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第14話


公開染色から数日後。

麗華の離宮には、以前にも増して多くの宮廷人が訪れるようになっていた。

彼らは、色を求めてというよりも、麗華が作り出す「色彩の真実」に触れたいと願っていた。

中には、自ら染料作りに挑戦したいと申し出る者までいた。


(人々の心に、新しい種が蒔かれたようね!)


麗華は、翠蘭と共に訪れる人々に応対しながら、内心で満足感を覚えていた。

彼女の技術と知識が、煌国の人々の好奇心を刺激し、停滞していた文化に新たな息吹を吹き込み始めていることを肌で感じていた。



しかし、その穏やかな日々も長くは続かなかった。

ある日の午後、離宮に皇后の使いが訪れた。

皇后は、麗華を緊急の謁見に召しているという。


「何か、あったのでしょうか」


麗華は、わずかな不安を感じながらも、翠蘭に身支度を整えさせた。

宮廷内での噂は収まったとはいえ、皇子たちの動きが止まったわけではないことを、麗華は理解していた。

皇后の間に到着すると、いつになく皇后の表情は厳しかった。

その隣には、顔色の優れない尚書しょうしょの老臣が控えている。


「麗華妃。よく参った」


皇后の声は、重々しく響いた。


「実は、そなたの工房で調合された染料が、一部の女官たちの間で、原因不明の体調不良を引き起こしているという報告が上がっている」


麗華は、その言葉に息を呑んだ。

体調不良。

それは、彼女の色彩が「怪しい力」を持つという、最初の噂を再び呼び起こしかねない事態だった。


「それは、まことでございますか!」


麗華は信じられない思いで尋ねた。

彼女の染料は、すべて天然素材を基にし、化学的な知識に基づいて安全性を確認しているものだった。

人体に害を及ぼすようなものは一切使用していない。


「尚書も、そのように申しておる。症状は、微熱、めまい、そして悪夢にうなされるといったものだ。いずれも重篤ではないが、不安が広がっている」


尚書は、痛ましげに顔を歪めた。


「皇后陛下、尚書様。わたくしの染料には、そのような毒性を持つものはございません。調合の過程も、公開した通り、安全であることを証明できます」


麗華は必死に訴えた。


「それはわたくしも理解している。しかし、報告が上がっている以上、無視するわけにはいかぬ。人々は、そなたの『色彩の力』に畏れを抱き始めておる」


皇后の言葉は、麗華に重くのしかかった。

これは、単なる偶発的な体調不良ではない。

明らかに、誰かの意図的な策略だと麗華は直感した。

煌淵皇子の仕業に違いないと。


「麗華妃。誠に残念だが、当面の間、そなたの染料の使用と、新たな調合は控えるように」


皇后の言葉は、麗華にとってあまりにも過酷なものだった。

色彩を禁じることは、彼女からすべてを奪うに等しい。


「しかし、皇后陛下!これは、わたくしへの誹謗中傷にございます。わたくしが潔白である証拠を、必ず見つけて参ります!」


麗華は、深々と頭を下げ、訴えかけた。

皇后は、麗華の強い意志を感じ取り、複雑な表情を浮かべた。


「……よかろう。だが、時間はかけられぬ。人々の不安は、日を追うごとに増していくであろうからな」


謁見を終え、麗華は離宮へと戻った。



その足取りは重く、心の中には憤りと焦りが渦巻いていた。


(まさか、こんな手を使ってくるとは……!)


麗華は、すぐに翠蘭と林を呼び、今回の事態について説明した。

二人の顔にも、驚きと憤りの色が浮かんだ。


「麗華様、そんな、ひどすぎますわ!あんなに喜んでいたのに!」


翠蘭は涙ぐんだ。


「何か、証拠を見つけなければなりませんね。その染料が、本当に麗華様のものではないという……」


林は冷静に言った。

麗華は、体調不良を訴えた女官たちの詳細な情報を集めるよう、二人に指示した。

どのような染料に触れたのか、どこで入手したのか、そして症状の具体的な内容まで、徹底的に調べ上げる必要があった。




その日の夕食時。

黎皇子の部屋に運ばれてきた膳を見て、麗華ははっとした。

膳の傍らに置かれた小さな布巾の色が、いつもと異なることに気づいたのだ。

それは、麗華が調合した瑠璃色とは微妙に異なる、くすんだ青色だった。


「これは……どこで入手したものですか」


麗華は、膳を運んできた宦官に尋ねた。


「は、それは、尚書様が、麗華妃様の染料は危険だという噂が広まっているため、安全なものに差し替えよと仰せになられまして……」


宦官は、恐縮しながら答えた。

麗華は、その布巾を手に取り、匂いを嗅いだ。

微かに、通常の瑠璃色染料にはない、独特の刺激臭がする。


(これだわ!これこそ、煌淵皇子が仕込んだ偽の染料!)


麗華は、直感的に悟った。

体調不良を引き起こしているのは、彼女の染料ではなく、煌淵皇子がすり替えた、あるいは独自に調合させた偽物だと。

麗華は、急いでその布巾を持ち、書庫に籠もった。

夜を徹して、偽の染料の成分を突き止めるべく、手持ちの知識と資料を総動員して分析を始めた。



一方、その頃、煌淵皇子の屋敷では、祝宴が開かれていた。


「張よ、見事な計らいであったな。あの廃皇子の妃め、これで大人しくなるであろう」


煌淵は高らかに笑った。

彼の周りには、煌淵派の武官や貴族たちが集まり、麗華の失脚を喜んでいた。


「殿下のお言葉、光栄にございます。あの女の力を一時的に封じ込めることはできましたな」


張は、満足げに答えた。


「しかし、完全に潰すには、もう少し手間が必要でございます。人々の不安を煽り、最終的には宮廷から追放するよう、皇后陛下に進言させねばなりますまい」


煌淵は、張の言葉に頷いた。


「抜かりなく頼むぞ。あの女が、黎めと共に宮廷を掻き乱すなど、許せるはずがない」


一方、煌峻皇子の屋敷では、李が慌ただしく煌峻の元へ報告に訪れていた。


「殿下、麗華妃の染料が、女官たちの体調不良を引き起こしていると、宮廷中に噂が広まっております」


煌峻は、静かに李の報告を聞いていた。

彼の表情には、何の感情も浮かんでいなかった。


「ふむ。煌淵の仕業か。随分と安直な手を使ったものだ」


煌峻は、冷ややかに言った。


「しかし、このままでは麗華妃が窮地に立たされます。我々はどういたしますか」


李は、心配そうに尋ねた。

煌峻は、ゆっくりと立ち上がり、窓の外の月を眺めた。


「李よ。これは、麗華妃にとっての試練だ。あの女が、真に『色彩を統べる力』を持つならば、この程度の謀略、自力で乗り越えるであろう」


煌峻の言葉には、どこか冷酷な響きがあった。

彼は麗華の才能を認めつつも、それを試すかのような態度を取っていた。


「もし、あの女がこの件で潰れるようであれば、それまでのこと。だが、もし乗り越えたならば……その時は、我々が次の手を打つ番だ」


煌峻の瞳には、麗華の技術を、そしてその「色彩の力」を、自らのものにしようとする、底知れぬ野望が宿っていた。

彼は、麗華の危機を、自らの計画の好機と捉えていたのだ。

その夜、黎皇子は、自室の庭園に出ていた。

彼の手には、麗華が部屋の窓辺に飾った、月華妃が愛したとされる花が握られている。

彼は、その花から漂う空香くうこうの香りを深く吸い込んだ。


(……麗華)


黎皇子は、麗華の焦燥と憤りを敏感に感じ取っていた。

目が見えない彼には、言葉や表情以上に、人の心の動きが鮮明に感じられた。

麗華の心が、深い悲しみと不当な扱いへの怒りで揺れていることを、彼は知っていた。


「……私のために、戦っているのか」


黎皇子は、静かに呟いた。

麗華が、自らを「黎明の光」へと導こうとしてくれていること。

そして、そのために彼女自身が危険に晒されていることを、彼は理解していた。




翌朝。

麗華は、憔悴した顔で書庫から出てきた。

その手には、いくつかの資料と、昨日宦官から受け取った布巾が握られていた。

彼女の瞳には、徹夜による疲労の色が浮かんでいたが、それ以上に、確固たる決意の光が宿っていた。


(この布巾には、私が使っていない、ある植物の染料が使われている。そして、その植物は、わずかながら毒性を持つものだわ……!)


麗華は、煌淵皇子が使用したと思われる偽の染料の正体を突き止めていた。

それは、煌国ではごく一部の地域でしか栽培されず、安価で大量に入手できるものの、適切な処理をしなければ微量の毒性を発する、特定の植物染料だった。

煌淵皇子の側近である張が、どこからかその知識を得て、体調不良を偽装するために利用したのだろう。


「皇后陛下に、もう一度謁見を願います」


麗華は、翠蘭に告げた。

彼女の顔には、迷いはなかった。

自らの潔白を証明し、そして煌淵皇子の謀略を暴くために、麗華は再び立ち上がることを決意していた。

黎皇子は、その麗華の決意を、離宮の奥で静かに感じ取っていた。

彼の心には、麗華への深い感謝と、彼女を守ろうとする、これまでにない強い感情が芽生え始めていた。

それは、長らく閉ざされていた彼の心に、確かに「黎明の光」が差し込み始めた証だった。

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