社畜が目を覚ましたら森の中だった
目を覚ますと、そこは森の中だった。
「……は?」
寝ぼけた頭で周囲を見回す。視界に映るのは、雑木林と木漏れ日。聞こえてくるのは鳥のさえずりと風の音。会社のデスクも、パソコンのファン音もない。
俺の名前は榊原真人。都内の中小企業で働く三十五歳の営業職だ。ブラック企業と名高いこの会社で、朝七時に出社し、深夜に帰る生活を十年以上続けてきた。身体に染み付いたルーチンのせいか、違和感より先に「今日の会議何時だっけ?」と考えてしまった自分が悲しい。
「……夢、だよな?」
だが、周囲の空気がリアルすぎる。土の匂い。木々のざわめき。目の前に落ちていた枯れ枝を拾ってみると、手触りすら本物だ。
何より、自分の服がスーツじゃない。薄手の麻のようなシャツに、膝丈のズボン。足元は革のサンダル。全体的に質素なつくりだが、どこか動きやすい。
「異世界転移……とか?」
オカルトやゲームの世界でしか聞いたことのない言葉が、妙にしっくり来る。この突拍子もない状況を説明するには、それしかない気がした。
茫然としていると、木々の合間から小道が伸びているのに気づいた。とりあえず歩くしかないと判断し、俺はその道を進んだ。
十五分ほど歩いたところで、小さな集落が見えてきた。六軒ほどの家。畑。井戸。そして、中央にぽつんと立っていた初老の男がこちらに気づき、目を見開いた。
「ま、まさか……あなた様が……神託の村長様かっ!」
「え?」
男は駆け寄ってくると、膝をつき、頭を下げた。
「どうかこの村をお救いください!」
何が起こっているのかわからない。けれど、目の前の男の真剣な眼差しと、背後にある村の荒れた様子がすべてを語っていた。
草に覆われた畑。倒れかけた家屋。子どもの姿はなく、老人が一人、遠くで薪を割っているだけ。この村は、限界集落寸前だった。
「……神託? 俺が村長?」
「ええ。百年前からこの村に伝わる神託があるのです。“外より来たりし者、この地に繁栄をもたらさん”と……!」
運命に導かれた救世主、なんて設定は気恥ずかしい。だが、俺にはスキルもチートもない。ただ、十年超の激務で鍛えた体力と、売れない商品を売り続けた営業力、そして一日一食で耐えた忍耐力がある。
この崩れかけた村は、かつての中小企業と重なる。
なら、できるかもしれない。少なくとも、もう一度やり直す価値はある。
「……わかった。村長、やってみるよ」
俺の第二の人生が、ここから始まった。