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 レクリエーションルームには、朝霞由姫と凛の姿はなかった。

「由姫と凛ならお風呂に入ってるわよ」

 そう言った雛子さんは小さく微笑んだ。たぶん僕の視線が泳いでいたことを察知して、そう言ったのだろう。

 僕は朝霞由姫と顔を合わせずに済んでホッとした。にしても、萬谷の言った通りにお風呂に入ったんだな。変な主従関係だ。

「今リンゴをむくから、適当に座ってて」

 雛子さんはキッチンに向かった。

 帰るなら今がチャンスかもしれないけど、おそらく萬谷がリンカーン・コンチネンタルの中で見張っているはずだから、さっきみたいに連れ戻されるのは目に見えている。

 何か打開策を考えねば。

 そんなことを考えているうちに、うさぎリンゴが乗った皿を持って雛子さんがレクリエーションルームに戻ってきた。

「どうぞ」

「いただきます」

 イスに腰掛けた僕は、雛子さんに勧められるがままリンゴを口に運ぶ。

「千依里の家庭事情は由姫から聞いたんでしょう?」

 リンゴを噛んでいた口が止まる。

「千依里の母親は『これは愛なのよ』って口癖のように言って千依里に暴力をふるっていたの。だから、あの子は暴力をふるうことが愛情表現だって思い込んで育ってしまったのね」

「だから、僕にやったことを許せって言うんですか?」

「うーん、慧くんってけっこう鈍感なのね」

 雛子さんが苦笑する。やっぱりみんな角南の肩を持つんだな。

「じゃあ、今度は私の不幸話を聞いてくれる?」

 僕は口の中に残っていたリンゴを飲み込んだ。

「私ね、病気が原因で子供が産めない体になったの。当時付き合っていた彼氏がすごく子供がほしい人でね、子供が産めない私は愛せないって言いだしたの」

 雛子さんは悲観的になることもなく、淡々と語り続けた。

「何かその言い方だと子供さえ産んでくれれば誰でもいいみたいじゃない? そう思ったら無性に腹が立ってきて、こっちからさっさと別れてやったのよ。こんな私でも好きになってくる男は星の数ほどいるのよ、幸せになってあんたを見返してやるー、ってね。実際はいい男に巡り合えないのが現実なんだけどね」

「もしかしてグループホームをやっているのって、子供が産めないからですか?」

「慧くん、キミけっこう痛いところついてくるなぁ」

「あ、すみません」

「ううん、いいのよ。それも理由の一つだから」

「一つ?」

「慧くん、知ってる? 今日本に親と暮らせない子供たちが何人いるか?」

「いえ、わかりません」

「児童養護施設に入所している子供だけで約三万人っていわれているわ。実際はもっと多いでしょうけど」

 僕には想像できない数だった。

「私は元々児童養護施設の職員だったの。施設ではどうしても大勢の子供の面倒を見るから、なかなか一人一人に気を配ることができなくて。だから少人数で生活できるグループホームに自宅を提供しようと思ったの。自己満足かもしれないけど、自分の目が届く範囲の子供たちだけでも笑顔でいてほしいの」

 そう言った雛子さんは、悲しみと喜びが混同した複雑な笑みを浮かべていた。

「由姫もね、ここに来た時は心に傷をいっぱい作ってて笑顔を取り戻すのは大変だったのよ。凛は由姫が連れてきた時にはもう自分で笑えるようになっていたわ。後は千依里だけ。あの子が笑ってくれたら、もう思い残すことはないわ」

 ちょっとだけ胸が締め付けられた。

僕の母親なんかよりも雛子さんの方がよっぽど母親だった。

 もし僕が角南を許して笑顔を取り戻したら、雛子さんは僕のことをほめてくれるのかな? こんな僕でも人の役に立つことができるんだろうか。

 って、僕は何を考えてるんだ。他人のことなんかどうでもいいじゃないか。

 朝霞由姫に感化されすぎだ。

「お風呂、お先にいただきました」

「由姫姉、DVD見ようぜ」

 朝霞由姫と凛がレクリエーションルームに入ってきた。

 ひどいことを言ってしまった罪悪感から僕は咄嗟にうつむいて、朝霞由姫と目を合わせるのを避けた。しかし、朝霞由姫は気にした様子もなく、僕を横切りテレビの前に座った。せっけんのほのかな匂いが鼻孔をくすぐった。

「そうですね、今日は何を見ましょうか?」

 朝霞由姫はテレビラックから数枚のDVDケースを取り出し、一枚を選ぶ。

 何やらアニメのようなパッケージだけど。

「母をたずねて三千里、なんてどうでしょうか?」

 母をたずねて三千里とは、出稼ぎに行ったっきり音信不通になった母親を心配した幼い主人公が、母を訪ねて旅に出るという物語だ。

 そんなお涙ちょうだい作品は、今ここで見るようなDVDじゃないだろう。もう少し空気読めよ。僕は胸中で思わず突っ込みを入れた。

「うん、いいぜ」

 凛は大きなクッションを抱えてテレビの前に向かう。

「はい、慧くん」

 雛子さんが、凛が持っていったものと同じクッションを僕に差し出てきた。

 もしかして僕にも前に行っていっしょに見ろというつもりだろうか。

「いえ、僕は」

「遠慮しなくていいって言ったでしょ」

 雛子さんはクッションを僕に押し付けると、強引にテレビの前へと引っ張った。

 凛のクッションにはすでに凛と朝霞由姫がいっしょに座っていた。

 僕はその横にクッションを置き、腰を下ろした。体が沈んでいく。この感覚、ビーズクッションだな。

「じゃあ私も」

 雛子さんは僕が座っているビーズクッションに座ってきた。僕と雛子さんは密着する形で一つのビーズクッションを共有した。

僕の左腕が雛子さんの胸に押される。困った僕は右へと体をずらすが、雛子さんの胸は逃げれば逃げるほど侵攻してきた。

 仲良くアニメを観賞している場合じゃないんだけどな。





 一〇分くらい経っただろうか。

 鼻をすする音が聞こえてきた。

 テレビでは出稼ぎに向かう母親と主人公が決別するシーンが流れていた。第一のお涙ちょうだいシーンだ。

 雛子さん、朝霞由姫、凛の三人が泣いているのは言うまでもない。みんな感情が豊かだな。どうせ最後には母親に会えるんだから、泣くことはないだろうに。

 それにしても何か変な気分だな。こんな風に誰かといっしょに過ごすなんて何年ぶりだろう。隣に人がいるというだけで、こんなにも心が落ち着くなんて知らなかった。

 心地良くて、安心する。

 今まで張り続けていた虚勢が消えていくような気がした。

 僕はそんな穏やかな気持ちに身を任せ始めていた。




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