弔い
ヤクロウは眼前に転がされた小さな、小さな粒を手の平で弄ぶ。
においを嗅いでみたり、少し爪でこすってみたりして未知のものを興味深そうに眺めていた。
「で、こいつがなんだってんだ」
ヤクロウが上目で睨みながら、興味が薄そうに言葉を放つ。
その様子に含みのある笑みをキルロは返した。
「興味津々ってとこか。そいつは今、巷で出回っている改良したカコの実だ。脳みそが溶けたみたくなっちまって、コミュニケーション能力がほぼゼロになる」
「脳が溶ける? うーん⋯⋯どういう事だ?」
キルロの言葉にヤクロウは固まる、頭の中でこの実の解析を行っているのか。
「こいつをどう見る?」
「どう見るって、そうだな⋯⋯。この手の薬ってのは、脳にある⋯⋯。そうだな、例えば成長促進させようと思ったら、脳の中にある成長をつかさどる蛇口を目一杯開いて、無理やりに成長を促進させる物質を垂れ流しちまう。あの薬で例えるなら、蛇口を開けるだけじゃなく蛇口の大きさ自体もでかくすることで急激な成長を促した。本当にざっくりだがこんな感じだ」
「それでこの場合はどう見る?」
「実際見たわけではないが、人とのコミュニケーションが取れないほど思考が出来なくなるってことは、脳の快楽物質を出す蛇口を開けるどころか、ぶっ壊しちまっているんじゃないかと想像する。そうなると快楽物質のだだ漏れ状態、脳みその中は快楽物質で溢れて思考もなにもあったもんじゃない、お花畑が咲き乱れるだけの脳みその出来上がりだ。本人は気分いいだろうな」
真剣な眼差しで語るヤクロウに根っからの研究者だったと今更ながら感じる。
上目で睨み続けるヤクロウにキルロは口角を上げた。
「なぁ、ヤクロウ。ぶっ壊れた脳みそを修復出来ないか? 話しを聞きたいんだが、こいつのせいでぶっ壊れて何も聞けないんだ。なんとかなんらねえか」
「なんとかって言ってもよう、片手間でどうこうなると思えないし、ぶっ壊れていたら治せないと思うぞ」
「新しく蛇口を作るとか?」
ヤクロウは腕を組んで厳しい表情を見せた、また頭の中で解析中なのだろう。
眉間に皺を寄せ、深く逡巡している。
脳みそが溶けている、クソエルフ。
あいつから少しでも情報を聞き出したい、シルが追っている思想的反勇者の取っ掛かりにでもなれば、シル達の手助けにもなるし、別のアプローチも見えてくるかもしれないと考えた。
「なあなあ、さっきから何話しているんだ? 半分もわからねえ」
リブロが口をへの字に曲げて怪訝な顔でふたりを覗き込む。
「シル達と捕縛したエルフの頭がこいつですっ飛んじまっているんだ。そいつをなんとかならないか相談中ってとこだ」
リブロは嘆息して分かるのを諦めた。
「オレはちょっと街中、散歩して来るよ」
「わかった。けど、なんもねえぞ」
手を上げて退室するリブロを横目に再び思案する。
「解析するにしても、時間も道具もねえ。この仕事の山、ほっぽりだすわけにもいかねえし⋯⋯」
「まあな………。あ、雑務に関してはひとり宛てがある。オレから話してみよう。道具もこっちで準備する、リストアップしといてくれ」
「どこまで詰める? 完璧に治すのか?」
「まかす。あまり時間を掛けたくない。時間勝負なんだ」
ヤクロウが嘆息しながら頷く、大きい借りがある分断りづらいとうのが本音だ。
それを見越しているとは到底思えないが⋯⋯。
キルロがいい笑顔でヤクロウの肩をひとつ叩く。
「宜しく頼むよ」
それだけ言い、代役を頼むべき人物の元へ足を運んで行った。
一面緑の葉が覆う茶畑。
腰程の高さの葉が風にそよぐ、幾人もの兎人が腰を曲げ、小人族達と共に茶葉を摘んでいた。
この短期間で随分と立派な農園になっていることに少し驚いた。
笑顔を見せながら従事している姿にキルロも自然と笑顔がこぼれていく。
その中をちょこまかと動いている小人族を見つめる。
いた。
「ローハス!」
キルロの呼び声に驚いた顔を見せた、額の汗を拭いながらすぐにやって来た。
「こんなところにどうした?」
「これでも一応領主だぜ。いろいろ気に掛けていたって、おかしくはないだろ。どうだ? うまくやっているか? 見た感じうまくやっていそうに見えるけど」
「そうだな。うまくやっている。隠れる必要も怯える必要もなく、みんな笑って暮らしているよ」
随分と丸くなった印象だ、こうして目の前にしても険のある感じはなくなっている。
気を張って生きる必要が無くなったからか。
「そっか。それが聞けて安心したよ。で、ローハス。今日はひとつお願いがあって来たんだ」
「?? オレにか?」
「あんたが一番適任だ。しばらくの間ヤクロウの事務仕事を肩代わりして貰えないか? オーカで中枢部にいたろう? それに比べたらたいしたことはない」
「ヤクロウは?」
「ちょっと、こっちの仕事を手伝って貰おうと願い中だ。頼むよ」
ローハスは少しだけ考える素振りをみせたが、すぐに頷いて見せた。
「あなたには借りがある。出来る事なら何でもやるさ」
「おお! ありがとう。助かるよ。キリのいいところでヤクロウのとこ来てくれ。先行って待っているから」
ローハスに手を振り、メディシナへと戻って行く。
ローハスはしばらくその姿を眺めていた。
「変わった人だ」
誰に言うでもなく言葉は零れていた。
森を抜けると現れた、燃え尽きた小屋とくたびれた小屋。
フェインが手綱を引き馬車を止めると、森の中に忽然と現れる不自然な光景に一同が溜め息を漏らす。
「気持ちのいい所ではないわね」
「だよね」
ハルヲが溜め息まじりにエーシャと馬車から、佇む小屋を覗いた。
キノは真っ直ぐにくたびれた小屋へと向かう。
キノのあとを重い足取りで付いていく。
「ちょっと待って」
ハルヲがみんなに布切れを渡すと鼻と口を覆っていく。
気乗りのしない光景が広がることが分かっていて、向かう気の重さ。
「開けるわよ」
ハルヲが朽ちかけの扉をゆっくりと開いた。
部屋に溜まっていた、すえた空気が一気に外へと吐き出される。
割れた窓からの光が屈折して部屋の中を照らす。
白骨化して転がる躯は一見したところで誰だか判別はつかない。
骨にこびりつくわずかな布切れが誰であるかを辛うじて教えてくれた。
やるせない気持ちが募っていく。
「それじゃ、まずは彼女達をここから出してあげましょう」
ハルヲとフェインが外に運び出し、キノとエーシャが家族に返せる携行品が落ちていないか目を光らせる。
ヤルバと最初の接触があった場所、そこを洗っていなかった。
【吹き溜まり】にばかりに気を取られたのは、抜かったとしか言いようがない。
多分、キノ達が最初に飛び込んだ時のほうが酷い状況だったと容易に想像出来た。
何人もの白骨化した彼女、子供らを運び出しながら、悲しさや、やるせなさ、憤りや、無力感、いくつもの感情がハルヲの胸に去来してくる。
誰も口を開かず黙々と作業を進め、広場の真ん中に寝かせていった。
木製のブレスレットや、櫛、そんなものしか落ちていない、エーシャが汚れたぬいぐるみの埃を手で払う。
村の住人からその場で弔ってやって欲しいと懇願されていた。
「どうか、安住の彼の地へと迷いなく彼らを導き給え。その魂はみなの心に宿い、永遠なるものとなれ。どうか安らかに」
ハルヲが短い言葉で弔う、一同が頭を下げるとフェインが横たわる彼女達に油を掛けていった。
「【炎柱】」
エーシャの静かな炎が魂を天高く舞い上げて行く。
いつまでも見つめる。
揺らめく炎とパチパチと弾ける音。
ハルヲの胸にくやしさが今一度去来する、拳をギュッと握り締め、静かに滾る。
フェインもエーシャも静かにくやしさをその拳に握りしめていく。
金色の瞳が炎を映し出す、キノは顔を上げると村の方へ顔を向けていた。