俯瞰
キルロはフェインを背負いながら、小さな先導者に引き連れられ深い茂みを進む。
草葉の擦れる微かな音に神経をとがらせ、パーティーの足取りは思うように進まない。焦燥は冷静さを奪い取り、更なる焦燥を積み重ねる。
フェインを背負うキルロを守るように、バックパックを背負ったハルヲが後ろを歩く。
急ぎたい。だが、焦るワケには行かない。
背中越しにフェインの辛そうな吐息が、キルロの首筋を掠めた。
「もう少し辛抱してくれ、直ぐに楽にしてやるから」
「すいませんです⋯⋯」
キルロはフェインを背負い直し、声を掛ける。
最大限の注意を払い、集中を上げていく。フェインを背負うキルロにとって、裸で敵陣を突っ切るのと変わらないほど今の状態は無防備だ。
バックパックを背負うハルヲも、動きにかなり制限を受けてしまっている。咄嗟の対応に遅れが出るの否めないだろう。そうなれば、実質的な戦力はキノだけ。キノの負担は間違いなく大きく、早くしなければとキルロとハルヲの焦りはさらに募った。
たった20数Mi。
大した距離ではない。だというのに目の前の大岩が遠い。
草葉が揺れた。
キノが二本のナイフを逆手持ち飛び込んで行き、また直ぐに先頭に戻ると、白銀のナイフから血が滴り落ちていく。キノがそれを繰り返し、道を切り開く。
草葉の揺れが円を描いている?
取り囲まれたか?
まるでこちらの様子を見ているみたいだ。
マズイな。
小さくなって来ている円を感じ、キルロの表情は険しくなってしまう。
キノが孤軍奮闘。草葉が揺れるたび茂みに勢い良く飛び込んでは屠り、また飛び込む。だが、ジリジリと囲む円周は小さくなって来ていた。
もうすぐそこだ。
来るなよ⋯⋯。
大岩まであと少しで手の届く範囲まで来ると、キルロは祈るような気持ちで足と視線を動かす。
「もう少しだ、突っ切るか?」
「そうね、キノ行って」
キルロの問い掛けに、ハルヲはすぐに頷くと、キノを先頭にして一斉に駆け出した。
呼吸を荒くしながら、全速力で駆け抜けて行く。
だが、それを待っていたかのように茂みから鰐の牙が襲いかかる。引きずり込んで喰わんとするが為。己の欲を満たす為。顎を大きく開け、狡猾に足元を狙った。
キノは先頭で道を作ろうと、飛び込んでくる牙をくるくると踊るように弾いて行く。
白銀のナイフが、飛び込む狡猾な顎を柔らかな肉でも斬るかのように簡単に斬り裂いた。白銀の刃はみるみる赤く染まり、血を垂らす。キルロは飛び込んでくる牙を必死に避ける。フェインに近づけまいと、ジタバタと必死に逃げ惑う。
茂みの中から、感情のない縦長の瞳孔が一瞬視界に入ると、その瞳はすぐに茂みの奥へと消えて行く。すぐに飛び込んでこない様が、キルロとハルヲに不気味さを煽る。
エサを物色する冷たい瞳孔が、常にキルロ達を捉えていた。それは、今襲い掛かると言わんばかりの圧を感じさせる。
小さなパーティーはもがき、足掻く。
もう少し。
届く。
手の届く範囲だ。
フェインが必死に手を伸ばすと、大岩のてっぺんを掴んだ。キルロが、フェインのおしりを押し出し、岩の上へと上げる。
ハルヲはバックパックを下ろし、岩を背に臨戦態勢を取った。今までの鬱憤を晴らすとばかり、鋭い瞳を鰐が隠れている茂みに向けた。
キノは、次々と森鰐の眉間へナイフを突き刺していく。流れるような動きは、まるで白光が茂みを舞っているようだった。そして、満を持してハルヲもキノに続く。キノの後を追い、鰐に斬りかかる。
ハルヲとキノが魂の抜けた鰐の塊を、茂みの奥に積み重ねる。
その隙を縫い、キルロも大岩に手を掛けて上へ上っていった。
「つっ!」
キルロは、足首に鋭い痛みを感じた。
ハルヲとキノの刃をかいくぐった森鰐が、無防備になったキルロの足へ歯牙を向けていた。意思のない瞳孔がキルロの瞳と交差する。強靭な顎が、キルロのふくらはぎを捉えた。
「ガハッ⋯⋯」
ふくらはぎに牙が突き刺さる。牙が肉を貫通し、食いちぎられる感覚に、キルロは激しく顔を歪めた。
キルロの異変に気付いたキノが飛び込む。キルロのふくらはぎを食いちぎろうとぶら下がっている、鰐の顎を切り裂いていく。ふたつに割れた顎が、キルロのふくらはぎから離れていく。だが、抉れたふくらはぎの肉が剝き出しとなり、血が止めどなく流れ落ちていく。
「下を頼むぞ!」
キルロはふたりにそれだけ大きな声を告げると、足をひきずり岩の上へと上った。
急げ。
呻きを必死に耐えているフェインに気がはやってしまう。
流石にここには鰐達も来られない。
クソ鰐が。
目の前で苦しんでいるフェインの姿に、ダラダラと自分の足元を濡らす出血など気にしていられない。
「【癒復回光】」
キルロは、ヒールを詠う。
キルロのかざした手の平から、淡い黄色がかった大きなボール大の光球が、フェインの抉れた足首の傷へ、ゆっくりと吸い込まれていく。吸い込まれていく光が、ジワジワと傷を癒していき、フェインの表情からも苦痛が消えていった。
「ふぅ~」
ようやくの一段落に、キルロは大きく息を吐き出しながら下を覗き込むと、ハルヲがキノのフォローに回っていた。
気配をいち早く感じるキノについて行けば先手を取れると気づき、行動を共にすること鰐を屠るスピードを一段階上げていた。
鰐の眉間を切り裂き、脳天へと刃を次々に突き立てる。周辺は血を吹き出しながら絶命していく森鰐に、生臭さと鉄の匂いが混じったすえた臭いに覆われていった。
ハルヲは目の前の敵を屠る事だけに集中し、キノと共に剣を振り続ける。そして鰐の数を徐々に減らしていた。
「よし、もう大丈夫だろ」
キルロは、フェインの傷をチェックし、頷いて見せた。フェインがゆっくりと足を動かし感触を確かめる。
「おおー! す、すごいですよ! 大丈夫です、ありがとうございます!」
「大袈裟だ」
フェインの感謝に照れたようにキルロは顔を背けてしまう。そんなキルロに笑顔を向けていたフェインの顔が蒼ざめていく。
「キ、キルロさん! そ、その足!」
「ちょっと齧られた。けど、大丈夫だ。問題ない」
「ダ、ダメです! ダメです、なくないです!」
フェインは起きあがり、出血の止まらないキルロのふくらはぎに目を丸くしてしまう。そして、一瞬の逡巡を見せ、下の様子を窺っていった。
「ハルさん! 代わって下さい! キルロさんの治療をお願いします! 足の出血がものすごいのです」
「大丈夫だ! ハルヲ、そっちを頼む」
フェインの言葉を遮るようにキルロが言葉をかぶせた。今のこの動きを止めたくないキルロと、傷の状態に焦っているフェインの言葉に、ハルヲが岩の上を睨む。ハルヲは悩む事なくバックパックを背負い直し、岩を上る。その姿に、フェインは入れ替わるように下へ飛び込んでいった。
「フェイン無茶するなよ! まだ8割なんだからな!」
「充分です!」
キルロの忠告に答えると、フェインはキノの方へと駆け出していった。
入れ替わるようにハルヲが、岩の上へと現れる。
「大丈夫だって言っているのに⋯⋯」
ハルヲはキルロの言葉に一瞥だけして、すぐにバックパックから皮の小箱を取り出した。
「いいから見せてみろ」
キルロは諦め顔で傷を見せる。
「はぁ~」
と、ハルヲは小さく嘆息し、手際良く消毒液と針と糸の準備を進めた。
「麻酔」
ハルヲが詠い、キルロのふくらはぎを指でなぞり、治療を始めた。
□■
「おまえさん、なかなかやるな」
マッシュはアントンの頭を撫でながら褒めると、気持ち良さそうに頭を差し出す。
マッシュの言葉通り、アントンやスピラの調教動物達は、マッシュの目の代わりを担い、茂みに隠れる鰐達を次々にあぶり出した。見えないから厄介なだけで、見えてしまえばどうにでもなる。
だが、心配なのは、休みなく動き回っているアントンとスピラの体力だ。
特にスピラは序盤から動きまわっている。疲労が出てきてもおかしくはなかった。
とはいえ、調教師でないので塩梅が分からんな、分からないなりに気を配るしかないのか?
マッシュが、後方に目をやると大岩の上に人影が見えた。
フェインは、上手くいったみたいだな。
ここで踏ん張る必要はもうないのか⋯⋯。
その様子を確認したマッシュは、みんなとの合流を選択する。
「スピラ! アントン! 下がるぞ!」
来るかな?
少し心配しながら二頭の様子を伺マッっていると、マッシュの方へと駆け寄った。
良し。賢いやつらだ。
マッシュは、引き連れた二頭と共に大岩へと急いだ。
□■
「キノ大丈夫?!」
ハルヲがキノを気遣い、上から声を掛けた。
流石に序盤から飛ばしている、いつ電池切れ起こしてもおかしくないわよね。
キノは肩で息をしながら、大丈夫とばかりにナイフを掲げ返事した。
疲れて、声を出す事もできないのね。
ハルヲは、キノの様子にすぐに判断する。
「アンタはここにいなさい。いい! わかった」
ハルヲはキルロにそれだけ言い残し、下へと飛び降りた。
ふくらはぎからの出血は止まったが、痛みというより膝から下に力が入らない。引きずるようにしか足を動かせず、まともに歩く事すらままならない。キルロは、ハルヲの言葉に素直に従うしかなかった。
キルロは岩の上から様子を窺うと、マッシュ達がこちらに向かってくるのが見えた。マッシュ達の真後ろの草葉が揺れる。
「マッシュ! 六時の方向にいるぞ!」
これって⋯⋯上からだったらヤツらの動きが筒抜けじゃないか。ここからなら、敵と味方の位置関係が俯瞰で把握出来る。
ヤツらを丸裸にしてやる。
「フェイン! 三時の方向だ!」
「ハルヲ! 十一時にいるぞ! 気を付けろ!」
キルロがパーティーの目となり敵の位置を伝えて行く。先手を打てるようになると、現状が一気に逆転する。
見えてしまえば、たいしたことのないただの鰐だ。
目を得たパーティーが森鰐を蹂躙していく。
そして、揺れる草葉もなくなり、辺り一帯に静けさを取り戻した。
「すまんな」
「気にするな、やることはやったさ。帰ろう」
キルロの負傷の為、進む事をあきらめパーティーは撤退を余儀なくされた。キルロが詫びるとマッシュは、仕方ないと笑顔を返す。
「クエストも完了したし、無理する事はないわ」
「ですです」
ハルヲもフェインも、マッシュに倣った。
クエストはクリアーしている。無理する必要はどこにもなかった。あとは無事に撤退できればいいだけだ。
「休憩所の辺りから、上に行けないか?」
「あそこか⋯⋯行けそうね。一度休憩所に戻りましょう」
マッシュの提案にハルヲもすぐに同意した。休憩所から、地上への帰還を目指し歩き始めた。キルロはハルヲの肩を借りて、力の入らない足を引きずり、歩を進めていった。
□■□■
「お帰りなさいませ」
地上に戻ると、馬車で待機していたネスタと合流する。足を引き摺っているキルロに少しだけ目を剥いたが、すぐに肩を貸し、馬車へと乗せた。
あとは帰るだけと、パーティーの緊張がゆるりと、ほどけて行き頭も体も、やっと弛緩していった。
馬車は勇者の村を経由して、東方の国イスタバールまで戻る。
先日のコテージに到着すると、早々に帰宅の準備を始めるが、緊張が緩むと疲れが一気に押し寄せた。重い体に鞭打ちながら、思うように進まない備品の整理に追い立てられる。
「よお、お疲れ様!」
良く通る声が響き渡り、疲れたパーティーが顔を上げる。
髭を蓄えた大男然としたこの男⋯⋯。
「あれ? 勇者のとこの⋯⋯前衛さん?」
キルロが顔を向けると、にこやかな笑顔で向かってくる逞しい男の姿が目に入った。
そうだ、クラカン・ロンドバルフ。
だけど、アルフェンパーティーの前衛がなぜここに?
「アハハハハ」
「痛い! 痛い!」
クラカンは大笑いしながら、なぜかキルロの肩をバンバンと叩く。
こんなキャラの人だっけ?
「お疲れ、お疲れ、皆もお疲れ様だったな」
キルロの肩に手をやりながら、クラカンパーティーを労った。
結局何がしたいんだ?
労いに来てくれたのか?
パーティーと違い、やたら元気なクラカンに、キルロの困惑は深まるばかりだった。