16話 仲間と買い物して、風呂で癒されて、剣を手に入れる準備をするよ
朝、薄明かりの中で草原の民たちが見送りに集まった。
「また来いよ、王都の騎士!」
「その馬、忘れられねぇ!」
レンをはじめとする騎馬民族の若者たちが、手を高く振って翔也たちを見送る。
ミナは別れ際、前夜に仲良くなった獣人の少女と耳をぴとりと重ね合わせ、小さく「じゃあな」と言った。
翔也たちは馬を駆り、草原を後にした。
西方の大草原を抜け、徐々に丘陵地帯に入ると、空気が変わった。
土の匂いに混じって鉄の香りがし、遠くからは断続的に金属を打つ音が風に乗って響いてくる。
「もうすぐ……」
翔也が呟くと、グリュンが鼻を鳴らして応えた。
やがて街道は石畳へと変わり、高い外壁と鉄製の門が見えてきた。
門をくぐった瞬間、彼らを迎えたのは鉄と汗と熱気が入り交じる、騎士たちのための都市――ベルグラムだった。
市場では職人が声を張り上げ、鎧や鞍、馬具、武具が所狭しと並んでいた。
「活気、あるな」
ミナがナグファルの手綱を引きながらつぶやく。
「騎士の街というより、騎馬の街ね」
リュシエルの言葉に、セラも軽く頷いた。
「ここの工房は、どれも一流です。気を引き締めて選ばないと……」
通りの一角には、馬具専門の屋台が軒を連ね、蒼い革で装飾された特注鞍が並ぶ。
「これ見て、翔也。装飾もきれいだけど、機能的にも良さそうよ」
リュシエルは店先にあった銀の飾り帯に目をとめた。
「この金具、風の精霊石が組み込まれてるんですって。走ると音が鳴るらしいわ」
ミナは小物屋で尻尾用の飾り紐をじっと見つめていた。手に取っては棚に戻し、また別のを手に取る。
「迷ってるなら、両方買えば?」
翔也の軽口に、ミナは無言でじっと睨んでみせたが、その耳は嬉しそうに動いていた。
一方、セラは薬草店の前で立ち止まり、瓶詰めの香油や香炉をじっくりと見比べている。
「この香は、神殿で使っていたものに似ています。きっと集中力が高まります」
「セラ、そんなにたくさん買うのか?」
「学びもまた旅の糧ですから」
通りがかりの露天で、ミナは獣人職人が作ったという革のポーチを即決で購入した。
「……これ、いい」
リュシエルは馬用の飾り房をミナのナグファルのたてがみに結びつけ、「似合ってるわよ」と微笑んだ。
翔也はその様子を眺めながら、自分の剣の鍔が欠けているのを見つけて表情を引き締めた。
「やっぱり、ちゃんとした鍛冶屋に行かなきゃな……」
翔也が足を止めたのは、重厚な石造りの店だった。店先には無骨な鞍と一振りの未完成の蒼鉄剣が展示されていた。
「これ……飛べる馬用の鞍か?」
「蒼鉄製だな。軽くて強い……が、高いぞ」
低く渋い声で応じたのは、店の奥で金槌を振るう老鍛冶師だった。
長い灰髪に鋼のような眼を持つその男は、ひと目でただ者ではないとわかる風格を纏っていた。
「使いこなせるなら、相応の価値はあるがな」
「俺……飛べる馬に乗ってます」
翔也の言葉に、老鍛冶師が顔を上げた。
「ほう……あの馬か」
グリュンは翔也の後ろで堂々と立っていた。その鋭い眼光に、鍛冶師はわずかに笑みを浮かべた。
「名乗れ、若者。剣を求める者には、それなりの覚悟がいる」
「翔也。王都の騎士学院所属です」
「ならば、まず“蒼鉄”が選ぶに値するかどうか、試されるな」
鍛冶師は無骨な木箱から、古びた黒い鉄の板を取り出した。
「明朝、街の裏手にある“鳴動の谷”へ行け。そこの風穴でこの鉄を振り下ろし、火花を起こしてみろ」
「それが……試練ですか?」
「蒼鉄は生きている。火を呼ぶ者にしか、応えん」
翔也は言葉の意味を完全に理解できないまま、それでも頷いた。
「わかりました。やってみます」
「よし。それが済んだら、剣を打ってやろう」
その間、リュシエルは騎士装備通りで軽量ながらも魔導防壁が張れる盾を選んでいた。
「見た目は控えめだけど、これなら素早く動けるわ」
彼女は騎乗戦での機動性を重視し、シンプルながら信頼できる品を選んだ。
ミナは革細工の露店で、しっくりと手になじむ黒革の短剣を手に取っていた。
「重心、いい……刃も静か」
店主が「獣人向けにバランスを調整してある」と説明すると、ミナは無言で頷き、懐から金貨を差し出した。
セラは魔道具通りに入り、淡い光を放つ布地の法衣に目を留めた。
「これ……魔力が澄んでいる」
神殿で祈祷の際に用いる高品質な布地が使われており、着心地と性能を兼ね備えていた。
「これを着て祈る時、何かが変わる気がします」
セラは小さく微笑んだ。
その後、四人は市場通りで香草や保存食を見たり、街の名物である馬型の飴細工を食べ比べたりしながら、にぎやかに買い物を楽しん。
「これ、甘い……けど美味しい!」
リュシエルが嬉しそうに頬を赤らめ、
「……歯にくっつく」
ミナがぼそっと呟き、セラが静かに笑った。
「こうしてみんなで歩くのも、いいものですね」
夜、宿〈星影亭〉に到着。夕食は煮込みスープ、焼き魚、香草パン、果実の盛り合わせ。店の隅では旅の吟遊詩人が演奏していた。
「この果実……もっとないかな」
ミナがぽつりと呟くと、リュシエルが「明日、まとめ買いする?」と微笑む。
別卓では王国南部の騎士団員らしき男たちが話しており、セラは旅の修道女から香の調合法を教わっていた。
「……においが似てる」
ミナは近くに座っていた別の獣人女性と、静かに目を合わせていた。
風呂は男女別。宿の浴室は石造りで、天井が高く、灯籠の明かりが湯気にゆらゆらと揺れていた。
女子風呂では、リュシエルが湯船の縁にもたれて、長い金髪をほどいて静かにため息をついた。
「ふぅ……極楽ってやつね」
旅の疲れがじわじわと抜けていくような心地よさに、目を細める。
セラは湯の端で背筋を正し、掌を合わせて静かに祈っていた。
「この温もりは、聖域の泉に似ています……心が澄んでいくようです」
ミナは浴槽の隅で尻尾をぴんと立てたまま湯に沈めていたが、やがてそっと手で毛並みを整え始めた。
「……尻尾まであったかい」
「ミナって、こういう時意外と丁寧よね」
リュシエルが茶化すように言うと、ミナは少しだけ頬をふくらませながら「必要なだけ」と返す。けれどその耳は、ほんの少し嬉しそうに動いていた。
静かで温かな湯の時間が、三人の間に柔らかな静寂をもたらしていた。
夜更け、宿の部屋に戻った翔也は、窓を少しだけ開けた。
外は静かで、街の灯もほとんど消えている。空に広がる星が、まるで手の届きそうなほど近くに感じられた。
しばらく何も言わずに夜風を感じていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……ずいぶん遠くまで来たな」
最初は右も左もわからなかった異世界で、今は仲間と共に旅をしている。
グリュンの力強い背中に何度も助けられた。
リュシエルの真っ直ぐな言葉に、支えられたこともあった。
ミナはいつも無言で気にかけてくれていた。
セラの穏やかな視線が、心を落ち着けてくれた。
「ひとりじゃ、ここまで来られなかったな……」
静かにそう呟いてから、翔也は空を見上げた。
「……ありがとう。明日、ちゃんとやるよ」
窓を閉めると、剣の柄に手を添えた。
決して、後ろは向かない。
仲間の信頼に、応えるために。