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強いは弱い 弱いは強い~二人の王子の運命~

作者: 佐藤アスタ

 その日、トーラ王国に待望の王子が生まれた。

 本来なら即座に国民を挙げて祝うべき慶事なのだが、未だごく一部の王宮関係者のみの秘密のまま、その中心というべき王宮のさらに奥深く、後宮のさらに最奥の部屋では、重苦しい雰囲気の中で密談が交わされていた。


「なんということだ、まさか双子が生まれてしまうとは……」

「王よ、お気を確かに」

「う、うむ、……大臣よ、まだ王妃には伝えていないのだな?」

「はい、予想以上の難産であったこともあって、王妃は体力回復のために薬で眠っております」

「ふむ、……では、双子が生まれたことはここにいる者だけの秘密とする。この国にとって双子は存在自体が不吉、もし生まれれば即刻二人とも息の根を止める仕来り」

「しかし王よ! それではこの国はどうなります!? 王と王妃の間にやっと生まれた待望の男子、まことに無礼ながら、王妃におかれましてはこれが最後の機会でありましょう。しかも、側室の方々は王太子を生むには家格の差が同程度の弱家ばかり。これで王妃以外の胎から世継ぎが生まれるとなると国が割れるのは必定!」

「わかっておる。国の行く末を思えば、この子らを死なせるわけにはいかぬ。ならば方法は一つ、どちらか一人を王子として諸侯に披露し、もう一人はいなかったことにするしかない」

「では、どちらの御子を――」


 大臣はそこで言葉を途切れさせ、王の決断を待った。

 しかし、結末はすでに見えていた。

 なぜなら、双子誕生直後に行われた宮廷魔導師の魔術によって、まるで片方がもう片方のあらゆる才能を奪ったかのように、歴然とした差が生まれていると判明したからだ。


「では、こちらのカインを跡継ぎに、そしてこちらのアベルを、信頼のおける孤児院に孤児として引き取られるよう密かに手を回せ」


 大臣は安堵と驚愕をほぼ同時に味わった。

 王命の前半は大臣の予想通りのものだったが、もう一人の子を助けるとという命は、完全に慮外のものだったからだ。


「王よ、僭越に僭越を重ねるようですが、のちの禍根となる芽は今のうちに摘み取っておくべきかと」

「大臣。くどいようだが、アベルに王たる資質は微塵もないのだな?」

「それは間違いなく。診断した宮廷魔導師は、あのハーゲンベルク師です。彼の魔術で見抜けぬ才能は有りませぬ」

「そうか、ならば余とお前、そしてハーゲンベルクが口をつぐんでさえいれば、他に漏れる危険はないわけだな。そうなれば、だれがこの子を王子だと思うであろうか? これも神が与えた試練だ、余にとっても、この子にとってもな」

「……王の御心のままに」


 はっきり言葉にこそしなかったが、王はもう一人の子を生かすように命を下した。

 すぐさましかるべきところに預けるべく、才能のない王子、アベルを抱いて下がろうとする大臣に、王が言った。


「大臣、このことを知っているのは余とお前、そしてハーゲンベルクの三人だけだ。そうだな?」

「……は、その通りで御座います」


 この日、王妃の出産に立ち会った医師、看護師、助産婦など、すべての関係者が行方を断った。

 その後、目撃されることも永遠になかったという。






 十年後、王城の中庭で元気に稽古に励む王子カインの様子を眺める、宮廷魔導師ハーゲンベルクの姿があった。

 中庭にいたのはカインだけではなかったが、全員倒れ伏していて、気絶する者うめき声をあげる者などであふれかえっていた。


「あ、ハーゲンベルク!」


 王国が誇る魔導士の姿を見つけたカインは、十歳とは思えない速度で駆け寄った。


「王子、今は剣術の稽古の時間ではないのですか?」

「うん、でも相手が全員のびちゃってさ、退屈してたところなんだ。また新しい魔法を教えてよ!」

「残念ながらこれから所用でしてな、またの機会に。それより、指導役はどうしたのです?」


 たしか、今日の指導役は王国三大騎士団の赤の騎士団長だったなと、ハーゲンベルクは記憶を辿った。


「ああ、あいつね。他の奴よりはましだったけどさ、俺がちょっと挑発したらムキになってかかって来たから、鬱陶しくなってあっちに吹っ飛ばしたよ」


 無邪気に笑いながら王城の外の方を指差すカインに、ハーゲンベルクは戦慄が走った。

 実力主義の赤の騎士団の長がたった十歳の子供に負けたことではない。その人の命を顧みない心の欠落にだ。


そこへ、


「殿下、背中が隙だらけですぞ!!」

「隙じゃなくて、誘ってるんだよ、愚かだな」


倒れたふりをして斬りかかったのは、筋骨隆々の若い騎士。

その振り下ろしをあっさりと弾いて見せたカインは、刃を潰した剣で両肩、両足、そして胴を瞬く間に打ち据えて、若い騎士に再び地を舐めさせた。


「どう、ハーゲンベルク。これで信じてくれた?」

「殿下……」


(たしかあの騎士は、剣の腕を買われた赤の騎士団でも五指に入る実力者。それを今の齢であのように圧倒するとは。……今は王や私が健在だからよいが、果たして王子立太子する頃に、間違いを正してくれる人間がどれだけいるか――)


 すでに自分が教える魔法、それに学業においても、剣術と同等の成績を修めているカイン。

 果ては並ぶ者のいない覇王か、それとも――

 ハーゲンベルクは答えの出ない難題に対して、早急に手を打っておくことを考え始めた。






 一方、捨てられた王子だと知る者が一人もいない孤児院にて、アベルは代り映えのしない毎日を過ごしていた。


「アベルにいちゃーん、またロットとエインがケンカしてるよ」

「わかった、すぐ行くよ」


 年下の女の子の知らせに、孤児院の費用稼ぎの内職の手を止めて、古ぼけた部屋から出るアベル。

 ゆっくりというわけでもないが焦りも見せないその歩みは、カインとは別の意味で十歳とは思えない。


 さほど大きくない孤児院の広場でにらみ合っている男の子二人を見つけたアベルは、側に近寄ると落ち着いた声で尋ねた。


「どうしたんだい、二人してそんな怖い顔をして。下の子たちが怖がっているよ」

「アベル」 

「アベルにいちゃん」


 片方はアベルと同い年のロット、もう片方は一つ年下のエインだった。

 そしてロットの手には、孤児院では見るのも珍しい、丸ごと一個のリンゴがあった。


「エインがこのリンゴを隠し持っていたんだ」

「それは俺が道で拾った銅貨で買ったもんだぞ!」

「だからってみんなに見せびらかすことはないだろ! 分ける気もないくせに!」

「なんだと!」


 再び熱くなった二人が互いを押し合う。

 その様子を広場の隅で見ている小さい子たちから、悲鳴交じりの泣き声が聞こえた。


「二人ともやめるんだ」


 そこに、厳しさも鋭さもまるでない、穏やかな制止の一言。

 それだけにはっきりとした意志が感じられるアベルの声は、興奮しているロットとエインをを止めるには十分な力を持っていた。


「いつも言っているだろう、楽しいことも苦しいこともみんなで分かち合おうって。リンゴだって、一人ぼっちで食べるより、みんなで分けるほうがずっとおいしいだろう、ロット?」

「それじゃ全然足りないよ!」


 アベルの諭しに抵抗するエイン。


「なら働いて、みんなで食べるリンゴを買うお金を作ればいい」

「うちの孤児院に入ってくる内職じゃそんな余裕ないだろ、アベル!」


 ない袖は振れないという、子供でも分かる理屈。

 これには、アベルと同い年のロットが反論する。

 だが、アベルはにっこりと笑って見せた。


「大丈夫。本当は準備ができるまで内緒にしておこうと思ったんだけど、この間スウェインさんから割のいい内職をもらえることになったんだ。その分作業は大変だけど、みんなで協力すればきっとちゃんとやれる。だから、このリンゴはみんなで少しずつ分けて、内職のお金が入ったらみんながおなかいっぱい食べられるくらいのリンゴを買って来よう」


 ワアアア


 まただ。

 エインだけでなく、遠巻きに見ていた小さな子たちまでもアベルに駆け寄る様子を見ながら、ロットはそう思った。

 振り返れば、アベルは幼いころから不思議と周囲を和ませるところがあった。

 どんな人に対しても人当たりが良く、アベルのことを悪く言う人間はロットも含めて誰一人としていない。

 普通なら孤児として蔑まれる立場のはずのアベルが、孤児院だけでなく近所中から好かれるアイドルのような存在に、いつの頃からかなっていた。


(別に、足が速いわけでもないし頭もちょっといいくらい、手先だって人並みだ。こう言っちゃなんだけど、特に顔がかっこいいわけでもない。だけど、アベルが近くにいるとなぜか寄って行きたくなる。何なんだいったい……)


 自分の考えに疑問を持ちつつも、ロットもまたみんなに囲まれるアベルの元へ行きたい衝動を抑えることができなかった。






 五年後、15歳になった王子カインは、長年険悪な関係にある隣国と小規模な衝突があったということで、次期国王としての箔をつけるために戦地へ赴くことになった。

 もちろん、近衛騎士を始めとした厳重な警護付きで、敵軍から狙われる心配のない、はるか後方に陣取るだけの安全な役目――


 そのはずだった。


「敵襲!! 敵襲ーーー!! 敵奇襲部隊が右前方より出現、味方防衛線を突破!! まっすぐこちらに向かってきております!!」


 背中に何本もの矢を生やした伝令が息も絶え絶えに報告してきた時にはすでに、到底味方のものとは思えない砂塵が撒き上がる光景が、カインにも見え始めていた。


「くっ、おそらくは我らの数倍の数、あの勢いを止めるのは至難の業だぞ……!!」

「殿下、ここは我らで食い止めるゆえすぐに脱出を!!」


 エリート中のエリートである近衛たちが悲壮な覚悟を決める中、側近の一人がカインを逃がそうと進言する。

 だが、それに待ったをかけたのは他ならぬ王子本人だった。


「何を言う! 敵が俺の目の前までわざわざ首を晒しにやってきたのだぞ、これで手柄を求めずにいられるか! 全員俺に続け、この手で敵を討ち滅ぼしてくれる!」

「王子! お待ちを!」


 側近が制止の声をかけた時には、もう遅かった。

 稲妻もかくやという速度で愛馬に飛び乗ったカインは、部下が呆気にとられるのにも構わず、なんと単騎駆けで敵部隊に突撃を始めてしまったのだ。


「ええい、全員突撃! 王子に続け! 敵に背中を見せた臆病者はこの私が斬る! 行け行け行けーーー!!」


 その側近の絶叫にも似た言葉で、近衛騎士たちが一斉に動き出す。

 もはやこうなっては陣形など気にしている場合ではない。

 ここで王子を死なせて自分たちだけが生き残っては、自分のみならず家族や一族縁者に累が及ぶ。

 彼らにとって意図しない形ではあったが、護衛として果たすべき責務を全うするためにはカインを追わざるを得なかった。


 だが、そんな彼らの覚悟をさらに裏切る展開が、直後に待っていた。


 装備一切が最高級、愛馬も王国一番の駿馬で、乗り手は性格以外に欠点無しといわれる天才。

 そんな、先行するカインに普通の一流である近衛騎士が追い付けるはずもなく、とうとう単独で敵部隊に接触、仕える主の無残な最期をせめて目に焼き付けようとした次の瞬間――


 ドガアアアアアアァァァン!!


「はっはあ!!」


 派手な音をまき散らしながら宙に舞ったのはカインではなく、なんとその十倍に値する敵の鎧姿だった。


「……な、何をしている! 王子の御力で敵の陣形は崩れたぞ!今ぞ好機、全員突撃、突撃だ!」


 最初こそ馬上にて呆然としていた近衛騎士たちだったが、側近の檄で一瞬で覚醒、たった一人で血路を切り拓いたカインに恐れを抱きつつも、目の前の戦場に飛び込み始めた。


 こうして、敗色濃厚だった隣国との戦はカインの単騎駆けによって一気に形勢が逆転、なんとそのまま突き進み続けたカイン自らの手で敵大将を討ち、奇跡の勝利をつかみ取った。


 だが、戦術的には無謀としか言いようのないカインの突撃によって、本来は安全な護衛任務のはずだった近衛騎士のほとんどが戦死、さらに強引な反転攻勢によってその他の味方にも甚大な被害が出た。

 また、勝利という名誉こそ得たものの、追撃戦すら行えないほどの戦死者を出したカインに対して、軍部からの評価は驚くほど低く、特に有力者がほとんどを占める近衛騎士の遺族にとっては忘れがたい恨みとなって、王国に不穏な空気を残すことになったのだった。






 同じころ、孤児院を出る15歳になったアベルは、いつも内職を世話してもらっていた中堅の商会に拾われ、その人当たりの良さから渉外担当として王国中を飛び回る多忙な日々を過ごしていた。


「会長、ただいま戻りました」

「おう、よく帰ってきたなアベル。で、首尾はどうだった?」

「はい、商会の皆さんがまとめてくれた資料のおかげで、何とか先方に納得してもらうことができました」

「よっしゃ! これで南のルートも確保できた! よくやったなアベル!」

「あ、ありがとうございます。ちょ、痛い、痛いです」


 部屋に入った途端、パッと見商会のトップというよりは山賊の親玉にしか見えない会長に、肩を強めに叩かれながら褒められるアベル。


「しっかし、お前がウチに来てもう三年か。もともと即戦力のつもりで来てもらったんだが、まさかここまでの業績を上げるたぁ、さすがアベルだ!」

「いえ、僕のような子供だけじゃ、誰も信用してくれなかったですよ。交渉の主役は一緒だった先輩達ですよ」

「バカ野郎、お前個人の伝手が繋がったから、交渉の場が設けられたんだろうが。謙遜も度が過ぎればただの嫌味だぜ!」


 がははと大笑する会長だったが、急に表情を引き締めて言った。


「だが、ここ最近王国のめぼしい商会で業績が上がってるのは、はっきり言ってウチだけだ。他は大手も含めて現状維持すらできていねえ。アベル、なんでかわかるか?」

「もしかして、この間の隣国との戦ですか?」

「そうだ。表向きは一応王国が勝ったことになっちゃいるが、戦死者は圧倒的にこっちの方が多かったそうだ。こう言っちゃなんだが、何万人兵士が死のうが常備軍だけで十万はいるって言う王国にとっちゃ、大した損害じゃねえ。だが、この間の戦は、王国軍の屋台骨を支える将校たちが軒並み戦死したって話だ。噂じゃ、王国の軍事力の三分の一が消失したんじゃねえかって言われている」

「そ、そんなに……」


 思わず固唾を飲んだアベルに、会長は深く頷いた。


「アベルも知ってると思うが、ここ数十年の王国の発展は、今の王様が軍事力に物を言わせて領土拡大に勤しんだおかげだ。その一人息子である王子も、その血を色濃く受け継いでるって言われてる。実際、戦の勝利のきっかけは王子の単騎駆けだって話らしいから、ただの噂ってわけじゃねえんだろう。だが、アレは駄目だ。あの王子の代になったら王国は滅びるぞ」

「か、会長、声が大きいですよ。誰かに聞かれたら……」

「構うもんか。この部屋は俺自ら絵図面を引いて完璧に防音を施した部屋だ。それに、ここにいるのは俺とお前の二人だけ、何の心配もねえよ」

「僕がうっかり外で喋るかもしれないじゃないですか」


 話をはぐらかすためのほんの冗談、そんなつもりで言ったアベルの言葉だったが、いつもは軽く流してくれるはずの会長の顔つきが変わった。


「バカ野郎、俺を見くびるなよ、アベル。傭兵上がりで計算も交渉事もからっきしの俺が、この商会をここまで大きくできたのはな、人を見る目だけは誰にも負けねえって自信があったからだ。その俺のカンが言ってるのさ、この先にやってくるだろう厳しい時代で、お前以外に俺の商会を背負って立てる奴はいない、ってな」

「か、会長」


 冗談が過ぎますよ、と続けることは、アベルには口が裂けてもできなかった。

 商会に就職する前、孤児だったころからの付き合いを含めると、すでに十年近く経つアベルと会長の関係。

 受けた恩は数知れず、商会に入ってようやく役に立ち始めたところだ。

 そんな父親のような人が、今まで見たことのなかったほどの真剣な目でこちらを見てきた。


「おっと、商会の他の連中のことや、時間をくれなんて言い訳はするなよ。どうせお前のことだ、あっちこっちに遠慮していることくらいすぐわかる。だが俺ももう年だ、この仕事もできてあと五年、子供もいない俺はそれまでに部下の中から後継者を決めにゃならん。だからアベル、五年だ、五年かけてお前が本当に俺の後釜にふさわしいか見極めてやる。もちろん、仕事の厳しさはこれまでとは比べ物にならん。お前のやり方が通用しない相手だって出てくるだろう。だがなアベル、お前ならきっと俺のしごきについてこられると信じている。その時にゃ、他の連中だってお前のことを本当の意味で認めるだろうさ」


 そこまで一気に喋った会長は、水差しからコップに水を注ぎ喉を鳴らしながら飲み干すと、勢いよくコップを置きながらアベルに迫った。


「さあアベル、今ここで決めろ。このままちょっと人当たりのいい一従業員として一生過ごすのか、厳しい未来の王国で人々のために汗をかく役目を背負うのか、どっちだ?」

「僕は――」






 時はさらに五年進む。


 良くも悪くも鮮烈な初陣を飾った王子カインは、順調に戦果を上げ続けていった。

 王国にとっては、初戦こそ苦い記憶となったが、それは実際に刃を交えた隣国を含めて王国と領土を接する国々にとっても同じことだった。

 多少の不利など物ともせず、たった一人で戦局を覆すカインという脅威に、警戒を強める各国。

 現国王以上に好戦的なカインを討とういう複数の敵国から、両の手では数えきれないほどの侵攻を受けながらも、カインはそのことごとくを退けつつ、逆侵攻をかけて次々と領土を切り取っていった。


 ――初陣と変わらず、少なくない味方の犠牲を戦のたびに払いながら。


 そんな中、王都にある三大騎士団の一つ、青の騎士団本部のある一室では深刻そうに話す二人の男女がいた。


「団長、今回の戦死者遺族への補償の手続きが完了しました」


 一人は、士官用の軍服の中に窮屈そうに自分の体を押し込んだといった感じの偉丈夫。

 一見すれば騎士団の長と見まごうほどの貫禄を持っているが、その言葉遣いは明らかに目上の者に対するものだった。


「ご苦労でした、副官殿。これで、先の戦の戦後処理はひと段落しましたね」


 そう年上の副官に応じながら、部屋の奥の椅子に腰掛けて頭の痛い報告を聞いているのは、流麗という言葉が似合う男装の麗人。

 その立ち振る舞いはこの部屋の、青のの騎士団長執務室の主にふさわしいというほかなかった。


「ですが団長、我が騎士団だけでも失った騎士の数は十ではききません。これだけの数の士官をこうも立て続けに失っては、命令系統すら維持できなくなります」

「……しかもカイン殿下は、一年以内のさらなる侵攻をお考えのようです」

「真ですか!?」


 青の騎士団長の言葉に目を剥いて驚きを見せる副官。


「さきほど出席した会議で正式に王子、いえ、先日正式に立太子の儀を終えられた、カイン殿下御本人の口から告げられました。確かに敵が退いた今、戦略的に追撃をかけるべきなのは理解できます」

「しかし、それは王国軍の力が健在だという前提あってのもの。このまま熟練騎士の減少が続けば、いずれ再起できないほどの大敗を喫しますぞ」


 暗に王国批判をする副官。

 本来ならそれをたしなめるのが上官の役目と分かりつつも、自分よりもはるかに実戦経験の多い年上の部下による、実感を伴った重い言葉に、青の騎士団長は反論ではなく会議の続きを説明することで応えた。


「ところが、殿下は指揮官が不足している問題は、近衛騎士団で補うと仰られました」

「そんなことが可能なのですか!?」

「どうやら、連戦連勝の殿下直属の近衛騎士団の人気が急上昇しているそうで、王国内だけでなく他国の名のある傭兵なども続々と集まっているそうです」

「なんと……」

「しかし、殿下はどこまでやるおつもりなのか――」


 首を振りながらため息をつく青の騎士団長。

 それが王太子カインの急激な軍拡政策に対するものであることは、副官にも容易に察せられた。


「侵攻に次ぐ侵攻で疲弊しているのは軍だけではありません。噂では、占領した土地に派遣する内政官の育成も追いついていないとか。また、新たに加わった領民の反発も強く、新領地のあちこちで反乱の兆しがあるとも聞きました」

「近頃では、王国に辛酸をなめさせられている国々が同盟を結んで対抗しようという動きもあると、間諜の報告もありました。まさに内憂外患ですな。ですが団長、さすがにそろそろ陛下が殿下をお止めになるのでは?」


 現国王は政治手腕に長けているという評判はただの噂ではない。

 そのことをよく知っている副官は、鶴の一声によって王太子カインの拡大路線に歯止めがかかることに期待していた。

 だが、男装の麗人の顔色は優れないままだった。


「いいえ、それは期待できそうにありません」

「なぜですか団長!? カイン殿下を止められるのは今や陛下御一人のみです! そのことを陛下がご存じないはずがありません!」

「……このことは他言無用です。実は、一月前に陛下がお倒れになられました」

「――っ!?」


 人生でも一二を争う衝撃を受けた副官は、一月前と言えばそれまで一度として前線を離れることのなかったカインが突然王都へ帰還し、残された側近たちが右往左往していたことを思い出していた。


「幸い、一命は取り留められたのですが、意識は戻らないまま小康状態が続いているそうです。このことは、私を含めた三大騎士団長と、陛下ご側近のごく一部しか知りません」

「では、このままでは――」

「ええ、遠からずカイン殿下が王位を継承し、王国の内外でこれまでよりも厳しい情勢になることはほぼ間違いないでしょう」

「なんと……」


 暗黒の未来を想像して絶句する副官。

 カインがまだ暗愚なだけだったら、ここまで絶望はしなかった。

 そのいで立ちは見目麗しく、剣を取れば叶うものなし、さらには出自にこだわることもなく身分の低い者にも気さくに声をかける性格。

 これで庶民から人気が出ないわけがない。

 副官自身もほんの数年前までは、そんなカインをほほえましく見ていたものだ。


 だが、それもこれもカインが子供だったからこそ。

 実際に王となり政治に関わることになれば、そんなカインの美点は足かせへと一気に変貌する。

 自己主張の強すぎる君主ほど始末に負えないものはない。

 なぜならそんな王の功績の陰には、必ずと言っていいほど膨大な数の屍が積み上がることになるからだ。

 そしてそれは、敵よりも味方の方に多大な犠牲を強いることになると副官は予感していた。


「時に、ある噂が市井の間に飛び交っているのは知っていますか?」

「噂、ですか?」


 そんな上官の切り出しに、直視できない話題を無理やり切り上げたのかと副官は思った。


「なんでもカイン殿下には双子の兄がいて、そのもう一人の殿下は生まれた直後に王宮から出され、今は市井に紛れて暮らしているそうです」

「眉唾ものですな。今頃は衛兵隊によって噂の出所が突き止められ、犯人が逮捕されている頃でしょう」


 どこの命知らずか知らないが、近いうちに極秘裏に処刑されて終わりだろう。

 副官の感想はそれだけだったが、青の騎士団長は首を振ることでその結末を否定した。


「それが、どうやら噂の出所は衛兵隊が手出しできないほどの身分の持ち主らしいのです」

「――それが本当なら、真偽のほどはともかく立派な反逆罪ですぞ」

「ええ、そこまで具体的な話が出てきている以上、間違いなくその人物は実在するのでしょう。それも王宮の奥深くに関われるほどの人物です」

「なんと……」

「それからあともう一つ、最近まことしやかに囁かれている噂があるそうです」

「どのような?」


(もし、もしそのもう一人の王子が王になるにふさわしい人格を備えていたなら――)


 埒もない噂話に自分の心が躍ることに躊躇しながらも、副官は青の騎士団長の話の続きを急かさずにはいられなかった。


「その王子の名はアベル、と言うのだそうです」






 同じ頃、王都から離れたある町ではこんな話が、男二人の間で交わされていた。


「おい聞いたか?」

「何をだよ」

「うちの町の商人ギルドもようやく合流するらしいぜ」

「合流って、もしかして――」

「ああ、《同盟》だ」

「そうか、この町のジジイ共もようやく重い腰を上げたか」

「まだ上の方は必死に隠してるがな。だが、戦争続きでどこもかしこも品不足に陥っているのに、いきなり明日から取引量が三倍、一品当たりの金額に至ってはむしろ下がるって聞いたら、同盟入り以外に考えられねえからな」

「そりゃ間違いねえな。これで売るもんが無くて閉まってた酒場や出店も再開できるだろ。俺達にとっちゃ良いこと尽くしだ。だがよ、同盟はなんでそんなことができるんだ? 俺が聞いた話じゃ、今でこそ同盟なんて大層な名前がついちゃいるが、元々はただの互助会みたいなもんだったらしいじゃねえか。どうやったらそんな採算度外視みたいな取引を、しかも王国中をまたぐような大規模にできるんだ?」

「それがな、どうやら同盟立ち上げの中心的役割を担った人物がいるらしいんだが、全部その人の伝手らしいぜ」

「……いや、それはさすがに嘘だろう? ていうか、なんでそんなこと知ってるんだよ?」

「俺も噂を聞いただけじゃさすがに信じなかったさ。だけどな、この間見ちまったんだよ」

「見ちまったって、何をだよ?」

「たまたま仕事で商人ギルドに用があった時に、ちょうどお偉いさんと同盟の盟主が会談を終えた直後に出くわしてな、その盟主の顔を拝む機会があったんだよ。それで確信しちまったってわけだ」

「なんだよ、もったいぶらずに言えよ」

「言葉じゃ伝わらねえ気がするんだが、……なんていうか、この人が言うことだったら間違いねえ、そんな気にさせるオーラっつうか、とにかくすごかったんだよ!」

「おおう、いきなりテンション上げてくるなよ、びっくりするじゃねえか。それに、そんなこといきなり言われてもさっぱりわからねえよ」

「ああ、すまんすまん。まあ、あれは実際に自分の目で見た人間じゃないと伝わらねえよな。まあ見てろよ、すぐに町の景気がガラリと良くなるからよ。そうすりゃお前も、あの人のすごさがちょっとは分かるだろうぜ」

「ふうん、まあ期待しないで待ってるよ。ていうか、その同盟の盟主ってのを実際に見たんだろ?もうちょっと年恰好とか、言えることがあるだろ」

「んー、変な風に誤解されそうだからあんまり言いたくないんだがな。背格好はちょっと細身で背が高い方かな。んで、年はちょうど俺達の半分くらいだ」

「なんだそりゃ? 俺達の半分っていやあ、まだガキじゃねえか!?」

「バカ野郎! あの人は年なんか関係なくすげえんだよ! なんつうか、生まれながらの気品っつうか、人の上に立つ器っつうか、とにかく一度見たらわかるんだよ! あのアベルさんのすごさはな!」






 再び場所は王都へ戻る。


 青の騎士団本部などの集まる行政区とは正反対の商業区、その中央にあるひときわ大きな建物では、王都商人の顔役たちが勢揃いしての、会議の真っ最中だった。


「というわけで、今回東部の交通の要衝であるトルスの町が同盟に加入したことにより、王国の商業圏をほぼ網羅できる体制が整いました。もちろん、これは近年王国の版図となった新領も含めたものです。同時に、迅速に王国中に情報を伝達できる体制の整備も完了したことを、併せて報告いたします。私からは以上です」


 ただ一人立ち上がっていた、能吏と言った感じの若者が席に着くと、長机の上席に座っていた初老の男が入れ替わるように立ち上がった。


「さて、これによって、今まで相互不干渉だった王国中の商人ギルドが史上初めて一つに纏まったわけだが、それと同時に王国全体の経済状況も、予測ではなくしっかりとした情報として把握することができるようになった。まあ、ここにお集まりの皆さんはそれぞれ独自の情報網をお持ちなので、ある程度は事前に把握していたとは思うが」


 少しおどけた感じで話す同盟幹部に、苦笑の声がそこかしこから上がる。

 だが同盟幹部の次の言葉で座の空気は一気に冷却された。


「結論から言おう。このままでは十年以内に、王国の経済は破綻する」


 室内がざわつく――ことはなかった。

 代わりに訪れたのは静寂、それも驚愕から来るものではなく、心のどこかでこの日がやってくることを予感していたといった風の緊張感だった。


「やはり決定的だったのは、カイン王太子殿下主導による、近年の領土拡大政策だ。先――失礼、現王も大陸統一の野望を持っていることは王太子と変わらないが、それは軍事と外交の硬軟織り交ぜた緩やかな侵略だった。だが王に代わって若き王太子が実権を握るようになると、王国政情は一変した」


 まだ二十歳そこらのカインが父である王をないがしろにするようなやり方に変えたことに、疑問を持つ者はこの場にはいなかった。

 現王が病に倒れて意識が戻らないこと、そして魑魅魍魎が跳梁跋扈する王宮において、なんとまだ十代だったカインが誰の後ろ盾も得ずにすべての政敵を蹴散らして主導権を握った、という情報を全員が掴んでいたからだ。


「この拡大政策によって、食糧を始めとした王国内の流通量は急激に低下した。若い男を中心に戦死者も相次ぎ、消費量も減少していることから飢饉こそ免れているが、同時に働き手を失っているため以前の水準に戻すのは容易なことではない。――それもこれも、これ以上の戦が起きないことが大前提だが」


 その報告に室内に重苦しい雰囲気が流れるが、それと同時になぜか安堵の色を見せるメンバーも少なからずいた。

 そしてその視線はある一点、長机の最上席に座る、柔らかな雰囲気を持つ一人の青年に注がれていた。


 同盟盟主アベル。


 五年前、ある中堅商会の後継者に指名された彼は、前会長の持つコネクションを最大限に利用して王国中を飛び回って人物という人物に会い、その知識や経験を貪欲に吸収した。

 そして前会長の予言した、五年よりもはるかに短い二年で商売の全てを知り尽くしたアベルは、この先やってくるであろう厳しい時代を見越して同盟を設立、王国経済の効率化を目指した。


 驚くべきは同盟の規模拡大のスピードだった。


 まるで後継者指名最初の二年の頃からこの状況を予期していたかのように、アベルと知己を得た有力者が続々と同盟入りを表明。

 これには百戦錬磨の王都の大商人たちも、情報を得た時にはすでにアベルの手腕を認めざるを得ない状況になっていた。

 そして同盟立ち上げから三年後、根気強いアベルの交渉に王都圏中の商人が同盟の仲間入りを果たし、自動的に王国全土に影響力を持つ一大組織へと急成長したのだった。


「それで、同盟傘下の商会の現在の経営状況はどうですか?」

「は、はい」


 会議が始まってから初めて穏やかに口を開いたアベルの質問に、担当幹部が鯱張り(しゃちほこばり)ながら立ち上がる。


「今日までに届いた報告では、赤字を出した商会は全体の一割程度ですが、経営に影響するほどの損失を出したところは一つもないそうです」

「そうですか、それはよかった。同盟の意義がようやく出てきましたね」


 そう言って安堵の言葉を紡いだアベルに内心同意した幹部は、一人や二人ではなかった。

 それもそのはず、もはや恐慌寸前まで悪化している王国経済において、主だった商会がまだ一つも破産していないという不可思議な現象が現在発生している。

 その理由はもちろん同盟だ。

 相互扶助を目的とした同盟に入ることによって商業の流通を一元管理し徹底した効率化を図った結果、本来ならすでに潰れていてもおかしくない中小の商会がこの状況の中でも生き残れるようになったのだ。

 もし同盟がなければ、やがてその影響は大商会にも当然飛び火して甚大なダメージをもたらしていただろう。

 この室内には、同盟入りしていなければ今頃はとっくに商人の看板を下ろす羽目に陥っていたであろう者たちが少なからずいた。

 そして、彼らを含めた幹部全員が心の拠り所としているのが、この場にいる最年少であるはずのアベルという若者なのだ。


「さてみなさん、今回会議の場を設けたのはみなさんからの要望があったからと聞いています。現状の把握はこれくらいにして本題に入りましょうか」


 アベルの言葉に、沈黙したまま視線のみで互いの意思を確認する幹部たち。

 やがて意見の一致を見たようで、アベルの隣に座っていた最高幹部の老人が口を開いた。


「アベル殿、最前の報告の通り、王国経済は未曽有の危機に瀕しています。王国内では多くの戦死者が出て労働力が激減し、無秩序ともいえるカイン王太子の侵攻によって周辺国との関係も王国史上最悪と言われております。それでもまだ王国の体制が維持できているのは、カイン王太子が軍を率いて以降一度も負けたことがないからです。ですが、それは言ってみれば内需の不足を他国から奪い取って補っているにすぎず、一度でも戦で敗れれば内と外の両方からの王国の崩壊という、最悪の結末を招くことでしょう」

「それは、同盟の結束力をもってしても抗えませんか?」


 わずかに声のトーンを落としつつも落ち着いた様子で質問するアベルに対して、最高幹部の老人は首を振った。


「確かにアベル殿の尽力で同盟は、以前の三倍の収益を上げることができるようになりました。しかし、それはあくまでこれまで無駄にしてきたものをすくい上げたにすぎず、実際に荷の総量が増えたわけではありません。やはり、平時の国内生産と他国との交易の双方を再開できなければ、いずれ同盟内でも不渡りを出す商会が出てきましょう」

「……困りましたね。とはいえ、僕にできるのは人に会ってお願いすることだけです。王国内で活路が見いだせないなら、やはり他国へ赴いての交渉に望みをかけるしかありませんね」


 そう言いながら、明日からのスケジュールを頭の中で確認し始めたアベル。

 王国の経済界の大物となった今でも謙虚な姿勢を崩さない若者に、好意の視線を向ける同盟幹部たちだったが、それとは別に、どこか戦に臨む戦士のような面持ちも含んでいた。


「アベル殿、実はアベル殿には内緒で他の者たちと話し合ったことがあるのですが――」

「何でしょうか?」


 口火を切った隣の席の老人に、邪気のない瞳で問いかけるアベル。

 だがその一方で、先代会長から仕込まれた商人の勘が、室内に充満した只ならぬ雰囲気を感じ取っていいた。


「もしかして、盟主の交代を要求したいのですか?確かに、同盟のシステムが軌道に乗った以上、誰が盟主をやっても最低十年は十分に機能できるように、要所要所に人材をあてがってあります。それが皆さんの総意なら、僕は喜んで身を退きますよ」

「そんな!?」「滅相もない!」「アベル殿あってこその同盟ですぞ!」

「彼らの言う通りですアベル殿。アベル殿あっての同盟、この大原則が揺らぐことは決してありません」

「そうですか、こんな若輩者にそこまで思っていただけるなら、僕のできる限りでこれからも同盟に貢献していきたいと思います」


 その言葉に、最高幹部の老人を含めた全員が安堵の吐息を漏らす。

 だが本題はここからと気を引き締めなおした老人は、改めてアベルに向き直った。


「アベル殿、アベル殿はカイン王太子のことをどうお思いですか?」

「……そうですね。剣技、魔法、軍才に優れ、快活な性格で、特に近衛騎士団や民に人気のある御方だと思います。古の時代の覇王とはあのような方のことを指すのでしょうね」

「これは聞き方を間違えたようですな。では、はっきりとお伺いしましょう。アベル殿はあのカイン王太子が、次代のトーラ王国を背負って立つにふさわしい御方だと言い切れますかな?」

「それは――」


 反逆ですか? と、アベルは言葉を続けることができなかった。

 カインの拡大政策によって一番被害を被っているのは、アベルたち商人だ。

 王宮や軍からは事あるごとに徴発の標的にされるし、民衆からは物価の高騰の元凶呼ばわりをされて打ちこわしの被害に遭った商人も何人か出ている。

 いち早く王国の経済危機を察したアベルは、同盟を立ち上げて彼らの破産を防いだが、それもいつまでもつか分からない。

 このままいけば遠からず王国そのものが破綻する。

 その確信があるこの部屋に集った商人たちが、カインの王位継承に疑問を持つことは至極当然のことだった。


「真に僭越ながら、私たちの一存で三大騎士団の各団長にそれとなく話を持ち掛けてみました」

「――っ!?」


 唐突すぎる老人の言葉に、さすがのアベルも温和な顔を崩さずにはいられなかった。


「結果は私たちの予想通り、御三方から快諾をいただきました。そこで、三大騎士団と私たちの伝手を使って密かに傭兵を雇い入れ、王都周辺の村々に潜ませております。その総数は、敵である近衛騎士団のざっと十倍。ここ最近急激に戦力を増強してきた近衛騎士団とて、これにはひとたまりもありますまい」

「あ、あなたたちは……」

「アベル殿、どうか最後まで話をお聞きください。もちろんここまで大規模な準備をすれば、しかるべき王宮の役人にも情報が伝わってしまうことは分かっております。しかし、カイン王太子のやり方についていけないのはこれまで王国の内政と外交を司ってきた王宮とて同じことです。昔から何かと(よしみ)を通じてきた彼らとは、かなり以前から具体的な計画を密かに練ってきました。現段階で、この計画が王太子側に漏れてはいないと言い切れます」


 最高幹部の老人の言葉と、それ以上に決死の覚悟を漂わせる参加者たちの表情を認めたアベルは、やや間をおいてから口を開いた。


「……そうですね、どれだけ商売に専念しようとも、同盟が行き着く先は結局反逆しかなかったんですね。わかりました、貴方たちが生贄になれと言うなら、僕は同盟盟主としての責任を全うしましょう」

「そう言っていただけるのは嬉しいのですが、……どうやらまた、持って回った言い方でアベル殿を勘違いさせてしまったようですな」

「え……」

「先ほども言いましたが、アベル殿あってこその同盟、そしていまや同盟なしに王国は立ち行かない。だからこそ、王家に対して弓を引くかどうかの判断はアベル殿に委ねたいのです」

「でも、聞いた限りでは、いずれ王家に反逆の準備が露見することは避けられないのでは?」

「はい、実際に兵と武器は動いているのですから、秘密の保持には限界があります。ですが、その時は若いアベル殿を差し置いて我々だけで仕組んだと言えばそれで済むこと。王国の未来を憂いた時から、いざという時の覚悟はできております」


 最高幹部の老人の言葉にハッと気づき、室内を見渡すアベル。

 その視線が捉えたのは、目の前の老人と同じ表情でアベルの目を見つめる同盟幹部全員の姿だった。


「……ありがとうございます、僕のことをそこまで信頼してもらって。――正直、王家を打倒するなんて選択肢は、僕の中には微塵もありませんでした。同盟を設立したのは、あくまで品不足にあえぐ皆さんの状況を少しでも良くしたかっただけに他なりません。孤児院出身の僕ができるのはみんなの声をよく聞いて商売に生かす、それだけだと思ってきたし、これからもそれは変わらないでしょう」


 柔らかい口調であると同時に固い信念を覗かせるアベルの言葉に、計画の失敗を覚悟する幹部たち。


「ですが、皆さんは僕あっての同盟と、そこまで僕のことを信頼して、反逆の準備までしておきながらその是非を委ねてまでくださいました。ならば僕もそれに対してこう答えましょう。同盟が、僕が今ここにいられるのは皆さんのおかげ、皆さんあっての同盟なのだと」

「おお、それでは!」


 思わず席を立とうとする最高幹部の老人を手で制するアベル。


「ですが、その前に一つだけ聞いておかなければなりません」

「何なりと」


 アベルの問いかけに即答で返す老人。

 その反応に頷いたアベルは質問を続けた。


「恐れながら、現国王陛下は危篤ともっぱらの噂です。王宮から洩れ聞く話では、状態が持ち直したとしても、もはや政務に復帰するのは難しいとのこと。だとすると、カイン王太子を取り除いた場合、王家の血が途絶えることになります。それではたとえ反逆が成功したとしても、民が納得しないでしょう。今回の計画でその点はどうなっているのですか?」


 アベルの疑問に、同盟幹部たちの間でも当惑が広がっていく。

 古今東西、大義名分なしに革命反乱の類いが成功したためしはない。

 普段名よりも利ばかりを追い求める商人にとって、完全に盲点だったらしい。

 だが、今も王都商人の実質的な顔役を務める、最高幹部の老人の表情は落ち着き払っていた。


「心配いりませぬ。実はさる信頼できる筋から、隠された王家の血筋についての情報を得ております」

「その言い方だと――いまはその方の名も居場所も明かせないということですね?」

「申し訳ありません、先方とは、しかるべき時まで秘匿すると約束がございまして――」

「そのしかるべき時とは、計画が成功した時、と考えていいんですね?」

「はい。その時には、情報源の人物の正体と共に、王家の方の名と居場所を明かしてもらえる、そういう手はずになっております」


 その老人の言葉を聞いたアベルは目を閉じて、じっと考え始めた。

 その決断をひたすら待つ幹部たちは一言も発しない。

 やがて、ゆっくりと目を開いたアベルは決然とした表情で静かに告げた。


「すでに後戻りできないところまで準備が進んでいる以上、これ以上時間をかけるのは愚策でしかありません。実際の段取りは全て皆さんにお任せします。今すぐに決起に向けて各々の仕事に取り掛かってください」


 眩しいほどの威厳を感じさせるアベルの決断に、黙礼で返答した同盟幹部たちは、そのまま一言も発さずに部屋を出ていった。

 それを見送ったアベルは、


「それでは僕も、自分の商会へと戻って支度を整えます」

「承知しました。すべての準備が完了したら迎えを送ります」


 そう言って部屋を出ていくアベルを、ただ一人部屋に残った最高幹部の老人が見送る。


(これで、これでいい。ようやくあの日の誓いを果たせそうですぞ、○○○殿――)


 老人の声にならない呟きは、がらんとした室内の空気にひっそりと溶けて消えた。






「敵襲!! 敵襲ーーーーーー!!」

「騒々しい! 何事か!?」


 ここは王城の中、王太子カインの執務室。

 現王が病に倒れてからは、彼とその側近の近衛騎士たちにより実質的に王国の方針を決める、まさに王国の中心となっている。

 当然、参加できる人間は限られており、今や大臣ですら事前に約束が無ければ入れない、いわば王太子派の独壇場となっていた。

 だからこそ、返答も待たずに唐突に入ってきた兵士に対して、会議中の側近たちから厳しい目が向けられた。

 ――兵士の言葉の意味を理解するまでは。


「敵襲だと? バカな」

「今や飛ぶ鳥を落とす勢いの我が国に、一体どこの国が攻め入る気概があるというのか」

「誤報に決まっている」

「おい貴様、気は確かか? 事と次第によっては打ち首では済まんぞ?」

「ち、違います。敵は他国にあらず、内乱です!」


 自分よりもはるかに身分が上の騎士たちの言葉に冷や汗が止まらない兵士だったが、それでも役目には忠実だった。


 ピクリ


 そして、兵士の伝令に唯一正しく反応したのは、この部屋の――この王城の実質的な主である、王太子カインその人だった。


「内乱だと? 詳しく話せ」

「殿下、お気になさることはありません。直ぐに追い払いますゆえ」

「……少し黙っていろ、アテルス。俺は今、そこの伝者と話しているのだ」

「は、ハッ!! 失礼いたしました!!」

「わかればいい。そこのお前、続けろ」


 前半は側近の一人へ、後半は兵士へ、カインは短くも威厳のある声で報告の続きを促した。


「ハッ! 敵はすでに四方から城壁を包囲、そのうち三方は赤青白の三大騎士団の旗、残りの一軍は詳細不明ですが、装備のばらつきから複数の傭兵団からなる連合軍の可能性が高いとのことです!!」

「そうか、報告ご苦労」

「ハッ! 失礼いたしました!」


 緊張と興奮で体を震わせながら去っていく兵士を見届けてから、カインは側近たちを見回した。


「何をしている、さっさと敵の情報を集めて来い」

「「「ハッ!!」」」


 カインの言葉を聞き違える者がこの場にいるはずもなく、側近たちはすぐさま状況を把握するために一斉に執務室を後にした。

 ちなみに、誰一人その場に残ろうとしなかったのは、彼らがカインの性格をよく把握しているからに他ならない。


「…………おのれ、反逆者どもめ」


 爆発寸前だった怒りを、その言葉を小さく吐くだけで抑え込んだことは、まさにカインの意志の強さの賜物だった。

 もしその場に誰かが同席していたら、言葉の代わりに剣が抜かれて哀れな犠牲者が出ていたことだろう。


 そうしてカインはゆっくりと怒りを鎮めた一時間後、できうる限りの手段で情報をかき集めてきた(荒っぽいやり方も含めて)側近たちが示し合わせたかのように戻ってきて、詳細な状況が明らかになった。


「やはり反旗を翻したのは三大騎士団すべてで間違いありません」

「四方の跳ね橋の封鎖に成功しました! これで奴らは堀を乗り越える以外に城内に侵入する手立てを失いました!」

「傭兵団の方も精鋭です。少なくとも、ヨング、ヘーデンツ、アガルシャの参加が確認できました」

「敵の総勢は約五千」

「幸い、王城内で警備と訓練にあたっていた近衛騎士団が総勢千。さしあたっての籠城には支障ありません」

「どうやら傭兵の雇い主は例の商人どもの組織、同盟のようです」

「同盟? 今、同盟と言ったか?」


 気になるワードを耳にして、側近の報告を途中で遮るカイン。

 反逆という特殊な状況とはいえ、いつもとは様子が違う主に違和感を覚えつつも、最後に発言した側近が大きく頷いた。


「はい。三大騎士団は現在規模を縮小中なので、あれほどの傭兵を雇う資金力はありません。さらに物見からは、傭兵共の後方に非武装の集団を発見したと報告が入っております。その中の数人の顔が――」

「同盟幹部のものだった、というわけだな」

「は、その通りでございます」

「そうか……」

「王た――」


 瞑目して考え込むカインに話しかけようとした側近の肩を別の騎士が掴んで制止する。

 長いようで一瞬に思えた重苦しい沈黙の時間は、執務室の主の眼が開かれたことで終わりを告げた。


「打って出るぞ。籠城に活路はない。直ぐに門の守護以外の全騎士を集めろ」


 カインのこれまでの強引な命令の数々に慣れ切った側近たちも、これには驚きを隠せなかった。


「お、お待ちください! 王太子が何かを察せられたのは理解しました。ですがどうか、我らにもそのわけをご教示ください!」


 自分たちの保身のためではない、あくまでカインの元で十全に働くためだと自分に言い聞かせながら、別の側近が決死の覚悟で問いかけた。


「答えたくないわけではない。ただ単に、その時間がないだけだ」

「それはどういう――」


 側近たちはそれ以上、カインと会話を続けることができなかった。

 問答している場合ではないと、次に飛び込んできた伝者の声で、これ以上ないほど理解させられたからだ。


「伝令! は、跳ね橋が、四方の跳ね橋が下ろされていっています!!」






「どうやら予定通り、上手くいったみたいですね」

「はい、やはり王太子派は官僚たちから嫌われていたばかりか、その自覚すらなかったようですな」


 数多の敵軍が難攻不落と称えた王城の跳ね橋が、内通者の手引きによって下ろされ、その神話に終止符が打たれようとしている様を、アベルと同盟幹部の面々は敵の矢が届かないはるか後方から見ていた。


「問題はここからですな。果たしてうまく引っかかってくれるかどうか」

「大丈夫でしょう。いくら諜報力で劣る王太子派とはいえ、さすがに首謀者が我らということくらいは気づいているはず。でなければ、わざわざこの身を晒した甲斐がないというもの」

「何より、雇い入れた全傭兵団から、敗北はあり得ないとのお墨付きをもらっていますからな。いくら英雄と持てはやされようとも王太子とて人の子。むしろ、あの方が得意な戦で堂々と打ち破ってこそ、我らの正当性が証明される」


 戦場という慣れない空気を吸っているせいか、普段は無駄口をたたくことのない幹部たちの饒舌な様子を、黙って見守るアベル。


(王太子カイン殿下。できれば一目だけでも会って、人となりを知ってから決めたかったけど……)


 だが、同盟盟主として交渉のために王国中を飛び回るアベルと、休む間もなく戦場という戦場を駆け回るカインが出会う機会など、どう考えてもあり得ない。

 結局、こういう形でしか関わりを持てなかっのだと思いつつも、それでもアベルは悔いを感じずにはいられなかった。


「急報、急報ーーー!! フルプレートの一団が傭兵団を蹴散らしながら、まっすぐこちらに突っ込んできています!」


 そんな物思いにふけるアベルの意識を覚醒させたのは、敵がこちらに狙いを定めたという知らせだった。


「やはり、こちらに来ましたな」

「それはそうだろう。何しろ他の門には三大騎士団が陣取っている。ついさっきまで友軍だった相手だ、いかに近衛騎士団とて躊躇いもあろう。当然、傭兵と戦う方が士気が下がらん。それに、指揮系統が一本化できない傭兵団相手なら包囲を抜けられると踏んだのだろうな」

「特に工夫もないが、それだけに迷いなく我らを討ちに来ているようだな。さすがはカイン殿下」

「――では、アベル殿」

「ええ、手はず通り、後退しましょう」


 指示を促す幹部の声に頷いたアベルは、圧倒的優勢にもかかわらず本陣を動かすことを宣言した。






「殿下!敵本陣と思われる旗が下がっていきます!」

「おお、さすがは殿下!」

「遠目からあれを本陣と見抜くとはまさに慧眼!」

「所詮商人どもだ、まだこれだけ離れているというのにもう逃げだしておるわ!」

「殿下! 敵本陣が下がっている以上、ここは追撃をかけるのが上策かと! 思ったよりも敵の後退が早い、今動かねば機を失いますぞ!」


 周囲の騎士だけでなく信頼を寄せる側近からも強気の言葉を聞いたカイン。

 だが、戦場の空気を読むという点において並ぶもののない天才と称されたカインの勘が、これ以上進めば全滅すると囁き続けていた。


(罠があるのは間違いない。それも、俺の力を知ってなお勝利を確信するほどの危険な仕掛けが。だが、面白い……!!)


「進むぞ。あの本陣さえ潰せば包囲から抜けられる。それまでは全員、気を抜くなよ」

「「「ハッ!!」」」

「大将首もらったーーー!!」

「邪魔だ、どけ」


 一糸乱れぬ返事と行軍で応える側近たちに小さく頷くと、カインは目の前に立ちふさがった巨漢の傭兵を一刀のもとに斬り捨て、自ら先頭に立った。


 そうして、つかず離れずの距離を保ちながら逃げ続ける敵本陣に、不信を抱き始めた騎士が現れだした頃、


「突破! 敵陣を突破しました!」


 ついにカインの前に立ちふさがっていた傭兵の部隊が途切れ、アベル達同盟幹部が集う本陣が丸裸になった。


「ふん、所詮銭勘定しかできぬ者たちだったな!」

「殿下、あとはあの愚か者たちを討ち取れば我らの勝利です!」

「バカが! 戦力を分散させすぎたな!」


 敵に最後のとどめを刺そうと血気に逸る騎士たちが、今か今かとカインの命令を待つ。

 だが、当のカインの目は、映るもの全てが凍り付きそうなほどに冷め切っていた。


「ここは、広場か。――そうか、ここか」

「殿下! ご命令を! ……殿下?」

「全員、防御陣形」

「で――」


 カインの言葉が、周囲の騎士に届くか届かないかの刹那、


 ヒュウウウゥゥゥ――――   ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ!!


 空から降ってきた無数の矢が、近衛騎士団がいる広場を埋め尽くした。


「で、殿下……」

「やはり罠だったか」


 カイン本人と、その声に反応して盾を掲げた側近たちは何とか無事だったが、周囲には、ハリネズミと化した騎士たちの半数が動かなくなり、残り半数が絶叫とうめき声をあげていた。


「て、敵襲ーーー!! 敵襲ーーー!! 前方の左右の道から出現!! 左は赤の旗、右は青の旗、間違いありません! 赤の騎士団と青の騎士団です!!」

「こ、後方からも敵が……!! 掲げるのは白の旗、白の騎士団です!!」


 側近たちが被害を確認する間もなく、さらなる凶報があちこちから届く。


「バカな!! 我らが誘い出されただと!?」

「敵は烏合の衆だぞ!! どこに我らを出し抜ける策を用意できる軍師がいるのか!?」


(その通りだ。三大騎士団にそんな知恵者がいたなど、聞いたこともない。かといって、傭兵風情が思いつける規模でもないし、商人どもに至っては論外だ。……どうやら入れ知恵した奴がいるらしいな。といっても、城を包囲――それ以前に反乱を察知できなかった時点で近衛騎士団(こちら)は詰んでいた。これ以外にやりようはなかったか……)


 口にしても騎士たちの士気を下げるだけだ。

 そう断じたカインは、心の内だけで状況を整理し、理解した。


「――っ!?前方! 下がり続けていた傭兵団が戻ってきました!」

「くっ、これで退路は完全に断たれたか」

「かくなる上は――」

「見事、騎士道精神を貫くのみ!!」


 今や、総数の二割にまで数を減らした騎士たちは最期の覚悟を決め、自分たちの主の号令を聞くために振り返った。


 そこで、彼らは見た。

 ここ数年では戦場ですら感情を表に出すことのなくなった王太子カインが、猛獣のように歯を剥き笑いながら号令をかけようとする横顔を。


「全軍、突撃---------っ!!」






「どうやら、最後の戦いが始まったようですね」

「完全包囲された上に、圧倒的少数で広場に誘い出されたのです。これではカイン殿下と言えどもひとたまりもありますまい」

「そう、ですね……」

「そうですとも」


 どこか釈然としないものを抱えつつも終幕が近いことを感じたアベルの言葉に、何度も頷く最高幹部の老人。

 その顔には、不安と緊張を残す他の幹部たちとは違って、計画通りにうまく行ったといった満足感が見て取れた。


「それにしてもお見事でした。まさかここまで思い通りに王太子を誘い出すとは。まるで名うての軍師のようでしたよ」

「い、いやはは。昔取った杵柄というものでしてな、何とか成功して安堵しました」


 その言葉の通り、この反乱の肝であるカイン討伐作戦は、アベルの隣にいる最高幹部の老人が発案したものだった。

 その、いわば素人による机上の策が、百戦錬磨の傭兵たちや三大騎士団にもあっさり受け入れられたのは、アベルにとっても予想外の出来事だったが。


(もしかしたら、この反乱には裏で糸を引いている人物が――いや、そんなことは重要じゃないか)


 頭に浮かびかけた考えを振り切っったアベルは、この先の展開に思考を巡らせることにした。


「それで、カイン殿下を討った後の段取りは、どうなっているのですか?」

「はい、殿下のご遺体とともに王城に入り、陛下に謁見します。そこで隠された王家の血族の方にご登場していただき、その場で王位継承の儀式を執り行います」

「陛下にですか!? ずっと意識がお戻りになっていないという話だったのでは?」

「お体を悪くされているのは本当ですが、ここ最近は意識だけははっきりされているとのことです。何分、極秘かつ不明確な情報でしたので――申し訳ありません」

「いえ、それだけ聞ければ十分です」


 カイン討伐の策といい、最高幹部の老人が何か隠し事をしていることを感じつつも、これまで同盟と自分に対する貢献を思えば信じるほかないな、とアベルは割り切ることにした。


 と、そこまでのことを考えた時、アベルの中で今こそあの事を聞くべき時じゃないかと、ふと考えが浮かんだ。


(そうだ、僕たちがお仕えするお方のことを、そろそろ教えてもらってもいいんじゃないか?)


「そういえば、そのお方とは――」

「見てくださいアベル殿! 包囲が一気に縮まりましたぞ!」


 見ると、激しい金属音が響き続けていた前方で、いつしかその音量を圧倒的に減らしていたことに、今更ながらに気づいたアベル。

 そして、命のやり取りの気配が途絶え、ついに前方の広場に静寂が訪れた。


「…………終わりましたか」

「はい、一代の英傑が死を迎え、新たな時代の幕が上がりました」


 近年、圧倒的な武力と平民からの人気で王国の実質的な支配者となっていたカインの死に、示し合わせるでもなく同盟幹部は一様に黙祷を捧げる。

 少しの間、本陣に沈黙が続いた後、最高幹部の老人は思い出したようにアベルに話しかけた。


「そう言えばアベル殿、何か私に話があったのでは?」

「あの、以前話されていた、隠された王家の血族の方のことを教えてもらおうと思いまして」

「……そうですな、そろそろお伝えしてもいい頃合いでしょう」


 老人の思い悩む時間がアベルの予想外に短かったのは、告白のタイミングをあらかじめ決めていたせいだったのか。

 これまでの、アベルへの信頼を寄せるものとは違う、彼らしからぬひたむきな目で老人は語り始めた。


「現国王陛下が密かに存続させた王家の血、その正体は――」


 その時、アベルはなぜか老人の顔を見ずに、俯いた姿勢で話を聞いていた。

 重すぎる話に思わず下を向いてしまったのか、それとも何か予感めいたものがあったのか。

 それはアベル自身にもわからなかったし、この先も知ることはなかった。

 なぜなら、話の途中で急に老人の声が遠くなったと感じたアベルが上を向いた時、老人の首は胴を離れて宙を舞い、その口からは血が噴き出して永遠に語ることをやめていたからだ。


「あ、は、はは」


 見ると、アベル以外の同盟幹部の首も同様に胴体と切り離されていて、疑う余地もないほどに全員が絶命していた。


 そして、アベルの目の前には、傭兵から奪い取ったのだろう、身の丈を超える無骨な大剣を担いだカインが、敵の血で全身を染めながら、たった一人で立っていた。

 両の目に映る、現実離れした悲惨な光景も、カインがやったものだと理解した途端に全てを納得してしまった自分に、アベルは不思議を感じていた。


「貴様が首謀者だな?」

「はい、同盟盟主にして今回の反乱の首謀者、アベルにございます」

「そうか。すでに分かっていると思うが、貴様の負けだ。最後に言い残すことはあるか?」

「この場にいる者たち以外は、私たちに騙された人たちばかりです。どうか寛大なご処置を」

「聞き届けた。では、逝け」


 カインの持つ大剣が自分の首を薙ぐ瞬間、


(ああ、この人の瞳は、僕と同じ色をしている。もし、もし、この人と違う出会い方をしていれば――)


 そんな思いを抱きながら、アベルの視界は急速に流れ、上昇し、永遠の闇に閉ざされた。






 ここは王宮のさらに奥深く、後宮のさらに最奥の部屋。


「王よ、すべて終わりました」

「そうか。勝ったのはどっちだ?」

「勝利したのはカイン殿下です。アベル殿下はその場で首を落とされました」

「……覇者の力と王者の心、勝ったのは力だったか。ご苦労だったな、ハーゲンベルク。これでカインの邪魔者は排除され、同時に王としての試練を乗り越えた」

「もったいなきお言葉」


 病の床に就いて長い王に侍るのは、ハーゲンベルクただ一人。

 他の従者や奥医師が全て排された王の寝所に、二人の声はよく響いた。


「カインの覇道を遮る国内の障害は一掃された。あとは王となったカインが、包囲を強める諸外国とどれだけ渡り合えるかだが」

「それは殿下――いえ、新王がお決めになること。もはやこの老骨の出番はありませぬ」

「そうか、そうだな。あとは次の時代の者に託すとするか。それにしてもハーゲンベルクよ、お主の予言が見事に当たったな」

「はい。王家始まって以来の武勇の資質を持って生まれたカイン殿下、そして民を導く王者の風格を持って生まれたアベル殿下、どちらも王となれば、かつてないほどの繁栄を王国にもたらしていたでしょう」

「だが、神のいたずらか、はたまた悪魔の罠か、二人は同じ年同じ日に同じ胎から生まれてしまった。いや、生まれることがお主の予言によってわかってしまった」


 王の声に、往年の威厳はほとんど残っていない。

 それは、愛する息子を失った喪失感だけではない、命の終わりを間近にした死神の影が付きまとっているからのように、ハーゲンベルクには思えた。


「せめて普通の器量であれば、アベル殿下の方にも、どこかの領主としての道があったでしょうが」

「それでも、我が子として同じ日に生まれてしまった以上、余の意思のみで二人に優劣をつけるわけにはいかぬ。ましてや、二人それぞれにあれほどの資質、王国のためを思えば双方ともに殺すなど論外」

「それにしても、王は酷なことを考えなされた」

「余の跡を継ぐには並大抵の王では務まらぬ。すでに諸外国との関係が遠からず破綻することは目に見えていた。余の次の代にはあらゆる困難を超える、王家始まって以来の強き王が必要だったのだ」

「ですが、双子の兄弟を相争わせるとは、むごいことをなさった」

「それが王族の務めだ。時には骨肉の争いを繰り広げながらも、王国のためにその身を捧げる。たとえその巻き添えでどれだけ民に犠牲を強いようとも」

「そのためにこの老骨に鞭打つとは。つくづく王は人使いが荒い」

「信頼できる友はお主しかいないのでな。二十年にわたるアベルの監視、及び密かな援助、大義であった」

「もったいなきお言葉。まあ、力を持たぬアベル殿下にはあのくらいの手助けをしなければ、カイン殿下には太刀打ちできませぬので」

「お主が冗談を言うとは珍しいな。ふふ、ははは――は、は……」


 ハーゲンベルクの軽口に小さく笑うだけで、息を弾ませてしまう王。

 その様子を、生涯をかけて仕えた主君の呼吸が整うまで黙して待つ魔導師の目は、言い知れぬ悲しみをたたえていた。


「しかし、最後の内乱の策はアベルに肩入れしすぎだったのではないか?さすがの余もカインは終わったかと思ったぞ」

「いえいえ、現にカイン殿下はあの絶望的な状況から見事勝利して見せました。もはや人外のごとき力を発揮し始めていたカイン殿下には、あれでもぬるすぎたかと思っているところです」

「確かにな。結果だけを見れば、カインは独力で勝利してしまった」

「これで私の役目も終わり。余生はどこかの田舎でのんびり過ごしたいものです」

「いや、それには及ばん」

「……王?」


 それまで寝台に横たえていた体を引き起こそうとする王。

 その背に手を添えながら、ハーゲンベルクは次の言葉を待った。


「ハーゲンベルクよ、貴様に最後の命を下す。王命が気に入らぬのなら、友人の心残りと思っても構わぬ。その(いのち)続く限り、カインの行く末を見届けよ」

「しかし王よ――」

「案ずるな、確かにカインなら、一連の首謀者が余とお主であることくらい、いずれ勘づくであろう。いや、すでに勘づいておるかもしれぬ。だが、カインならば王国のためにしたことだとわかるであろうし、その時には有能な宮廷魔導師を殺すような真似はせぬ」

「しかし王、見届けるだけなら何も私でなくとも――」

「いや、アベルという王を殺し、カインという王を生み出したお主だからこそできる役目だ。残念ながら余はここまでだ。この先の時代を生きるのはカインだが、それでもその背中を見守る者の存在は必要だ。頼んだぞ、友よ――」

「王よ――」


 翌朝、トーラ王国国王、かねてからの持病が重くなり、にわかに崩御。

 その死は、十日後に国民に向けて発表された。

 なお、故人の強い意志により、その葬儀は国王とは思えないほどひっそりと催されたという。






 それから二十年後、大小合わせて何十もの国に分かれていた大陸が初めて統一された。

 俗に帝国と呼ばれた巨大統一国家の初代皇帝の名はカイン。

 後のカイン帝の回顧録において、彼の最大の危機は帝国の基礎となるトーラ王国王太子時代の反乱だと告解している。


「自身は何の武力も持たぬのに、あそこまで余を追い詰めたのは後にも先にもあの男だけだった。あの時から余は、力弱き者が強き者を倒すこともあると知ったのだ。あの反乱が無ければ、今余がこうしていることもなかったし、帝国も存在していなかったであろう。あの男――アベルこそが、世の生涯最大の宿敵であった」


 覇王建国記より


 著 宮廷魔導師 アーネスト=アベル=ハーゲンベルク

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[良い点] ハラハラドキドキの展開で、すごく面白かったです! 文章が読みやすくて、スイスイ読めました♪ [一言] これからも、頑張ってください! 応援しています!
[良い点] 読みやすい文章、二転三転するストーりー、最後まで楽しませてもらいました。
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