第2話
校内にある野球部専用のミーティングルームに、部員全員が集まった。
新チーム体制になってから初めてのミーティングである。
ホワイトボードを背にして、監督の上町那由多が立ち、
その横には新キャプテンでエースの堀江彼方と、
レギュラーキャッチャーの春見光月が並んでいた。
「と、いうわけで、だ」
上町が目の前に座る部員たちに向かって話し始める。
「さっき話した通り、カナタとミツキが揃って女体化した
だが、2人ともこれまで通り、一緒にプレーしてくれる
それは甲子園でカナタが言った通り、みんなとの約束だからだ」
言ってみればチームの屋台骨であるバッテリーが揃って女体化した、という事実にも、部員たちは特に驚くことはなかった。
驚くことはなかった、というよりは、もはや誰が女体化しようと、それは慣れっこになってしまっているのだ。
彼らは同じような経験を何度も繰り返している。
「・・・やっぱお前らさぁ、もっと、こう、なんていうかさぁ」
反応の薄い部員たちに上町も、分かってはいるものの、
やはり困惑は隠せないところがある。
上町はまだ時代的に、この女体化異変が世界に混乱をもたらしていた世代になるため、
これが日常茶飯事となってしまった、目の前の教え子たちが不憫に思えた。
「なんだ・・・私がおかしいのか・・・?」
部員たちも口々に答える。
「いや、監督、しかたないっすよ」
「そうですよ監督、俺ら慣れちゃってますもん」
「もう誰が女体化しても当たり前っすからね」
「明日辺りお前かもな」
「冗談にならないですよ、先輩・・・」
その様子を見て、カナタとミツキも思わず微笑みを漏らすが、
刹那に表情を引き締め直し、まずはミツキから口を開いた。
「まぁ・・・アレだ、確かに俺とカナタは女体化した
だからといって、野球を諦めるつもりはない
やれる限りはやるし、ついていける限りはついていくから、これからもよろしくな」
それにカナタも続く。
「ボクも同じだよ、やれる限りのことはボクもやる
いつも監督が言ってる通り、「自分がやれることを全力で」だよ
それに・・・これは約束だからね、みんな覚えてるよね?」
「おう!」「はい!」「はい!」
カナタが先日の甲子園決勝のあとに言った『約束』。
それは、「異変によって野球を続けられなくなった人たちのためにもプレーする」こと。
今や、その異変は自らの身にも襲いかかったが、
その程度で大好きな野球を諦めるほど、カナタもミツキも、心は弱くなかった。
むしろ、カナタは自分が女体化したことで、余計に「自分がやらなかったら誰がやるんだ」という気持ちが強くなっていった。
普段のカナタは口ぶりも穏やかで、物静かな雰囲気を出しているが、
その実、内に秘めたモノはかなり熱い。
普段が物静かだからこそ、たまに発する言葉の一撃に重みがある。
「カナタがそう言うなら」「カナタがやるんなら」と、
みんなを背中で引っ張ることができる、天性のキャプテンシーの持ち主。
そのカナタが「みんなとの約束だから」と、プレーを続けることを宣言しているのだ。
続くミツキの言葉が、それをさらに補強していく。
「カナタもこう言ってんだ、お前らもやれるよなぁ!?」
「はい!」「はい!」
ミツキは普段から少しお調子者の傾向こそあるものの、
周りを支えようとするその姿は、まさにキャッチャー向きだった。
カナタだけでなく、チーム全体が何度ミツキに助けられてきたことか。
キャッチャーというポジションが周りを見る眼を鍛え、
それによって些細な変化にも気付けられるようになり、声をかけていく。
それによって未然に防がれたり、起こらずに済んだことは数えたらキリがない。
まさにチームの『女房役』、それがミツキだった。
「しっかし・・・改めて見てみても、お前ホントにカナタかぁ・・・?」
ミツキがカナタの身体を見て、改めて言葉を発する。
その言葉を受けた部員たちも、さすがにこのときは反応を漏らした。
「あー・・・」
「だよなぁ」
「これはさすがに・・・」
「俺、ちょっとトイレ・・・」
「おい!!今、トイレ行こうとしたヤツ、誰だよ!!」
「いや!カナタ!冗談だって!さすがにチームメイトでなんて・・・さすがに・・・(ゴニョゴニョ」
さすがにこれにはカナタも声を荒げた。
しかし、そんな言葉が出てしまうのもなんとなく仕方ないのかと、カナタにも思えてしまった。
女体化したことで、カナタとミツキは身体付きが変わった。
2人とも身長が少しばかり低くなり、声のトーンも高めになった。
ミツキは髪型こそ女体化前と大して変わっていないが、体格は丸みを帯びて女性らしくなった。
だが、それでもミツキはまだミツキの面影を残している。問題はカナタだ。
女体化前のカナタは、そこそこの長身に、割と細身でありながら、
筋肉が絞まっている感じの、しなりのいい鞭のような体格をしていたのだが、
女体化したことで、その面影が完全に消え失せてしまった。
今、そこにあるのは、腰を超すほどまで伸びたロングヘアに、
女性だとしてもかなり大きめのバストと、ほどほどにむっちりとした下半身を併せ持った、
例え冗談だとしても「ちょっとトイレ行ってくる」と言われても無理のない姿だ。
顔立ちが元々女性っぽかったこともあり、それも相まって、
女体化した『元・男性』だとは信じることができない。
それこそが、女体化した今のカナタの姿なのである。
「まぁ・・・確かに私から見ても、これがカナタだとは思いたくないな・・・」
「・・・監督には言われたくないです」
「・・・すまん」
上町の女体化前の身体が、かなりの長身でかなりの筋肉質だったのは、
写真で見せてもらったことがあったため、
カナタやミツキだけでなく、部員全員が知っていた。
その上町にしても、女体化したことで大きく変貌し、
今の年齢からしたら、妙齢でほどほどにいい感じの、人妻の色香をまとわせる体型と雰囲気になっていた。
「ボクも、歳を取ったら監督みたいになるんですかねぇ・・・」
「・・・すまん、それはさすがに答えようがない」
「わりぃ、カナタ・・・それ考えたら俺もトイレ行きたくなってきた」
「あ・・・春見先輩、俺も・・・」
「みっくん!!醒ヶ井くん!!」
「冗談だってカナタ!!シたくても、俺にはもうねぇんだから!!」
若干重苦しくなりそうだった室内に、一瞬で笑いが溢れた。
「おいおいミツキ!その言い方!」
「女体化しても、そりゃ抜きてぇもんは抜きてぇよなぁ!」
「分かったよ!お前はお前だよ、春見!」
その様子を見て、上町は「まったくコイツらは・・・」という表情を浮かべ、
カナタもまた「ホント、しょうがないなぁ・・・」という顔を見せた。
そこにミツキがカナタへ問い掛ける。
「そうさ、俺は女体化したって俺なんだよ
カナタ、お前はどうだ?」
ミツキのその言葉に、カナタもハッとした。
そうか、その通りだ
みっくんの言う通りだ
女体化して、例え身体がこんな風になったとしても
ボクはボクなんだ
それを言いたくて、みっくんはわざとふざけてくれたんだ
「・・・ありがとう、ごめんね、みっくん」
「眼、醒めたか」
カナタはコクンと頷いて返す。
それを見たミツキが部員たちに向かって檄を飛ばした。
「よぉーし!お前ら、もう大丈夫だな!
例えこんなんになっても、俺は俺だ!カナタはカナタだ!
俺たちは俺たちができることを全力でやる!そして」
その先をカナタが横入りする形で引き継ぐ。
「そして来年も、あの旗を持って帰るよ、あの深紅の大優勝旗を
その前に、まずは紫色のやつだね」
紫色のやつ、それはまさにセンバツの優勝旗のことを指す。
夏連覇の前に、まずはセンバツ優勝。
それはすなわち、夏→春→夏の3連覇を意味している。
穏やかながらも力強いカナタの常勝宣言に、一同は声を上げ、団結を示した。
「「「「「おぉーーーっ!!」」」」」
そうして、カナタをキャプテンに抱いた新チームは、目前に迫った秋季大会に向けての練習を始めた。
そう、夏の甲子園が終わっても、すぐに秋季大会が始まるのだ。
新チームになってから初めての大会。
ここで結果を残すことができれば、春のセンバツ出場への期待が高まる。
春のセンバツは夏と違って、秋季大会の結果あるいは21世紀枠として、
高野連と選考委員会によって出場校が選抜されることになる。
故に「『選抜』高等学校野球大会」なのだが、一応ある程度の基準はある。
カナタとミツキたちの市立間谷地高校は、まがりなりにも夏の優勝校である。
ましてやバッテリーが揃って2年生とあれば、注目度も自ずと高まってくる。
そういう要素のある学校は、えてして秋季大会の結果がそこそこでもセンバツ出場校に選ばれがちだ。
恐らく、秋季県大会でベスト4までに食い込めたら、市立間谷地高校のセンバツ出場は確実だろう。
「んー・・・」
投球練習をするカナタは、身体の動きにどことないぎこちなさを感じていた。
どうにも投げ方がしっくり来ないのだ。
その様子は、ボールを受けている1年生の醒ヶ井にも伝わってくる。
醒ヶ井はキャッチャーマスクを外して、カナタがいるマウンドへと近付いた。
「堀江先輩、どうかしたんですか?」
「あ・・・あぁ、いや・・・大丈夫だよ、醒ヶ井くん、座って」
「は・・・はい・・・」
そう言われた醒ヶ井はホームベースに戻り、
改めてキャッチャーマスクを被り直して座る。
カナタがピッチングを続けるが、やはりボールが来ていない。
醒ヶ井は立ち上がり、カナタに声をかける。
「堀江先輩!ちょっと止めましょう!」
「あっ・・・うん・・・」
やはりボールが来ていないのか・・・
醒ヶ井くんでも分かるレベルなんだな・・・
はぁ・・・
カナタを止めた醒ヶ井は、グラウンドの別のところで練習をしているミツキに話をしに行った。
「・・・というわけなんです、春見先輩」
「サメ、お前もキャッチャーらしくなってきたな・・・分かった、すぐ行く
おーい!すまん!ちょっとカナタ見てくる!」
「「「うぇーーーい」」」
ミツキはいったん部室に行ってからプロテクターを装着する。
分かってはいたが、やはりこの身体になってみると、なんとプロテクターの苦しいことよ。
女体化する前からでも、プロテクター装着のしんどさは身に沁みていたが、
この身体でキャッチャーをやることの難しさを、改めて実感する。
「・・・っぱ、プロテクターキッツいな・・・監督に言って新しいの買ってもらうか」
そんなことを考えながら、準備の整ったミツキは投球練習場に向かった。
練習場内では、一度暖めた肩肘が冷えないようカナタが、
先に戻ってきた醒ヶ井と軽めのキャッチボールをしていた。
「カナタ、待たせたな」
「アレ?みっくん?」
「すいません、僕が呼んできました」
「なんか、サメが「カナタがおかしい」って言ってたからさ
大事なエース様の調子がおかしいのは、チームにとっちゃ一大事だからな」
そう言うと、ミツキはホームベースの少し後ろに立ち、2人に声をかけた。
「サメ、ありがとうな、ついでにちょっと立っててくれ
カナタ!まずは立ち投げからだ、一から作ってみよう!」
ミツキに促され、醒ヶ井は打席に立ち、
カナタはマウンドの少し前からの投球練習を始めた。
カナタの細腕から投げ込まれるボールが、ミツキの構えるキャッチャーミットに吸い込まれていく。
「・・・サメ、打席から見てどうだ?」
「・・・言ったら、なんですけど」
「だよなぁ・・・カナタ!」
ミツキの声掛けにカナタが投球を止める。
やはりミツキから見ても思うモノがあったようだ。
「カナタ、この時点でやっぱボールが来てない
抑えられなくはなさそうだけど、って感じ」
「・・・みっくんもそう思うなら、やっぱり・・・そうなんだろうね」
「お前、自分でも気付いてたのか」
ミツキの問いに、カナタは首を縦に振って答える。
そして、言葉で続けた。
「やっぱりどうにもね・・・この身体になってから、どうにかこうにか投げてみてるけど、
どうしてもどこかしっくり来なくて・・・」
「そりゃそうでしょ」
思いもよらない声が聞こえてきた。
その声の主は。
「「「監督!?」」」
「なんだよぉ・・・監督の私が教え子たちの練習を見てちゃいけないのかよぉ・・・」
「いや・・・まさかそこにいるとは思わなかったので・・・」
上町がいつの間にか投球練習場に来ていた。
どうやらさっきの3人のやりとりを見ていたらしい。
「グラウンドからミツキがいなくなってたからな
聞いてみたら醒ヶ井が呼びに来てた、って言うから」
「すいません監督、春見先輩の邪魔をしてしまったみたいで・・・」
「いや、醒ヶ井、お前は気にするな
カナタの球を受けてて気になったんなら、それをミツキに伝えたのは何も間違ってない」
「ありがとうございます、監督」
上町は醒ヶ井のフォローをしつつ、さらに話を続けていく。
「で、さっきの続きなんだが・・・そりゃしっくり来なくて当たり前でしょ」
「当たり前・・・」
「それだけ身体が変わってるんだから、そりゃ今までと同じ投げ方をしてたら、逆に身体を痛めるよ
そういやお前ら、なんでコマがずっと回り続けられるか分かるか?」
いきなりの脈絡のない上町の問いに、3人はキョトンとしてしまった。
いったいこの人は何を言っているのか。
しかし、3人がその反応を見せるのも織り込み済みかのように、上町は話を続ける。
「機会があったらもう一度、私の高校のときの映像をよく見直してみることだな」
「はぁ・・・」
「とにかく、身体に無理だけはするなよ」
「・・・はい、分かりました監督、ありがとうございます」
どこか釈然としない反応のカナタたちを尻目に、上町は投球練習場を後にした。
残されたカナタ・ミツキ・醒ヶ井の3人は、先ほどの上町の問いを反芻する。
「監督の高校のときの映像をもう一度見直してみろ・・・ねぇ
カナタ、お前どう思う?」
「監督が甲子園に出たときの映像って、見たことあったかなぁ・・・
女体化する前の、男だったときのは覚えてるけど・・・醒ヶ井くんは?」
「僕は監督が甲子園に出たことあるのを知らなかったです・・・」
3人は顔を合わせながら、それぞれが頭をひねって知恵を出そうとする。
そこで醒ヶ井が案を出した。
「・・・監督、コマの話をしてましたよね?
もしかしたらそれと、高校のときの映像を見直してみろ、ってのは、関係があるんじゃないですか?」
「まさか、もし何かヒントをくれるんだとしたら、あの監督はもっとはっきり言ってくれるよ
今までもそうだったんだから、なぁカナタ?」
「うーん・・・」
結局、このときは答えが出ないままだった。
思っているよりも秋季大会開幕までのスパンは短い。
とりあえず今の身体で投げられる最良のピッチングを求める方向で、カナタとミツキは話を進めることにした。
そんなこんなで、秋季大会が始まった。
といっても、この時期はどの学校も新チームに移行して日が浅い。
センバツ出場権がかかっているとはいえ、夏の県予選に比べれば、お試しの雰囲気は遥かに強いのは否めない。
それはもちろん、市立間谷地高校硬式野球部も例外ではない。
夏の甲子園優勝という箔はついているものの、カナタとミツキの優勝バッテリーを除けば、
ベンチ入りメンバーは6割ほど入れ替わっている。
その中には1年生キャッチャーの醒ヶ井も入っているが、
これはキャッチャーというポジションの特殊性から来るものだ。
ミツキが女体化したことで、身体の負担を減らすためと、
そのミツキの卒業後を見据えての、いわばお試し起用だ。
やはり、各校いずれも試行錯誤の試合運びだった。
その中にあって、間谷地高校は順当に勝ち進んで無事にベスト4を確保、
カナタはどことなくぎこちなさを残しながらも、
準々決勝までの4試合のうち3試合、19イニングに登板して3失点に抑えた。
こちらも上町の配慮で、女体化した身体への負担を減らすためと、
ミツキに対する醒ヶ井のベンチ入りと同様、卒業後を見据えて他のピッチャーの経験を積ませるために、
あえてカナタの登板機会を減らしたのだ。
「カナタ、どうする?」
準々決勝が終わった後、上町はカナタに尋ねた。
ベスト4を確保できた以上、センバツ出場はもはや確定的だ。
上町の問い掛けは「カナタを温存したい」という意図を含んでいた。
ここまで、上町があえて登板機会を減らしているのはカナタにも分かっていた。
「監督にお任せします」
「よし、分かった、ありがとうなカナタ」
こうして、準決勝でのカナタの登板はなかった。
ここで勝てば、万全の状態でカナタを決勝で投げさせることができるし、
仮に負けたとしても、出場がほぼ確定しているセンバツに向けての調整期間に充てさせることができる。
結果として、間谷地高校は準決勝を落としたが、上町に後悔はなかった。
カナタを休ませることはできたし、その分、他のピッチャーの経験を積ませることができた。
この経験値は必ず、来たるセンバツ、そして来年の夏に活きてくる。
上町は、監督として先のビジョンを見る義務があると考えていた。
この子たちには将来がある
もしかしたらプロに進むかもしれないし、大学や社会人で野球を続けるかもしれない
仮に高校で野球をやめるにしても、その先の人生はもっと長い
目先の勝利に囚われて、たかが高校野球の3年間で使い潰すわけにはいかない
だから、私は監督として、指導者としてこの子たちの将来を考えないといけない
私は、私のこの決断が間違っていないと信じてる
しかし、それらをすべて奈落に突き落とすかのような出来事が、
このあと起きてしまうのだった。
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秋季大会も終わり、冬もすっかり、もうすぐクリスマスかというころ。
県高野連からは間谷地高校のセンバツ出場内定が内々に通達された12月下旬のことだった。
「・・・」
カナタが顔色の優れない様子でウォーミングアップを進めていた。
いつもなら、その雰囲気を見たミツキが気付くはずなのだが。
「・・・すまん、ちょっとトイレ」
ミツキもまた体調が優れない様子だった。
カナタの体調に気付くこともなく、自分の体調のことでいっぱいいっぱいな感じさえ漂わせる。
「・・・うっ、おぇっ」
カナタがえづいた。
そして。
ドサッ
「堀江先輩!?」
「カナタ!?どうした!?」
「誰か来てくれ!!カナタが倒れた!!」
グラウンドのただならぬ雰囲気を感じた上町が、監督室から飛んで出てきた。
「カナタが倒れた!?ミツキはどこだ!?」
「あ、監督・・・春見先輩はトイレに行くと言って・・・」
「えぇい!とにかくカナタを保健室に運べ!私はミツキを探してくる!」
「は、はい!おい!カナタを運ぶぞ!手伝え!」
「「はい!!」」
上町は嫌な予感がした。
まさか・・・まさか『お前』は、本当にこいつらの未来を、
夢を奪っていくつもりなのか・・・?
校舎に入ってすぐのところにあるトイレに駆け込んだ上町が見たものは、
その嫌な予感が的中してしまったかのような感じだった。
「ミツキ!!」
「あ・・・は・・・かんと・・・うっ・・・うぇっ・・・」
ミツキはトイレの手洗い場に吐き戻していた。
それを見た上町の顔色が一気に悪くなっていく。
「ミツキ・・・お前・・・いつから『それ』感じてた・・・?」
「はっ・・・み・・・3日くらい前から・・・は・・・あぁ・・・」
「いい、無理に喋るな、水分は摂れてるか?」
「あ・・・はい、それは大丈夫です・・・あぁ・・・落ち着いてきた・・・」
「よし、じゃあこのまま一緒に保健室に行こう、いったん横になれ」
「ありがとうございます、監督・・・」
ミツキは上町の肩を借りて、ゆっくりと保健室に向かっていった。
そのころ保健室では、先に運ばれていたカナタがベッドで寝かされており、
養護教諭と学校医のチームが室内のテーブルを囲んでいた。
そこに上町とミツキが入っていく。
「失礼しま・・・これは」
「あぁ、上町先生・・・それは春見くんですか?」
「あっ・・・えぇ、はい、春見ですが・・・カナ・・・堀江はまだ来てませんか?」
「堀江くんなら、もうベッドに寝てますよ
・・・上町先生、大変なことになるかもしれません」
「・・・もしかして」
上町の不安が的中する形になるのを肯定するかのように、
問い掛けられた保健室チームの面々は、揃って頷いた。
「上町先生、こちらのドクターのことは御存知ですね?」
今度は、逆に問い掛けられた上町が首を縦に振って答えた。
この女体化異変が、時として不確定要素的に妊娠をもたらすことは知られていた。
それは女体化した以上、誰にどんなタイミングで起きてもおかしくない。
女体化と同時に妊娠することもあれば、時間を置いてからそうなることもあるし、
人によっては妊娠しないまま、ということもある。
そのため、異変が常態化・一般化してしまったこの時代、
どの学校どの企業でも、学校医・産業医として産科医が配属されており、
保健室・医務室で簡単ながらも妊婦健診が受けられるようになっていた。
「もしやと思って、少し検査させてもらったんですが・・・その・・・」
「い・・・いえ、大丈夫です、結構です、その先は言っていただかなくても・・・
モノのついでと言ってはなんですが、このまま春見も診ていただけませんか・・・?
コイツも、さっきまでトイレで吐いてたんです・・・」
上町がそう言うと、学校医が検査の準備を進めていく。
そこにあったのは、エコーやプローブの一式。
「じゃあ春見くん、『入っていく』感覚があると思うけど、
落ち着いてゆっくりと深呼吸してね、すぐ終わるから」
学校医がミツキに告げ、ミツキは軽く息を飲んだ。
学校医の手にあるのは経膣プローブというもので、今からミツキの『そこ』に挿し込まれていく。
当然ミツキには今までそんな経験はないから、緊張するのも無理はない。
「は・・・はい、お願いします・・・」
「大丈夫だミツキ、私もここにいるから」
上町がミツキの傍らに寄り添いながら、
2人はプローブの先に繋がっているモニターを見つめた。
そのモニターに映し出されたのは。
「・・・やっぱりか」
上町が思わず声を洩らす。
ミツキには何がなんだかピンと来ていない。
「春見くん・・・あのね・・・」
学校医がミツキに告げるのを上町が制し、その先を続けた。
「ミツキ、お前、妊娠したんだ」
「・・・え?」
「お前が体調を崩してたのは、つわりなんだ」
「俺が、妊娠・・・?」
もちろんミツキも、女体化異変が妊娠をもたらすことは知っていたし、
そうなった人はこれまでに何人も見てきた。
しかし、ミツキに限らず女体化した元男性の誰もが最初は同じことを思う。
「まさか自分が女体化するだなんて」
「まさか自分が妊娠するだなんて」
このときのミツキも多分に漏れず、という感じだった。
「俺が・・・?ねぇ、監督、先生、なんで俺が・・・?」
ミツキの動揺・狼狽は、女体化した元男性の誰もが通る道ではある。
自身の女体化そのものには割とすぐに気持ちを切り替えられたミツキだったが、
しかし、やはり妊娠となると話は別だった。
「なんで・・・なんで俺が・・・なんで・・・」
そしてミツキの眼からは涙が溢れ始めた。
それに合わせて嗚咽も交じる。
上町と保健室チームの面々は、ただそれを見守ることしかできなかった。
そのうちに、ミツキは何かに気付いたように顔を上げた。
「・・・そうだ・・・カナタ・・・カナタは!?カナタはどこに!?」
その声に反応したかのように、カーテンで仕切られた向こう側から物音が聞こえた。
「んっ・・・んん・・・」
「堀江くん、起きたのね」
養護教諭がカーテンを開けると、カナタはゆっくりと身体を起こそうとしていた。
カナタはまだ、自分がどこにいるのかを把握できていない。
「ここ・・・どこ・・・?ボクは・・・?」
「カナタ!!俺だ!!分かるか!?」
「え・・・みっくん・・・?それと、監督・・・?」
「カナタ・・・よかった・・・
お前、ウォーミングアップ中に倒れたんだ、それで保健室に運ばれたんだよ」
「倒れた・・・ウォーミングアップ中に・・・?ボク、どうかしたんですか・・・?」
上町と養護教諭、そして学校医たちはお互いに顔を見合わせ、
ミツキはカナタの顔を見つめた。
「それはだな、カナタ・・・
いや・・・やっぱり私からは言えない・・・先生、申し訳ないんですが」
あまりにも残酷な真実を告げるだけの胆力は、今の上町にはなかった。
上町は養護教諭に水を向け、2人への説明を求めた。
「いえ、上町先生・・・私たちも気持ちは分かりますから
・・・いい?堀江くんに春見くん、落ち着いて聞いてね」
ミツキには個別に伝えられてはいたが、まだ信じられない様子を残していた。
その上で、改めてカナタと2人で、その身に訪れたモノについて知らされる。
「・・・あなたたち妊娠したのよ、恐らく今は3ヶ月くらいね」
「そうなんですね」
カナタの反応はあまりにもあっさりしたものだった。
最初のミツキの反応と比べると、その温度差で風邪をひきそうになるほど。
「そうなんですね、って・・・お前」
「だって、みっくん、女体化した以上はいずれこうなってたでしょ?」
「いや、だとしてもさ」
カナタとミツキのやり取りを傍らで聞きながら、
上町は養護教諭が付け加えていた一言について問い質そうとしていた。
「・・・先生、今、3ヶ月くらいだと言いましたか?ということはコイツらは」
「・・・ですね、女体化したのと同時に妊娠したと思われます」
なんてことだ
私はコイツらを、カナタとミツキを妊娠したまま秋季大会に出してしまっていたのか
上町は顔を青くし、顔を手で覆った。
ミツキも、表情から動揺を隠すことができていない。
しかし一人だけ、まったく意に介していないかのように、平然と涼しい顔をしている。
「・・・お前」
「なんでそんな平然としていられるんだ・・・」
「「カナタ」」
そう、カナタだけは平静を保っていた。
まるで、それが己の身に訪れるのは必然であったと悟っているかのように。
こうなることは運命あるいは天命であると信じているかのように。
「なんで、って・・・確率とはいっても、可能性は高かったことでしょ?」
「いや、まぁ、確かにそうだけどさ・・・」
「みっくん」
「なんだよ」
「ボクは、野球・・・続けるから」
その言葉にミツキはハッとしたものの、同時に思った。
なんで
なんでコイツはこんなに強いんだ
なんでコイツはこんなに
例えこうなっても、何がコイツを動かそうとしてるんだ
例え女体化しようが、妊娠しようが、それでも野球を続けようとする、
カナタを突き動かしている原動力が何なのか、ミツキには分からなかった。
「カナタ、ミツキ」
「はい」
「あ・・・はい」
しかし、カナタのその強い意志を崩すかのような一言を、
上町はこの場で2人に告げた。
「私は・・・お前らをセンバツでは使わない、ベンチから外す」
「・・・は?」
ミツキの表情からは「仕方ないな」という安堵の雰囲気が窺えたが、
カナタの表情、そして反応は「何故なのか」という、納得できていない感情がはっきりと見て取れた。
「は?じゃない、私ははっきりと言ったぞ
カナタ、ミツキ、私はお前らをベンチから外す」
「・・・理由を教えてください」
「理由も何もないだろう!今が3ヶ月くらいということは、センバツのころには6ヶ月か7ヶ月くらいだ!
そんなときに野球みたいな激しい動きをしてみろ、分かるだろ!?」
上町の言うことはもっともなのだが、
それでもカナタは釈然としない顔を上町に向け、2人は睨み合った。
その間にミツキが割って入る。
「か、監督・・・落ち着いてください・・・カナタも」
「監督・・・何を言ってるんですか・・・?」
ますます凄みを増していくカナタの表情を見て、
上町も真意を語る決意を固めた。
「・・・分かった、なんで私がそうしたいか、すべて教えてやる
お前らをベンチから外す理由、そしてそれは・・・」
私が選手を続けることを諦めた理由だからだ