第一章7: 屋敷のメイドさん
高層ビル位の大きさのある城門を少しふらつきながら通り抜けると、そこは先ほどの自然の風景が嘘のように整然とした街並みが広がっていた。
ちなみに城門前で頭以外を鈍い輝きを放つ鋼鉄の鎧に包み、腰に本物と分かる剣を帯びた姿はいかにも城門の警備をしていますと分かる衛兵のお兄さんに止められたのだが。
「そこの方!王都に入るのには審査が必要になりますのでしっかり並んで頂かないと――」
「私の顔を見れば必要はあるまいな?」
「――っ!クロウリー様っ!?大変失礼しました」
そんな一瞬のやり取りで話が決着してしまった。
シャウラさんはどこ吹く風だったが、お兄さんが言っていた審査を待っている人の視線が突き刺さり肩身の狭い思いをしたものだ。
少し胃を痛めながらも入った王都内だが現代のコンクリートジャングルとは違い、石畳で舗装された大通りに多くの人間と馬車が行きかい道の両脇にはレンガで作られた家々が所狭しと並んでいる。
さらに中心部にはには巨大な城が据えられており、異国情緒ならぬ異世界情緒が満載だ。
所々に見えるお店の看板も俺には理解できない言語で書かれており、その雰囲気をさらに強めている。
〈お待ちください。ご主人様に理解できるように翻訳いたします〉
そこで俺だけの万能メイド、ライラさんがそう言うと視界が一瞬歪み……書いている文字は読めないのに酒場や青果店など文字の意味を理解できるようになっていた。
「いや、すごいな……」
思わず口から呟いてしまう程に俺はライラさんの力に感心していた。
先ほどから色々と解説を入れてくれてはいたが、言語の翻訳とは俺の言葉の補助だけではなく読みにまで対応してくるとは。
魔獣という人外の化け物が蔓延るこの世界において武力の点においては期待できないが、やはり知識と暮らしやすさではライラさんに一日の長がある。
戦う予定がないならこれで十分なのでは?
「ここは世界でも有数の大規模都市だからな。初めて見たのなら驚くのも無理あるまい」
俺の呟きを勘違いしたシャウラさんがそんな補足を入れてくれる。
先程ライラさんが言っていたが俺の居るこのソレシア王国はこの世界でもトップクラスで大きな国らしい。
メイドさんという属性はその従者という性質上、片田舎に存在するのは難しいので俺としては嬉しい限りである。
「さて、私はメイヘムに向かうからここで少年とはお別れだ」
城門前でもあれだけ視線が突き刺さっていたのだから、さらに人が増えた王都の中だとその数はさらに増えている。
俺がそんな居心地の悪さをひしひしと感じていると、いつのまにか目の前に一台の馬車が止まっていた。
しかも、城門前で見た貴族とかが乗っているような豪華な装飾がされているものだ。
まさか、俺たちの姿がどこかのお貴族様の怒りにでも触れたのか。
「シャウラ様。お勤めご苦労様です」
だが、御者台から音もなく降りてくる俺よりも少し年上の女性を前にして、そんな不安はどこかへと消えてしまった。
引き締まった体を黒いロングスカートに白いエプロン、そして結わえられた赤い髪の上にはメイドの象徴ともいえるホワイトプリム。
どこをどう切り取ってもメイドさんとしか言いようがない存在が俺の目の前に存在していた。
正直、異世界というだけあって俺の持っているメイドのイメージとは到底かけ離れているかもしれないという不安はあった。
エイグリットのコスプレのおかげで多少は安心できたが、所詮、あれは神様である。
だが、目の前に佇むこの女性の主人に対する礼節と敬意を兼ね備えた姿……まさしく、理想形のメイドさんである。
勝ったな。メイド喫茶行ってくる。
「先程、念話で伝えた通りだ。フレア、一日この少年の面倒を見てやってくれ。今日は出掛けていた分、雑務が溜まりに溜まっているだろうからな」
「となると、今日はお帰りにならないのですね?」
「ああ。少年の面倒を見なくて良い分、楽ではあるのだが」
「承知しました。シャウラ様の分、精一杯お世話させて頂きます」
俺がそんな喜びを噛み締めている間にシャウラさんとメイドのフレアさんの会話はスムーズに進んでいく。
いきなり連れてこられた怪しさ満点の俺に対して一切詮索を入れて来ないのもメイドポイントがとても高い。
「という訳だ。今日はフレアに世話をされてゆっくり休むといい」
「――ぐふっ」
そして、俺はまた空中に浮遊させられると開け放たれた場所の中へと押し込まれた。
扱いの雑さは相変わらずである。
「では、少年。また明日会おう」
そう言い残すとシャウラさんは空中へと駆けていってしまった。登場から退場まで、まるで嵐のような人だ。
周りの驚くような視線と、他に飛んでいる人間は皆無だということを合わせるとあの人の移動手段はこの異世界においても相当特殊なのだろう。
おかげでおそらく徒歩ならば何日も掛かるだろう移動距離を電車も飛行機も使わず、一日以下に短縮できているのだから有難い話ではあるのだが。
「では、私たちも参りましょうか」
フレアさんの方もいつのまにか御者台に乗り込んでおり、馬の嘶きと共にゆっくりと馬車が動き出す。
いきなり乗せられたが馬車は初体験だ。
その感想を述べるのなら今の俺にはキツイといった所である。
悪路を走っている訳ではなく、馬車の内部も見た目に違わず快適なので、そこまで揺れることは無い。
それでも全く揺れない訳ではなく俺の全身を小刻みに揺らしてくる。
フレアさんの運転の邪魔をする訳にもいかないし丁度良い。
〈あの、ライラさん。黙ってると更に気持ち悪さ増しそうなんで、話相手になってくれませんか?〉
自分の中に声を投げかけるなんて変な感覚だが、今はむしろいちいち口を開くよりは楽である。
〈……私は基本的にご主人様の疑問を汲み取り答えるのが仕事ですので、雑談をする訳には〉
〈この会話の仕方に慣れたいのと、聞きたいこともあるんで、お願いします!〉
〈何か疑問点があるのなら、問題ありませんが……〉
律儀にそう返してくるライラさんに必死に頼み込むと何とかOKが貰えた。
それに、少し気になった点があるのは説得に使うための嘘などではない。
〈それじゃあまず、今言ってた疑問を汲み取るって俺の思考を読んでいるってことですか?〉
先程から絶妙なタイミングで解説を入れてくるのはどう考えても俺の思考を読んでいるとしか思えない。
〈言語化できる形ではなく、漠然とした形でご主人様の心情を読みとる形になっているのでご安心ください〉
つまり、大体は分かるけど詳細に何を考えているのかは分からないといった所か。
俺も健全な男子。性別があるかは分からないがおそらく女性であろうライラさんに聞かれては困る話題は多いのだ。
例えば、メイドさんとのめくるめく愛の――。
〈……私はご主人様が何を思考しようと口出しはしませんが、なるべく邪な事は控えていただけると〉
おっと、早速釘を刺されてしまった。今後は控えめにメイドさんへの妄想を膨らませるとしよう。
〈だいたい分かりました。それで、こっちの方が本題なんですけど……俺がこの世界の文字を読めるようになった時にライラさんのその翻訳の力ってどこまで影響するのかなぁって〉
〈私の翻訳能力はこの世界におけるあらゆる言語と会話を成立させ、あらゆる文字をご主人様に分かる形で伝えることが出来ます〉
それは地味に凄いのではないか?
この世界において俺はあらゆる言語を話せるし、読めない、正確には意味を理解できない文字はないという事になる。しかも、マッピングの必要もないと来た。
これ十分にチート能力と言えるのでは?俺、実はしっかり異世界転生してたのか?
〈これは異世界人にはどうしても必要な措置であるとのことで、本人が得る力とは別に必ず私のような存在を付けるとエイグリット様は仰っておりました〉
そんな喜びに釘を刺すようにライラさんから冷静な一言。
確かに、せっかく転生させたのに喋れない、読めないでは魔獣討伐や世界の発展などで訪れる彼らの妨げにしかならない。
今のとこは俺しか居ないらしいし、このライラさんの有用性が揺らいだ訳でもないし良いとするか。
〈ちなみに書く方はなんか影響あるんですか?〉
〈私に主導権を渡すのをご主人様が承認して下されば、筆記も可能です〉
なんと読み書きや会話に関しては一部の隙も無いらしい。この世界の転生者はまず言語に困ることのない優しい世界という訳だ。まぁ、その分魔獣とか居るが。
〈ですが、エイグリット様はその能力はあくまでも副次的なものでしかないと仰っておりました〉
〈副次的?翻訳がライラさんの能力じゃないんですか?〉
〈はい。私の存在をご主人様に結び付けることにはあくまで別の目的があると〉
ライラさんには実は隠された能力があるとか?そんな週刊少年なんとかの覚醒主人公じゃあるまいし。
それにあるならもったいぶらずに説明して欲しい。
「お客様、到着でございます」
俺がライラさんの気になる言葉に頭を悩ませていると客車越しにフレアさんのそんな声が響いた。いつのまにか馬車が停止している。
窓越しに視線を向けると建物の一角に巨大な柵に囲まれた屋敷が存在していた。
中世ヨーロッパ風の外観は特段、豪奢な目立った装飾は見られない。
だが、長い年月を感じさせるその佇まいは味のある美しさを醸し出している。手前の庭もしっかり手入れされており、まさに歴史ある貴族の持つ屋敷といった所だ。
散々シャウラさんが言っていた自分は偉いぞ発言は実は半信半疑だったのだが、こんな屋敷とメイドさんを所有しているのなら認めざるをえないだろう。
「少し顔色が悪いですが、一人で歩けますか?」
「あっ、座って休めて大分楽になったんで大丈夫です」
「申し訳ございません。出過ぎた真似を」
流石に歩けるくらいには回復している。
俺は心配してくれるフレアさんに感じ入りながらも、その申し出を断って馬車から地面へと降り立った。
それと同時に門扉が誰も触れていないのに自動で開き始める。
ホラー映画などで呪われた洋館に向かう時のお決まりの演出だが、これもどうせ魔法で開けたとかだろう。
第一、現代の技術で同じようなことが再現できるし驚くほどじゃない。
「では、ご案内致します」
フレアさんは恭しく一礼すると、屋敷へと歩みを進めていく。
俺はその後に続きながらも目の前の扉を開けた後の光景を頭の中に思い描く。
メイドさんが両側に立って「お帰りなさいませ」と言って出迎えてくれる王道のシチュエーションがついに実現するのか。
いや、事前に伝わってなくて、仕事をしている最中に俺がやって来て「お客様ですか!?大変失礼いたしました!」と言って慌てふためくのを見るのもまぁアリ。
〈……〉
俺のピンク色の妄想を感じたのかライラさんが呆れたような雰囲気を放っているように感じるが、気にしない、気にしない。
そして、いよいよ屋敷の中へと足を踏み入れる。
天井に大きなシャンデリア、床に高級そうなカーペットが据えられ、正面に二階へと繋がる階段が儲けられた典型的な貴族屋敷のイメージ通りの玄関ホールだった。
大量のメイドさんの歓待は受けることが出来なかったが、フレアさんという理想のメイドさんがここには居るのだ。問題は無いだろう。
「――あれ、フレアさん?何処に」
俺が屋敷内部に見惚れている間に先導していたフレアさんが視界から居なくなっている。
慌てて周りを見渡すといつの間にか彼女は入ってきた扉側に移動していた。
なんだ。ただ、扉を施錠していただけか。
しかし、なんだか直前までの清楚な雰囲気とは様子が違うような。
「ふぅ……かったるいな」
「――えっ?」
あれ、おかしいな?
この屋敷には似合わない夜中にバイクを掛けていそうな雰囲気の声が聞こえたんだが?
しかも、フレアさんの方から。
「なにを……」
俺がフレアさんの雰囲気の変化に気圧されていると、彼女はこちらを見据えて、メイドの象徴であるホワイトプリムを脱ぎ去りこう言い放った。
「さて、もう堅苦しいのは無しにしようぜ」
その粗野な口調に髪が解かれた姿はもう完全に清楚メイドではなく……ヤンキーのイメージがぴったりの姿だった。