第16話
麗華の公開実演と黎皇子の奇跡的な変化は、宮廷に大きな衝撃を与えた。
麗華への疑念は一掃され、彼女の「色彩の力」は真実と希望の象徴となった。
しかし、その輝かしい成果の裏で、宮廷の権力闘争は新たな局面を迎えていた。
(黎殿下が、皆様の前で微笑んでくださった!)
離宮に戻った麗華は、高揚感と安堵に包まれていた。
黎皇子が自ら立ち上がり、微笑みを浮かべた姿は、彼女にとって何よりの喜びだった。
翠蘭と林もまた、その奇跡的な光景に感動し、口々に麗華を称賛した。
「麗華様、本当に素晴らしかったですわ!黎殿下のお顔に、あんなに穏やかな笑みが浮かぶなんて」
翠蘭は目を潤ませながら言った。
「これで、もう誰も麗華様の染料を怪しいとは言いませんね」
林もまた、心底安堵した様子だった。
しかし、麗華の心には、新たな課題が明確に浮かび上がっていた。
煌淵皇子と煌峻皇子、二人の皇子の動きだ。
特に、黎皇子の心の変化は、彼らの麗華に対する認識を大きく変えたはずだった。
「いいえ。むしろ、ここからが本当の戦いよ」
麗華は、静かに言った。
「煌淵皇子は、今回の失敗で、より焦り、より強硬な手段に出てくるでしょう。そして、煌峻皇子もまた、黎殿下の変化を、自らの野心に利用しようと画策するはずです」
麗華の言葉に、翠蘭と林は顔を見合わせた。
麗華の先を見通す洞察力は、常に彼らを驚かせた。
その夜、案の定、宮廷では麗華と黎皇子に対する議論が巻き起こっていた。
第一皇子・煌淵の屋敷では、怒号が飛び交っていた。
「愚か者め!なぜ、あの女の策を見抜けなかったのだ!」
煌淵は、張を怒鳴りつけた。
彼の顔は、怒りで紅潮していた。
「申し訳ございません、殿下。あの廃皇子が、まさか人前で立ち上がり、心に色彩を取り戻すとは……予想だにできませんでした」
張は、震えながら頭を下げた。
煌淵の計画は、麗華を宮廷から追放するどころか、逆に彼女の評価を高め、さらには黎皇子の覚醒という予期せぬ事態まで招いてしまった。
「これでは、母上も、益々あの女を重用するであろう。何としても、あの廃皇子とあの女を、完全に引き離さねばならぬ!」
煌淵の瞳には、憎悪の炎が燃え上がっていた。
「殿下。麗華妃を孤立させる策を講じるべきかと存じます。彼女が頼れる者を、一人、また一人と排除していくのです」
張は、さらに陰湿な策を進言した。
煌淵は、その言葉に陰険な笑みを浮かべた。
一方、第二皇子・煌峻の屋敷では、全く異なる空気が流れていた。
李は、静かに煌峻の前に控えていた。
「黎皇子が、ついに色彩を取り戻したか。予想以上の展開だったな」
煌峻は、茶をすすりながら呟いた。
彼の表情には、焦りも怒りもなく、ただ深い思索の影が宿っていた。
「はい。麗華妃の力が、黎皇子を動かしたかと。まさに『色彩を統べる力』でございます」
李は、畏敬の念を込めて言った。
「確かに、あの女の力は侮れぬ。だが、その力は、使い方次第で毒にも薬にもなる」
煌峻の瞳には、麗華の力を利用しようとする明確な意図が見て取れた。
「李よ。黎皇子に関する古文書を、さらに深く調べさせよ。特に、彼の生母・月華妃が、かつてどのような力を持っていたのか、詳細に探るのだ」
「は、承知いたしました」
李は、深々と頭を下げた。
「そして、麗華妃の故郷の文化についても、情報収集を怠るな。あの女が持つ知識の根源を、突き止めるのだ」
煌峻の野望は、麗華の技術を模倣するだけでなく、彼女の「色彩を統べる力」そのものを掌握し、自らの支配下に置くことへと向かっていた。
彼は、黎皇子の色彩の回復を、自らの権力基盤を強化するための新たな駒として利用しようと考えていた。
数日後。
宮廷では、麗華への称賛と共に、ある新たな動きが始まりつつあった。
それは、麗華の功績を認めつつも、彼女が「廃皇子の妃」であるという立場を再認識させるような、微妙な圧力だった。
具体的には、皇后からの命で、麗華が手掛ける業務が、これまで以上に黎皇子の離宮の整備に限定されるようになったのだ。
(皇后陛下は、わたくしを危険から遠ざけようとしているのか、それとも……)
麗華は、皇后の真意を測りかねていた。
しかし、彼女は、この状況が煌淵皇子の策略であると直感していた。
麗華と黎皇子を宮廷の中心から遠ざけ、孤立させようとする意図が見え隠れしていた。
その頃、黎皇子の心には、麗華への深い信頼と共に、新たな感情が芽生え始めていた。
それは、自らが「廃皇子」であるという現状に対する、静かな怒りだった。
麗華が、自分のために戦い、危険に晒されていることを知り、彼は自身の無力さを痛感していた。
ある夜、麗華が黎皇子の部屋を訪れると、彼は珍しく書き物机に向かっていた。
彼の指先が、筆を握りしめている。
「黎殿下。何をなさっているのですか」
麗華は、静かに尋ねた。
黎皇子は、顔を上げず、微かに微笑んだ。
「……詩を、書いている。麗華が教えてくれた、心の色彩を、言葉にしたい」
麗華は驚いた。
黎皇子が、自ら筆を執り、詩を詠むなど、想像もしていなかったからだ。
彼の心は、色を認識できなかったはずだった。
「……色が分からぬ私にも、心には見える光がある。麗華が、それを教えてくれた」
黎皇子は、ゆっくりと語り始めた。
その言葉とともに、彼の目の奥に、これまでにはなかった微かな光の揺らめきが生じた。
それは、まるで凍てついていた湖面に、初めて陽光が差し込んだかのような、か細くも確かな光だった。
次の瞬間、黎皇子の視界に、今まで認識できなかったはずの色が、一瞬、閃いた。
最初に目に飛び込んできたのは、麗華の衣の色だった。
深い瑠璃色の絹が、彼の心の中で、**「青」**という確かな認識として像を結んだ。
それは、これまで彼にとって、ただの暗闇だった世界に、突如として現れた、初めての色彩だった。
彼は、驚きに微かに目を見開いた。
彼の心に、言葉では言い表せないほどの感動が押し寄せた。
「……青、なのか」
黎皇子は、信じられないというように、静かに呟いた。
その声には、震えが混じっていた。
麗華は、その言葉に目を見張った。
黎皇子が、色を認識したのだ。
その瞬間を、彼女は確かに感じ取っていた。
「殿下……色が、見えますか!」
麗華は、思わず黎皇子の手を取った。
黎皇子は、こく、と頷いた。
彼の表情は、驚きと戸惑い、そして純粋な喜びで満ちていた。
「この光を、この宮廷にもたらしたい。麗華が、真に輝ける場所を、私が作りたい」
彼の言葉には、これまでの無気力な姿からは想像もできないほどの、強い意志が宿っていた。
麗華は、黎皇子の内面で、確かに何かが変化し、覚醒していることを感じ取った。
それは、単なる感情の回復ではなく、自らの運命を切り開こうとする、真の皇子としての「覚悟」だった。
黎皇子は、詩を書き終えると、その筆を麗華に差し出した。
「麗華。この筆は、母上が愛用していたものだ。そなたに、託したい」
麗華は、黎皇子の言葉に胸を打たれた。
月華妃の愛用していた筆。
それは、黎皇子が、麗華を心から信頼し、自らの未来を彼女に委ねようとしている証だった。
「黎殿下……わたくし、必ずや、殿下のお力になります」
麗華は、黎皇子から筆を受け取り、深く頭を下げた。
彼女の瞳には、新たな決意の光が宿っていた。
黎皇子の覚醒は、麗華にとって大きな希望だった。
しかし、それは同時に、宮廷の深奥に潜む謀略の闇が、さらに色濃くなることを意味していた。
麗華と黎皇子、二人の「黎明の光」は、これから待ち受けるであろう波乱に、いかに立ち向かっていくのだろうか。