12話 夜の風になびくたてがみに誓う
夜。
すっかり訓練所の灯りも消え、あたりは静寂に包まれていた。焚き火の音すら届かぬ森の奥で、翔也はひとり、グリュンバルトのいる厩舎に足を運んでいた。
星空の下、鼻先を突き出したグリュンが、気配に気づいて軽く首を振る。
『遅いじゃないか。俺はずっと待っていたぞ、翔也』
「……ごめんごめん。みんな寝静まった頃合いかなって思ってさ」
翔也は笑いながら、グリュンの首筋を撫でる。
彼と出会ってから、わずか数週間。それでも、共に戦場を駆け、言葉を交わしてきた中で、翔也にとってグリュンバルトは“馬”ではなく、“相棒”そのものになっていた。
『今日は少し、お前とだけ話したかった。人間の前では言えんこともあるからな』
「お互いさまだよ。俺も、ちょっと……グリュンに聞いてほしいことがあってさ」
翔也は腰を下ろし、グリュンのそばに座る。
夜の匂い。藁の湿気。息遣い。
人間と馬、という種族の差を超えて、静かな時間が流れていく。
「俺さ、正直言うと……怖いんだよ。最近、みんなから『翔也なら大丈夫』って言われるたびに、自分がちゃんと応えられるのかって」
『……翔也。俺がお前を認めたのは、ただ乗りこなせるからではない』
グリュンの声は、穏やかで、それでいてどこか厳しかった。
『お前は、俺に“問いかけ”た。操ろうとせず、委ねるでもなく、共に在ろうとした。その心に、俺は応えたのだ』
「問いかけ……か」
翔也は思い返す。最初にグリュンに乗った日のこと。必死に声をかけ、無茶に頼らず、ただ彼の目を見て言葉を交わした。
『騎手とは、命を預け合う者。お前はまだ未熟だが、その心は……“騎士”のそれだった』
静かに、翔也の胸が熱くなる。
「ありがとう、グリュン。お前にそう言ってもらえるなら、もう少し自信持ってみようかな」
『ふん。今さらか。だが、そういうところが“お前らしさ”だ』
翔也は笑った。グリュンも鼻を鳴らす。
「なあ、グリュン。……ちょっと走ってみないか?」
『ああ。俺も、そう思っていた』
夜の厩舎を抜け出し、翔也はグリュンバルトにまたがる。鞍も無し、ただ背に乗るだけ。
草原に出た瞬間、星空の下で風が跳ねた。
『しっかり掴まっていろ、翔也!』
グリュンが地を蹴る。
風を裂く音。草を踏み鳴らす音。夜の静寂が弾け、ただひとつの影が草原を駆ける。
「うおおおっ……!!」
翔也の声が夜空に響く。
満月が見下ろす空の下、グリュンのたてがみが翔也の頬を撫でるように揺れた。
速さだけじゃない。リズムがある。鼓動がある。感情がある。
翔也は、全身で“生きている力”を感じていた。
(これが……お前の走りか、グリュン)
そして、草原の中央まで来たとき、グリュンが急停止した。
『ならば、今ここで“誓い”を立てろ。俺たちは、共に駆け、共に勝つ。そして……お前が信じる未来を、その背で導け』
翔也は、馬上から空を見上げる。
「誓う。俺はお前と共に、この世界で“最強の騎手”になる」
その瞬間、夜の空気が震えた。
グリュンのたてがみが風に舞い、まるで雷鳴のような蹄音が胸を打つ。
『よかろう、我が背に乗る者よ。翔也、その名を誇れ』
静かな誓いが、夜の空に響いていた。