四話
(冷えるし湿気ってる。嫌な場所だな)
水気の多い冷風を受けながら心の中で愚痴を呟く。後ろを向けば外の光が見えるが、見えるだけで弱いそれは周りを照らしてはくれない。
仮証明を受け取ったり魔石の換金をしたりと、あの酒臭い溜まり場で出来ることは終わらせてきた。そして今いるのはレニー近郊、かなり昔に掘り尽くされたらしい薄暗い地下坑道の中。どういう訳か魔力が濃くなり、魔物が頻繁に出現するようになったここは、冒険者もたまに来る狩場らしい。
(面白いな。外の光なんて一切入ってないのに、ほんのり明るい)
奥に進みながら、水の滴る剝き出しの岩肌を眺めて何の気もなしにそう思う。
なぜ外光もない中で周囲が見えるかというと、坑内の濃い魔力が極小の光を生成しているからだという。そして奥に行けば行くだけ魔力が濃くなり、確かに周りも明るくなってきてより遠くが見えてくる。
(まあそれはいいとして、あの組合長?とかいう爺さんに勝つために、少しでもこいつについて知らないと)
そう思いながら開いた掌に紫色の靄を纏わせてみる。これまで使っていて分かる通り、自分に害はなさないようだ。これが火魔法とかになると自身の炎で火傷する事もあるらしいが。
(もう一つは素の剣術だけども‥‥‥一日で向上するようなものでもないし、地道にやるしかないな。丁度良く相手もいるし)
ギリギリ見える距離で、一匹のフクロウが天井に張り付いている。魔力を帯びているのを感じ取れるので魔物の一種だろう。
吸収作用を利用して無音で飛び掛かり斬りつけるが、鈍い金属音が響いてナイフの方が折れた。
(硬っ!でも少しは傷付けた筈‥‥‥)
両手の痺れを堪えながら振り向くと、どういう訳かフクロウは何の反応も示さず同じ位置でぶら下がっている。恐らく傷も与えれていないだろう。
(いや、硬過ぎだろ!‥‥‥あれをやるしかないな)
魔法は体力を消耗するので本当は素の力で倒したいのだが、これを相手に単純な物理攻撃は無理だと悟る。ならばと使い物にならないであろう折れたナイフを振りかぶり、魔力を集中させて狙いを定める。
「‥‥‥ッ!、ギュアアアアアアッ!」
殺気に気が付いたのか、ここまで微動だにしなかったフクロウが雄叫びを上げながら慌てて突っ込んできた。もう遅いが。
(よーく狙って、ここ!)
ナイフを思い切り振ると、紫紺の刃が三日月状に飛び出てフクロウに直撃した。羽根が舞い乱れて、カランカランと音を立てて地面に落ちると共に砂のように消えていく。そして最後には、茶色の魔石だけが残った。
(土魔法の魔石って事は、あれが岩フクロウか。確かに本で読んだ特徴と同じだ)
岩フクロウ、その名の通り岩で作られた装甲を持ち、魔物の中でも群を抜いて硬い魔物。単純な物理攻撃、特に打撃にはめっぽう強く、鉄の剣が折れる硬度と言われている。
(魔法は普通に効くとは聞いてたけど‥‥‥まさか一撃で墜とせるとは)
これまで対峙してきた鴉や狼は魔物の中でもかなり柔らかい部類だったので感じにくかったが、岩で作られたフクロウを一発で粉々にするとはやっぱり殺傷能力の高い魔法だ。おおよそ人相手に使って良いものではないだろうと実感した。
(まあ、効率的ではあるな。魔石がこの大きさじゃ大した額にはならないし、つまりはそれだけ沢山狩らないといけない訳で)
手に取った魔石は森狼のそれより一回り小さく、認定試験後に換金した時の感覚で言うと大銅貨二、三枚くらいになるだろうか。食費や宿代を考えると一日の生活費は小銀貨二枚弱なので最低でも七匹は狩らないといけないのだが、一般的な魔法だと相性にもよるが四、五発は必要になると言われている。
その点闇魔法は一匹あたり一発で狩れるので、相手を殺すという意思の下で扱うとこの上なく強力だと言える。
(取り敢えずまあ、もう三匹くらい狩って、今日のところは帰ろう)
今朝手に入った金額的には二日は狩らなくても大丈夫ではあるので、明日の事も考え早めに切り上げるつもりで獲物を探す。
(一匹出た訳だし、この先からが本番だろうな)
魔物は種類にもよるが、元が動物なので大抵は集団行動をしているという。他の説では出現場所が決まっているから群れに見えるだけとも言われているが、いずれにせよ見つけたら他にもいると考えた方が良いらしい。
(狭い道なら大勢から同時に攻撃される事はないだろうけど‥‥‥ずっとそんな道が続いている訳がないんだよな)
そんなことを思いながらたまに遭遇する岩フクロウを墜として進み、案の定広い空間に当たったので足を止める。その先はここまでの道からは考えられない程巨大な空洞になっており、魔力が一際濃いため全体が見渡せる。そしてその中でも所々に一際光る存在が見えた。
(ここの鉱石は何十年も前に掘り尽くされた筈。それに加えて魔力を感じるって事は‥‥‥まさか魔石なのか?)
鉱石類は基本的に魔力を持たないのでそうとしか考えられない。だがそんな話は聞いたことがなく、控えめに首を傾げる。と言うのも魔石は魔物の体内で魔力が凝縮されて作られる物だとされているので、魔石単体では発生しないと思われているのだ。
もしあれが自然形成された魔石だとすれば、とんでもない大発見だろう。すぐに確認したい気持ちはあるが、まずは周囲を見渡してみる。こんな物がこれまで発見されなかったとは考えにくく、であれば発見できても持ち帰れなかった可能性が高い。
(魔物の姿は見えない。足場は悪いけどそこまで問題じゃない程度、崩落するようにも見えないし‥‥‥本当に今まで発見されてなかっただけなのかな?)
警戒は続けながらも、道無き道を進んで魔石だと思われる石の目の前まで辿り着く。
色は僅かに白く濁っているくらいで、ほぼ無色透明。よく確認すると周囲の魔力を少しずつ吸収しているような、なおかつ吐き出しているような感じがする。
(これじゃあ何の魔石か分かんないな‥‥‥使ってみるか)
属性に応じた魔法が発動する筈なので、早速露出している部分に触れて魔力を流し込む。
(おぉ、色が変わって‥‥‥)
白だった魔石は触れた場所から絵具を水槽に落としたように薄紫が広がり、白を侵食していく。
(‥‥‥これ以上は魔力が枯渇して危ないし、辞めておこう)
体に大きな影響を及ぼさない程度とは言ってもかなりの魔力を注いだのだが、薄紫より濃くなる事はなく、特に魔法が発動される事もなかった。
(結局、分からなかったな。明日もあるし、今日のところは一旦帰ろうかな。魔力不足だし、少し休憩してから動き出そう)
魔力は劇薬のようなもので、限界値を見極めて消費しないと気を失ったり、最悪死ぬ場合もあるらしい。なので先程も少しだるくなる程度の消費に抑えていて全然余裕ではあるのだが、念のため少し回復してから引き上げる事にする。
『‥‥‥カランッ』
「ん?‥‥‥わっ!?」
背後で小石の落ちる音がして振り返ると、手が届くくらいの至近距離に白い塊が飛び込んできていた。
後ろを見る際に体ごと動かしていたのが功を奏してギリギリ当たらず、塊は魔石にぶつかって爆風を周囲にばら撒く。
(魔物!?なんで全然気付けなかったんだ!?)
物音が全くしなかったというのはある。けれども今までは魔物における絶対的な要因があって気付けていた。しかし今回はその絶対的要因‥‥‥魔力を視認するまで感じ取れなかった。
(そうか、空気中の魔力が濃過ぎて同化していたんだ。まさか魔物の放出する魔力を感知出来ない程の濃度だったなんて‥‥‥)
魔物は魔力で作られているため、例外なく濃い魔力を周辺に垂れ流している。いつもはそれを感じ取って魔物を見つけるのだが、それが裏目に出た形だった。
なんて考えている内に土煙が晴れ、白い事だけ分かっている魔物の全貌が現れる。
(狼‥‥‥だとは思えないな)
今まで見てきた同種の魔物とは一線を画す何かを感じて、突撃に対応出来るよう距離を取りながら観察を続ける。
眩しいくらいに白い毛、飢えた肉食獣らしい殺気立った眼光、そして今まで見てきた相手とは一回りも二回りも大きく、強烈な威圧感を放っている。
(他に魔物は‥‥‥)
ふと周囲に警戒を移した瞬間、狼がその巨躯に相応しくない速度で突撃してくる。
「うおっ!」
注意が逸れていたとはいえ視界に入っていたので、間一髪で体を捻って直線上から外れる。すると狼の胴体がどうぞ切ってくださいと言わんばかりに、目の前にゆっくりと現れた。
(いける‥‥‥!)
突然転がってきたチャンスをモノにするべく、その横っ腹にナイフを振り下ろす。
「‥‥‥は?」
振り抜いた刃が空を切った瞬間、思わず困惑の声が漏れた。
折れて刃毀れも酷いナイフとはいえ、確実に直撃する軌道を描いていた。けれど現実では傷どころか狼の白い毛に触れる事も無く、通過した後だった。これで反応するなと言うのは無理があるだろう。
しかしその僅かな反応が、その動揺が大きな隙を作った。狼は前脚を軸に巨体を回すと、一周して戻ってきた横っ腹に圧倒的な質量と風圧を乗せてぶつけてきた。
「うぐっ!」
対応出来ずに正面から受け止めるが、あまりの重さに後ろの硬い壁まで吹き飛ばされた。壁に衝突する直前に魔力で背中を覆ったものの、受け身を取れなかったのも相まって衝撃のほとんどを直に貰った。
「がはっ‥‥‥げほっ、げほっ」
咳き込むと口から血が飛び出て、上手く呼吸が出来ない。だがその分呼吸する度に咳が勝手に出て更に血を吐き出す。
何箇所か折っているのか、身体中が死ぬほど痛い。意識を保っているのが不思議なくらいだ。
(‥‥‥だめだ。勝てる気がしない)
こっちは一撃で立ち上がれない程に満身創痍だというのに、対峙する白狼は未だ乱れ一つない獣毛を靡かせながらゆっくりと近付いてくる。
漂ってくる強者の余裕。生まれて初めて、圧倒的実力差を感じる。
ここまで勝ち目が見えないとなると、足掻く気力すらも削がれていって、かろうじて握っていたナイフも手からすり抜けた。
(‥‥‥この魔法の存在を知ってから、良い事なんて一つもなかったな。真面目に信仰していたつもりだったのに、こいつのせいで敵と見なされて、生きるために村を出ていく事になって、独りになって‥‥‥それでも結局、少し延命した程度か)
その魔法も、もう力になってはくれない。完全に諦めて、薄れていく意識の中で短い一生を振り返ってみる。
(‥‥‥はぁ、あーあ、なんで俺ばっかりこんな目に遭うんだよ。ああもう、俺はただ普通に生きていければそれで良かったのに!全部!あいつらのせいで全部失った!なんで俺なんだよ!)
少しでも穏やかに死のうと、目の前の光景から目を逸らすように記憶を掘り出してみるが、そんな気持ちとは裏腹に抑えられない怒りが溢れ出てくる。
死を受け入れた筈なのに、頭の中では怨嗟や憤怒がぐるぐる回っている。それがまだ抗おうとする意思だという事は、心の奥底では分かっていた。だが冷静に現状を理解している自分はとっくに生きる事を諦めていて、同じ体同じ頭なのに答えを出せずに対立している。
そして制限時間は待ってくれない。もうそろそろ、白狼が手の届く距離に来る。
「あぁ‥‥‥どう転んでも、助かりはしないだろうな。だったらせめて‥‥‥お前だけでも‥‥‥!」
死ぬにしても、せめて自分を殺す相手に傷一つは付けたかった。いつか治るとしても、それはリグという一人の哀れな人間が生きていた数少ない爪痕になる気がした。そんな小さな自尊心を最後に満たすために、重痛い右腕を上げて掌を向ける。
後なんてないのだからと割り切って、身体中の魔力を集中させると、紫色に鈍く光る拳程度の塊が現れる。
「‥‥‥!、グルルルル!」
動物的本能からか白狼はバックステップを踏んで、回避可能な距離から喉を鳴らして威嚇してくる。
(まだ弱い。もっと魔力を密集させろ。あの図体を貫通するくらいの一撃を)
執念が繋ぎ合わせている集中力の下、魔力の塊はより濃く、鋭く輝くのに比例して指先程にまで小さくなる。
後は狙って飛ばすだけ‥‥‥なのだが、霞んで焦点の合わない視界が心臓に合わせて更に大きく揺れる。加えて何だか寒くて、手が震えるせいで止まっている対象にも関わらず中心に置けない。
(くそっ、こんなんじゃまともに当てられない。もっとよく狙って‥‥‥)
しかし体が思ったように動かず、腕も気を張っていないと下に垂れていく。
「‥‥‥‥‥‥あ」
ふとした瞬間だった。張り詰めた糸が切れたように、急激に意識が遠のいて、体から力が抜けていく。
練り込まれていた塊は空気中に霧散し、跡形もなく消え去っていった。白狼を止める唯一の術が無くなった。
(あぁ、これが限界か‥‥‥短い人生だったな)
他にも色々と思い出したい事があったが、意識は待ったなしで遠くに離れていく。やがて閉じたまぶたの裏は白に包まれ、後はよく分からない。