詠唱
チリチリと鳴く虫の音。
風に揺れる葉音。
暗闇に包まれ、微かな光が心許ない。
ランプの光が漏れぬようにランプを筒で囲い、ランプの直下だけ淡く照らす。
その淡い光を囲むようにキルロとハルヲ、ネイン、マッシュの四人は、フェインの合流を待っていた。
村からそう遠くない街道から外れた森の中に、一同は息を潜め待機している。
ジリジリと待つ時間。
慣れない緊張がどこからともなく歩み寄ってくる。
「遅くなりましたです、そして大変です」
暗闇から静かな足音と共に姿を現した。
押さえ気味の口調だが焦りが滲み出ている。
フェイン、開口一番がそれか?
何が起こった?
「ユラとキノが攫われていまいました」
一同が驚愕の表情を浮かべる。
なんで?!
「どうし……!?」
「声がデカい」
ハルヲが叫び出しそうなキルロの口を塞ぐ。
攫われた? というかヤツらの動き早過ぎやしないか?
「どうなってんだ? 早過ぎだろ」
「そうね」
「ユラからの伝言です。“先に行っていると伝えろ”とエーシャさんにそう言って、攫われたそうです」
先に行っている?
進んで攫われたって事か。
鼓動が速くなっていく。
「想像以上に動きが早かったな、しくじった」
「想像以上に焦っているのかも知れませんよ」
ネインはそう言うが、どちらにせよ読み違えた。
マッシュが苦い顔を見せる。
流石に昨日の今日で動くとは思っていなかったな。
こっちの動き見ている? 見られている?
皆が逡巡する、顎に手をやり、腕を組み、目を瞑り、各々が次の行動について考えあぐねていた。
相手の動きを読み違えてしまった、その事が重くのしかかる。
「こっちの動き、もしかして筒抜けか?」
「わからん。ただそう思って行動すべきだな」
「通じているヤツがいるのかも知れないわ」
「だな。だとしたらユラとキノの顔は割れているぞ」
「マズイわね」
筒抜けなのか、焦りなのか、どちらにせよこちらの予定は変更せざるを得ない。
キノ、ユラ。
ハルヲとマッシュのやり取りを聞きながら不安が過る。
「エーシャさんの話ですと普通に入り口から荷馬車で現れて、頭陀袋を積んでキノとユラと共に去って行ったそうです」
「荷馬車か」
フェインの話しを聞くと、マッシュは呟き逡巡する素振りを見せた。
荷馬車が通れる道が、拠点まで繋がっている? 随分と大胆というか隠れる気がないのか。
マッシュは何か思いついたかのように顔をあげた。
「なあ、ハル。アレ貸して貰えないか? 速い脚が欲しい」
「いいわよ、その為に連れて来たんだから。ヘッグおいで」
馬車から純白の鳥が舞い降りた。
美しい姿のアックスピークが地面へ降り立ち、凛とした立ち姿を見せる。
ハルヲはアックスピークに鞍を取り付け、出発の準備を始めた。
「夜のうちに荷馬車の轍を辿ってみる。朝になる前には戻る」
「マッシュ頼む」
「準備出来たわよ」
マッシュはアックスピークに跨がると直ぐに闇へと溶けて行く。
駆け抜けたあとに草葉が揺れた。
皆が押し黙ると、虫の音だけが響く。
どちらにせよ待ちか、キルロは首に手をやり、宙を仰ぐ。
まんじりともしない夜を過ごすことになりそうだ。
ランプもない部屋に夕闇が訪れようとしていた。
ユラは小さな窓から隠れるように、もう一つの小屋を見つめている。
ここを飛び出すタイミングを見計らっていた。
動きがないな。
向こうの小屋の窓からチラチラと見える人影はあるものの、何人いるのか分からない。
向こうの小屋にランプが灯った。
薄明かりが窓から漏れる。もう少し情報が欲しいぞ。
ユラは嘆息しながら視線を中に向ける。
来た時と何も変わらない。
ユラやキノに興味を示す事もなく、ただただ絶望の淵に腰掛けている。
この人達、飯や水はどうしているんだ?
だいぶ冷静になり思考がまわり始めた。
飯運んでくる様子もない、なんつう扱いだ。
言葉の発し方を忘れてしまっているのではないかと思える程、静まり返っている。
何も考えないことにしているのだろうのう、そんな事を改めて感じながら窓の外へと視線を戻す。
向こうの小屋の扉が開き、ランプを片手に男が二人出てきた。
ようやくだな。
ヘラヘラとした笑い声に混じり話し声がするのだが良く聞こえない。
(ヤットアレ……タノシ…⋯)
ダメだ、わからん。
暗くなり見づらい、揺れるランプの灯に目を凝らして確認する。
アイツらだな。
自分達をここまで運んで来たヤツらだ。
他にはおらんのか?
近づいてくる二人組に最大の警戒をする。
ローブの中からナイフを取りだすとキノに投げた。
キノは直ぐに二本のナイフを逆手に持ち構える。
ユラは小さな手斧を手にし、握る手に力を込める。
ユラとキノは扉の左右に分かれ、壁にもたれながら二人組を待った。
窓から離れてしまっているので距離が分からない、ユラはキノに扉を閉める動作をし、伏せるようハンドサインを出す。
笑い声が近づいてくる。さっきの分と捕らわれているヤツの分、きっちりお返ししてやるわ。
ドアノブが回る。扉がゆっくり開き二人組が入ってきた。
まだだ。
小さい体を更に小さくし暗闇に紛れる。
呼吸を出来るだけ殺し気配を消す。
男達は中へと進んでいく。
「全くついてねえな、サッサと片づけて戻ろうぜ」
片づける?
男はそう言うと扉を閉めた。
今だ!
ユラは勢いを付け飛ぶと男の延髄に向かって首を斬り落とさんばかりに力の限り手斧を振る。
確かに肉を抉る感触を感じると堅いものに当たる。
“フンっ”
さらに力を込め、刃を食い込ませる。
ゴリっという感触がすると、わずかに粉砕音が聞こえた。
頸椎まで届いたことを確認すると斧から手をはなす。
首に食い込んだ刃から血が流れ落ち膝から崩れるように倒れ込んだ。
隣には喉笛から血を吹き出しながら必死に口を動かし、声にならない何かを訴えながら自らの血の海へと沈んで行く姿が見てとれた。
倒れた男達の姿を自らが手にしていたランプが照らし出す。
「きゃあ…ぁ………!?」
その姿に叫びを上げようとした女の口をユラが急いで塞ぐ。
人差し指を自分の口に当て、女の目を真っ直ぐみる。
涙目の女はユラに怯えた目つきをしながらも、ゆっくりと頷いた。
「大丈夫か?」
キノが側にランプを持ってきてくれた。
ランプが照らす女の顔は蒼白く、息づかいが荒い。
ユラは嘆息しながら男に刺さったままの斧を抜きに立ち上がった。
部屋の中に血生臭い鉄の臭いが充満している。
「ヌシ話せるか?」
女は少し震えながらユラに頷いた。
「キノ」
ユラは声を掛けると窓を親指で指す。
キノは黙って窓の側へ行くと、見つからないように小屋の監視を始めた。
「名前は?」
「リン」
「あのよ、リン。オレ達がヌシらを村へ戻して、ここをぶっ潰す。動けるヤツは他にいるか?」
「む、無理です」
ポカ。
ユラはリンの頭を小突く。
リンは呆気に取られた。
ユラはやれやれと横を向き、息を大きく吐き出した。
「無理かどうかヌシが決めるな」
ユラはリンのおでこをグリグリと人差し指で突いた。
全くサッサと片づけるぞ。
小屋の中を見渡すと、暗い中顔を上げる姿がチラホラ見えた。
ふむふむ、いい傾向だな。
「リン、いいか良く聞けよ。今からオレ達が荷馬車をパクるから、それに皆乗るんだぞ。小屋の中のヤツらにちゃんと言っておけよ」
「でも……イタっ」
ユラはリンにデコぴんすると顔をリンへと近づけた。
「でも、じゃないわぁ。そこはハイじゃ。全く」
「ハイ……」
「良し」
リンはおでこをさすりながら小屋を見渡し、顔を上げ始めた人から声を掛けた。
よしよし、次はこっちだな。
「ユラ」
キノの呼ぶ声に窓側へと向かう。
小屋に浮かび上がるシルエットの動きが忙しくなってきているように感じる。
思ったより早かったのう。
異変に感づいたのかも知れない。
「キノよ、アイツら炙り出すから速攻で決めるぞ」
キノは黙って頷く。
「リンいいか、ここにいるぶんには大丈夫だ。すぐ飛び出せるように、準備だけはしとけよ」
「ハイ」
「良し」
ユラとキノは扉をそっと開け、見つからぬように注意を払い、外へと出る。
向こうの小屋の窓から死角になるようにぐるりと右方へ大回りをして、相手方の小屋の右側へと回りこんだ。
《イグニス》
ユラは小声で詠唱を開始する。
ユラの小さな手に赤い光が収束して行く。
唐突に小屋の扉が乱暴に開いた。
ランプを手に男が三人程ダルそうに出てくると、真っ直ぐにリン達のいる小屋へと向かう。
しまったのう、まだ敵の小屋の中にはまだ人の気配がする。
下手に動いて増員されると当初の予定が狂ってしまう。
詠唱を止めて脚を止めに行くか、一瞬迷うとキノがユラの方を見やり三人組の後を追った。
団長に怒られるから、あんまり無理すんなよ。
背後から忍び寄ったキノがまずは一人、喉笛を掻き切ると膝から崩れおちていく。
すぐさまキノは暗闇へと紛れる。
男達が異変に気づくとランプを忙しなく動かし、焦りを見せた。
足は止まり困惑する姿が見て取れた。
ユラの手から収束された赤い光が炎となり小屋の壁へと向かっていく。
壁の一部が吹き飛び派手な爆発音と共に小屋に火の手が上がる。
すぐさまユラは小屋の裏から左手へと回り込み、再び詠唱を始めた。
「なんだこれ?!」
「知るかっ! 敵襲か?」
「バラクスが殺られたぞ!」
混乱に乗じて小屋の左手からも爆発音を響かせた。
男達の叫び声が飛び交う。
バチバチと燃えさかる炎が混乱する敵の姿を写しだす。
意外とおるのう。
武器を構える敵の数が十人程見て取れた。
暗闇に紛れているヤツがいたら厄介だがどうだ?
手斧を握り締め暗闇に紛れる。
敵が集まりだしてしまった。
下手に手が出せんぞ。
詠唱で小屋ごと何人が吹き飛ばしかったが失敗か。
バラけてればなぁ、一人ずつ行けるんだけどな。
キノはどこだ?
見渡したが、暗闇に紛れているのかキノの姿は見当たらない。
とりあえず突っ込むか?
さすがにあの人数はキツいのう。
とりあえず最後の一発詠唱かますか。
《イグニス》
集まっている敵に向かって詠唱を始める。
ユラの小さな手に赤い光が収束していく。
暗闇の中に淡い赤い光が浮かび上がっていった。
「おい! あそこだ!」
ユラの赤い光を頼りに一斉に向かってきた。
まとまっておれば問題なし。
良し!
今!
ユラの手から赤い光が消えていった。
あれ?
あれれ?
いつも三発は撃てるのに?!
あああ! 杖ないから魔力不足か!!!
しまった。
目の前に容赦のない刃が、次々と振り下ろされた。