第20話
「色彩振興会」の設立は、宮廷に新たな波紋を投げかけた。
煌峻皇子が会長に名を連ね、麗華もその一員となることは、麗華自身の立場を強化する一方で、彼女を煌峻皇子の監視下に置くことを意味していた。
(煌峻殿下は、わたくしの力を、どのように利用しようとされているのだろう)
麗華は、工房で黙々と染料を調合しながら考えていた。
彼女の指先が、いつものように滑らかに動くが、心の中は警戒で満たされていた。
翠蘭と林も、色彩振興会の発足に不安を感じているようだった。
「麗華様。煌峻殿下は、表向きは麗華様を称賛していますが、その裏にはきっと何か企みがあるはずですわ」
翠蘭は、顔を曇らせて言った。
「麗華様を、廃皇子から引き離そうとする煌淵殿下とは、また別のやり方で、麗華様の力を利用しようとしているのでしょうね」
林も、冷静に状況を分析した。
麗華は、二人の言葉に深く頷いた。
「ええ。煌峻殿下は、わたくしが持つ『心の色を読む力』に気づいているのかもしれないわ」
麗華は、故郷『彩の里』の言い伝えを思い出していた。
「色の乙女」と呼ばれる存在は、人の心を色彩として捉え、癒す力を持っていた。
煌峻皇子がその情報を掴んだとすれば、彼は麗華の力を、自身の権力強化のために利用しようとするだろう。
(わたくしの力は、人の心を癒すためのもの。決して、争いの道具にしてはならない)
麗華は、心の中で強く誓った。
黎皇子の離宮では、彼が、麗華が残していった黄色の扇子を手に、窓の外を眺めていた。
彼の瞳は、まだ完全な色彩を捉えることはできないが、黄色の持つ「光」の感覚は、彼の心に確かな暖かさをもたらしていた。
黎皇子は、麗華との日々の交流の中で、自身の心が少しずつ、しかし確実に変化しているのを感じていた。
彼女がもたらす色彩は、彼の心を覆っていた闇を、少しずつ溶かしていく。
そして、麗華の存在そのものが、彼にとってかけがえのない光となっていた。
(麗華……そなたがいてくれるから、私の世界に光が差し込む)
黎皇子の心には、麗華への深い感謝と、そしてそれ以上の、抑えきれないほどの愛情が芽生え始めていた。
麗華との触れ合いは、彼の心に新たな感情の波を呼び起こし、それがまた、彼の色彩認識をわずかに進ませていた。
その日の午後、麗華は、色彩振興会の初会合に出席するため、宮廷の中心部へと向かった。
会合の場には、煌峻皇子の他に、数人の重臣たちが集まっていた。
煌峻皇子は、麗華の姿を見ると、穏やかな笑みを浮かべた。
「麗華妃。この度は、色彩振興会の設立にご尽力いただき、感謝いたします」
彼の言葉は丁寧だが、その瞳の奥には、計算された光が宿っているように麗華には感じられた。
(やはり、警戒しなければ……)
会合では、煌国各地の染色の現状や、新たな染料開発の可能性について議論された。
煌峻皇子は、麗華の知識と技術を高く評価し、彼女に多くの発言の機会を与えた。
「麗華妃の故郷『彩の里』の染色技術は、我が煌国にとっても貴重な財産。是非、その知識を、広く民のために役立てていただきたい」
煌峻皇子は、麗華の力を公に認め、彼女の立場を高めようとしているように見えた。
しかし、麗華は、その言葉の裏にある意図を冷静に見抜いていた。
彼は、麗華の力を宮廷の表舞台に出すことで、彼女を自らの支配下に置き、必要とあらば黎皇子から切り離そうとしているのだ。
会合の終わりに、煌峻皇子は麗華に歩み寄った。
「麗華妃。実は、あなたにお願いしたいことがある。近々、私の屋敷で、私的な茶会を催すのだが、その際に、特別に麗華妃の故郷の染色について、詳しく聞かせていただけないだろうか」
煌峻皇子の誘いに、麗華は一瞬戸惑った。
私的な茶会。
それは、煌峻皇子が麗華の力を、より深く探ろうとする試みだと直感した。
しかし、この誘いを断れば、彼の不信を招くことになる。
(これは、煌峻殿下の罠かもしれない。でも、この機会に、彼の真意を探ることもできるかもしれないわ)
麗華は、熟考の末、誘いを受けることを決意した。
「畏まりました、殿下。喜んでお伺いいたします」
麗華は、表面上は穏やかに微笑んだ。
会合後、麗華は、急いで黎皇子の離宮へと向かった。
彼女は、煌峻皇子の真意を探る前に、まず黎皇子にこの状況を伝えるべきだと考えた。
離宮の入り口で、警備の兵が麗華の姿を確認すると、以前よりも敬意を込めた目で通した。
皇后の通達が、確実に影響を与えているのだ。
黎皇子の部屋の扉を開けると、彼は書見台の前に座り、古文書に目を通していた。
彼の指先は、以前よりも力強く、集中しているのが見て取れた。
麗華は、彼の後ろにそっと立ち、彼の変化をじっと見つめた。
(殿下は、わたくしが来ることを、いつも待っていてくださる……)
その思いが、麗華の心を温かく満たした。
黎皇子は、麗華の気配に気づくと、ゆっくりと顔を上げた。
彼の黒い瞳が、麗華の姿を捉えようと、微かに揺れる。
その瞳の奥に、昨日よりもわずかに、しかし確かな「黄色の光」が灯っているのが見えた。
それは、彼が扇子を通じて感じ取った「光」の感覚が、少しずつ彼の視覚に影響を与え始めている証拠だった。
「麗華」
黎皇子の声が、優しく麗華の名を呼んだ。
麗華は、彼の声に、胸が締め付けられるような甘い痛みを感じた。
(こんなにも、殿下の声が、わたくしの心に響くなんて)
麗華は、彼の傍らにそっと座り、煌峻皇子からの私的な茶会の誘いについて、全てを話した。
黎皇子は、麗華の話を、静かに、そして真剣な眼差しで聞いていた。
彼の顔からは、以前の無気力さは完全に消え去り、そこには知性と、そして麗華を案じる深い感情が宿っていた。
「煌峻が……そなたを呼び出したか」
黎皇子の声に、微かな緊張が走った。
麗華は、彼の表情から、自分が危険に晒されることへの懸念を感じ取った。
「殿下。わたくしは、煌峻殿下の真意を探るためにも、この誘いを受けるべきだと考えております。ですが、もちろん、殿下の安全を第一に考えます」
麗華は、黎皇子の目を真っ直ぐに見つめた。
彼女の瞳には、彼を守り抜くという強い決意が宿っていた。
黎皇子は、麗華の言葉を聞くと、そっと彼女の手を取った。
彼の指先が、麗華の掌を優しく包み込む。
その温かさは、麗華の心に深い安堵をもたらした。
(殿下が、こんなにもわたくしを気遣ってくださる……)
麗華の心は、彼への愛情で満たされた。
彼女は、彼のために、どんな困難にも立ち向かおうと誓った。
「麗華。そなたは、決して一人ではない。私が、そなたと共にいる」
黎皇子の声は、力強く、そして麗華の心に深く響いた。
彼の瞳の奥の「黄色の光」が、その言葉に合わせて、さらに強く輝いたように麗華には見えた。
(殿下が、わたくしを支えようとしてくださっている……)
麗華は、黎皇子の決意が、彼の色彩認識をさらに進めていることを感じ取った。
二人の心が共鳴するたび、彼の世界に新たな色が生まれていく。
それは、まるで麗華の存在そのものが、黎皇子の魂の絵筆となり、彼の世界を彩っているかのようだった。
黎皇子は、麗華の手を握りしめたまま、静かに言った。
「麗華。私の力が、まだ完全ではないことを、そなたは知っている。だが、そなたが私の傍にいてくれる限り、私は、この宮廷の闇に打ち勝つことができると信じている」
彼の言葉には、麗華への絶対的な信頼が込められていた。




