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二階に上がると、東側に二つ、突き当りに一つの計三つの部屋があった。西側にある窓から射す夕日が白い壁紙をオレンジ色に染めていた。
朝霞由姫が手前にある部屋のドアをノックする。が、返事はない。
「由姫です。入りますよ」
朝霞由姫は返事がなかったにもかかわらず、ドアを開けた。
まだ十八時過ぎだというのに、室内は薄暗かった。閉め切ったカーテンが太陽の光を遮っているせいだ。しかも、部屋も閉め切っているのだろう。何やら悪臭が充満している。生温かくてじめじめと陰気臭い部屋だった。
僕はその光景に不快感を覚えた。それは当然だった。この部屋は僕の部屋と酷似していた。すべてのものを遮断している僕の心そのもののように思えた。近親憎悪ってやつかもしれない。
壁際に位置するシングルベッドの上に誰かが座っていた。この部屋の住人だろう。上下ジャージー姿の人影は壁にもたれかかり、天井を見上げていた。
朝霞由姫は部屋に入ると、人影に歩み寄っていく。僕は中に入ることを躊躇した。
「千依里さん、喜屋武くんが来てくれましたよ」
朝霞由姫の言葉に、人影はあからさまに体をビクつかせていた。
千依里? どこかで聞いた名前のような気がしたけど、僕はすぐに思い出せずにいた。
「ホントに喜屋武が来てくれたのか?」
人影がシングルベッドから降りると、部屋の中心へと動き出す。
西日が人影の姿を照らしだす。
そばかすだらけの赤みを帯びた頬。
ポニーテールが金色に輝いていた。
逆光でまぶしいのか細められた双眸は困惑していた。
僕の左脳が『そばかす+千依里=小学五年生の時に僕をいじめていた角南千依里』という数式を完成させた。
封印していた記憶が怒涛の如く蘇ってくる。
小学五年生の時のクラス替えで角南千依里とは初めて同じクラスになった。これがケチのつき始めだったのかもしれない。当時の僕は今と同様空気のような目立たない存在ではあったが、いじめられっ子ではなかった。ところが、角南は理由もなくいきなり僕に暴力をふるってきた。それを面白がったクラスメイトたちがいっしょになって僕をいじめ始めた。いじめがエスカレートする一方で、いじめの当事者である角南は夏休みの間に転校してしまっていた。しかし、一度始まったいじめは止まることはなく、小学校を卒業するまで続き、いじめられっ子のレッテルを貼られたまま中学校に入学した。先生に相談したことはあったが、あやふやなことばかり言って取り成してくれなかった。死んでしまおうかと思ったこともあった。だけど、死ねなかった。僕には死ぬ勇気すらなかったのだ。
みじめだった。
僕は自分の運命を狂わせた角南千依里を何度呪ったことだろうか。
今その張本人が僕の目の前にいる。
言いたいことは山ほどあったけど、怒りで言葉が出てこない。ただ強く握り締めた拳を震わせるだけだった。
沈黙が続いた。数秒間だったかもしれないけど、僕には数時間のように長く感じた。
「由姫姉、ハンバーグできたぞ! 早く食べようぜ!」
二階へ上がってきた凛が重苦しい空気をあっさりと吹き飛ばした。
「そうですね。まずは食事にしましょう。人間お腹が空くとよくないことばかり考えてしまいますから」
僕は朝霞由姫に背中を押されて一階へ下りた。