのペースに合わせて投げないといけなくなったのは、いったい誰のせいだと思ってるんだ


「もう知ったこっちゃねぇ、アイツより俺が先に潰れても知ったことか」


「今本・・・っ!!」


かくして、高津が抱いた危機感は、試合中盤で一気に爆発した。

カナタのペースに合わせて投げていた今本は、やはり飛ばしすぎだったのだ。

6回表、1アウトを取ったあとから、急激に今本の出力が低下した。

どれほど燃費のいい自動車であっても、エンジン性能を無視した運転をすれば、ガソリンの消費はとんでもないことになる。

つまり、このときの今本は、カナタに付き合って飛ばしたことで、ガス欠を起こしたのだ。


スローカーブの落差が鈍り、ストレートとの球速差も少なくなった。

これであれば、そこまででもない間谷地高校の打線でも捉えることができる。

この6回表、間谷地高校は試合の均衡を破って2点を先制した。

実際のところ、この2点があれば、今日のカナタには充分すぎた。

続く6回裏もカナタは完璧に抑える。

ここまでに対戦した打者の人数は18人、スコアボードの多々井学園高校の行はすべて0が刻まれている。


「カナタ、やっぱお前すげぇわ、お前とバッテリー組めて、俺も最高の気分だよ」


「みっくん、まだ早いよ、まだ3イニングあるよ」


「・・・そうだな、お前ら!気を引き締めていけよ!」


「「「「「おう!!!!!」」」」」


7回表、多々井学園高校はピッチャーを交代した。

6回の失点で、今本の気持ちが完全に切れてしまったからだ。

しかし、この交代を決断したのは四之宮ではない。

カナタによって四之宮が恐慌状態に陥ってしまい、茫然自失となってしまったことで、

高津が起用を考えないといけなくなったのである。


高津からしても、この交代は不本意であった。

ここでの投手交代は、避けることが可能だったはずだ。

今本のガス欠は、防ぐことが可能だったはずだ。

しかし、与えられていた情報と違う現実に面したことで、選手たちが何を信じていいのか分からなくなってしまった。

そのために、今本は高津の指摘を受け入れることができなかった。

それは今本だけに限ったことではない、他の選手たちも同様だ。

ならば自分の力でなんとかするのみ、と、それぞれが個人プレーに走ったことで、

多々井学園高校のチームワークはもはやバラバラになっていた。


多々井学園高校の投手力に不安があることは、県大会からずっと抱えているものである。

県大会から、というよりは、もはや同校野球部のチームカラーみたいなものになっていた。

2番手として登板したピッチャーも3年生であったが、今本と比べると格段に力が落ちる。


「ん・・・?なぁ、おい」


「あぁ、うん、何が言いたいかは俺も分かる」


その投球練習を見ている間谷地高校の面々は、ベンチから口々に意見を述べていった。

それらに共通しているのは一つ。


「これなら、俺らでも、いくらでも打てそうじゃねぇか?」


「それな、僕も同じこと思ったわ」


「多々井学園って・・・マジで打撃だけのチームだったんだな」


「言ってやるなよ、今日は打ててないんだぜ?」


「言えてる、ははははは!!」


多々井学園高校のダッグアウトとは対照的に、

間谷地高校のダッグアウトは、明るい空気が充満していた。

それ自体が間谷地高校の『強さ』を示しているように見えるが、

その上で、弛緩しすぎないように手綱を締める存在もしっかりとベンチにいる。


「こらこら、みんな、さっきみっくんも言ったばかりでしょ、まだ3イニングあるんだよ?」


「「すいませんキャプテン!!」」

「「「さーっせん、っした!!!」」」


「頼むぜお前ら、甲子園でやってる以上、何が起こるか分かんねぇんだからな、なぁ、オン?」


「それは言わないお約束じゃねぇっすか、春見パイセェン・・・」


「ははははは、冗談だよ、オン!さぁ、お前ら・・・楽にしてやるか!」


「「「「「おう!!!!!」」」」」


7回表、間谷地高校の打線は6回表以上に牙を剥いた。

投球練習中にベンチで話し合っていた「これならいくらでも打てそう」というのは、その通りだったのだ。

いいところに飛んだ打球が好守備に阻まれる、というのはあったにせよ、

この回で5安打3四球を得た打線は、さらに3点をスコアボードに刻んだ。


6回7回と合計で5点の援護を得たカナタは、もう何も気にせずに投げるだけだった。

実際、その通り、カナタのピッチングは凄みを増していった。

それはまるで、この試合それまでのピッチングが慣らし運転だったのではないか、と思わせるほどに。

7回裏、多々井学園高校は1番から始まる好打順だったが、

このイニングをカナタは三者連続三球三振、イマキュレートイニングを達成した。

多々井学園高校のスコアボードには、依然として0だけが刻まれている。


そのころ、魂を抜かれたかのようにベンチで座り込んでいた四之宮に、異変が起きつつあった。

それは四之宮だけではない、一方の上町にも同様に起きつつあった。


うっ・・・うぅ・・・ふぅ・・・なんだ、これは・・・

もしかして・・・これが、陣痛というやつなのか・・・?

私は監督だぞ・・・せめて・・・せめてこの試合が終わるまでは・・・

私はここから離れるわけには・・・うぅっ・・・


ふぅ・・・ふっ・・・ううううう・・・

まさか・・・このタイミングで・・・?

いや、ちょっと・・・もう少し我慢してくれないか・・・

せめて・・・せめて試合が終わるまでは・・・頼む・・・

頼むから、もう少し出てくるのを待っててくれ・・・


四之宮も上町も、出産に至るのは初めてだ。

上町は二度目の妊娠ではあるが、一度目はここまで来られずに終わったし、四之宮は妊娠自体が初めてだ。

上町にはヨシノがついていることで、今、自分の身に訪れているものが何なのかを感覚的に理解できているが、

四之宮は、試合展開のせいで思考能力が低下していることもあって、これ以上のことを考えることができなかった。

2人とも、とにかく少しでも早く試合が終わってほしい、と考え始めた。


8回は表裏ともに0点で終わった。

多々井学園高校の攻撃は4番からだったが、これも三者凡退に終わり、依然ノーヒットが続いている。

いや、ノーヒットどころの話ではない。

フォアボールやデッドボールによるランナーも出していなければ、味方のエラーも出ていない。

多々井学園高校のスコアは、まったくの0だけが並んでいるのだ。


とんでもないことが起こっていること、このままならば偉業が達成されるかもしれないことに、

6回裏辺りから観客がチラホラと気付き始め、アルプススタンドに陣取る応援団さえもが、

固唾を飲んで見守ったほうがいいのではないか、と、静かになり始めた。


9回表も間谷地高校の攻撃は、ランナー2人を出したものの、0点に終わった。

残すはあと、9回裏だけである。

スコアは5-0で間谷地高校のリード、多々井学園高校の打順は7番からだ。


「監督・・・四之宮監督・・・」


高津が四之宮に視線を送り、不安そうな顔を浮かべているが、

四之宮は腕を組み、頭を下げて地面を見つめていた。

それが、痛みこそまだ鈍くとも、確実に進んでいる陣痛に耐えている姿であることに、高津は気付かなかった。

ここに高津は、一つの決心を固めた。


「・・・矢野、思う存分やってこい」


「かんと・・・違った・・・部長?」


「ここまで来たら、あとは意地だけだ、好きなように振ってこい

バット持ってる以上は、何も起きないってことはないからな・・・」


「・・・はい!」


もう・・・仕方ないよな、これは・・・

四之宮監督があんな感じだし、選手たちも何を信じていいか分からなくなってしまった

だったら・・・俺ができることはこれだけだ

俺は・・・選手たちを信じる

選手たちがやることだけを信じる

しかし、堀江君・・・君は本当に・・・なんて子なんだ・・・


高津に送り出された矢野が、左の打席に入る。

カナタの前にここまで、2打席とも三振に終わっていた。

諦めにも似た雰囲気が三塁側のダッグアウトを包み込むが、矢野は初球から力強く振っていった。


「おいよ・・・っとぉっ!はいっ、あべちゃん!」


「おっけい!!ふしみんナイスぅ!!」


『初球打った!矢野くんの打球は一二塁間を・・・抜けません!

セカンドの伏見君が捌いてファーストへ・・・1アウト!あと2人!』


「おっけーい!1アウトぉー!」


「「「うぇーい!!!」」」


ミツキから声が上がり、アウトを取ったあとのボール回しが内野で軽快に行われる。

この試合を通して、先ほどの打球は、しっかりと放たれたまぁまぁ強い打球だったが、

セカンドを守る、普段はお調子者の伏見が見事に追い付き、セカンドゴロにした。


続く打者の菱川は、打順こそ8番だが、県大会では4割を超える打率を残し、

出塁率は驚異の6割に迫った、事実上の1番打者だ。意外性のパンチ力も備えている。

しかし、その菱川でさえも、今日のカナタの前には無力であった。


『菱川君三振!!これで2アウト、あと1人!!』


ふぅ・・・あと・・・あと1人か・・・

あと1人で全部終わる・・・あと1人で・・・夢が叶う

ボクの夢が・・・そして・・・監督の夢が

ねぇ、みっくん、この3年間、本当に楽しかったよ

本当に・・・みっくんと一緒だったから、ボクもここまで来られたし、ここまでできたんだ


『初球はストライク!』


醒ヶ井くんも、恩智くんも、他のみんなも、そしてヨシノちゃんも

本当にみんなありがとう

付き合いが長いとか短いとかなくて、みんなと過ごした全部の時間が本当に楽しかった

ヨシノちゃんには、本当にお世話になっちゃったね

ヨシノちゃんがいなかったら、ボクもみっくんも、ちゃんと産めてなかったかも


『2球目はアウトコース低め・・・これもストライク!あと1球!』


古市先生も、3年間本当にお世話になりました

何かのタイミングで、ちゃんと言葉を掛けていただけて、本当に助かりました

そして何より・・・監督、ボクは本当に、あなたについていって正解でした

監督のおかげでボクは甲子園で優勝できましたし、こうしてちゃんと投げられるようになれました

これは・・・せめてもの監督へのお返しです

監督が高校のときに叶えられなかった夢、ボクが代わりに叶えます

これが、ボクが監督にできる、唯一のプレゼントです


受  け  取  っ  て  く  だ  さ  い  、  監  督


『空振り三振!!間谷地高校、夏の甲子園連覇!!

 そして・・・堀江君は完全試合達成!!夏の甲子園では史上初です!!』


「カナタ!!カナタ!!お前、やりやがったな!!この野郎!!」


ミツキがキャッチャーマスクを投げ捨てて、マウンドに走り寄ってくる。

他の野手もみんな、マウンドに集まってくる。

しかし、カナタの表情は、どこか悲しそうだった。


「はぁ・・・」


「なんだよカナタ!!お前、連覇だぞ!?完全試合なんだぞ!?」


「いや、その・・・なんていうかさ・・・」


「なんていうか・・・?」


ミツキがカナタに聞き返し、カナタはそれに答えた。

カナタが返した答えは、しかし、カナタらしさに溢れていた。


「終わっちゃったんだなぁ・・・って、みんなとの楽しかった時間がさ」


「お前ってヤツは最後まで・・・まったく」


カナタの言葉に、ミツキもやれやれという顔をしたが、

3年間ほとんど一緒に過ごしたカナタのブレなさに、どこか安心もしていた。


「まぁいいさ、さぁ、整列しねぇとな、そろそろ監督たちもベンチ前に・・・アレ?」


「ん?どうしたの、みっく・・・アレ?」


この段になって、ダッグアウトで異変が起きていることに、カナタとミツキは気付いた。

試合終了と共に行われる校歌演奏のため、ベンチ入りメンバーは試合メンバーと合流して全員がグラウンドに、

監督とマネージャー、そして部長はベンチ前に整列するのだが、

監督たちばかりか、ベンチ入りメンバーたちもダッグアウトの中に留まっている。

そしてそれは、ほぼ同じ光景が三塁側のダッグアウトでも拡がっていることにも気付いた。

両方のダッグアウトに共通していること、それは。


・・・ふふっ、上町・・・どうやらキミも・・・それでは同じ様子のようだねぇ・・・


・・・お前も・・・そのときが来た、ってことか・・・四之宮・・・


「監督!!」


「監督!!大丈夫ですか!?」


他のメンバーをグラウンドに残し、カナタとミツキは慌ててダッグアウトに戻った。

ベンチ入りメンバーが壁になって、内部の様子がはっきりと見えないようにしており、

その壁の向こう、ベンチの陰では上町がヨシノのケアを受けながら横になっていた。


「あっ・・・あぁ・・・カナタ・・・ミツキ・・・ううっ・・・」


「監督!もういいです!医務室に行ってください!」


「あ・・・あぁ・・・ありが・・・うぐっ」


「ヨシノ!俺とカナタが抱えていく!お前もついてこい!」


「あっ・・・はっ・・・はいっ!!」


カナタとミツキは、それぞれの肩で上町を担ぎ、医務室まで連れていった。

その医務室の前では、同じようにして連れてこられた人物がいた。


「これも・・・うっ・・・運命ってやつなのかねぇ・・・上町・・・ぐぅっ」


「うっ・・・ふぅ・・・ううっ・・・そう、かもな・・・四之宮・・・っっ!」


四之宮である。

高津に肩を借りて、『彼女』もまた医務室に入ろうとしていた。

カナタとミツキもそこにいることに気付くと、四之宮は苦しいながらにも声を掛けた。


「はっ・・・あっ・・・ああっ・・・カナタ・・・くん・・・んっ」


「四之宮選手・・・今は・・・」


「いや・・・ふうっ・・・ここにいるのなら・・・言わせてくれよ・・・

私は・・・キミの・・・んんっ・・・キミのようなピッチャーを見られて・・・は・・・あっ!!・・・」


「四之宮選手・・・もう・・・もういいです・・・そんな無理を・・・」


「キミのようなピッチャーをっ・・・見られて・・・あっ・・・幸せだよ・・・うぐっ!!」


「四之宮・・・お前・・・」


「いいさ、上町・・・さぁ・・・入ろうじゃあないか・・・」


「そ・・・うだな・・・ふぅっ・・・カナタ・・・うっ・・・ミツキ・・・頼む・・・」


「あっ・・・はいっ!ヨシノちゃん、ドア開けて!」


「はいっ!!」


ヨシノがドアを開け、上町と四之宮が医務室に入れられ、

そしてそのまま分娩台を兼ねたベッドに乗せられた。

試合中盤から2人の身体を襲っていた陣痛はしっかりと進行しており、

年齢の割にその出産は順調に進んでいることが分かった。

それからそこまでも時間が経たないうちに、それぞれの胎児が晩出していく。


「あっ・・・あぐっ・・・ああああああああああっっっ!!!!!」


「ふっ・・・ふぅぅぅぅぅ・・・うぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!!」


「いいですよ!お二人とも、そのままいきんで!」


2人の胎内に宿っていた子供たちは、次々に外の世界へと産まれ出てきた。

それぞれ、あっという間に3人目、4人目と産み出していく。

四之宮の胎内に宿っていたのは全部で5人だから、あと1人。

上町は4つ子を抱えていたはずだから、もうこれですべてのはずだが、何か様子がおかしい。


「はっ・・・あっ・・・はぁっ・・・な・・・なんだ・・・なんか、まだ・・・」


「えー・・・と、あの・・・上町さん・・・?」


「なっ・・・なんです・・・か・・・?」


ここで医務室の産科医が、とんでもないことを言い出した。

それは、本当にとんでもないことで、にわかに信じることはできない類のモノだった。


「もう1人いますね」


「えっ・・・ええっ・・・!?」


「でも、すぐに出てくると思いますよ、もう一息がんばりましょう」


今・・・このドクター、なんて言った!?「もう1人いる」!?

私の子供は4つ子のはずだったんじゃ・・・いや、待てよ・・・?

もしかしたら・・・もしかしたら、この、もう1人は・・・

あぁ、そうか・・・これは・・・この子は間違いなく・・・

そうだ、きっと間違いない、この子はあのときの・・・

あのときに産んであげることができなかった、あのときの・・・


そう思った矢先、一際激しい収縮が上町の子宮を襲った。


「ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!!!!!!!」


「いきんで!あともう少しで出てきますよ!四之宮さんも!」


「うぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!!」


そして、それはほぼ同時に産まれてきた。

それまでの4人と比べても、一層元気な産声と共に。

その間に、上町と四之宮の搬送によって遅れていた校旗掲揚と校歌演奏、閉会式もすっかり終わっていた。


これで、すべてが終わったのだ。

出産を終え、産まれてきた子供たちが病院へと搬送される準備が進められる間、

医務室では、産後の回復のためにベッドに寝かされている上町と四之宮の2人だけとなった。

この2人も、追って病院へ搬送されることになるのだが、ゆっくり会話するには絶好の機会だった。


気まずそうな空気が流れはしたが、どちらからともなく口を開いた。

それは、お互いにほぼ同時だった。


「なぁ、四之宮・・・」


「ねぇ、上町・・・」


「な、なんだよ、お前から話せよ・・・」


「そ・・・そうかい・・・じゃあ・・・」


私はね、上町、キミたちがうらやましいと思ったよ

まるで心が一つになったかのような振る舞い、実に見事だった

これは・・・それはいったいなんなんだろうね、上町

私は、キミと・・・キミたちと戦ったことで気付かされたことがあったよ


「私は・・・間違っていたんじゃないだろうか・・・とね」


「・・・」


そう・・・だな・・・うん、そうだな、四之宮

なんだろう・・・なんて言えばいいのか分からんけど

もしお前に足りてなかったものがあるとしたら

それは、「みんなを信じてあげること」かもしれないな

もう少し、みんなに自由を与えてあげることができていたなら

もし・・・もしお前がそれをできていたなら


「きっと、負けていたのは間違いなく俺たちのほうだよ、四之宮

俺はお前のやり方が間違っていたと言うつもりはない

お前はお前のやり方でここまで来たんだからな、それも一つの正解じゃないか」


「上町・・・キミは・・・」


「なんだよ」


「キミは・・・大きいな

この際だ、私は完敗したと認めるよ」


「四之宮、お前・・・」


「いや、いいんだ、私ははっきりと負けたと認めよう

キミと・・・そして、カナタくんにね

特にカナタくんさ、キミもよくあんなことを許したもんだね、私には絶対にできないよ」


カナタのことを持ち出されて、上町は少し困惑した表情を浮かべた。

その表情が浮かんだことに、四之宮もすぐに気付いた。


「ん?どうしたんだい、上町?」


「いや、実は・・・その・・・カナタのことなんだがな・・・」


「ふむ?なんだい、もったいぶらずに言ってごらんよ?」


「・・・全部、あいつが自分で書いたシナリオだったんだよ」


そう、俺だってビックリしたよ

確かにサイドスローになることを唆したのは俺だよ?紛れもなく俺だよ?

でも、そのあとのこと

ナックルボーラーになったり、お前も今日見たあの姿も

全部カナタが自分で考えて、自分で仕上げてきたことなんだよ

それが見事にこうなったけど、あいつは・・・カナタは全部計算してたんだよ・・・


「・・・なるほど、まったく・・・あの子は実にプロ向きだねぇ!!

そこまで自分で考えて、すべてやってのけるだなんて!!

もし私があの子をプロで監督することができるのなら、

私はカナタくんにすべての自由を与えるだろうねぇ!!」


「どうだ、惚れたか?」


「・・・いや、そのためには、今の私では少々役不足だよ」


ドアがノックされ、医務室の看護師と共に、ヘルメットを被った救急隊員が室内に入ってきた。

看護師が2人に向かって告げる。


「受け入れ準備が整いました、これから病院に搬送します」


「あっ・・・あぁ、よろしくお願いします」


「よろしく頼むよ、キミたち」


「・・・嘘だろ!?四之宮琉生!?」


「救急隊でもスター、ってか?」


「うるさいよ上町・・・さぁ、さっさと連れていってくれないか」


「はっ、はいっ!!」


すべてが終わった。

すべてが終わったのだ。


カナタとミツキは高校3年間の野球生活を終えた。

この間に2人が成したのは、夏の甲子園連覇と、決勝での完全試合。

特に夏での完全試合達成は、史上初の冠もついた。

片田舎の公立校に与えられる栄光としては、最高級のモノをもたらして、

カナタとミツキは高校野球生活にピリオドを打った。


醒ヶ井と恩智は二度目の夏を終えた。

昨年の夏もベンチ入りはしていた醒ヶ井は二度目の、恩智は初めての夏の栄冠に輝いた。

このままであれば、恐らくこの2人は、もう一度くらい、甲子園で優勝することができるだろう。

それが春なのか夏なのかは分からないが、彼らの実力があれば難しいことではないはずだ。


初めて夏の栄冠に輝いたといえば、ヨシノもそうだ。

人生の、割と早い段階で女体化と初めての妊娠を経験したヨシノは、

その時点で選手として甲子園優勝の栄冠に輝くことを諦めた。

しかし、ひょんなことで上町と出会ったことで、カナタとミツキにも出会うこととなり、

マネージャーとして栄光に与ることができた。

まったくもって『彼女』ほどの幸せ者は、この世に他にはいないだろう。


意外というか、いや、やはりとも言えるのか

四之宮はこの夏の敗戦をもって、高校野球の監督生活に一区切りをつけることにした。

この敗戦が『彼女』にもたらしたのは、決して屈辱などではない。

この敗戦が『彼女』にもたらしたものは、『気付き』だった。

どれだけ自分の形に当てはめようとも、実際にプレーするのは選手たちだ。

となれば、彼ら彼女らが持っている形も尊重してあげなければならない。

子供たちが道に迷ったときに導く程度でいいのだ、ということを、

『彼女』はこの敗戦から学んだのだった。

四之宮がプロ野球の監督として、率いたチームで黄金時代を築き上げることになるのは、まだしばらく先の話である。


上町は教員生活にピリオドを打つこととなった。

といっても、間谷地高校から離れることになったわけではない。

学校教職員の働き方改革として規則が改正されることとなり、

公立校でも教員以外から「専属監督」を据えることが可能になったのだ。

確かに、教職員でありながら部活動の顧問もやらなくてはいけないことの負担度の高さには、以前より議論があった。

それがようやく是正されることとなり、甲子園2回優勝という箔のついた上町を手放したくない欲もあったから、

間谷地高校でも、この規則改正を好機と捉えて、上町に打診したのだった。

給料は保証してもらえるということもあり、上町は二つ返事で快諾した。

監督問題が半永久的に解決されたことで、間谷地高校野球部の黄金期到来も、ある程度は目処がついたことになる。


それぞれが、新しい道、次の道へと進むことになる。

彼ら、そして『彼女』たちは、その節目を見事に飾った。

これからの人生でも、さらにいくつかの節目を迎えることになるはずだ。

そのときにどのようなことが待っているのか。

それを予測することはできない。


しかし、彼らなら、『彼女』たちなら、何があっても大丈夫だろう。

すでに大きなことを経験し、それを乗り越えている。


この先の人生に、幸が多からんことを。


Fin.

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