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電話

毛色の違う作品です。エンターテインメント要素はありません。

私小説も書いてみようかと思い、執筆しました。

 その日、祖母が死んだ。

 大学入試を終えた俺、は午後二時過ぎに自宅に帰った。

 私立大学で、三教科の受験だった。

 自宅は、不動産業を自営でしている。祖父が始めた商売を、現在は父と母が二人で切り盛りしている小さな町の不動産屋である。

 自宅に戻った俺は、違和感を感じた。

 いつもであれば、上げてあるはずの、表扉の前のシャッターが下りている。

 シャッターにカギは掛かっていない。俺は、シャッターをグイッと押し上げると、表扉から家に入った

 家には誰もいない。

 一階が事務所、二階が家族の居住スペースという、小さな家である。ここで、俺は父と母、そして弟と妹二人の六人で暮らしていた。

「これは……何かあったな」

 その何かが、人の死に関することであることは、直感としてあった。

 それぐらいのことがなければ、こんな昼間に事務所を閉めて、家族が全員出払っていることなどありえないからだ。

 俺は、二階に上がり荷物を置くと、逸る気持ちを抑え、そのまましばらく待つことにした。

 当時は、携帯電話もいまほど普及もしていなかったし、当然、高校生の俺は持っていなかったからである。

 すると、三十分くらい経って、自宅の固定電話が鳴った。

「はい、三栄商事です」

 俺は、屋号で答えた。もしかすると、仕事関係の電話であるかもしれないからだ。

「あっ……マサ、帰ってきたか」

 母であった。

「実は、婆ちゃんが事故にあってな……今、市立病院に来てるんや」

 弱弱しい母の声が続いた。

 婆ちゃんとは、父方の祖母のことである。母方の祖母は、俺が物心つく頃には既に他界していた。

「事故って、大丈夫なん」

 俺が尋ねると、母は、言葉に詰まった。それでも、大丈夫でないことは、この状況が物語っていた。

「市立病院やな。すぐ行くわ」

 そう言うと、俺は受話器を置いた。


 実家の不動産屋には、店舗が二つあった。一つが、俺の自宅の一階で、もう一つは並木通りという幹線道路沿いのビルの一階であった。そのビルは、ウチと長年の付き合いのある地主の持ち物で、ウチの店が管理を任されていたのである。

 小さな町の不動産屋が、同じ市内に二店舗を構えているのにはこういう訳があった。

 その店を、祖父と祖母が営んでいた。

 祖父、祖母と言っても二人とも六十五歳を越えたばかりで、今から考えるとまだまだ働ける年齢であった。

 そして、その店のすぐ近くに、祖父母は暮らしていたのである。


 市立病院までは、自転車で約十五分ほどの距離である。俺は、学生服のままで病院に向かった。

 病院に着き、案内カウンターで祖母の名前を告げると、看護師が部屋番号を教えてくれた。

 俺は足早に、エレベーターに乗り込んだ。

「兄ちゃん……」

 三階の病室前の廊下に、弟と妹二人がいた。

「婆ちゃんは……」

 と、俺が尋ねると、弟が俺を病室へ誘った。

 病室には、祖父と父、母がいた。そして、祖母は、ベッドで目を閉じて横たわっていた。人工呼吸器を着けていたので、俺は祖母がまだ生きていることを理解した。

「婆ちゃんが自転車に乗って……信号待ちしてたらな……」

 目を腫らした母が、俺に事故の状況を説明した。

 祖母は、集金のために午前十一時ころに店を出たそうだ。そして、店の前の信号で自転車に跨った状態で、信号が青になるのを待っていた。

 その時、道路の左脇に停車していた車が発進した。

 車の運転手は、前進するはずが、ギヤをバックに入れ間違えて発進してしまい、後方で信号待ちしていた祖母の自転車と接触した。

 そして、そのまま祖母は、自転車ごと道路に倒れたとのことであった。

「事故自体は、大した事故やなかったんや……」

 母が、唇を噛みしめて言う。

「ただ、その時に婆ちゃん……頭打ってもうてな……意識が戻らへんのや」

 母の言葉を聞いて、俺は横たわる祖母を見た。

 祖母の顔は、怪我のせいか、薬のせいか……大きく腫れあがっていた。俺は、すぐに視線を戻した。

「まだや、ここからや」

 父がふいに声を上げた。祖父は俯いて、黙りこくっていた。

 俺は一言、

「そうやな……」

 と、呟くと病室を出た。

 病室を出ると、俺は一人の女性の姿に気付いた。

 年齢は四十代くらいで、グレーのスーツ姿であった。向こうも、俺の視線に気付いたのか深々と頭を下げた。

「あいつが、車運転してた奴や」

 長女が忌々しいといった様子で言葉を吐いた。


 しかし、皆の希望は虚しくも、あっさりと崩れ去った。

 容体が悪化した祖母は、午後三時四十三分に、この夜を去った。

 医師から臨終を告げられた時も、祖父はずっと頷いたままで、父は声を上げて泣いた。

 俺はただ、人はこれで終わるんだという、ある種の諦観した感情でその様子を見ていた。

 母が、嘆く父をよそに、俺たち兄弟に言った。

「お母さんから親戚には連絡するから……あんたらは、先に爺ちゃん家に行っとき」

 母から、祖父の家の鍵を受け取ると、俺は黙って頷いた。


 祖父の家までは、俺は自転車で、弟と妹二人はタクシーで向かった。

 庭付きの一戸建ては、祖父母の二人には広すぎるくらいだ。

 家の前で、弟らと合流した俺は、鍵を開けると中に入った。

「寒いな……コタツでも点けよか」

 冬の寒い空気が、家中に満ちていた。

 リビングで俺たちは、コタツに入り、母からの連絡を待つことにした。もしかしたら、親戚が慌ててこの家にやってくるかもしれなかった。

 と、その時、電話がなった。

「おかんかな……」

 弟が顔を上げた。

「出るわ」

 俺が立ち上がり、受話器を取った。

「もしもし、長岡様のお宅でよろしいですか」

 電話口の相手の声は、明るい声の女性であった。

「はい、そうですけど……どちら様でしょうか」

 俺は相手の意図を知りたかった。

「はい、私、株式会社テクノスの川上と申します」

 と、相手は名乗る。すると、相手は

「先日、フキコ様よりご依頼のあった給湯器の件でご連絡いたしました――」

「フキコ様はご在宅でしょうか」

 と、相手が用件を告げた。

 俺は、少し間を置くと、

「フキコは祖母です」

「祖母は、ついさっき死にました」

 と答えた。

「えっ」

 相手の驚く声が聞こえた。

「ですので、日を改めて連絡してもらえますか。お願いします」

 そう言うと、俺は受話器を置いた。

 受話器を置き、リビングに戻った俺に、弟が尋ねた。

「兄ちゃん、何の電話やったん」

 俺は答えた。

「婆ちゃん死んだのに、給湯器の会社から婆ちゃんいますかって掛かってきたわ。そら、婆ちゃん死んだことなんか知らんもんな」

 俺は、気が付けば笑っていた。先方が、ついさっきの祖母の死を知っているはずがないのは分かるが、そんなことよりも、祖母が死んでも家族が悲嘆に暮れたところで、世間は変わらず動いているということを改めて認識したのである。

 笑う俺を、弟は怪訝な表情で見つめた。


 それから、ニ月後、祖母の葬式も終わり。俺は、大学生になった。

 祖母は死んだ日に、受験した大学であった。

 家計は苦しく、俺も当初は奨学金を借りて大学に進学する気でいたが、祖母の事故に伴う賠償金で、学費が賄えることとなった。

 祖母は、あの日、死ぬことになるなどとは思っていなかったであろうし、車の運転手も、まさか自分が事故を起こし、それで人が死ぬことになるなどとは思っていなかったであろう。

 春の桜並木を歩きながら、俺は思った。

 それでも、運命は突然に訪れる。

 桜の花びらが一片、ふわりと、俺の目の前で舞った。

 俺は、構わず、そのまま足を進めた。


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