打たれの身
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
自分の知らぬ間にけがをしている経験、君にはないかい?
ひょいと視線を落とすと、指の皮がむけていたり、腫れていたり、血だって出ていたり……単に表皮がヤワというだけじゃ、説明がつかないこともある。
意識していたなら気づけるほどなのに、なぜ自分はここまで注意を向けなかったのだろう? 振り返ってみても、思い当たるフシがなかなかない。
そうなると、つい原因を探りたくなるのは無理ないだろう。放っておけば二度、三度と起こるだろうし、もっとひどいことにつながるかもしれない。禍根を残すのは、まさに後々の「残念」へ直結しうるものだ。
でも、もしも原因らしきものへ行きあたったとて、果たして君に受け入れられるだろうか?
僕も昔に不可解な傷を負った経験があるのだけど、今の段階でも少し信じがたく思っているんだ。そのときの話、聞いてみないかい?
気付いたのは、小学校3年生のときだったかな。
朝に目が覚めて起き上がってみると、布団へぽたりとひとしずく。赤いそれを見て、すぐに「血!?」と驚いたね。
顔を触っていって、それがおでこの真ん中から垂れてきているものと分かった。
傷そのものは大きくない。縫い針の先でつついたかという程度で、ティッシュでおさえているとほどなく出血が止まった。一度止まると、もう後が続きそうな気配もない。
ただ謎なのが、どうしてこのような傷を負ったのかということ。
僕の部屋は、親がしょっちゅう掃除しており、けがの恐れがありそうなものが転がっていてもすぐに撤去されてしまうはず。それが布団に寝転がっていて、このような手傷を負わされるなんて……。
誰かが夜中に忍び込んできたのか? 戸締りをしっかりしているなら、家族のしわざだろうか?
疑念を持ちつつも、しばらくは様子見ということで、あえていつも通りの生活ペースで過ごしていく僕。起きている間はよく気を付けていても、寝てから目覚めたときこそが一番の問題。
部屋の中のチェックはもちろんのこと、僕は寝る前に部屋の姿見も使って、体の状態をよく確かめておいたんだ。どこにどのような傷があるか、などをね。
そうして何も起こらないで済む日もあったが、来るときにははっきりとやってくる。
おでことは限らなかった。両手、両足、ときには寝巻の下に隠されているはずの肌にも、起きた時に見覚えないけがを負っていた。
出血をともなうこともあれば、目立つ青タンのときもある。ぬぐえば血に汚れ、押せばはっきり痛みがある。しかし、いつどのようにしてついたのか、僕には皆目見当がつかない。
けれども、回数を重ねていくうちに新しい手掛かりの存在に、僕は気が付いた。
布団そのもの。
僕が横になっていた敷布団、掛け布団の足元あたり。そこが異様に濡れているんだ。
おねしょの類と考えるのは、早計だろう。ならば、一番洪水であるべき場所は寝巻のまたぐらでなくてはならず、そこ以外からおもらししているとなれば、少なくともホモ・サピエンスとは違う何かだろう。
人間をやめたなどと、僕にとってはさほど喜ばしいことじゃない。なんとしても人間であることを証明しなくては。そのためには、僕をおとしいれようとする輩のほんとの狙いを探らねばならないだろう。
より意識を集中する僕。犯人をじかに引っつかまえるには、やはり現行犯でしかない。
そのため、何度も徹夜を敢行しようとした。ただ起きているだけでは向こうも寄ってこないと思ったし、あたかも寝ているように見せかける狸寝入り作戦しかない。
されどもそれは、眠りへいざなう布団環境へ身をゆだねることに違いないというリスク。「寝るまい、寝るまい」と心の中で思い続けても、それだけで実現できるなら夢破れる人などこの世にいない。
結局、僕は眠気の前に、知らぬ間の敗退を繰り返し、またいいように体を傷つけられていったよ。
でも一矢むくいたというか、新しい収穫があった。けがを受けた日の天気なのだけど、目覚めたときには、いつも曇り空でね。そのまま雨が降り出すこともあったんだ。
ケガを受けて目覚めるとき、天気はいつも下り坂だったんだよ。
はじめてケガしてから、数か月。
いよいよ訪れたあのときは、今もはっきり覚えている。
狸寝入りを試みて、舟をこいでは覚醒、こいでは覚醒を繰り返し、もはや家の中が完全に静まりかえったあたり。
その数えきれない何度目かで、僕はふと、自分が布団の中に、いやそれどころか部屋の中、家の中にいないことに気付いたんだ。
そこは雲の上に思えた。
僕は両足を真下の煙たちの中に突っ込みながら、わずかに突き出ている山々の突起たちを眺めている。
そして海のごとく連なって奥へ奥へと広がった雲たち。その彼方からは、雲の白さとはあまりに対照的な赤い光がのぞいてくる。
太陽、なのか? いや、それにしてはあまりに赤い気がした。まるで夕焼け空に終止符を打たんとするときに放つような……。
そう思う間に、僕は両肩へ痛みを感じる。
身体を動かすことができず、せいぜい目を動かせるほどだ。
青い寝間着に隠されていた両肩全体が、中央部からじわじわにじむ、赤いものに汚れていく。それはこれまで幾度も見てきた、傷からの血であると僕は直感したんだ。
なぜ?
正面へ向き直った僕は先ほどよりも赤みの薄れた太陽を目の当たりにする。
今度ははっきりと見えた。およそ半円をのぞかせた体から、矢のように飛び出した陽光を。それが僕の両足を貫いて、すぐさま消えたのを。
陽はまた白み、僕の足は赤らむ。同じように痛みが今度は足からにじみ出てくる。
ぐらつきそうになる身体を、両足の雲が支えてくれているものの、かろうじて向き合った太陽の第三射を受けてのけぞってしまうと、もう止まらなかった。
枷が外れて、そのまま雲の中へ沈んでいく中、僕はその三射目が自分の額を確かに貫いたと思ったんだ……。
目が覚めたとき、僕はまた布団の上へ戻ってきていた。
両肩、両足、そして額、すべてから寝間着ににじむ血を浮かばせながら。しかし、このようなことがあれば、いつも曇っていた空は、今日は鮮やかに晴れ渡っていたんだ。
いつもよりも心なしか、水浸しになっている布団の中、東向きの窓からは陽の光が差し込んでくる。それはまた、いつも以上に白い輝きを増しているように思えたんだ。
僕は「壁」にされていたのかもしれない。
元の色で照り輝くための太陽。それを望まない雲たちが、太陽の攻勢を防ぎきることができるように。
でも、こうしてやられてしまった以上、もうあてにはされないだろう。
それを裏付けるように奇妙なことは、これ以来ぴたりとやんでしまったんだ。