レストポイント(休憩所)
大きな口を開け、その奥へ広がる闇へとパーティーを手招きする。
ゆっくりと覗き込む瞳に映る暗闇が、飲み込もうとしていた。光の届かぬ坑内は、闇が深部を包み隠す。
「では!」
勢い良く飛び込もうとするフェインの肩にキルロが手を掛けた。
「待て! 待て! オレが見てくる。とその前に⋯⋯」
パーティーを見回すと傷を負っていない者はいない。腕から頬から足から、生乾きの血がこびりついていた。
深い傷を負っている者がいなかったのは、幸いとしか言いようがない。
「【癒光】」
キルロの柔らかな緑光が、傷を癒していく。その光に一同は、安堵の表情を見せた。だが、フェインだけは、その光景に目を剝いて驚いていた。
「魔力は大丈夫?」
「これくらいなら問題ない」
魔力量を心配したハルヲにキルロは軽い調子で答えてみせる。
「【譲魔】」
ハルヲは囁くようにキルロへ向かって唱えると、ハルヲの手が淡い桃色に輝く。その光がキルロへ吸い込まれて行くと、キルロの魔力量が復活したのを感じ取れた。
「お、なんだこれ? 凄いな」
「全然凄くないわよ、自分の魔力を他人に分け与えられるの。私の魔法はこんな中途半端なやつばっかりでさ、イヤになるよ」
「イヤイヤ、これすげぇって! こんなの初めて知ったぜ」
自虐的な苦笑いを返すハルヲに、キルロは素直に感心して見せた。
「団長の言う通りだ。なかなかレアな魔法を使えるじゃないか」
マッシュがキルロに同意して見せると、ハルヲは更にはにかんで、俯いてしまった。
「よし、じゃあちょっと覗いてくるよ、【照光】」
キルロは拾った木の枝に唱えると、ポワッと枝の先に光が灯った。その光球を便りに、キルロは奥へと進む。
結構深いな。
暗闇の中、ゴツゴツとした岩肌が光球の淡い光に照らされた。
マップに記載があるという事は、過去にここで休息を取ったのは間違いない。ただ、どれくらい前の話だか分かんねぇんだよな。
暗闇の奥から風もないのにイヤな臭いが漂ってきた。そのイヤな感じに、心臓が少し高鳴る。警鐘とも取れる心臓の高鳴りを抑え込み、ゆっくりと進む。仄かな灯りだけが唯一の頼りというのは、何とも心もとなかった。
くせえな、しかも湿ってねえか。
まさか、モンスターの吐息?
ゆったりとだが、確かな呼吸音がキルロの耳に届く。それは確証へと変わり、光を握る手に力がこもった。
何かいるよな。
心臓の高鳴りが一段上がる。
全体を照らそうと、光球を頭の上へとあげると、その淡い光に横たわる猛獣の姿が現れた。体長は人の倍近くある巨躯を誇る獰猛な熊。そして寝息は、その淡い光によって途切れた。
バグベアー!
心臓が握り潰されるようにギュッと収縮する感覚。その想像していなかった姿に思考が停止する。
閉じていた瞳が見開くと、濁った赤い瞳がキルロに向けられた。その瞳は光球の光を映し、鈍い光を放つ。
キルロの思考がゆっくりと動き出す。バグベアーとの邂逅は、あの【吹き溜まり】での映像が頭の中で映し出され、吹き飛ばされた記憶が体を硬直させた。
『ゴァアアアアアアアアアアアアア』
坑内に反響して耳をつんざく咆哮で、キルロは我に返る。
思考を止めていた頭が、固まった身体に指令を出した。
動け! 動け! 動け!
頭と体がまるで他人のような感じで、自分の置かれている危機が、他人事のように感じてしまう。
□■
入口にもバグベアーの咆哮が耳に届き、ハルヲの肌がイヤな感じに粟立った。
「チッ!」
その咆哮が意味するのは、間違いなくキルロが暗闇でエンカウントしたという事。その危険性にハルヲの表情はみるみる険しくなっていく。
「なんですかね、今の?!」
ハルヲは舌を打ち、フェインは困惑の色を見せる。
「ここで、迎え討つ」
「だな」
ハルヲの迷いのない提案にマッシュもすぐにうなずくと、皆の表情に緊張感が漂い始めた。
「フェインは正面から、マッシュ左、キノは入口の上に上れる?」
「上れるよ」
「よし、じゃあキノは、上から頭狙って。一発で決めるよ!」
「あいあーい」
力のこもった瞳で皆が頷くと、ハルヲは入口の横から中の状況を覗き込んだ。
イヤな圧ね。
ハルヲはキルロに向かって叫ぶ。
「戻れー!」
□■
入口からハルヲの叫びが届いた。だが、脚が地面に粘りついたかのように重く動かない。“動け、動け”と頭の中で何度も唱えても、体はそれに反応してくれない。
この場から、一瞬でも早く離れなくては。
頭では分かっていても、体が強張り思うように解けない。焦燥感だけが積み上がり、“早く、早く”と自身を急かすだけだった。
心臓の音がうるさい。
バグベアーの咆哮でかき消されるはずなのに、耳の奥でずっと鳴っている。
脈動の激しい波打ちが止まらない。
動かない身体をむりやり、前のめりに地面を蹴り上げると、倒れそうになりながらも、一歩を踏み出せた。
だが、一歩足を前に出したその時、バグベアーの激しい咆哮と激しい衝撃が背中を襲う。
防具を擦る爪の金属音が響く。剝き出しの肌に爪が立てられ肉を削がれる熱さを感じると、壁へ飛ばされた。激しい衝撃が背中を襲い、呼吸が一瞬出来なくなった。
飛ばされた分、傷は浅いはず。
自身にそう言い聞かせる。
だが、衝撃がスイッチとなり、頭が一瞬でクリアになった。脚に力を込め、地を蹴る。前のめりで走る。咆哮が背中越しに響き渡る。背中越しに足音が、振動が、伝わってくる。
必死に足を動かすキルロは、距離が縮まっているのか、遠のいているのか、全くわからない。
わからないという不安。
不安が覆い被さるように全身を襲う。前へ、前へと言い聞かせて、その不安をはねのける。
重い足音がずっと背中から響いていた。
前へ。前へ。
バグベアーの鋭い爪が、キルロの背中を捉えようとする圧を背中に感じる。
止めるな。
キルロは愚直に足を動かした。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ⋯⋯」
キルロの額から、首すじから、汗が滴る。呼吸で肺が爆発しそうだが、足は止めない。蹴り上げる地面の感触は薄く、今にも転がってしまいそうだ。
重い足取りの速度が上がる。咆哮がビリビリと背中を震わせた。
行け! 進め! 止めるな!
バグベアーの圧は確実に大きくなっていく。
視界の先にわずかな光が見えた。
届け!
その光が大きくなる。爆発しそうな肺と心臓。
そしてさらに増大する、背中に感じる圧。
「来い!」
入口の脇から横顔を見せるハルヲが声を荒げた。
□■□■
キルロが入口から飛び出して来た。
来る。
ハルヲは剣を握る手に力を込める。激しい咆哮と共に。その姿を現す。
獲物をただひたすらに追うだけのそれ。赤い目を見開き、口からよだれを垂れ流しながら、ただ前だけを追い、飛び出して来た。
「ハァアアー!」
フェインが口火を切る。
腹部への回し蹴りが、バグベアーの体を折る。“グボっ”と鈍い唸りを上げ、バグベアーの動きが一瞬止まった。すかさず、ハルヲとマッシュが脇腹へ渾身の刃を突き刺す。奥まで突き刺さった切っ先から血が溢れ出し、耳をつんざく咆哮を上げた。
刹那、キノが頭上から脳天目掛け、両手にもったナイフを深々と突き立てる。赤い瞳は白く濁り、動きが止まった。キノが突き立てた刃を抜き取ると、バグベアーは頭の先から血を吹き出し、地面へその巨躯が沈んだ。
□■
「がはっ」
キルロは、最後の力で光へ飛び込むと、足がもつれながら倒れこんだ。
背中越しにバグベアーの短い断末魔が聞こえた。キルロは四つん這いになりながら、荒れた呼吸を整えていく。ゆっくりと深い呼吸を繰り返していった。
「大丈夫?」
ハルヲがそっとキルロの肩に手を置いた。キルロは荒い呼吸のまま、軽く手を上げる。
「今は大丈夫だ。ゆっくり休め」
マッシュも声を掛け、片付いた事を告げた。
「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯中もアイツがいなくなれば大丈夫だ。行こう」
荒い呼吸のままキルロが皆に伝えた。そのまま立ち上がろうとするも、膝が笑って思うように立てない。
「ほら」
小さいハルヲが、キルロに自分の細い肩を差し出す。
「すまん」
キルロは素直に肩を借りた。一難去ったパーティーは、洞窟の奥へと歩を進めていった。




