受難
【スミテマアルバレギオ】を乗せた大型馬車が、暗闇の中を疾走する。道の凹凸に合わせ、車輪は跳ね上がりながら悲鳴を上げていた。
「舌を噛まないようにしろよ!」
マッシュが手綱を引きながら叫ぶ。
松明の炎にグングンと近づき、炎のぼんやりとしていた橙色の揺らめきが、はっきりと敵の輪郭を見せ始めた。
敵との距離が、近くなっていくとパーティーの緊張は否応なしに襲い掛かる。
キルロは槍を握り締め、視線を世話しなく動かしていた。心臓の鼓動が早鐘のように打ち続け、焦燥感を煽ってくる。
「来るぞ!」
マッシュが前方を睨みながら吼えると、ヒュンという乾いた音と共に多数の火矢が前方から降り注ぐ。火矢は、馬車に向かって緩い放物線を描き襲い掛かり、幌に跳ね返された矢が、地面をゆらゆらと照らし出し、小さい破裂音が鳴ると、火の点いた矢がいくつも幌から顔を出していた。
マズイな。
キルロは幌の様子が気になり、集中しきれない。視線を馬車の中へ向けると、キノが突き刺さった火矢を不安気に見つめていた。
消さないと⋯⋯。
消火に当たるべくキノの方へと向かうキルロに、マッシュが叫ぶ。
「幌は燃えない! 大丈夫だ!」
マッシュは短い言葉で、幌に防火加工がしてある事を告げる。
いつの間にそんな事まで認識したのか。
キルロは、マッシュの卓越した観察、洞察力に感心しつつ、その言葉を信じ、キノに大丈夫だと頷き、前方へ視線を戻した。
火矢の降り注ぐ中、マッシュの手綱は緩む事なく、車輪を軋ませる。跳ね上がる車輪を、無理矢理抑え込み、馬車は爆走を続けていた。
「ハル、ショートくれ!」
ハルヲは手にしていたショートボウをマッシュに投げると、自分はロングボウを手にした。ハルヲも弓を引き、いつでも放てる態勢を作る。
「フェイン! ネインのフォローを頼む!」
キルロは車輪の音に負けぬよう叫ぶ。車内の緊張は、爆発しそうなほど膨れ上がる。
目を見開き戦闘モードに入っているフェインが黙って頷き、後方のネインの元へ移動していく。
蹄の音が松明の火と共に大きくなってくる。
ハルヲが弦を弾き、矢を放つ。次々に放たれる狙いすましたハルヲの矢をかわしながら、馬車に取りつこうと騎馬は接近して来る。
近づく騎馬にマッシュのショートボウも矢を放ち続ける。馬の甲高い悲鳴が鳴り響き、人と松明が宙を舞っていく。
転がる松明が、地面に投げ出される人間をおぼろげに映し出していた。
だが、松明の数は一向に減らず、むしろ増えて敵の勢いが増しているようにすら感じてしまう。
なんなんだ、こいつらは?
中から見守ることしか出来ないキルロは、もどかしさだけを募らせる。大きくなっていく松明の炎に意を決し、マッシュはショートボウを後ろに投げ捨て、手綱を強く握り締めた。
後方からも、松明の揺らめきが大きくなっている。
近づいてくる炎の数が、キルロの焦燥をさらに煽った。
「フェイン代われ!」
キルロがショートボウを拾って後方へ移動する。
心配そうに見つめてきたキノの頭をすれ違いざまに撫でると、“大丈夫”と笑みを見せた。
フェインはキルロと入れ替わるように前方へ上がり、自分の間合いに敵が入るのを、目をギラつかせながらじっと待つ。
ハルヲは休む事なく矢を放ち続け、次々に敵を地面へと投げ打った。短い呻きと馬のいななきが闇に溶けていく。だが、依然として松明の迫る勢いに衰えが見えない。
どんどんと増えてないか?
賊か?
つか、て狙いはなんだ?
キルロがネインの支える大盾の影から、ショートボウを放ち続ける。揺れる馬車から放つ矢は、馬車の揺れに合わせてブレてしまい、いくつも闇に消えていった。
向かってくる火矢をネインは盾でひたすらに跳ね返す。
キルロは、増えていく敵を一向に減らす事が出来ない。馬車の前後を挟まれ逃げ場も失っている。
埒あかねえぞ、これ。
「思ったより数多いくねえか?!」
「前方もキリがない!」
キルロとハルヲが短い言葉でやり取りをする。
前方は多少削れているのか?
後方も削りたいが思うようにいかず、キルロはもどかしさばかりを募らせる。
射程の短いショートボウ、もう少し引きつけるか。
キルロは、ショートボウの装填を済ますと射程圏に入るまで耐える。飛来する矢はネインにまかせ、敵をギリギリまで引きつけ、タイミングを計った。
もう少し。
ネインの盾の影からショートボウを構え、敵に狙いを定める。
近づく松明の炎が、大きな揺らめきを見せ始めた。
もうちょい。
いけ!
だが、キルロの放った矢は敵をすり抜け、闇へと消えて行く。
しまった⋯⋯。
松明の炎で敵の顔が見えるほど、接近されてしまう。ショートボウに矢を装填している間などすでになく、敵の刃がパーティーの背後に迫る。
「【風牙】」
え?!
突然詠唱したネインの横顔をキルロは見つめてしまう。
詠唱後間髪入れずに空気の塊が、ネインから敵に向けて飛んで行った。数人が後方に吹き飛んでいき、自由になった馬が好き勝手に駆けて行く。
だが、ネインは何事もなかったかのように盾をかざし続けていた。
詠唱から射出までリキャストタイムなし?!
「超短縮詠唱⋯⋯」
高位のマジシャンだけが使えるリキャストタイムが限りなくゼロの詠唱法。話では聞いた事あるが、実際見るのは初めてだった。詠唱しても、態勢にほぼ影響ない姿に、間近で見ていたキルロは、その凄さに驚嘆する。
「すげーな」
キルロが感嘆の声をあげるが、ネインの表情は晴れなかった。
「マズいな」
前方を見つめるマッシュが、敵の動きをいち早く捉えた。目を凝らし前方から目を離さない。
「どうしたの?」
「前を塞がれている」
マッシュの言葉に反応したハルヲも前方を睨む。ハルヲの目には暗闇しか見えないが、マッシュの目にはしっかりと進路をふさぐ騎馬達の姿が写っているのであろう。マッシュの横顔から緊張感が伝わり、ハルヲの表情も硬くなってしまう。
「突っ切れそう?」
「難しいな、乱戦になるかも」
“チッ!”とハルヲが舌を打つ。この人数で囲まれるのはキツイ。フェインが何かに気がつき、横を見つめながら指差した。
「あそこに乗り手のいない馬が二頭さ迷っているので、後ろから撹乱してきますです」
フェインは、言うや否や馬車を飛び出し、指差した馬の方へと駆け出す。地面に転がる松明を拾い上げ、勢い良く馬に跨がると、もう一頭の手綱も握り締めた。
フェインが二頭の馬と共に、前方へと猛スピードで駆け上がる。勢いのついたまま、手綱を引いていた馬の尻に松明をポンポンと当てると、大きくいななき、馬は狂ったように前を塞ぐ騎馬の列へと突っ込んで行った。
真っ直ぐ向かってくる荒れ狂う馬に敵の視線が集中する。フェインはそれを確認すると、松明を投げ捨て、暗い林へと逸れて行き、暗闇へと吸い込まれて行った。
狂ったように突っ込んでくる馬に、道を塞いでいた隊列が一瞬の混乱を見せる。
なるほどね。
マッシュはフェインの考えを読み取る。
マッシュは馬車に急ブレーキをかけ、馬車を止めた。それに気がついた騎馬が、馬車の方へと猛スピードで突っ込んで来る。マッシュは敵の意識を一手に受けていった。
□■
馬車の後方ではネインの超短縮詠唱を撃ち続け粘っていた。キルロもその隣で、矢を放ち続ける。
「ネイン、魔力は大丈夫か?」
「これくらいなら何の問題もありません」
かなり連発しているというのに、まだ余力があるとは相当な魔力の持ち主だな。
道には吹き飛んだ松明が点々と並び道標となる。所在ない光がぼんやりと道を照らしていた。
唐突に馬車のスピードが落ちて行く、前方で何かあったのかと思いつつも、前方を気にする余裕などない。松明の炎が蹄の音と共にグングンと近づいて来る。
取りつかれるのは時間の問題か。
キルロとネインは接近戦への構えを取った。
「ネイン!」
キルロは、ネインに槍を投げる。
接近戦に備える。キルロもショートボウから剣へと持ち替え、近づいて来る敵に備えた。馬車のスピードが急速に落ちていき、敵の騎馬はあっという間に馬車の後方に食いついてしまう。
キルロは剣を振りかざし、ネインは詠唱を続けた。
次々に繰り出される敵の剣が、二人を襲う。ネインの盾が激しい擦過音を鳴らし、暗闇でキルロの剣が激しい火花を何度も散らした。
□■
フェインは林をぐるっと回り、騎馬の隊列の後方へ飛び出した。
死角から突然現れたフェインに、隊列は虚を突かれる。
フェインはそのタイミングを見逃さない、馬から飛び下りると間髪容れずに後方の敵へ拳を振るう。馬と馬の間に入り込み、馬上の敵へ拳を、蹴りを、叩き込み騎馬の隙間で暴れまわった。
狭い空間で暴れるフェインが、小回りの利かない騎馬を混乱へと落とし入れていく。ある者はフェインの拳が入った腹を抑え、ある者は馬から振り落とされた所を、暴れる馬に踏みつけられる。ある者は抑えの利かなくなった馬を抑え込もうと必死になり、フェインの奇襲は隊列に混乱を呼び込む事に成功した。
隊列後方から吹き飛ぶ松明がくるくると舞い、宙を照らし、馬のいななきが世話しなく響き渡る。
落ち着きを失った隊列が、連携を失い始めているのが、ハルヲとマッシュの目でも確認出来た。
勝機と見たマッシュがこの混乱に乗じて馬車の手綱を再び上げ握る。混乱する隊列をさらに混乱させようと、馬車が隊列へ突っ込んで行く。騎馬の数およそ20か。馬車が突っ込めばそれをさらに減らせるだろう。
馬車の車輪が再び悲鳴を上げた。暗闇ではっきり見えなかった敵の全貌が明らかになっていく。だが、思っていた以上に敵の数が多い。
「減らしてこれかよ」
「フェインの頑張りを無駄にしちゃダメよ」
前方の確認をしたキルロの溜息にハルヲは檄を飛ばすと、馬車から飛び出し鞭を地面に叩きつけ“バシッ”と快音を響かせた。
「エスート レディ!!」
良く通る声でハルヲが叫ぶと、前方を囲む馬達が脚を折って一斉に伏せた。
急な動きについて行けなかった騎乗者が次々に振り落とされ、地面へと投げ出される。
その様子に捉えたマッシュは馬車を止め、飛び出して行く。長ナイフを片手に、地面へ転がった敵へ素早く刃を突き立てていった。
マッシュの刃は、頭、心臓と確実にひと突きで急所を捕らえ、亡き者へとしていく。ハルヲもそれに続く、地面に転がる敵に鞭を叩き込むと、二度と立てなくしていった。
この好機を逃すわけにはいかない。
ハルヲ、マッシュ、フェインは、この混乱を好機と読み、一気にたたみかけるべく勝負に出た。
□■
「【風牙】」
ネインは、短縮詠唱を連発して、後方の敵を退けているが、疲労の色も濃くなってきた。
さすがに厳しくなってきたな。
行くか!
キルロは馬車の後方から飛び出し敵と対峙する。
ネインが削ってくれたおかげで、残数は三だ。
行くしかねえよな。
三騎対一人で対峙したまま、キルロはジリジリとした時間だけが過ぎていく。頬を伝って汗が滴り落ち剣を握る手に力が入る。
牽制が続く。
槍の切っ先がキルロへ向けて何度も付き突き出され、そのたびに剣で薙ぎ払った。
緊張の視線が絡み合う。
お互いがお互いの出方に最大の注意を払っているのが伝わる。
キルロの視界の片隅に白い光が真っ直ぐな線を描く。
対峙する敵へと真っ直ぐに向かって行くその白光⋯⋯。
“ドサッ”と後方の一騎が倒れる。困惑する他の二騎の視線が後ろへと向いた。
今だ!
キルロが相手の懐へと突っ込んでいく。小さな影が、キルロを援護するように馬に一撃を与えると、馬は暴れ騎乗者は地面へ投げ出された。
地面へ投げ出される騎乗者の首へ、キルロは刃を落す。落下の自重、その刃は敵の首を切断し、首は所在なく地面へと転がっていった。
キノのやつ、待っていろと言ったのに飛び出しやがって。まったく。
だが、キノに助けて貰う形になってしまい、怒るに怒れない。
さて、あとひとり。どうする?
一瞬の逡巡の際、最後の一騎が馬上より槍を振るう。
「つっ!」
反応が遅れたキルロに切っ先が襲う。辛うじて受け止めたが、馬上からの勢いある振り下ろしに吹き飛ばされ、背中を激しく打ちつけた。
まずった!
追い討ちをかける騎馬が猛スピードで突っ込んで来る。キルロは痛みに耐えながら防御の姿勢を取ろうと剣を構えた。だが、相手の勢いが上回る。敵の切っ先は転がるキルロに容赦なく襲いかかった。その切っ先は、止めを刺すと鈍く光りキルロの首へ振り下ろされる。キルロはキツく目を閉じ覚悟した。
「【風牙】」
ネインの詠唱が、目の前の切っ先を吹き飛ばすと、風の刃に敵は地面へと転がった。
「ネイン! 助かったー」
「いえいえ」
「キノ! 大人しくしてなきゃダメだろ」
キルロは、前方の様子を窺うと前方も大方片づいていた。
キノはすまし顔でそっぽを向き、キルロの言葉を受け流す。
フェインの撹乱、ハルヲの機転が功を奏し、地面には残り火を灯す松明や、動かなくなった人や馬が、あちらこちらに転がっていた。
「ハアアアァァァーーー!」
フェインの回し蹴りが最後の一人を捉える。フェインの蹴りに、口から血飛沫を上げながら宙を舞うと、そのまま地面へと転がっていった。