一話
暖かい木漏れ日、小鳥の囀り、周囲に人が住んでいる形跡も無く、様々な生き物が自然を形成している、森林地帯のど真ん中。少し開けた場所に一羽の真っ白な兎が出てきた。
昨晩からかなりの距離を移動して空腹なため、獲物は当然狩る。闇魔法で足音と気配を消し、木の上から獲物めがけて飛び降り、ナイフで首を落とす。
「よし、これで食べ物確保。そしたら次は火を起こしたいけど……」
生憎火を起こす道具までは持ち合わせておらず、闇魔法の火を使おうにもそれで焼いた肉が食べられるかは怪しい。
(都合良く火炎系統の魔物がいたら良かったんだけどなあ)
魔物は空気中の魔力によって偶発的に発生する生物で、倒せばその魔物の特性に応じた魔石が手に入る。
魔石は魔力を込めれば誰でも利用可能で、今求めている火炎系の魔物もとい、火の魔石なら名前の通り火を起こせる。
しかし現実はそこまで甘くなく、姿が無ければ気配もしない。諦めて使えそうな木の枝を探すことにした。
(この枝は使える。これも使える。後は火口になる物があればいいんだけど……)
火口になるのは細い枯草などだが、春のど真ん中のような今の時期にそんな物があるとは思えない。
それでも食事の為には探さないといけない。どこかに良い素材はないかと、一旦周囲を見回す。
(ん?あれは……鳥の巣か。……いや、もしかしたら使えるかも?)
鳥の巣と言えば俺の知っている限りだと枯葉枯草に始まり、羽毛獣毛と様々な可燃物で構成されている。つまり、火起こしに使えるという事だ。
そうと決まれば採取する必要がある。そこそこに高い場所にあるが、狩りで山に潜っていた身からすれば大した高さではない。仮に落っこちたとしても、闇魔法なら衝撃を吸収したりも出来るので怪我の心配もない。
軽快な動作で木に登り、住処にしていた鳥には申し訳無いが、これも生きる為なので容赦無く奪わせてもらう。
これで物は揃ったので次は火を起こす為、事前に見つけていた湖の畔で材料を広げる。木の枝や切れ端をナイフで火起こしが出来る形に加工すれば、後はひたすら摩擦を起こしまくるだけだ。
加工して作った板に枝先を押し付け、高速で回転させる。
「…………っぷはぁ。よし、これだけあれば大丈夫だろ」
数分後、無自覚に息が止まるほど集中して枝を回し続けた結果、かなりの量の火種が溜まった。それを鳥の巣を一度バラバラにして作った火口に投入して、息を吹きかける。
「ふー、ふー……熱っ」
予想以上に早く火が点いたかと思うと、手の方まであっと言う間に火が回った。熱さのあまり手を放してしまったものの、焚き木に放り込めたので問題無い。
(今の内に兎の解体でもしておこう)
枝を探したりしながら血抜きは終えたので、またまたナイフを使って皮を剥ぎ、肉を一口程度に切り分ける。それを枝から作った串に刺して、焼く準備は整った。
焚き木の方も薪に引火したので、ローブの裾で風を送って火を全体に行き渡らせる。そして火が大きくなったところで、肉が刺さった串を麓に立てる。
念入りにナイフを洗って戻ってきたら勝手に焼けていて、香ばしい匂いがする串を慎重に取る。
「それじゃあ、あむっ、熱っ……」
焼きたてを冷まさず口に入れたのは失敗だったが、食事をしていると強く実感した。味付けは一切無いものの、空腹なおかげで充分美味しい。
(国境地帯までは最短でも二十日は掛かるし、この調子で毎日一食は栄養価の高いものが欲しいな)
現実はそう上手くいかないだろうが目標は立てておくべきなので、一日一食で二十日での到達を目指す事にした。
「……ふぅ、ご馳走様でした」
しばらく黙々と食べ続けて、肉の付いた串が無くなった。もう一晩は眠らなくても大丈夫なくらいには精神力を残しているので、少し腹を休めたらすぐに移動できるよう湖の水でナイフを洗っておく。
(うーん……やっぱり山小屋の使い古したナイフじゃ刃こぼれが酷いな。本当は鹿とかの大型動物を狩りたいけど、厳しいかなぁ……)
狩るだけなら可能ではある。が、その後の解体などの作業を含めるといささか不安が残る。大型は消費出来なかった分を持ち運ぶ事も加味すると、やはり現実的に小動物を狙う方が良いと思われる。
そんな事を考えていると、背後の森から木が揺れる音が聞こえ、風のように全体的じゃなかった事から生き物の存在を感じ取る。今のところ姿は見えないが、奇襲を警戒して丁度洗い終わったナイフを構えて待つ。
(……ん?風?)
沈黙の中で、頬を薙ぐような微風が流れた。それに強烈な違和感を感じて、注意が僅かに逸れる。
その一瞬の隙を待っていたかのように、森の中から黒い物体が高速で突っ込んできた。
「ぐっ……」
かろうじて腕の動きが間に合い、ナイフの背で攻撃を弾く。そして頭上高くまで飛ばされた物体は空中で停止し、遂に姿を現した。
(風切り鴉……嫌な相手だな)
真っ黒な見た目と子供一人分はありそうな翌全長から、そう呼ばれる鳥型の魔物だと断定する。
風切り鴉は基本的に突進以外の攻撃手段を持っていないため、討伐難易度もそこまで高くないと言われている。しかし、高い強度を誇るそのクチバシが刺されば大怪我になりかねないので、油断が許される相手でもない。
加えて矢が当たらない程度には素早く、基本的に上空を飛んで突進してくる時に限って地面と水平に飛んでくる。故にカウンターの選択を強いられるため、相性は悪い。
(まあ落ち着け。こういう時のために六年間費やしてきたんだろ)
その努力の答えをここで出すんだと思うと、冷静の中でも妙にワクワクしてきた。
軽く息を吐いて無駄な力を抜き、遠くで高度を落としている風切り鴉に対して真正面を向く。突進を始めたら方向を殆ど変えられない弱点を利用する事で、初動の進路を確定させる。
いよいよ高速での接近を始めたタイミングで、右手のナイフの腹を上にした状態で、真っ直ぐ前に出して風切り鴉との距離を測る。
緊張が走る中、およそ五歩分の距離に来たところで左足を引き、突進の命中コースから身を外す。そして素早くナイフを逆手持ちに握り変え、風切り鴉の背中に突き刺した。
大量の黒い羽が舞い、風切り鴉は勢いのまま奥まで行って地面に落ちた。
再び飛ぶ気配がないので止めを刺しに近付くと、その途中で砂のように散り、風の魔石だけを残して消えた。恐らくナイフに通した魔力が原因だろう。
風の魔石は緑色で、魔力を通せば風魔法を使う事が出来る。ちなみに適性が闇魔法でも、魔石を介せばそれに応じた普通の魔法が使えた。
(鴉系の魔石は以外と大きいんだな。でも風はなぁ……)
十二歳の握り拳サイズの、使い切りなら小さな突風も起こせそうな大きさをしている魔石だが、風魔法というのは低評価だった。
残念な話、風の魔石は一番役に立たないと言われている。それは魔石の使い道という観点が故のどうしようもない事実だった。
魔石にはどれだけ大きなものでも回数や威力に制限があるため、戦闘ではなく日常生活の補助で使われるのが一般的だ。その上で火や水なら料理に、土なら家庭菜園で活用されるが、風は髪か洗濯物を少し早く乾かす程度で、需要が他の三つに比べて少な過ぎるのだ。その分殺傷能力は高いのだが、魔石という威力も回数も制限された消耗品を戦闘で使う事は少ない。
結果、戦闘面も日常面も使いづらいので、役に立たないと言われても反論出来ない代物となってしまった。
(……まあ、どこかで使うだろ……追い風を吹かせて少し速く移動するとか)
そんな使い方するとは自分でも思えないが、取り敢えず拾っておく理由とした。
(さて、もう特に用は無いな。先を急ぐか)
ナイフに付いた血を洗い流した後、やり残した事が無いのを確認してから再び南に進み始めた。
◇
夜になり、日中より更に森の奥に来たからか、動物を見る頻度が増えた。ちなみにそれは魔物にも言える事で、少し開けた場所で寝ている森狼の群れの中を現在進行形で通過している。
三十匹はいるため、起こすと確実に体力を消費する。魔石で腹は膨れないから不本意な戦闘は避けたいのだ。
(ていうか、いくら万全の状態での闇魔法でもこの数を相手にするのは無理な気がするな……)
現にその魔法で音を消しているので不意打ち出来る状況におり、まだ底が知れない魔法とはいえ、三十の魔物の群れを葬る出力の攻撃は無いように思える。
そんな事を考えていたら、ここじゃないどこかから狼の遠吠えが響き渡る。まだ森狼の群れから抜け出すには距離がある中でこれはまずい。
そんな予想通りに数体が目を覚ますが魔物とはいえ動物なので、脳が起きてないのかまだ動きが緩慢で隙が多い。
(くそ、やるしかないな)
逃げるのは不可能だと判断して、起きている中で一番近くの個体に先制攻撃を仕掛ける。
「ギャウンッ!」
低い姿勢から魔力を込めたナイフで腹に切り傷を入れると、流石に意識も覚醒して苦痛の鳴き声を出した。そしてそこから一歩も動かず、衰弱しきると茶色い魔石を残して黒い砂になり消えていく。
それを横目にもう一匹、更にもう一匹と止まる事なく切っていくと、いつの間にか群れは半分程までに減っていた。
しかし抵抗する余地もなく殲滅とは流石にいかず、端で体を起こそうとしていた一匹を殺して振り向くと、唸り声を上げながら睨んでくる個体が現れ始めていた。
(……一発大きいのを入れるべきだな)
一匹ずつ相手する時間は終わった。残りを確実に仕留めるために、膝を突き地面に手を添える。
本来なら頭が良いので対象の逃げ道を塞いで全方向から襲うのだが、仲間をやられて怒り心頭の森狼はそんな事お構いなしに真正面から突撃してきた。
(引き付けて引き付けて……今!)
突っ込んできているのは五匹、一番近いのがこちらの頭を狙って跳躍した瞬間、その真下で地割れが発生して、そこから木の根が意思を持ったように飛び出してその腹を貫いた。
予兆のない事態に残りの四匹はブレーキを掛けたがもう遅く、最初の地点から扇状に広がる地割れに先程同様串刺しにされていった。最後にはいつも通り消えていき、いつも通り魔石が残った。
ぐちゃぐちゃになった目の前の景色を眺めてみると、まだいた筈の森狼が姿を消していた。
(……逃げたか)
物音も気配も無いのでもう近くにはいないだろうと判断して、魔石拾いに移る。
森狼は土魔法の魔石を落とす。今回の戦闘では見られなかったが、本来なら木々を巧みに使って立体的に戦うので苦戦する。加えて普通の狼との違いが魔力の有無だけで、外見的差異が無いので魔法を使い慣れて魔力をやんわり感じ取れないと判断出来ない。
しかし裏を返せば、魔力があって木登りが上手いだけで普通の狼と大して変わらない。そのため今回のように不意打ちが決まれば比較的楽な相手でもあった。
「……ふぅ、疲れた」
魔法を使えば精神力が擦り減る。加えて昨晩からほとんどの時間を移動に費やしているので体力も限界に近く、結果ものすごく眠い。村にいた頃は規則正しい生活をしていたのも裏目に出ている。
(安全な場所で寝よう。移動はまた明日からだな)
調子が悪い状態で行動するのは危険なので今日のところは本能に従い、木の上を寝床にしてまぶたを閉じる。
翌朝、目を覚ますと周辺の木の何本かが断面が真っ黒なひび割れを起こした状態で禍々しい雰囲気を纏っていた。闇魔法を使う際に根を借りたせいだろうが、破壊までは至らない量の魔力でこうなるのだから本当に危険な魔法だ。
◇
「……出れたぁ〜。久しぶりの大空だぁ〜」
十日後の昼、遂に森を抜けた。意外にも森狼の一件以来、魔物に遭遇する事はなかった。
眼前には北東から伸びてきている大きな湖が広がり、その先には国境地帯となっている山脈が姿を現している。記憶が正しければ対岸に僅かに見えるのは故郷であるフレイア王国の最南端都市、ニグリス辺境伯爵領リティスがある筈だ。
と言っても国内では十中八九指名手配されているので、わざわざ危険を犯して立ち寄るつもりはない。更に言えば南の隣国で内戦が起きており、戦火から逃れた難民がスラムを形成しているとも聞くので立ち寄りたくもない。
(それはそうとして、せっかくだから水浴びてもするか。……だいぶ臭いだろうし)
自分では分かりにくいが、今までにない時間に渡って体を洗っていないのだから、確実に汚れているし臭いも付いているだろう。それに何となく不快感がある。
浴びない要素が一切見つからないので、着ているものを外して水の中に飛び込んだ。
「……冷たいし寒い」
春の気温では当然なのだが、それにしても寒い。風邪を引いては元も子も無いので、さっと全身を浸けた後はローブに身を包んで服の洗濯に切り替えた。
(そういえば風の魔石があったな。まさかここで役に立つとは)
森狼の件でかなり膨らんでいた内ポケットをひっくり返して、足元に散らばった中で唯一の緑色の魔石を拾う。もう片手で汚れを落とした服をまとめて掴んで、魔石に魔力を流し込む。
しかし魔力量を誤ったのか思った以上の突風が吹いて、しばらく経った後に魔石が粉々になった。ちなみに服は水気が完全に飛んで着れる状態になっている。
まだゴールまで長いので節約したかったのだが、やってしまったものは仕方ないと割り切って先に進む。
(ここから十日、次は山岳地帯に入らないといけないのか。森なら最悪でも草食ってどうにか出来るけど、高い山となると知識がなぁ……)
小高い山なら村の周りにあったので生きていける術を持っているが、標高が高いと自然環境が大きく異なるのでこの先でそれが役に立つかは怪しい。
そもそも本来なら山岳地帯は入る前にそれ相応の準備をして、積荷用の動物も含めた集団で越えるものだと学んだ。決してローブと武器だけで行くものではないのだ。
(まあ、行かないっていう選択肢は無いわけで、悩む意味も無いよな)
街道を通っていればいくら繋がる先が内戦中の国でも商隊とすれ違うだろうし、運が良ければ国境を超える馬車に乗れる可能性もあるので、そう簡単に飢え死ぬ事もないだろう。
結論、多分大丈夫として湖の畔に沿って南下を再開して、夜には更に南まで続く街道に当たった。
(流石に夜は休んでいるだろうし、今のうちに進めば遭遇率も上がる筈……)
今後の安全面を考えて、出来ればどこかの集団に同行したい。そのためにも昼夜問わず移動を優先して、まずはその集団を見つける必要がある。だが山で月明りが消され、暗く足元も見えない中で歩くのはむしろ危険だ。
それでも前進するのには、精神面での理由があった。
昼に見た時の山はそこそこ距離があったが、今の時点で緩やかな上り坂になっている。そのあたりにも人々が入念に準備して行く意味を感じて、誰かと早急に遭遇する事をより強く願わずにはいられなかったのだ。
幸い夜道には慣れているためそこまで苦戦せず、かなりの速度で坂道を上っていく。
(上りなら一人の方が圧倒的に楽だろうし、この調子ならきっと……)
「……っとと」
きっと上手くいく。そんな事を考えていると不意に足がもつれて姿勢を崩した。転ぶには至らなかったので曲がった背を戻して歩き続ける。
(なんだかんだ言って十日間森を歩き続けてたし、疲れてるのかもな)
心なしか足も重い気がすると自己分析していると、一瞬だけ足の感覚が飛んでまたもつれた。
(おっと……やっぱりそうだよな)
二回目ともなると疑いようがないので、一度歩くのは止めて休む事にして、脇に逸れようとする。
(……あれ?体が動かない……)
正確に言えば動きはするが、脚がとにかく重く着地している感覚が無い。夢中で歩いていたから気付かなかったが、いつの間にか限界まで疲労が溜まっていたようだ。
そして一つ異変に気付くと、呼吸が荒くなってきたり頭がぼーっとしてきたり、蓄積されたものが一気に襲い掛かってきた。
(あー、これはやばいかも……)
足りない思考力で何となく身の危険を察するが、自分ではどうする事も出来なくなっている。
遂には視界が霞むと同時に言葉で表せない程ぐちゃぐちゃになり、足元が覚束ないので転倒して地面に突っ伏した。
(死ぬのかなぁ、俺。結構良いとこまで来たのになぁ……)
言葉ではそう思ったがそれとは裏腹に、感情面で悔しいとかのマイナスなものは少ない。むしろ処刑されそうになっていたところから一泡吹かせれたであろう事、一瞬ではあるが最後に自由を得て旅した事がプラスに感じ取れたため、特段死にたくないという気は起きなかった。
心残りと言えば国境地帯まで辿り着けなかったり、父や母を置いて先に死んでしまう事になってしまったりと、無くはないが小さなものだった。
とっくに諦めもついて、見える景色も黒一色。もう時間の問題だろう。
(なんか馬車の音が聞こえる気がする……幻聴かな)
人の声や浮遊感までも感じて、これが走馬灯なんだなと死ぬ直前に良い事をしった気になったあたりで意識を失った。