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第13話


宮廷の広間は、かつてない熱気に包まれていた。

煌びやかな装飾が施された空間に、普段は奥まった場所にいる下級女官や宦官までもが集まり、ざわめいている。


中央には、麗華が指示して運び込ませた、見慣れない道具が並べられていた。

大きな染め桶からは湯気が立ち上り、隣には色とりどりの鉱石や植物、そして見たこともない器具が置かれている。


(こんなにも多くの人が集まるとは……皇后陛下の計らいと、人々の好奇心の表れね!)


麗華は、壇上から広間を見渡し、静かに息を吸い込んだ。

その傍らには、普段は無表情な黎皇子が、珍しく壇上の隅に設けられた席に座り、広間の喧騒を微かに感じ取っているようだった。

彼がここにいることは、麗華の公開染色に対する最大の支持であり、宮廷人たちの注目をさらに集めていた。


「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」


麗華の声は、澄み渡り、広間全体に響き渡った。


「わたくし、麗華が用いる染料に、怪しき力が宿るという噂が広まっていると聞き及んでおります。しかし、それは真実ではございません」


彼女はゆっくりと、壇上に置かれた様々な材料を指し示した。


「わたくしが用いるのは、煌国の豊かな自然が育んだ恵み、そして、故郷で学んだ**化学かがく**の知識、すなわち『物の本質を見極め、その力を引き出す学問』でございます」


麗華は、人々に理解しやすいように、専門用語を丁寧に解説した。

そして、一歩前に進み出た。


「では、今から、皆様の目の前で、この瑠璃色の染料が、いかにして生まれるのかをお見せいたします」


麗華は、まず「蒼石そうせき」と呼ばれる、青みがかった石を手に取った。

それは煌国では稀少とされ、その扱いは難しいとされていた。


「この蒼石は、非常に硬く、そのままでは色を抽出できません」


彼女は、石を砕くための特別な道具を取り出した。

それは、金属製のすり鉢と、同じく金属製の杵のようなものだった。


「これを用いて、細かく砕いてまいります」


麗華が蒼石を砕き始めると、硬質な音が広間に響き渡った。

彼女の手つきは淀みなく、確かな知識と経験に裏打ちされていることを示していた。

砕かれた蒼石の粉末は、まるで夜空の星屑のようにきらめき、集まった人々の目を引いた。


次に、麗華は「天藍草てんらんそう」と呼ばれる、特徴的な香りを放つ青い植物を取り出した。


「そして、この天藍草。一見、ただの草に見えますが、この中にこそ、神秘的な色が隠されております」


彼女は、天藍草を丁寧にすり鉢に入れ、砕いた蒼石の粉末と共に混ぜ合わせた。

そこに、透明な液体を少量加えた。


「これは、単なる水ではございません。特定の植物から抽出した、色の定着を助ける**媒染剤ばいせんざい**と呼ばれるものです」


媒染剤という聞き慣れない言葉に、人々はざわめいた。

麗華は彼らの好奇心を感じ取り、続けた。


「これらの材料を混ぜ合わせ、適切な温度で熱することで、美しい瑠璃色が生まれるのです」


彼女は、調合した材料を大きな染め桶に移し、加熱し始めた。

桶の下からは、ゆっくりと熱が伝わり、次第に液体が青く染まっていく。

その様子は、まるで魔法のようだった。

広間に集まった人々は、固唾を飲んでその光景を見守っていた。


煌淵皇子と煌峻皇子も、それぞれの席から、食い入るように麗華の手元を見つめている。

特に煌峻皇子の目は、麗華の技術の奥深さを見抜こうと、鋭い光を放っていた。


「そして、この色が十分に引き出されたところで、布を浸し、時間をかけて染め上げます」


麗華は、用意していた真っ白な絹布を、青く染まった染め桶の中にゆっくりと沈めた。

液体の中で布が広がり、みるみるうちに鮮やかな瑠璃色に染まっていく。


その色は、麗華が黎皇子の部屋に飾った布と同じ、深く、そして澄んだ色合いだった。


「これこそが、わたくしが用いる瑠璃色の真実。自然の恵みと、学問の力によって生み出される、清らかで美しい色なのです」


染め上がった布を桶から引き上げ、麗華は人々の前で広げて見せた。


その瞬間、広間には感嘆の声が上がった。

人々は、その鮮やかな色彩に魅了され、同時に、それが「怪しい力」ではなく、論理的な過程を経て生み出されたものであることを理解し始めていた。


「次に、皆様にも、この染料に触れていただきたく思います」


麗華は、壇上に小さな桶をいくつか用意し、その中に瑠璃色の染液と、白い小さな布片を入れた。


「どうぞ、お近くにお寄りの上、実際にこの目で、そして手で、色彩の真実をお確かめください」


最初は戸惑っていた人々も、皇后が静かに頷いたのを見て、恐る恐る壇上へと近づいていった。

そして、一人、また一人と、染液に手を浸し、布片を染め始めた。


初めて染料に触れる人々は、その温かさや、手に広がる色の感触に驚きと喜びの声を上げた。

中には、自分で染め上げた瑠璃色の布片を、まるで宝物のように大切そうに眺める者もいた。

宮廷に満ちていた疑念や不安は、徐々に、純粋な好奇心と感動へと変わっていった。

この光景を、黎皇子は静かに感じ取っていた。

彼は目が見えない代わりに、広間の空気の変化、人々の微かなざわめきから歓声への移り変わり、そして、麗華の声の響きを、敏感に感じ取っていた。

彼の口元には、微かだが、確かに満足げな笑みが浮かんでいた。


(成功ね……人々は、色彩の真実を受け入れ始めたわ!)


麗華は、人々の笑顔と、黎皇子のわずかな変化を見て、安堵のため息をついた。

しかし、彼女は知っていた。この成功は、あくまで第一歩に過ぎない。

煌淵皇子と煌峻皇子の思惑は、まだ水面下で蠢いている。

公開染色が終わると、皇后が壇上に上がり、麗華の労をねぎらった。


「麗華妃。見事であった。そなたの真摯な行いは、人々の心を動かした」


皇后の言葉は、麗華にとって何よりの褒め言葉だった。

その夜、離宮に戻った麗華は、翠蘭と共に、公開染色の成功を喜び合った。


「麗華様、本当に素晴らしかったですわ!皆、口々に麗華様のことを褒めていました!」


翠蘭は興奮気味に語った。

麗華は微笑みながら、染め上がったばかりの瑠璃色の布を広げて眺めていた。


「ええ、でもこれは、まだ始まりに過ぎないわ。本当の課題は、これからよ」


麗華の瞳には、遥か先を見据えるような強い光が宿っていた。

彼女は、煌国の色彩文化、そして人々の生活そのものに、より深い変化をもたらすことを決意していた。




しかし、その夜、煌淵皇子の屋敷では、全く異なる空気が流れていた。


「張よ、あの女、まさかあそこまでやるとはな……」


煌淵は、不機嫌そうに杯を傾けた。

公開染色によって、麗華への誹謗中傷が一時的に収まったことに、彼は苛立ちを募らせていた。


「恐れながら、殿下。あの女の『色彩の力』は、単なる染色の技術に留まらないようです」


張は、悔しそうに顔を歪めた。


「どういうことだ?」


「人々の心に訴えかける、ある種の**魅力みりょく**のようなものが、あの女にはございます。このままでは、皇后陛下の寵愛を独占するばかりか、宮廷内の勢力図まで変えかねません」


煌淵は、深く眉根を寄せた。


「では、次の手は何だ。このまま指をくわえて見ているわけにはいかぬ」


張は、陰険な笑みを浮かべ、煌淵の耳元でさらに恐ろしい計画をささやき始めた。

それは、麗華の「色彩の力」を逆手に取り、今度は彼女の信頼そのものを根底から揺るがすような、冷酷な策だった。



一方、煌峻皇子の屋敷では、李が数枚の書簡を煌峻に差し出していた。


「殿下。麗華妃が用いた蒼石と天藍草の製法について、さらに詳細な情報を集めました」


李は、広げられた書簡を指さした。

そこには、麗華が用いた特定の媒染剤の調合比率や、加熱時間に関する推測が記されていた。


「ほう……思ったよりも、進んでおるな」


煌峻の顔には、珍しく満足げな表情が浮かんでいた。


「これで、我々も麗華妃と同じ、あるいはそれ以上の色彩を操る技術を手に入れられるかもしれませぬ」


李は興奮気味に言った。

しかし、煌峻は首を横に振った。


「いや、李。それでは足りぬ」


煌峻の瞳には、単なる技術の模倣以上の、深遠な野望が宿っていた。


「あの女は、単に色を染めるだけでなく、その色を通して、人々の感情を動かし、意識を変えようとしている。我々が手に入れるべきは、その**『色彩を統べるしきさいをすべるちから』**だ」


煌峻は、書簡の一つを指でなぞった。

そこには、煌国の古い伝承に登場する、「七色の光を操る賢者」に関する記述があった。


「麗華妃は、その賢者の末裔かもしれぬな。だが、この煌国を真に統べるのは、私だ。あの女の光を、私の影として、この国の全てを染め上げてみせる」


煌峻の言葉には、冷徹な野心と、底知れぬ策略の匂いが漂っていた。

麗華の公開染色によって、一見平穏を取り戻した宮廷だったが、その裏では、皇子たちの権力闘争が、新たな局面を迎えようとしていた。

麗華は、これから待ち受けるであろう試練をまだ知る由もなかった。

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