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第15話


麗華は、手に握られたくすんだ青い布巾をぎゅっと握りしめた。

これこそが、煌淵皇子の謀略の証拠だった。

彼女の徹夜の分析により、この布巾が、麗華の染料には含まれない、わずかに毒性を持つ特定の植物染料で染められていることが判明したのだ。

翌朝、麗華は再び皇后に謁見を願い出た。

皇后は、麗華の憔悴した顔を見て、心配そうな眼差しを向けた。


「麗華妃。何か進展はあったのか」


麗華は、深々と頭を下げた。


「皇后陛下。昨夜、徹夜で分析いたしました結果、体調不良を訴えられた女官の方々が触れられたとされる染料が、わたくしが調合したものとは異なることを突き止めました」


麗華は、手に持っていた布巾を皇后の前に差し出した。


「この布巾の染料には、わたくしが一切使用しない、わずかながら毒性を持つ特定の植物染料が使われております。これは、わたくしの染料を模倣し、意図的に混乱を引き起こすために持ち込まれた偽物であると推測いたします」


皇后は、麗華の言葉に驚き、布巾を手に取った。

尚書しょうしょもまた、興味深そうに布巾を検分した。


「そなたが、ここまで調べ上げたというのか。しかし、これだけでは、まだ決定的な証拠とは言えぬな」


尚書は慎重な姿勢を崩さなかった。

麗華は、尚書の言葉を予測していたかのように、さらに続けた。


「はい。そこで、わたくしは、この偽の染料の製法を公開し、それがどのようにして体調不良を引き起こすのかを、皆様の前で実演させていただきたく存じます」


皇后と尚書は、麗華の大胆な提案に目を見開いた。

毒性を持つ染料の実演。

それは、一歩間違えれば、更なる混乱を招きかねない危険な賭けだった。


「それは……危険すぎるのではないか。万が一、人々に害が及べば……」


尚書が言いかけた時、皇后が静かに手を上げた。


「麗華妃。そなたは、そこまで覚悟を決めているというのか」


「はい。わたくしの潔白を証明し、そして宮廷に広がる偽りの噂を完全に払拭するためには、これしかございません。真の色彩の力を、皆様に知っていただきたく存じます」


麗華の瞳には、一切の迷いがなかった。

その強い意志に、皇后の心は再び動かされた。


「よかろう。麗華妃。そなたの覚悟、しかと受け止めた。だが、安全性にはくれぐれも注意せよ」


皇后の許可を得て、麗華は二度目の公開実演の準備に取り掛かった。

今回は前回とは異なり、張り詰めた緊張感が離宮を包んでいた。

翠蘭と林は、麗華の指示に従い、慎重に準備を進めた。


「麗華様、本当に大丈夫なのですか」


翠蘭は心配そうに尋ねた。


「ええ、大丈夫よ。全て計算済みだわ。人々は、真実を知れば、必ずわかってくれる」


麗華は、自らに言い聞かせるように答えた。

数日後、再び宮廷の広間に人々が集まった。

前回のような好奇心だけでなく、不安や疑念の色を浮かべた者も少なくなかった。

広間の空気は重く、ざわめきも以前より低い。

黎皇子もまた、壇上の定位置に座り、その場の空気を感じ取っていた。

煌淵こうえん皇子と煌峻こうしゅん皇子も、自らの席からその様子を静観していた。

煌淵皇子の顔には、わずかな焦りの色が浮かんでいる。

彼の思惑通りに事が運ばないことに、苛立ちを覚えていたのだ。

一方、煌峻皇子の目は、麗華の一挙手一投足を見逃すまいと、鋭い光を放っていた。

麗華は、壇上に立ち、静かに広間を見渡した。


「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。本日は、わたくしが用いない、ある染料について、その製法と、いかにして体調不良を引き起こすのかを実演いたします」


麗華は、偽の染料に使われていた植物を取り出した。

それは、見慣れないくすんだ色の草だった。


「この植物は、一見、無害に見えます。しかし、適切でない方法で処理されますと、その中に含まれる微量の毒性が発現し、体調不良を引き起こす可能性がございます」


彼女は、その植物をすり潰し、そこに別の液体を加えた。

その液体は、麗華が普段使う媒染剤とは異なり、無色透明だが、微かに刺激臭を放つものだった。


「通常の染料は、このように安全な媒染剤を用いて、熱を加え、色を定着させます」


麗華は、前回と同様に安全な染料の調合を軽く実演した。


「しかし、体調不良を引き起こすとされる偽の染料は、このような特別な液体を用いて、特定の処理を施すことで、この植物の毒性を引き出しているのです」


麗華は、偽の染料の調合を再現した。

同じ植物を用いても、調合方法が異なれば、全く異なる結果となることを示したのだ。

その過程で、微かに刺激臭が広間に漂った。

人々は、その匂いに顔をしかめ、ざわめいた。


「この匂いが、体調不良の原因となります。幸い、その毒性は微量で、命にかかわるものではございませんが、継続的に摂取すると体に不調を来す場合がございます」


麗華は、毒性を持つとされる液体を少量、別の容器に移し、それを水で薄めたものを、自身の指先に少しだけ付けた。

そして、すぐに水で洗い流した。


「ご覧ください。このように、適切に扱えば、直ちに害を及ぼすものではございません。しかし、もし知らずに、日常的にこの染料に触れていれば、体調を崩してもおかしくないのです」


麗華は、その布巾が「日常的な使用」を想定して作られたものであることを示唆した。

彼女の言葉と実演は、人々の心に深く響いた。

目の前で繰り広げられる「真実」に、人々は納得の表情を浮かべ始めた。

特に、体調を崩した女官たちは、麗華の言葉に頷き、安堵の表情を見せた。


「皆様。わたくしは、煌国の豊かな自然の恵みを尊重し、故郷で学んだ学問の力を用いて、人々の生活を豊かにしたいと願っております。わたくしの色彩には、何の怪しき力もございません。あるのは、人々の心を癒し、世界を美しく彩る力のみでございます」


麗華は、真摯な眼差しで、広間の人々を見渡した。

彼女の言葉は、まるで澄んだ泉のように人々の心に染み渡った。

広間には、拍手が沸き起こり、その拍手は次第に大きくなっていった。

疑念は晴れ、代わりに、麗華への信頼と賞賛の念が満ちていった。


この光景を、黎皇子は静かに感じ取っていた。

彼は、広間の空気の変化、人々の不安から感動へと変わる心の動きを、敏感に捉えていた。

そして、何よりも、麗華の揺るぎない信念と、人々を照らす真の光を、強く感じていた。

黎皇子は、これまで決して見せることのなかった感情を、その無表情な顔に微かに浮かべた。

彼の瞳は、光を捉えることはできないが、その心は、麗華が放つ真実の光を確かに感じ取っていた。


その瞬間、黎皇子は、自らの席からゆっくりと立ち上がった。

彼のその動きに、広間の人々は息を呑んだ。

黎皇子が、自らの意思で人前で立ち上がるなど、誰も見たことがなかったからだ。

麗華もまた、驚きと戸惑いの中で、黎皇子を見つめた。

黎皇子は、壇上の麗華の方へと、ゆっくりと歩みを進めた。

彼は、麗華の手を取り、その掌を、自らの頬にそっと押し当てた。

彼の指先が、麗華の掌を微かに震わせる。

それは、感謝と、そして言葉にできないほどの、深い信頼の表れだった。

そして、黎皇子の口元に、これまで誰も見たことのない、穏やかで、そして確かな「微笑み」が浮かんだ。

その微笑みは、黎明の光のように、広間全体を優しく照らした。


人々は、その奇跡のような光景に、感嘆の声を上げた。

長らく心を閉ざし、周囲から「廃皇子」と呼ばれてきた黎皇子が、今、麗華の隣で、確かに心を開き、微笑んでいる。

皇后は、その光景に感極まった様子で、そっと目頭を押さえた。

尚書もまた、驚きと感動の表情で、黎皇子を見つめていた。

麗華もまた、黎皇子の温かい微笑みに、瞳を潤ませた。


彼の心に、ついに真の「黎明れいめいの光」が差し込んだことを、麗華は確信した。



しかし、この奇跡のような光景は、煌淵皇子と煌峻皇子に、全く異なる衝撃を与えていた。

煌淵皇子の顔からは、血の気が引いていた。

彼の謀略は、完全に失敗しただけでなく、麗華と黎皇子の絆を、より一層強固なものにしてしまったのだ。

彼は、怒りと屈辱に顔を歪ませた。


「馬鹿な……ありえぬ……」


煌淵は、自らの計画の崩壊と、麗華の底知れない才覚に、戦慄を覚えていた。



一方、煌峻皇子の瞳には、驚きと共に、新たな計算の色が宿っていた。

黎皇子の覚醒。

それは、彼の権力闘争において、予期せぬ、しかし非常に興味深い要素となり得るものだった。


「『色彩を統べる力』……なるほど、そういうことか」


煌峻は、静かに呟いた。

彼の関心は、もはや麗華の技術の模倣に留まらなかった。

黎皇子の覚醒、そして麗華が持つ「人々を動かす力」そのものに、彼の野望の焦点が移り始めていた。

麗華は、黎皇子と共に、広間の人々の前で静かに頭を下げた。

真実の光が、偽りの影を完全に打ち払った瞬間だった。


しかし、麗華は知っていた。

宮廷の深奥では、まだ見ぬ策謀が蠢いていることを。

そして、黎皇子の覚醒は、新たな戦いの序章に過ぎないことを。

彼女の色彩の物語は、ますます深く、そして複雑な展開を迎えることになるだろう。


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