蝉
「はっ! ここには碌な治療師がいないのだな!」
カイナは、ハルヲの膝の上で診察を受けているキルロの様子を嘲笑する。
「まぁ、ウチは弱しょ……」
「取り消せ!」
キルロは気にする素振りすら見せなかったが、フェインが被せるようにカイナに強い言葉をぶつける。
フェインは目を見開き、今にも飛びかからん勢いでカイナの目の前に立ち上がる。カイナも怯む事なく睨み返し、長身から見下ろすフェインと鋭い視線がぶつかりあう。
「おいおい、ちょっと待………」
「キルロ!! 見て! 見て!」
キルロが、ふたりの間に割って入ろうと立ち上がると、中庭で遊んでいたキノが15Mcはありそうなでっかいアブラ角蝉を手に部屋へ飛び込んできた。
部屋中の視線は一気にキノに向けられ、“キシーキシー”と蝉の鳴き声がキノの手の中から響き渡る。
「お! でっかいのを捕まえたな、ハハ……」
「ハハ……、やるじゃない」
苦笑いを浮かべながらキルロは、険悪な雰囲気の矛先を変えようと、キノを少し大仰に褒めていく。“へへへ”と、やんちゃな笑みを浮かべ、得意満面に蝉を高々と上げて見せた。
節のついた脚をカシャカシャと動かす蝉を、引きつった顔でカイナが見つめているのに、キルロは気がついた。
キルロがキノにアイコンタクトを送ると、キノはニヤリと笑みを返す。
だてに一緒に暮らしていないな。
どうでもいいことでは通じ合うふたり。そしてそれは明らかなキルロの影響だった。
「エルフのお姉ちゃ~ん、見て! 見て!」
蝉を片手にカイナへと無邪気に駆け出すと、カイナは蒼白の笑顔をひきつらせ、“すごいわね”と後ずさる。
キノはさらに笑顔を深め、カイナを追いつめていく。カイナはキノを遠ざけようと両手で必死に防御の姿勢を見せ、キノは華麗なステップでそれをことごとくかわしていく。
顔前まで迫る蝉に、弾かれたように席を立ち、カイナは店外へと飛び出した。
もちろん、いい笑顔でキノがそれを追って行ったのは言うまでもない。
「フェインごめんなさいね。あの子には後でちゃんと言っておくから許してちょうだい。素敵な治療師がいるのは、私は知っているから」
シルがフェインに頭を下げるとキノの乱入で、すっかりペースを乱された感のフェインも“いえいえ”と頭を下げる。
とにかく良かった。険悪な雰囲気で、一時はどうなるかとヒヤヒヤした。
しばらくすると肩で息をするカイナが戻ってきた。後ろにはもちろん蝉を持ったキノを引き連れて⋯⋯。
そして、キノに至っては全く元気で、息ひとつ切れていなかった。
子供の体力ってすげえ(い)。
キルロはもとより、ハルヲもフェインも、そしてシルもこの光景に同じことを感じていた。
「こ、この子は、な、なんなのですか?!!」
カイナの一言に皆が爆笑した。キルロはキノに親指を立てると、満面の笑みをキノが返す。
「キノ、もうその蝉さん、帰してあげなさい」
「あいあーい」
ハルヲの言葉にキノは“バイバーイ”と窓から蝉を放すと、カイナがホッと胸を撫で下ろした。
「次はカイナ、あなたの番よ。【スミテマアルバレギオ】の方々に、非礼を詫びなさい」
シルは普段見せない厳しい表情でカイナに向き合う。“私は……”とカイナは何か言い掛けたが言葉をぐっと飲み込む。
「⋯⋯申し訳ありませんでした」
「いや、もういいよ。お互い様だから」
頭を下げたカイナに、キルロが微笑むとシルが嘆息混じりに口を開く。
「子供じゃないんだから、ついて来なくていいって言ったのよ」
「そういう訳にはいきません」
シルの溜息まじりの言葉を、カイナはすぐに否定した。
心配されているのか? なんだか随分とシルは慕われているというかなんというか。
「なんだなんだ、粗相しないようにお目付役か?」
「粗相なんてしたことないわよ。ついて行くって聞かないだけよ、この子がね」
キルロが少しちゃかして言えば、シルも再度大きな溜息をついて見せる。
「で、カイナはどうして、一緒に来たんだ?」
仕方ないのでカイナに話を振ってみる。怖いから振りたくないのだが、そのまま居られるのもなんだかばつが悪い。シルに釘を刺され怒気が収まり、しおらしく見えた。
「私は常にシル様の側に居るもの。だからだ⋯⋯なのに……」
「なのに?」
言葉が尻切れるカイナにキルロは、怪訝な表情を向ける。
「私のしれない所でヒューマンとハーフと共にクエストに出て、挙げ句の果て大怪我して、帰ってきたというのに、嬉しそうにヒューマンとハーフの話ばかりするのだ! なぜだ!!」
なぜだって言われても⋯⋯そんなもん、知らねえよ。しかもまた、なんか火を付けてしまった。
どうしよう⋯⋯せっかく収まっていたというのに。
「しょうがないじゃない、あの王子様との忘れられない瞬間。ハルの雄々しいまでの躍動。どれも素敵だったのですもの」
シルが自分の言葉に悦に浸っている。
シル、火に油を注がないでくれ。しかも何だその物言いは!
ハルは褒められた嬉しさを、隠すかのように俯いてしまった。
「シル! 誤解を招く言い方をするな、ただヒールしただけだろ」
「なぜですか! このような輩に……」
「あれれ? ヤキモチですか?」
キルロの必死の弁明も、感情が爆発しそうなカイナには寝耳に水。しかしフェインの一言にカイナが固まってしまう。皆の視線が一斉にカイナに向けられると顔を真っ赤にし“何を……”と絶句したまま固まっていた。
なんだかどうでもいいことに振り回されて、ひどく疲れたな。
キルロはやれやれと呆れて見せた。
「それで今日はどうしたんだ? 遊びに来たって訳じゃないだろう?」
「遊びに来たってだけじゃダメ?」
「いや、ダメじゃないけどさ、そんなヒマじゃないだろう?」
「そうなのよね~」
シルは残念そうにおどけて見せるが、その瞳は真剣さを宿し、キルロ達を見回していった。
本題に入るようだ。
「イスタバールに向かう途中である荷馬車が襲われた。それってあなた達でしょ? 違う?」
シルがいつもの口調で問い掛けてきた。口元に笑みを浮かべてはいるが、表情から真剣さが受け取れる。
答えていいものかキルロ達は逡巡する。
わざわざ確認を取るということは、裏で動いているタントから、聞いたとかではない。別のルートから聞いたということだ。
「荷馬車ってなに?」
ハルヲがまずジャブを打つ。シルの答え次第では、とぼけた方がいいのかもしれない。
「フフフ、そうよね。こちらもちゃんと言わないとね。こちらというか私の動きを教えないとかな」
「シル様!」
カイナは、シルの口を閉じようと声を上げた。だが、シルは、面倒そうに手で払うしぐさをすると、キルロ達に真っ直ぐな視線を向けた。