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義妹が作ったチャットAIのテストプレイに協力しているのだが、これって義妹とチャットしてるだけじゃね?

作者: 二見健

 家が嫌いだ。


 そう思うのは俺が子どもだからだろう。


 学費を出してくれているし、メシも作ってくれる。小遣いまで与えてくれる。恵まれた環境だとは思うのだ。


 ただ、それだけだった。


 本当にそれしかなかったのだ。


 俺はバイトの疲れが溜まった身体を引きずりながら家に帰った。玄関で靴を脱いでいると、リビングから笑い声が聞こえてくる。


「すごいわね! 今回も百点ばかりじゃない!」


「う、うん」


「そうか、そうか、簡単だったか。頼もしいな、うちの娘は!」


「あ、あう」


「期末テストで学年一位なんて本当に凄いわ! 流石は私の娘ね!」


「う、うぅ」


「未海は天才だな! お父さんも鼻が高いぞ!」


「あ、あの」


 そのテスト、保健室で受けてるんだけどな。


 俺は溜息を吐きながらリビングに顔を出した。「ただいま」と声をかける。未海に満面の笑みを向けていた父が一瞬だけこちらを一瞥して「おう」と生返事をする。その顔に笑顔はない。義母は何も言わなかった。


 まぁ、そんな感じ。


 別に虐待されているわけでもない。リビングのテーブルにはラップがかけられた晩御飯が置かれている。


 両親の愛情がすべて義妹に注がれてしまっているだけのことだ。


 俺も期末テストを受けてるんだけどな。


 点数ぐらい聞いて来いと思わないでもない。


 全教科で九十点以上取っていて、学年順位は三十一位。俺的にはいい線行ってると思うのだが、未海の前ではすべてが霞んでしまうと言うわけだ。


「未海は何か買って欲しいものはあるか? テストのご褒美に何でも買ってあげるぞ?」


「……え、と」


「お小遣いもあげるわ。五万円で足りる?」


 俺の月給よりも高い。こっちは学業の合間にバイトしてやっと思いで稼いでるんだけどな。鬱になりそうだ。


 お盆にラップがかかった晩飯を乗せる。レンジで温めた方がいいのだろうが、バイトで疲れていたなんて些細なことで、とにかく一秒でも早くこのリビングから出て行きたかった。


 未海も可哀想だ。さっさと部屋に逃げればいいものを。


「あ、あの、お兄ちゃん」


「ん?」


「お、おかえり」


「……ただいま」


 両親の前で未海と馴れ合うのはあまりよろしくないだろう。


 未海はまだ何か言いたそうだったが、俺は会話を続けずにリビングを後にした。未海が「あ、おにいちゃ」と何かを言いかけていたが、両親の笑い声にかき消されていた。











 頬がひんやりした。


 反射的に飛び上がる。心臓がバクバクしている中、慌てて周りを見回すと、どう見ても俺の部屋だった。


「うわ、やっば」


 寝落ちしていた。


 ノートが涎でびちゃびちゃだ。ティッシュで拭きながら軽くヘコむ。


 時計を見ると午前一時を過ぎていた。


 溜息を吐いてから部屋の隅に置いていたお盆を拾い上げる。


 誰もいないリビングで食器を洗い、風呂はシャワーで済ませることにした。疲れていたので湯舟にゆっくりと浸かりたい気持ちはあったが、風呂桶に張られたお湯はとっくに冷めている。温め直す時間と手間、それとガス代のことを考えると、湯舟に浸かるのは諦めた方がよさそうだ。


 勉強とバイトの両立は思ったよりも辛かった。


 給付型の奨学金のためだ。成績は高く保っておくに越したことはない。これからのことを考えれば選択肢は何個も持っておくべきだろう。いっそのこと勉強を捨ててしまえという甘い誘惑にかられながらシャワーを浴びる。


 金が欲しい。俺にとっての金は自由への切符だった。


 だが、その気持ちとは裏腹に預金通帳の残高は遅々として増えてくれない。バイト代と、情けない話だが親の小遣いを入れて、月に五万円。祖父母がこっそり贈ってくれているお年玉や入学祝を入れた貯金は結構な金額になるが、目標にはまだ届かない。


 溜息しか出てこなかった。


 バスタオルを頭に乗っけて部屋に戻ると、ドアの前に誰かがいた。


「未海か? どうした、こんな時間に」


「あ、お兄ちゃん」


 背はちっこい。身体は細い。胸は平坦。目鼻立ちは整っている。


 そして、髪は、銀髪だった。


 目はターコイズのような黄色がかった茶色。


 銀髪ショートヘアの中三ロリ美少女。それが俺の義妹である。


「いや寝ろよ。今何時だと思ってんだ」


 ちなみにこれは俺にも突き刺さるブーメランだった。


 義妹は「あうあう」言っていた。


 たどたどしい喋り方である。だが、これでもマシな方だ。未海は俺以外とは会話がほとんど成立しない。例外は保健室の先生ぐらいだろう。


 俺は未海が何らかの精神病を持っていると思っていたし、両親にも「未海は重度の自閉症か対人恐怖症を患っている」と言ったことがあるが、物凄い顔をして睨まれて、お前には人の心がないのかと滅茶苦茶怒られてしまっただけだった。


「どうした?」


「あ、あの、えっと……」


 話が進まないが、俺は忍耐強く待っていた。


 未海が勇気を振り絞ってここにいることを俺はよく知っていた。


「お、お兄ちゃん。その、話が、あるの」


 俺が頷いて話を促すと、未海が俺に両手を突き出した。


「あの、こ、これ」


 何だと思って目を向けると、未海の小さな手の平にUSBメモリが乗っていた。


「これは?」


「私が作った、アプリケーション。チャットAI」


「未海が? プログラミングできたのか?」


「う、うん。頑張って覚えた」


「そっか」


 何時の間にプログラミングなんて覚えたのだろう。


 俺は疑問をひとまず棚上げして、未海に質問を重ねることにした。


「で、それがどうしたんだ?」


「あの、お兄ちゃんには、これのテストをして貰いたくて。あう……」


「チャットAIのテストプレイか?」


「うん」


「わかった。明日、漫画喫茶で試せばいいんだな?」


「あ、お兄ちゃん、パソコン持ってなかった」


 今気付いたと言うように未海が焦り始めた。


 未海は両親からでっかいゲーミングPCを買い与えられていた。その額なんと三十万円である。たしか去年の誕生日プレゼントだったか。その時ばかりは親馬鹿が過ぎると俺は呆れ果てた。


「ま、待ってて」


 未海がバタバタと部屋を出て行く。


 戻ってきた未海はノートPCとACアダプタを抱きかかえていた。


「これ、私のお古」


 お古かよ。聞いてないんだけど。


 両親は俺が知らない間に未海にノートPCまで買い与えていたようだ。さらに、お古という言葉には新しいノートPCの存在が示唆されていた。


 甘やかされてるなぁ。


 寂寞とした感情が込み上げてくる。一方通行の愛情に何の意味があるのだろう。


「わかった。でも今日はもう遅いから明日になるぞ」


「うん。それは、しょうがない」


 ノートPCを義妹から受け取る。


「それと、チャットAIは、夜の九時から十二時までしか、使えないの」


「……ってことは、三時間だけ?」


「うん。えっと、その時間以外は、学習に当ててるから。スペックが足りないから、他のことをやらせると、パンクしちゃうの」


「そういうものか?」


 やはり、何かがおかしい気がする。


 でもまぁ今日は夜も遅い。時計を見ると午前二時だった。


「話はわかった。とりあえず今日はもう寝よう」


「お兄ちゃん、明日もバイト?」


「明日はオフだけど、それがどうした?」


 未海は会話を続けるつもりのようだった。これ以上は明日に響く……いや、もう手遅れだが、未海にも学校がある。早く寝かせてやりたい。


「バイト、よくないよ? お兄ちゃん、しんどそう……」


「まぁ、そうだな。しんどいよ」


「バイトしないといけないの? そんなにお金、必要なの?」


 バイトのことを言及してくれるのも、心配してくれるのも、俺にはこいつだけだった。


 思わず抱きしめたくなる。すべてを忘れて二人でどこかに逃げたくなる。だが、俺は未来のことを考えた。一時の誘惑にかられてすべてを台無しにするわけにはいかない。


「心配してくれるのは嬉しいけど、これは俺の問題だから。ほら、もう深夜二時だぞ。さっさと寝ろ」


「おにいちゃ……う、ううん。わかった。お休みなさい」


 未海はまだまだ言い足りない様子だったが、俺がベッドに入ったのを見て追及を諦めた。


「お休み」


「うん。ドア、閉めるね」


 未海が居なくなると俺は電気を消した。


 あいつも色々と考えてくれているんだな。心配をかけさせてしまって申し訳ないとは思うのだが、もう少しの辛抱だ。通帳の残高を頭に思い浮かべていると、流石に疲れていたのだろう。一瞬で意識が落ちていった。











 今から六年前。


 俺の家に小さな妖精がやってきた。


「今日からここが未海ちゃんのお家だぞ」


 ヘラヘラと笑う父が気持ち悪かった。


 母が死んでから、まだ一年も経っていなかった。それなのに父は銀髪の女性と再婚してしまった。祖父と祖母はこの結婚に猛反対し、現在まで父は祖父母たちと喧嘩中である。


「浩紀君。よろしくね」


「はい。よろしくお願いします」


 俺は義母に懐かなかった。


 嫌いと言うより、どう接していいのかわからなかった。


 そして義母は距離を詰めて来なかった。それが現在まで続いている。


 別に喧嘩をしたわけではない。顔を見て逃げることもなく普通に挨拶をしていた。ただ、敬語が抜けなかった。お母さんと呼べなかった。義母もリサさんと呼んでくるガキのことを息子とは思えなかったのだろう。やがて俺と義母は何も喋らなくなった。


 まぁ父が悪い。妻と息子がギクシャクしているのだ。橋渡しぐらいしやがれと思う。


 で、義妹である。


 未海も義母もバリバリの北欧系の見た目をしているが、義母はアルゼンチン出身だった。


 義母は語学の講師として日本に渡ってきて未海を出産。その頃には義母は日本での生活を気に入っており、帰国するつもりがなかったので未海に日本語の名前を付けたという。


 そして未海の父親はわからなかったらしい。そりゃ祖父母もそんな女との再婚なんて反対するだろう。


 未海はイギリス系のアルゼンチン人と、義母の同僚のどこの国かわからない人のハーフと言うことになる。日本人の血が流れていないのは未海の顔を見れば何となくわかった。


 ハーフでいいのだろうか。それって西洋人でよくね?


 で、家にやってきた未海は義母の背中に隠れてビクビクしていた。


「浩紀。今日からお前はお兄ちゃんだ。未海ちゃんを守ってあげるんだぞ」


 そう言われて、俺は心底困った。


 父のことは気に入らなかったが、未海には何の罪もなかったからだ。


「えっと。とりあえず、ゲームでもする?」


「う、うん」


 ぎこちない兄妹だった。


 俺はすぐに未海が人と目を合わせることが出来ないことに気付いた。コミュニケーション能力に問題があるようだ。未海は俺と同じ小学校に転入することになっていたが、俺には上手く馴染めるようには思えなかった。


 父は未海のことを守ってやれと言っていたが、素直に従うのは癪だった。そう思いながらも、とりあえず様子だけでも見ておくかと未海の教室に向かった。


 俺の経験上、転校生はチヤホヤされる。気を遣って貰えるし、向こうから話しかけてくれる。未海は見た目も可愛かったから、コミュ障でもやっていけるかもしれない。


 そんな俺の考えは、砂糖よりも甘かった。


 男子はボール遊びでグラウンドに出ているようで、運動が苦手な男子がわずかに残っているだけだった。女子は仲のいいグループで集まり、お絵描きをしたり、ビーズで作ったアクセサリーを見せ合っている。


 そんな中、未海は教室の真ん中でポツンと一人だった。


 転入してから三日目にして、未海はめっちゃ孤立していた。











 午後九時。俺は部屋で晩飯を食っていた。


 俺はバイトがなくても夜遅くに夕食を取っている。勉強に集中するためと言っているが、中三の受験の時からの習慣が続いているだけだ。色々と理由付けしたところで、結局は俺があの両親とメシを食べるのが嫌なだけである。


 床に置かれたノートPCに目を向ける。


 AI(Artificial Intelligence)。インテリジェンス、知能という言葉が使われているように、AIは自己で判断や学習をするプログラムのことを指している。ただし最近では自動化された処理を行っているだけの単純なプログラムまでAI扱いされてしまっている。


 言葉の意味が広くなりすぎてマスコミもAIを上手く表現できていない気がする。最新ゲームのことをファミコンと言うおじいちゃんみたいだ。


 話が逸れた。


 俺はノートPCを机に置くと電源を入れた。一瞬で起動したのを見て、ノートPCのスペックの高さに笑ってしまう。これがお古ってどうなってんだ。


 昨日渡されたUSBメモリを差し込んでみる。


 中身はZIPで圧縮されたファイルが一つだけ。解凍ソフトはインストールされているようで、俺はZIPファイルをデスクトップに移して解凍をかけた。作業をしながら、ノートPCを渡してくるならUSBいらねぇじゃんと思う。


 アプリケーションの名前は『AI妹』だった。


 エロゲのタイトルみたいな名前である。いや、なにこれ。


 困惑しながらもとりあえず起動してみると真っ白い簡素なウインドウが展開された。そこにはテキストボックスがポツンと置かれていた。シンプルイズベストと言うが、これではただの手抜きのようにしか見えない。デザインは減点である。


 それで、何を言えばいいのか。まずは無難に挨拶でもしておくか。


『こんばんわ』


 カタカタとキーボードを叩いて入力してみる。


 返信は……来ない。壊れているのか?


 俺がマウスに手を伸ばした時、新しいテキストが出力されてきた。


『わーい、お兄ちゃんだ! こんばんわ♪』

『お兄ちゃんが話しかけてくれてすごく嬉しいな♡』


 なにこれ。


 もう人格まで設定されてるのか。しかもキャラクターが特徴的すぎる。確かにアプリケーションの名前は『AI妹』だったが、ここまで直球で来られると流石に反応に困った。


『妹キャラなのか?』


『私はお兄ちゃんの妹だよ?』

『今日は何をするの?』

『私、お兄ちゃんのためなら何でもしてあげるよ♪』


『普通の口調に戻して欲しい』


 怒涛の勢いで出力されていたテキストが止まる。


 返事はしばらく待つことになった。


『どうしてそんなひどいことを言うの?』

『私のことが嫌いになったの?』

『そんなことを言われると悲しくて涙が出ちゃうよ』


 こいつ。AIのくせに同情を誘ってやがる。


 ひとまず話題を変えておくか。


 俺は机の棚に置かれていた世界史Ⅱの教科書に目を向けた。


『ナポレオンの大陸封鎖令はなぜ失敗したのか』


『え、大陸封鎖令? ちょ、ちょっと待ってね!』


 返事は……来ない。また遅れてやがる。


 これもスペック不足のせいなのだろうか。


 一分、二分、三分。やっと返事が返ってきた。


『大陸封鎖令はナポレオンがイギリスを孤立させるために大陸ヨーロッパとの貿易を封鎖した政策のことだね。ナポレオンはイギリスの経済に打撃を与えてイギリスを屈服させるつもりだったんだけど、フランスは産業革命を迎えたイギリスほどの生産力を持っていなかったから、イギリスとの通商ができなくなったヨーロッパ諸国はこの政策のせいで困窮しちゃったの。それで離反国が相次いで出てきちゃったんだよね』


『返事が遅すぎない?』


『スペックが足りないの。ごめんね、お兄ちゃん』


 そう言うものだろうか。


 俺には慌ててネットで調べてきたようにしか思えないのだが。


 コピペじゃないよな?


 俺はテキストの一部をコピーして検索にかけてみた。どっかの知恵袋が出て来た。おいおい、大丈夫かよこのAI。


 俺は次の質問に移ることにする。


『ピョートル大帝はバルト海を重視していたのか』


『ええっ!? ピョートル大帝!? えっと、ちょっと待ってね!』


 またかよ。


 AI妹は五分ほど経ってから、やっと戻ってきた。


『ピョートル大帝はバルト海を重視していたんだよ♪』

『彼にはロシアを海洋国家として発展させる野望があったと言われてるんだ。バルト海に面したサンクトペテルブルクに首都を移したのもその一環だね!』


 なるほど。ここまでは合っている。


 俺はさらに踏み込むことにした。


『ピョートル大帝はインペラートルだったのか?』


『え? お兄ちゃん、それは違うよ! ピョートル大帝はツァーリだよ!』


 このAI、駄目かもな。


 俺はキーボードを叩いてテキストを入力する。


『ピョートル大帝は西洋化のためにローマ帝国を参考にして元老院を設置し、インペラートルを名乗っている。ツァーリでもありインペラートルでもある、これが正解だ』


『ええっ、そうだったの!?』

『ごめんなさい、それは知らなかったよ』

『私、間違っちゃった。お兄ちゃん。このAIはまだまだ発展途中だから、たまにミスしちゃうことがあるの。その時はごめんね?』

『お兄ちゃん、他に知りたいことはあるかな? 私、お兄ちゃんのために何でも調べてあげるからね!』


 調べると言っちゃってるよ。


 まぁいいか。俺は食器を片付けて風呂に入ることにした。


 父はリビングでテレビを見ていた。母はその横でスマホを触っていた。二人とも俺が入ってきても振り返りもしなかった。


 さっと洗い物を終わらせ、部屋に着替えを取りに行く。


「あうっ!」


 その途中で未海がドアから顔を出していたが、俺に気付いて慌てて首を引っ込めていた。


 何してんの、あいつ。


 風呂に入ってきてから部屋に戻る。


『お兄ちゃん、どうしたの?』

『もっと一緒にお話ししようよ』

『ごめんね。忙しかったのかな? 迷惑だったらごめんね?』


 机のノートPCを見るとログが溜まっていた。AIのくせに向こうから話しかけてくるのか……。


 俺は椅子に腰を下ろしてから、少しだけ考える。


『恋愛相談してもいいか?』


『ええっ!? 恋愛相談!?』

『お兄ちゃん、好きな人がいるの!?』

『私という妹がいるのに、お兄ちゃん、ひどいよ』


 どこがだよ。お前は俺の何なんだ。……妹だったか。


『クラスの女子から告白された』


『そんな! お兄ちゃんが女の子から人気なのは当然だけど、私はお兄ちゃんが他の女の子に取られるのは嫌だよ~』

『お兄ちゃん、その人と付き合っちゃうの?』


『勉強とバイトで忙しいから無難な言葉で振ったけど、どうするべきだったのかなと思って』


『付き合わなくて正解だよ!』

『お兄ちゃんには私がいるじゃない♪』


 だからお前は何なんだ。ただのAIだろうが。


『勉強とバイトで忙しいんだよね? もしその人と付き合っても、時間が取れなくて、勉強やバイトが疎かになっちゃうだけだよ!』

『お兄ちゃんは妹を可愛がらないといけないんだよ♪ これからも恋人なんて作らずに私のことを可愛がってね♡』


 このAI、束縛が強すぎる。


 あとお兄ちゃんには自由恋愛は許されていないようだった。


『でもその子、おっぱいが大きかったぞ?』


『おっぱい!? お兄ちゃんのエッチ!』

『胸の大きさなんてどうでもいいじゃない! 大事なのは性格だよ!』


『その子、優しそうだったけど?』


『表面上の優しさに騙されちゃ駄目だよ!』

『きっとその子はエアガンで動物をイジメないと生きている実感が得られないヤバい子だよ!』

『私はお兄ちゃんが悪い女にころっと騙されないか心配だよ~』

『お兄ちゃんは私よりもエアガン女を選ぶの?』


 偏見が過ぎる。


 よくもまぁ一度も見たことがない女子をここまでディスれるものだ。


『でもその子と俺、身体の相性もよかったんだよな』


『そんな!? お兄ちゃん、その子としちゃったの!?』

『うぅぅぅ……私、すごく悲しいよ……』

『私はお兄ちゃんのことが大好きなのに、よくわからない女に初めてをあげちゃうなんて、涙が出てきて止まらないよぉ~』


『嘘だけど』


 隣の部屋からドンッと音がした。


 俺は腰を上げる。隣室のドアをコンコンと叩きながら声をかけた。


「大丈夫か?」


「だ、大丈夫。転んだだけだよ」


 本当に大丈夫か? 怪我してなければいいが。


 と思っていると、俺の身体が突き飛ばされた。


「未海! 大丈夫か!」


「どうしたの、未海!」


 父と義母である。


 俺は小さく嘆息する。息子を突き飛ばすなよ。


 未海は二人にも大丈夫と言っていた。


 俺が部屋に戻ろうとしていると、珍しく父の方から声をかけてくる。もっとも、その内容はひどかった。


「お前が何かしたのか?」


「何をだよ?」


「いや、その……お前が未海を驚かせたんじゃないかと思ったんだが」


「どうやって?」


「そう、だな。すまない。少し混乱していたようだ」


 肩をすくめて部屋に戻る。


 俺はノートPCを眺めながら考えた。


 チャットAIか。あいつは何のつもりでこれを渡してきたのだろう。











 義妹がクラスで孤立している。


 流石にそれは不味いだろう。父が守ってやれと言っていたが、そんなことはすっかり忘れて俺は未海のために動いていた。


「ちょっといいかな」


 未海と同じクラスの女子。それも大人しそうな子を狙って声をかけた。


「な、なんですか?」


 その女子は知らない男子に声をかけられてビクッとしていた。この様子なら大丈夫だろう。


「俺は君のクラスに転校してきた大空未海の兄なんだけど、ちょっと妹の様子が知りたくてね。あいつ、大人しいだろ?」


「あ、はい、そうですね」


「一人ぼっちになってるのは俺も知ってるんだ。いや、君のことを責めてるわけじゃないよ。友達がいないのはあいつの責任だからね」


 俺はできるだけ優しい口調を意識してその女子に話しかけた。俺が糾弾しに来たわけではないとわかり、その女子はホッと安堵していた。


「ただ、ちょっとだけ気になってね。大人しいだけなら、あそこまで孤立しないと思うんだ。あいつ、何したの?」


 俺が一番知りたいこと、本題である。


 転校生が三日で孤立するのは、尋常ではないように思えた。


「……よくわからないんですけど、大空さん、いきなり吐いちゃったんです」


「吐いた?」


「休み時間にみんなで大空さんの周りに集まって話しかけていたら……」


 話しかけられただけで吐いた。


 俺はその光景を想像して顔をしかめた。イジメに足りる出来事である。孤立で済んでいるなら御の字と言ったところだろう。まだ転校してきてから数日しか経っていないからイジメられていないだけで、一か月後にはどうなっているかわかったものではない。


「その後も大空さんを心配して声をかける人はいたんですけど、大空さんは声をかけられると苦しそうに何かを我慢しているみたいで、それで誰も話しかけなくなったんです」


 未海は俺と家で話をする時にはそこまで酷いことにはならなかった。


 コミュニケーション能力に問題があるどころではない。どう見ても重症だ。


 義母……リサさんはこのことを知らないのだろうか。


「ごめんね。話しづらいことを聞いちゃって。あと、これはお願いなんだけど、俺のことはみんなには内緒にしてくれる?」


「……あ、はい。それは大丈夫ですけど」


 もしイジメがあるなら俺の存在が知られるのは不味いという判断だったので、口止めまでは要らなかっただろうが、まぁ念のためである。


 俺は家に帰ると未海の部屋のドアをノックした。


 学校が始まってからは未海は部屋に籠っていた。


「未海。ちょっといいか?」


 返事はない。


 未海が帰宅していることは玄関にある靴でわかっている。


 俺は「入るぞ」と声をかけて未海の部屋に踏み込んだ。


「嫌!」という悲鳴が上がることはなかった。未海は布団を頭に被っていた。


 小さな身体がガクガクと震えていた。


 俺はそれを黙って見ていた。どうすればいいのかわからなかっただけだ。


 五分か、十分か。あるいはそれ以上が過ぎた後のことだった。


「……もう、やだ」


 未海が小さく呟いた。


「学校、行きたくない」


 そりゃそうだよな、と俺は思う。


 どう見ても未海には学校生活は無理だった。未海は他人と関わることに著しく強いストレスを感じている。最近学校で習った精神病ではないだろうか。


 両親に相談するべきだろう。


 その前に、俺は自分の部屋からゲーム機を持ってきた。未海の部屋のテレビにコードを繋いで、コントローラーを未海に手渡した。


「とりあえず、ゲームでもするか」


「……うん」


 ゲームはいい。


 嫌なことを忘れるのに、ちょうどいい。


 ピコピコと遊んでいるうちに、未海の頬に薄い笑みが乗った。


 そして父は保健室登校を提案する俺に「保健室登校なんて未海ちゃんが可哀想だ! お前は未海ちゃんのことが嫌いなのか!」と意味不明なリアクションをくれるのだった。


 イジメられるよりマシだと思うんだけどな。











 レストランのバイト、そろそろ辞めるか。


 最近SNSでバズったらしい。客が増えすぎてるのはそれが原因だったようだ。忙しすぎるせいで皆キレてるし、頑張って働いても給料は据え置きだし、そこで働く意味が加速度的に消えていた。


「おい大空! オーダー出てんぞ! 何やってんだ!」


「すいません」


「ちゃんとこっちを見て返事をしろ! お前、最近たるんでるぞ!」


「辞めます」


「は?」


 と言うわけで辞めてきた。


 バイトリーダーの青ざめた顔は見物だったが、またバイト探しからやり直しかと思うと気が重い。


 次は絶対に楽なところを探してやると決意しながら家に帰る。


「今日得意先と行った寿司屋が絶品だったんだ。今度未海も連れて行ってあげるからな」


「あ、あう」


「いいわね、お寿司。私、トロが食べたいわ」


「トロも美味かったぞ。でも一番はアナゴだな。未海は好きなネタを何でも頼んでいいからな!」


「え、う」


 義妹はリビングで「あうあう」言っていた。


 愛情を押し付けられる側も可哀想だな。俺はそう思いながら晩飯を部屋に持っていく。あの様子だと、未海もすぐに部屋に逃げるだろう。


 時計を見ると午後九時を過ぎていた。


 俺は晩飯を突きながらノートPCを立ち上げる。


『こんばんわ』


 ご飯を食べながら片手で入力するが、返事は返って来ない。


 まぁそうだろうな。


 廊下をトントンと走る音がして、隣の部屋のドアがガチャリと鳴った。


『遅れてごめんね、お兄ちゃん!』

『お兄ちゃんに話しかけられるのが嬉しすぎて返事が遅れちゃった♪』


 いや、理由……。


 今日も好感度が高いんだな、このAI妹。


 俺は少し迷ってから入力する。


『今日、バイトを辞めてきた』


『本当!?』

『お兄ちゃんは考えもなくバイトを辞めたりしないよね』

『お兄ちゃんはすごい勇気を出して、その決断をしたんだよね』

『大丈夫。私だけはお兄ちゃんの味方だからね』


 いや、割と勢いで辞めてきたのだが。


『バイトを辞めると家にいる時間が増えるだろ。それが嫌なんだ』


『……お兄ちゃん、可哀想』

『お家が嫌いなんだね。私もそうだよ』

『お兄ちゃんと私、二人だけならよかったのにね』


 キーボードに置いていた指が震えた。


『本当にそうだよな。でも、そういうわけにもいかない』


 金がない。


 俺は……俺たちは子どもだった。


『いっそのこと、学校を辞めて就職した方がいいのかな』


 それを書き込めたのは、バイトを辞めて落ち込んでいたからだった。普段の俺ならここまでの弱音は出てこない。


『それは駄目!』

『お兄ちゃん、頑張って勉強してきたんでしょ? その努力を自分で捨てちゃうのは勿体ないよ!』

『一時の感情で人生の重要な決断をするのはよくないよ!』

『お兄ちゃんの努力が報われる日はきっと来る。私はそれを信じてるから』

『私はお兄ちゃんが頑張ってるところをずっと見てきた』

『お兄ちゃんが幸せになれないなら、それは世界が間違ってるんだよ』


 俺にはそんな日が来るとは思えなかった。


 ただ、隣の部屋でキーボードを必死に叩いているやつがいるんだろうなと想像して、心の重荷が少しだけ軽くなったような気がした。


『ありがとう』


『うん。お兄ちゃん、元気を出してね』

『お兄ちゃんが笑ってくれないと、私も楽しくないよ』


 だからお前は何なんだよ。AIじゃないのか。


『明日、どっか遊びに行くか?』


 AIにこんなことを言えば、遊びに適した場所を紹介されるのだろう。


 しかしうちのAIは特別製だった。


『うん!』


 何せ、人間と同じインテリジェンスが搭載されているからな。











 昼休みになると俺は保健室まで足を運んだ。


「あ、お兄ちゃん」


 未海は給食を食べているところだった。


「そのまま食ってろ」


 俺はスチールデスクの上に積まれていたノートを手に取った。未海の担任が貸してくれた問題集の解答がノートにびっしりと書き込まれている。俺は赤ペンを手に取ってシュッシュッと採点していく。


 教室で授業を受けられないのは俺が思うよりも大きなハンデらしく、未海の担任は勉強のモチベーションを保つために、お兄ちゃんが採点してあげてと俺に頼んできた。


 俺にとっては二年前に習った範囲だったから特に苦ではなかったが、それにしてもカンニングしているのではないかと疑いたくなるほど正解ばかりである。


 俺が採点している間に、未海は養護教師と一緒に食器を給食室に返しに行った。


 未海が戻ってきてから、俺は未海の頭を撫でて褒めてやった。


「今日も全問正解だったぞ。凄いじゃないか」


「えへへ。私、頑張った」


「偉い偉い」


「えへ。えへへ」


 だらしなく笑う未海を見ていると、こいつが精神的に大きな問題を抱えていることを忘れそうになる。


「保健の先生はどうだ?」


「あの人は、優しい。いい人」


 未海は一週間前から保健室登校を始めていた。当初は養護教師にも怯えていた未海だが、先ほど養護教師と一緒に給食室に行く未海の顔を見た時にはぎこちなく微笑んでいた。


 養護教師は無事に未海の信頼を勝ち取ってくれたようだ。流石はその道のプロと言ったところか。


「お兄ちゃん」


「ん?」


「ありがとう」


 その短い感謝の言葉に、どれほどの想いが込められているのか。理解した俺はちょっぴり泣きそうになった。


 未海は本当に苦しんでいた。絶望していたのだ。


 なのにあの両親は未海のSOSを完全に無視した。学校に行きたくないという我が儘をあの両親は許さない。世間体か……いや、あいつらは未海にある欠陥を認めたくないのだろう。


 未海は前の学校でもイジメられていた。


 理由は容姿だ。日本人の血が一滴も流れていない未海は生来の大人しい性格も相まって幼稚園の頃からずっとイジメられてきた。だが、義母はそれをことごとく無視した。最初は大人しいだけだった女の子は、次第に心を病んでいった。最終的にぶっ壊れた。


 未海が学校で吐いた日、担任は家に連絡していたらしい。考えてみれば当然だ。担任は生徒の問題を解決するのが職務である。だが、その情報は義母のところで止まった。


『うちの未海が吐いたですって? 誰かが未海をイジメているんでしょう? そいつの名前を言いなさい! 相手のところに乗り込んでやるわ!』


 話にならなかったようだ。


 担任はまだイジメとは限らない、これから気を付けていくと言って電話を切った。どうしたものかと悩んでいた時、俺が『親に内緒で未海を保健室登校させたい』と相談してきて、背中を押された気持ちになったという。


 まだまだ大人も捨てたものではなかった。


 両親のせいで大人に不信感を抱いていた俺も救われたように思えた。


 俺は小学校を卒業した後も、放課後に小学校にいる未海を迎えに行き、未海が中学校に進学する時には両校の教師を集めて会議を開き、未海の保健室登校を認めさせた。


 それが現在まで続いている。











 未海を迎えに行くために母校に向かう。


 正門の守衛室のプレハブ小屋で入校証を受け取った。


「あ、せ、先輩っ!」


 未海の同級生の女の子に声をかけられる。


「久しぶりですね。その、お元気でしたか?」


「まぁ、それなりにね」


「えっと、その、今日も妹さんを?」


「そうだね。悪いけど俺は行くから」


「……あ」


 悲しそうな目を向けられる。


 中学校を卒業する前、俺はこの子に告白されていた。可愛い子だった。フラれてもなお話しかけてくるあたり、俺のことが本当に好きなのだろう。この子と付き合えば、彼女は俺のことを全身全霊で愛し、身を削ってでも俺に尽くしてくれるという予感があった。


 だが、俺は彼女の想いを切り捨てた。


 俺には他にもっと大事なものがあったからだ。


 保健室の手前で見慣れた顔と出会った。


「浩紀君、バイトを辞めたんですって」


「あいつ、話したんですか」


 チャットAIに話しただけの情報が、なぜか養護教師の口から出てきていた。


「いいことだと思う。最近の君は顔色が悪かったから」


「丸分かりでした?」


「そうね。大空さんもずっと心配していたわよ?」


「兄失格ですね」


 俺は肩をすくめる。


 心配をかけていることは知っていた。それでも金が欲しかった。それだけのことだ。


 保健室の中に入る。


 未海はノートにペンをカリカリと走らせていたが、俺を見て嬉しそうな顔をした。


「お兄ちゃん」


「帰るぞ」


「うん」


 未海がバタバタと慌てて教科書とノートを鞄に詰め込んでいる。「急がなくてもいい」と声をかけると「えへへ」と笑みが返ってきた。


 守衛室で入校証を返却し、横に未海を引き連れて歩き始めた。


 普段ならこのまま家に帰っている。バイトがあれば未海を家に送り、そこからバイト先に向かっていた。


 だが、今日は。


「帰らないの?」


「遊びに行くと言っただろう」


「そうだったかな?」


 未海はそう言いながらも何かを期待するような目をしていた。


 俺たちは自宅へは向かわなかった。未海はそのことで何かを言うことはなく、ただ俺についてきた。


「どこに行くの?」


「さぁ。とりあえずは遠くに。誰もいないところがいい」


「うん。私も」


 対人恐怖症の未海は人込みが苦手だ。試したことはないが満員電車に乗っければパニックになるだろう。


 未海が手を伸ばす。


「誰もいないところ。お兄ちゃんと二人きりになれるところがいい」


 俺は未海と手を繋いだ。


 乗客の少ない鈍行列車でノロノロと遠くに行く。それがよさそうだった。


 ガラガラの電車。未海と肩を寄せ合って、ぼうっと景色を眺めていた。


「ずっと疑問だったんだけどさ」


「うん」


「お前、何で俺は平気なんだ?」


 同級生は論外で、父や母ともマトモに話せない。養護教師ですら一週間かけて未海の信頼を勝ち取っていた。だが未海は初対面の俺とは抵抗なく打ち解けていたように思える。


「お兄ちゃんだけは、大丈夫だったの」


「それが不思議なんだよな」


「わからないの?」


「ああ」


 未海がしょうがないなぁと言うように、ふっと息を吐いた。


「お兄ちゃんは何も言わなかったから。ただ『ゲームをしよう』って誘ってくれて、私に何も聞いてこなかった。必要以上に話しかけてこなかった。一日中、お兄ちゃんの横でゲームをしていて、私は『ああ、この人は大丈夫なんだな。私をイジメないんだな』ってわかったの」


「ゲームかよ」


「そうだよ。意外だった?」


「いや、なんか納得した。すごいな、ゲームは」


「うん。ゲームはコミュ障の味方」


 それは真理かもしれない。全国のカウンセラーもゲームを導入すればいいと思った。もうやっているのかもしれないが。


「お兄ちゃん。次で終点だって」


「意外と近かったな」


 まだ一時間ちょっとしか経っていない。


 景色は鬱蒼とした森林やトンネルばかりで、嫌な予感が高まるばかりだった。まさか山奥に辿り着いたりしないよな?


「奇麗な海をぼーっと眺めるつもりだったんだけどな」


「一応、半島の先っちょだから、海に出るはずだよ」


「ならまだ海に期待できるわけだ」


 で、電車を降りる。


「漁港じゃん」


 夕日に照らされる海は奇麗だったが、それを砂浜で眺めるという野望は打ち砕かれてしまった。コンクリでガチガチに固められた港と、あとはザバーンと波が押し寄せるゴツゴツとした岩場ばかりだ。田舎すぎて海水浴の客すら寄り付かない場所なのだろう。


「ま、いっか。ベンチに座ってぼうっとしようぜ」


「心のリフレッシュだね」


「そうそう。人生にはゆとりが必要なんだよ。さっき気付いた」


「それに気付けたなら、今日はここまで来た甲斐があったよね」


 あまりにも無計画に飛び出してきてしまったせいだろう。色々と悩んでいたのが馬鹿らしくなってくる。それに未海まで付き合わせてしまったのは申し訳なくなるが、意味不明なチャットアプリを渡してきたこいつにも多少の責任を取らせるべきだろう。


「つか何だよ『AI妹』って。エロゲみたいな名前付けやがって」


「え、エロゲ? どこがエロゲなの?」


「調べてみ」


 未海はスマホで検索をかけていた。


「え、出てこないけど?」


 俺はAIと別の単語の組み合わせを未海に教えた。


 怪訝そうな顔をしていた未海だったがが、やっと理解してくれたのだろう。その頬が朱色に染まっていく。


「ち、違うから。知らなかった、だけだもん」


「ホントかなぁ」


「ホントだもん。お兄ちゃんがエッチなだけだよ」


 段々と暗くなってくる。


 そろそろ帰るか。そう思っていると、未海が俺の腕をくいくいと引っ張った。


「お兄ちゃん、あれ」


 未海が指差す先にはお城みたいな建物があった。俺が見なかったことにしていた建物である。


 ホテルリゾートCastle。


 なぜカタカナと英語を混ぜたと突っ込みたくなるネーミングだ。


 植物のツルが巻き付いたボロっちい建物だが、ピンク色のネオンが点灯しているのを見るに一応は営業しているようである。


「あれが、どうしたんだ?」


 喉がカラカラに乾いていた。


 だが、未海は無言で俺の腕をくいくいするだけだ。


 この義妹は、まさか、俺を誘っているのか?


「あー、未海さん。あなたはまさか、あれに入りたいと?」


「うん」


「帰るぞ」


「やだやだやだ! ホテル行く! お兄ちゃんとホテル入る!」


 未海がガシッと俺に抱き着いてきて駄々をこねてくる。キャラ変わってるぞ。あとそのセリフは不味い。近くにいた漁師のオッサンが目を見開いてこっちを見てるから。


 ズルズルと未海を引きずりながら駅に戻る途中で俺は溜息を吐いた。


 無断で外泊か。


 これはぶん殴られる覚悟が必要そうだ。


「言っとくが何もしないからな」


「うん!」


 満面の笑みで喜ぶ未海に、俺はそれ以上何も言えなくなるのだった。











 ……やっちまった。


 俺は最低だ。もう死にたい。


 俺だけは未海の味方でいるはずなのに。兄なのに。俺は何をしている。


「えへへ。お兄ちゃん。お兄ちゃん」


 ガラガラの始発電車の中、未海は周りの目がないのをいいことに、俺の腕に頬をスリスリして、ほっぺにチュッチュしていた。


 いや無理だろう。


 好きな子に裸で迫られたのだ。三時間もあーだーこーだと抵抗を続けた俺の忍耐力を褒めて欲しいぐらいである。


 はぁ。


 やってしまったからにはもう言い逃れはできない。


 一時間ちょっとの電車の旅はあっと言う間に終わってしまった。俺は胃液でキリキリとする腹部をさすりながら家までの帰路を歩んだ。気分は処刑台へと向かう罪人と同じである。


 家の前には二人がいた。


「未海! 大丈夫だったか!」


 父と義母が走り寄ってくる。


 当然のように突き飛ばされるのだろうと思っていたが、意外にも衝撃がやって来ることはなかった。俺の左腕に未海が抱き着いていたからだろう。


 父は俺を睨み付けた。


「浩紀! お前は何をしているんだ!」


「そうよ! あなたは未海のお兄ちゃんでしょう! 私の娘に変な遊びを教えないで!」


 まぁ、今回ばかりは俺が悪いか。


「ごめん。俺が――」


 言葉の途中だった。


 俺の頬に衝撃が走る。殴ったのは父だった。


「お前が悪いのは当然だ! 今回のことでどう責任を取るのか聞いているんだ!」


 聞いてねぇよ。


 質問はもっとちゃんと相手に伝わるようにしろよ。


「浩紀君。今回のことで、私はあなたへの愛想が完全に尽きたわ」


 俺はもっと前からあんたへの愛想は尽きていたけどな。


「高校を卒業したら家を出て行って貰うつもりだったけど、今すぐ出て行って欲しいぐらいよ」


「なら、そうするよ……」


 俺がそう言うと、義母の顔にいやらしい笑みが浮かぶ。


 預金口座にある百万円。それがあれば、しばらくの間は糊口を凌げるだろう。本当はもっと別のことに使うつもりだったのだが、俺の計画はもう破綻してしまっている。未海と一緒にこの家から出て行くための金だったんだけどな。やはり一時の気の迷いで動くべきではなかったと言うわけだ。


「安心しなさい。私たちも鬼じゃないわ。高校を卒業するまでは仕送りをしてあげる。その先のことは知らないけどね」


「有り難いことで」


 俺は痛む頬をさすりながら家に入ることにした。荷造りぐらいは許して貰えるだろう。そう思っていると義母が一万円札を数枚、俺に差し出してくる。


「これは?」


「ここはもうあなたの家じゃないわ。私たちが適当なアパートを見付けるまで、あなたはホテルに泊まりなさい。部屋の荷物はアパートに送るわ」


「ああ、そう。ならそれでいいよ」


 俺と義母のやり取りに父は口を挟んでこない。血を分けた息子のはずなんだけどな。


 未海はボロボロと泣きながら俺たちのやり取りを眺めていた。


「お兄ちゃん……やだよ……どうしてこうなるの?」


「さぁな。ま、星の巡り合わせかもな」


 運が悪かった。人に恵まれなかった、と言うことなのだろう。


 二人がもう少し優しければ。正気だったら。モラルがあったら。マシな展開になっていただろうか。いや、他人に期待したところで虚しいだけだ。


「未海! こいつから離れなさい!」


 義母が俺と未海の間に割り込んでくる。


 羨ましいことだ。俺もこれぐらい親から愛されたかった。


 まぁ、詮無いことか。俺はポケットに万札を突っ込んで踵を返し――。


「やだ!」


 空気が凍った。


 父と義母が、固まっていた。


「み、未海……?」


「今、なんて?」


 未海は俺以外とはマトモに会話できない。


 それは両親ですら例外ではなかった……はずだった。


「どうして二人ともお兄ちゃんをイジメるの!? どうしてお兄ちゃんの話を聞いてくれないの!? 無断外泊したのはお兄ちゃんだけじゃないのに、どうしてお兄ちゃんばかり責めるの!? 二人とも、おかしいよ!」


 返事をしないお人形だったはずの未海から怒気を向けられ、父と義母はあからさまに狼狽えていた。


「み、未海……私たちは、あなたのために……」


「私はそんなこと頼んでない!」


「あ、あいつが未海のことを連れ回したんだ! 未海は無断で外泊するような子じゃないのに、あいつは未海の意思を無視して引きずって行ったんだろう?」


「お兄ちゃんを引きずったのは私の方! 二人とも何もわかってない!」


「未海、あなたはまだ中学生じゃない。こういう時は高校生の彼が責任を取らないといけないのよ?」


「都合のいい時だけ責任を持ち出してこないでよ! あなたたちはお兄ちゃんに、今まで何もしてこなかった! 大人としての責任を果たしていなかった! そんなあなたたちがお兄ちゃんに何を言えるの!?」


「未海……どうして、あんなやつのことを庇うんだ? 未海は優しいから、あいつに同情しているのか? そうだよな、そうに決まってるよな? おい、浩紀! お前、未海に何をした!」


「だから……勝手に決め付けないでよ……」


 小さな身体がよろめいた。俺は慌てて彼女に駆け寄り、倒れそうな身体を支えてやった。息が荒い。過呼吸の一歩手前に思えた。俺は未海の背中をさすりながら、もうやめた方がいいと言う。


 未海は首を横に振った。


 人と目を合わせることができない瞳には強い意志が宿っていた。


 未海は俺の腕の中で両親を睨み付けた。


「私は……あなたたちの、ペットじゃない!」


 それが決定打になった。


 義母が腰を抜かして座り込んだ。


 父は呆然と突っ立っていた。


「俺は……未海のためを思って……」


「未海が私に反抗するなんて……これは悪い夢よ……」


 二人はブツブツとうわ言のように呟いていた。


 未海は俺の腕の中で意識を失っていた。


「お兄ちゃん……どこにも行かないで……」


 胸が締め付けられるような言葉だった。


 俺は未海を抱いて家の中に入っていった。


 今回ばかりは本当に助かった。


 それに、言葉にするのは難しいが、心のつかえが取れたような気がした。俺が言えなかったことは、全部この子に言われてしまった。頭の中が空っぽになってしまって、今度こそ清々しい気分になれた。


 部屋のベッドに未海を寝かせてやる。


「よく頑張ったな、未海」


 そして、ありがとう。お前が義妹で本当によかった。











 そして、俺たちは爛れた。


 家の中でもサカっていた。


 理性はどこに行った。俺たちは獣か。


 隙あらばチュッチュしてくる未海に俺もまんざらではないあたりが本当にもう終わっていた。


 食事時になると未海がお盆を持って部屋にやってきて「あーんして」どころか口移しで食事をさせられた。風呂に入っていたら未海が入ってきて、風呂上がりは一時間後だった。何をしているかって? ナニだよ(半ギレ)


 両親は俺や未海を見るとビクビクと逃げていく。


 食事は流石に作ってくれなくなったが、食費は出してくれるようで、俺たちは自炊みたいなことをしていた。家庭内別居を夫婦ではなく親子でしている感じだろうか。


 と思っていたら、義母のお腹が膨れていた。


 未海に構って貰えないストレスから慰め合ううちに両親もサカってしまったらしい。義母はギリギリ妊娠できる年齢だったが、この時ばかりは開いた口が塞がらなかったし未海もドン引きしていた。


 親失格の前科持ちである二人が果たして次の子どもを育てられるのだろうかと思わないでもないが、高校卒業と同時に家を出るつもりの俺にはあまり関係のないことだろう。


「お兄ちゃん。私も赤ちゃん欲しい」


「やめろ。俺を犯罪者にする気か」


 あまりにも怖ろしいことを口走る妹様である。


 せめて俺が大学を卒業するのを待てと言いたい。


 未海は保健室登校を継続中。両親にぶち切れた未海だったが、あれは好きな人と結ばれた勢いがあったからできただけで、両親とは未だにあうあう語でしか会話できないようだった。


 高校は通信制にするようだ。まぁ未海の頭なら大検も取れるだろうし、ネットの仕事もあるだろう。それこそチャットソフトを自作するぐらいだし、プログラミングでも食っていけるように思える。


「お兄ちゃん。学校行きたくない」


「行けよ」


「やだ。一日中いちゃいちゃする」


「俺は学校行くからな」


「やだやだやだー。お兄ちゃんと一緒にいたいよぉ」


 そりゃ、俺だってそう思うけど。


 張りつめた糸が切れたように勉強に身が入らなくなっている。こっちが勉強している時に服を脱いで誘惑してくるやつがいることも大きい。バイトを辞めたのに勉強している時間は前と変わってないってどうなってんの。


「いいから手を放せ! 俺は人生勝ち組になるんだ!」


 もう人生勝ってるって? いや、まだまだ。


 いい大学を出て、未海を養う。それが俺の次の目標だ。


 未海はベッドから身を起こしながら唇を突き出してくる。


「わかった……じゃあ、行ってきますのキスをして」


「いや、お前も学校に行くんだからな?」


 何を自分は関係ないみたいな顔をしてやがる。


 俺は最後まで駄々をこね続ける未海を中学校に蹴り入れると、息を切らして高校に駆け込んだ。残念ながら遅刻だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 短い中でしっかりとオチをつけられている点、この作品ならではの設定がしっかりとあったたと思う。 [気になる点] 作者の知識が作品に追いついていないように感じた。一つ一つの知識が思い込み間違い…
[一言] お兄ちゃんが良い奴すぎて報われて欲しいのでさっさと祖父母に頼ってくれ
[良い点] 兄妹の関係性 [気になる点] クソカス両親の新しい犠牲者が誕生しそうな所
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