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六話

「‥‥‥‥‥‥その結果、今の世界が存在している。東の山か南の海を越えた先には未踏の地が広がっているが、魔力の壁が進むことを阻んでいるらしい。まあ、帰ってきた者はいないから確証はないのだがな」

「へえ‥‥‥」

 若い頃のリンドルさんは世界中を旅していたらしく、夕暮れ時の馬車の中で、当時の経験を用いてもらって世界の勉強をしていた。

 勉強は好きだ。命を賭ける必要がないから。それにいつか役に立つ日がくるかもしれないと考えたら尚更。まだ理解が追いつかない話も多いけど。

「ふぅ、難しい話はここまでにしよう。ところで新しい住み家で気になったこと、知りたいことはあるか?」

「大したことじゃないですけど‥‥‥使用人の方の名前を教えてほしいです。大勢いましたし、関わることもあるかなって」

 話は変わって新たな環境の話、リンドルさんなりに気に掛けているのか、まだ一晩経っただけなのに意見を受け付ける。しかしまだ右も左も分からない状態で細かなことには目が付かないので、人を知る所から始めたい。

「使用人の名前だな。教えるのはいいが、全員となるとすぐには覚えきれないだろう。関わる機会が多いであろう者の紹介から始めようか」

 確かに、荷積みの時にいた人だけでもかなりの人数がいたし、料理だったりには専門の人がいる筈。それを一度に覚えるのはどう考えても無理があるので、断念するのが正解だ。

「じゃあそれでお願いします」

「うむ。まずは今朝の案内人役をした彼女の紹介から始めよう」

 そうしてリンドルさんによる使用人講座(?)が始まった。

「彼女の名はエスタ、実を言うとウチの使用人になってまだ三か月の新人だ。それまでは別の国で同じく使用人として働いていたが、不景気で解雇されたらしいな。まだ十七で貴様とも歳が近い故、話もある程度は合うだろう。だから‥‥‥」

「旦那様、野盗の集団が見えました。如何なさいますか?」

 御者のやけに落ち着いた声が話に割って入り、リンドルさんは小さな溜息を吐きながらも「止まれ」と指示する。

「覚悟はいいな?外に出るぞ」

「はい」

 後を付けて外に出ると、右前方の平地から人の影が向かってきているのが見えた。

「お前‥‥‥わざとやったな?」

「若いうちは自力で人間関係を作るもの。大人になってから手助けが無くなって困るのは本人ですよ?」

 リンドルさんは呑気に御者と話しているが、そんな間にも野党の影は迫ってきて、十数人はいるのが確認出来る距離まで来ていた。

「うむ、人数はおおよそ報告通りだな。せっかくだから一対多の戦い方の見本を見せよう」

「‥‥‥死なないで下さいね」

 昨晩の出来事でこの人の強さは重々承知している。けれども万が一の可能性を考えて、念のため祈っておく。

「任せなさい」

 一言だけ残し、細剣を抜いたリンドルさんは敵の方に数歩出る。

「見本と言ってもやることは昨晩狼を相手した時と同じだ。敵が多いならその分大きな一発で全員仕留めればいい。こうしてな」

 そう言いながらあと僅かな距離まで迫っていた盗賊の集団に向かって剣を軽く一振り。すると目の前の男達が腹から上下に割れ、地面に転がる。血が流れていないのは、傷口が氷で塞がれていたからだ。

「どうだ?簡単だろう?」

「簡単って‥‥‥」

 分からなかった。血が流れていないおかげで見た目の醜悪さは緩和されているが、仮にも大量の人間を殺した筈。なのにどうして顔色一つ変えずに淡々とそんな言葉が出てくるのか分からなかった。それは怒りのような感情ではなく、ただ単純にその精神力の強さの理由への疑問としての話だ。

「‥‥‥うぅ、ぐあぁ‥‥‥‥‥‥」

 唖然としていると、かつて盗賊達だった死体の海の中から痛みに悶えるようなうめき声が聞こえてきた。

 一人逃げ出そうと這いつくばっているその男は太ももに凍っており、切断されてはいないが凍っていなければ出血多量で死んでもおかしくない大傷を負っていた。

「む、仕留め損ねた者がいたか」

「ひいっ!?い、命だけは勘弁してくれ!」

 リンドルさんもそれに気付いてトドメを入れに接近すると、振り返った男は恐怖で顔を歪めながら両手を上げて命乞いをし始めた。

「殺しにかかってきておいて情けない。リグ、今じゃなくてもいずれ経験することだが‥‥‥やるか?」

「‥‥‥え?殺人を‥‥‥ですか?」

「そうだ。しっかり首を狙って一振りだ。この先も使う剣の最初の犠牲が人間なのは縁起が悪いだろうから、私の剣を使いなさい」

 リンドルさんはそう言って自身の細剣を俺に握らせた。

(やるかどうかの選択権も渡されている。ここでリンドルさんに剣を返せばリンドルさんがトドメを刺してくれる。けど‥‥‥)

 ここに来る前に覚悟を決めてきたのに、全部リンドルさんに任せて見ているだけで良いのだろうか。それにさっき言われたように、いずれ経験することなのであれば、相手が抵抗出来ない今この好機を利用するべきだ。

「無理する必要はない。今でなくとも、機会はある」

「‥‥‥やります」

 リンドルさんの言うことだ。きっと本当にこれから人を斬る必要に駆られる時がくるのだろう。なら相手が限りなく無抵抗な今、経験しておくべきだ。そうと決まれば剣の柄を強く握り締め、男に一歩踏み寄る。

(やると言ったらやる。ここでもう一回覚悟を決めろ‥‥‥!)

 やけに重い腕を持ち上げ、耳から飛び出そうな程の心臓の鼓動を我慢して大きく振りかぶる。

「まっ、待ってくれ!家族がいるんだ!嫁と娘が!」

「‥‥‥え?」

「俺が養わないといけないんだ。でも内乱で仕事が無いから、盗賊でもしないと全員野垂れ死ぬことに

なるんだよ!」

 男の必死の訴えは、事実であれば同情で納得してしまう内容だった。けれども本当に家族がいるのか分からない現状、悪事を働いたのなら首を落とすべきなんだと思う。

 けれども体が動かない。本当に殺して良いのか、罪を償う機会を与えるべきなんじゃないのかと、心の奥で疑問を持っている自分がいた。

 次第に剣を持つ腕が震えてくる。歯を食いしばっても力が入らず、早く斬ろうとすると息が出来なくなって腕を振れない。

(‥‥‥駄目だ。俺には殺せない。家族がいる人を殺すなんて残酷過ぎる)

 この人と同じように自分にも家族がいるし、きっともう二度と会えないだろうと分かっているからこそ、家族を失う側の気持ちが分かる。その上で、目の前の無抵抗な誰かの父親の首に刃を通すような真似は出来ない。

「リグ‥‥‥斬れないのなら返していい。今日ではなかっただけの話だ」

(‥‥‥今日じゃなくてもいいんだ。もっと残酷な人間が相手の時に剣を振ろう)

 そう自分に言い聞かせ、剣を返すべく腕を降ろすと、意識が頭の中から引き戻されて視界が鮮明になり、男と目が合う。その目線は先程までの恐怖ではなく怨念がこもっていて‥‥‥。

「っ!?うぐっ」

 どこに隠していたのか、いつの間にか握られていたナイフが腹の中心に突き立てられる。

「はははっ、どうせ殺されるんだ。ならお前だけでも道連れに‥‥‥!」

 男は狂気的な笑みで顔を歪めていて、先程とは別人のようだった。そのせいかおかげか、危険を感じた体が反射的に剣を持った腕を強く振らせ、刃が男の胴体を切り裂いた。

「うっ‥‥‥ゴホッ!」

「まだだ!首を落とせ!」

 後ろからリンドルさんの指示が耳を貫く。目の前の男も血を吐きながら口を動かしているが、何を言っているのか観測することなく、思考より先に動く腕が首を捉えた。

 よく手入れされている剣はよく斬れる。生き物を斬れば当たり前に返り血が飛ぶ。そしてそれ同様、当たり前に血には匂いがする。鼻にこびりつく、不快な匂いが。

「はぁっ、はぁ‥‥‥うぷ‥‥‥」

 心臓の音がとんでもなく大きい。呼吸が安定しない。吐き気がする。体が人を斬った代償を払おうとしているかのようだ。

「リグ、大丈夫か?」

「‥‥‥大丈夫です、ちょっと匂いがきつくて‥‥‥」

「違う、初めて人を斬ったのだ。最悪の気分だろう?」

 どうやら、リンドルさんにはお見通しらしい。指摘された通りながらも文章にできない不快な感覚に、頷く他なかった。

「そうだろうな。身の上話が始まる前に決心がついていれば、まだマシだっただろうが」

 あの命乞いのことだ。あれを聞いた後だからこそ、こんなにも頭の中が滅茶苦茶なのだと、リンドルさんは話す。それも、おおむね同意出来た。

「これから己が殺す者の人生程、聞いていて気の悪い話はない。そこに殺さない理由が発生していまうからな」

「‥‥‥理由があるなら、殺さなくてもいいんじゃないんですか?少なくともこの人には、一度機会をあげるべきだったんじゃないかと思いました」

 きっとそんな簡単なことじゃないというのは分かっている。けれども、もし別の手段があったのなら、この人はもう一度家族に会えたんじゃないか。その可能性を考えてしまった以上、心の中に秘めておくことはできなかった。

「そうだろうな。更生する可能性は大いにあった。特に家族持ちともなればな」

「じゃあやっぱり殺さなくても」

「それはその男、そしてその男が所属していた盗賊が人を殺していなければの話だ。襲われた行商隊から死者を伴う被害報告が届いた時点で、残念ながら生かす選択肢はない」

 犯した罪には同等の罰を与える。そう考えればこれは妥当なのだろう。その考え方が妥当だとは思わないが。

「不満があるのは理解する。この考えが絶対に合っているとも思わない。だが、他の者の人生を奪った者に続きがあるというのは、奪われた者が報われないだろう?」

「‥‥‥そうですね」

 リンドルさんの言い分は一理ある。罪の無い人を殺めておいて自分はのうのうと生きているなんて、おかしな話だと思う。

 でも、それを理由に刃を振るうのは違うとも思う。死んだ人が報われるかどうかなんて、本人にしか分からない筈だ。もしかしたら、生きて罪を償ってほしいと願う人もいるかもしれない。

「分かってくれはしたようだな。しかし、無条件で我慢しろとは言わない。そうだな‥‥‥手合わせで私に勝てば、次の仕事からの殺生は貴様に判断を任せよう。如何なる時も決定権を持つのは強者ゆえ、喜んで差し出そう」

「そんなことしなくても、勝てないのは分かっているので、我慢しますよ」

 そうは言ったものの実のところ、魔法が使えるなら勝ち筋はある。だけどもリンドルさんのような全力で掛からないと勝ち目の無い人を相手するとなると、魔法を加減する余裕がない。一歩間違えれば殺してしまうだろう。悪人を生かしたいがために悪人を裁いてきた人を討ってしまえば、それは自分こそが悪人だ。

「私も今の貴様が勝てるとは思っていない。正直、貴様の魔法に興味があるのだ。だから遠慮なく打ち込んでこい」

「いや、そうは言われても‥‥‥」

「私が死ぬと思っているのなら心配無用、貴様が思うより私は強いからな」

「‥‥‥場所を変えましょう。ここで戦いたくはありません」

 これ以上何か言ったところで引き下がってくれる未来は見えない。だったらいっそ思い切って、全力で手合わせした方が得るものも多いだろう。命の危険に関しては、リンドルさんの強さを信じる事にした。

 足元が屍だらけなのは気分が悪いので場所を変えて、より馬車から離れた平野のど真ん中で剣を構える。

「あ、そういえば剣は‥‥‥」

「真剣で構わない。どちらにせよ傷一つ付けられないし、傷一つ付けないと保証しよう」

 そこまで躊躇いなく自信満々に言われると流石に腹が立つのだが。

「さあ、かかってきなさい」

「‥‥‥いきます!」

 かくして真剣を使った、本来であれば命懸けの手合わせが始まった。リグはリンドルが細剣を構えたのを見てから、深く振りかぶって両手の剣に魔力を込め、放出と同時に横に振り抜く。

 斜めに描かれた二本の剣筋に沿って黒紫の軌跡が現れ、生身で受けたらただでは済まない威力を含みながら高速でリンドルに襲い掛かる。

「なるほど‥‥‥やはり素晴らしい威力だ」

 リンドルを以てしても賞賛せざるを得なかった。それほどにこの一撃からは先天性の才能が溢れ出ていた。

 しかし戦闘中に言葉が出ると言うことはそれだけの余裕があると言うことの証左でもある。リンドルが剣に魔力を乗せて垂直に振り払うと、リグの攻撃は小さな氷の粒となって霧散する。

 しかしリグはそこまで予想通りと言わんばかりに、音も無く足元まで迫っており、勢いのままに左脇腹めがけて刃を走らせる。リンドルは振り抜いていた剣を正確に操ってその攻撃を止めるが、その一瞬の隙にリグの左手の剣が腹部を標的に直線を引く。

「惜しいな」

 剣が突き刺さる直前、肌と刃先の間に薄い氷の膜が現れた。その反応速度も十分おかしいのだが、それ以上に氷が硬過ぎる。まるで石を殴っているような衝撃に手が痺れる。

 しかし怯んでいる暇も無く、次はリンドルの剣が首へと弧を描いて飛んでくる。

 リグは即座に剣を入れて防御する。しかしそちらに意識が集中している間に、リンドルは剣を持たない左手でリグの肩を掴んで口を開いた。

「今、私が魔法を使えば貴様は氷漬けになる。それが何を意味するかは分かるな?」

「‥‥‥はい、参りました」

 敗北を悟り、両手の剣を手放した。

 内容以上に完敗だっただろう。リンドルさんは喋りながら戦ってたのに、一瞬の意識の隙を正確に掴んで勝負を決めた。しかも剣を囮にした、不意を突く大胆な戦略だ。

(こんなにも差があったなんて‥‥‥そりゃ真剣でも問題ないよな)

 負けは負け、それは認めるが圧倒的な結果に少し自信を失くしてしまいそうになる。

「しかしながら良い才能を持っているな。剣も魔法も同じくらいの頃の私とは比べ物にならない。本格的な成長期を迎えれば一気に伸びるだろう」

 リンドルさん目線ではかなり高評価なようで、結構褒められてむず痒い。

「では戻るぞ。帰りにはこれからのことを話そう」

「これからのこと‥‥‥昨日話した筈ですけど‥‥‥」

「そうだが、それに加えてだ。少々、貴様を本気で鍛えたい欲が出てきてな。勿論、貴様が嫌なら断っても問題ない」

 そう言うリンドルさんの表情はどことなく楽しそうに見えなくもない。

「‥‥‥内容を聞いてから決めます」

「それで良い。帰ろうか」

「あ、死体はどうするんですか?」

「あいつが土魔法で埋めているだろうな」

 あいつとは多分、あの仲の良さそうな御者のことだ。それは別に誰でもいいが、埋葬されているのなら他の人が見ることはないと安心できた。

 もう空は暗い。帰った頃には朝になっているのではないかと考えると、最近の生活が心配になる。

(まあちょっと寝なかったところで、死にはしない)

 それだけで十分である。人を殺したからこそ、強くそう感じた。

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