紫煙と回廊ときどき薬剤師
くゆる紫煙が天井を覆う。
むせかえるほどの香の薫りときつめの香水。
燭台を囲む桃色のガラスが、怪しく辺りを照らす。
うす暗い空間は人を隠しては、怪しく映し出した。
ざわざわと静かな喧騒が店内を彩っていく。
仕切られた空間からぼそぼそと話す男と、妖しく笑う女の計算し合う笑いが漏れてくる。
咥えた煙草から紫煙が立ち込め、桃色の店内にうずまく欲を煙に巻いていく。
【猫の尻尾亭】
マッシュとカズナそしてユラ、【ルプスコロナレギオ(狼の王冠)】からは団長のドルチェナ、猫人の男、ピッポ。ハーフ犬人の女、シモーネ。そしてドワーフの男、ロクの七人の曲者がオーカに潜入した。
手始めに今回の拠点となる【猫の尻尾亭】に来たはいいが、場違い感が半端ないな。
サッサと奥に通して貰うか。
隙間を縫うように慣れた足取りで行き交う猫人の給仕を捕まえる。
「切れ長の美人はいないか? 出来れば青い毛並みの女がいいのだが」
マッシュが声を掛けると猫人は値踏みするように一団を見やった。
鋭い眼差しのまま、店の奥を顎で指す。
裏口から続くうす暗い回廊、最小限の燭台が廊下を照らしている。
並んでいる扉はVIPルームか?
静かな廊下を歩く、たまに漏れ聞こえる妖しい話し声を気にする事なく進んだ。
曲がりくねった、複雑な作り。
初見では自分が今どの方向を向いているのか分からなくなる。
しばらくもせず突き当たった。
扉がないぞ? 猫人は辺りを一瞥し、誰もいない事を確認すると壁の一点を手で押した。
音もなく壁が開く、さらに奥へと続く殺風景な廊下が現れる。
言われるがまま奥へと進むと、背中越しに壁が閉じたのが分かった。危害は加えられないと分かっていても気分のいい感じではないよな。
しばらくも歩かないうちに店内とは打って変わって味もそっけもない扉を開くと、中央に大きめのソファと奥に書斎机の置かれた無機質な部屋へ案内された。
「オットから話は聞いている、オレはここの店長しているクロルだ。一応でしかないけどな。あんた達を手伝うように言われているんで、店をやっているから制限はあるが力は貸そう」
「クロル、宜しく頼む。さて、手伝って貰えるのはありがたいが、どう動こうか迷い中なんだ。なんか妙案はないか?」
マッシュが笑顔を向けると、クロルは顎に手をやり逡巡する素振りを見せた。
「おまえ達はどうしたい? まずは何を調べたい?」
剣呑な視線をマッシュに向けると冷たく言い放つ。
値踏みの最中か、やれやれ。
「そうだな、アッシモの行方はオットに任すとして、クック⋯⋯⋯摂政ロブの動きを洗いたい。ヤツがどういう形で繋がっているのか、どのようなポジションで関わっているのか、前回は中途半端だったからな。出来れば今回はっきりさせて、出来る事なら潰す」
「潰せるのか?」
「さあね」
肩をすくめて見せるとクロルは何度か軽く頷いて見せた。
「いいだろう。ただ摂政はほとんど姿を現さないぞ。オレもここは長いがチラっとしか見た事がない。相当用心深いぞ」
「オーカの現状はどうなっている? マントを羽織ったヤツらはどうなった?」
「大きな動きとしては、近いうちにヒューマンの奴隷制が廃止になるって噂が流れている。どうもこれは、本当に廃止になるようだ。あえて先行して情報を漏らしているみたく感じる。それ以外は国として変わった動きはないかなぁ。目立つ動きはないよ。そういやぁ、マントのヤツらはとんとお目にかかってないな。どうしているんだ?」
「ヤツらが小人族って事は知っているか?」
小人族という単語にその場が少しどよめいた、【ルプスコロナレギオ】の連中も信じられないと目を剥いた。
さすがにまだ認知されるほど知れ渡ってはいないのか。
オーカに居を構えていても知らないって事は、まだ公にはしていない。
公にせず摂政が影から操る方が、都合がいいと判断している?
「小人族なんておるのか?」
ロクがドワーフらしくストレートな物言いで疑問を投げる。
マッシュがひとつ嘆息し、カズナに目で合図するとカズナはフードを外した。
ドルチェナ以外の全員が絶句した。カズナもこの反応にはいい加減慣れたのか、冷ややかな笑みを浮かべるだけで再びフードをかぶり直す。
「小人族も兎人もいるんだよ。そんで、小人族はここ、オーカにいたんだ。しかも国の中枢部にもいた。薬を使ってヒューマンのフリをしていたが、今は薬効が切れて小人族に戻っている。だから表に出てこない。小人族ってバレたくないんだろう」
「一概には信じられんな」
「あのよ、あのよ。いるもんはいるんだ、それだけの話だ。どうするかサッサと決めようぜ」
クロルを筆頭に懐疑的な目にユラが痺れを切らした、遅々として進まぬ話に苛立ちを見せる。
「まぁまぁ、ここにいるやつらは見た事ないんだ。信じられなくても仕方ない」
「だけどよ⋯⋯」
マッシュになだめられ口を尖らした、情報の共有は絶対だ。
重要な情報をおざなりにするわけにはいかない。
「クロル、この店に中枢部に出入りしているヤツは来店するか?」
「どうかな? 探るか?」
「頼む。摂政はまず来ないだろう。摂政の右腕のセロっていう犬がいる、それと直属で仕事を請け負っている獣人が数名いる。これは赤いマントを羽織っていた男からの情報なので間違いない。狙うのはまずはセロ、それと直属の獣人に繋がるヤツ。その辺を突破口にしたいな」
「その直属の獣人ってヤツをまずはひっぱり込むか」
一同の目に力が入った、やるべき事が見えてきた。
「【スミテマアルバレギオ】は小人族の居留地だった西の立ち入り禁止区域をまずは見てくる。ピッポは店で給仕のフリをして客の会話から何かないか探ってくれ、特にVIPルーム。残りの【ルプスコロナレギオ】は街中での情報収集と中枢部に繋がる避難経路があるらしい、場所だけでも分かるとありがたい。まぁ、とりあえずこんな感じで始めるか」
「わ、私はそっちについていってはダメか⋯⋯なぁ⋯⋯?」
ドルチェナがもじもじと聞いてきた、その姿にマッシュは大きく嘆息する。
「ダメだ。おまえさんは団長だ、そっちの仕切りをしっかり頼むぞ。おまえさんなら出来るだろ」
「ぅぅぅ⋯⋯」
「はぁ⋯⋯おまえさんじゃなきゃダメなんだよ。頼むぞ」
マッシュの“頼むぞ”という言葉が頭の中でリフレインするとドルチェナは俄然やる気を見せた。
上気させた表情を浮かべ団員を叱咤する。
「おまえ達しっかりやれよ! どんな些細な事でも漏らすな、いいな!」
ドヤ顔のドルチェナがマッシュを見つめた、“ハイハイ”とマッシュが仕方なしに頷くとドルチェナは満足気な笑みを浮かべた。
「この隠し部屋は好きに使ってくれ、ここ押すと街はずれの小屋に繋がっている。出入りは店からではなく、小屋から頼むぞ」
クロルの説明にうす暗い部屋に浮ぶ剣呑な目つきの男と女。
一同が頷き瞳をギラつかせた。
「別に構わないけど、なんでこっちに来たんだよ?」
「なんとなくだ。まぁ、野郎同士仲良くやろうぜ」
馬車の荷台に寝転ぶリブロが、手綱を握るキルロへ笑顔を見せる。
整備された街道を、野郎ふたりでヴィトリアを目指し馬車を走らせていた。
てっきり、ハルヲ達について行くものだと思っていたので肩透かしを食らった気分だ。
イマイチ、何考えているのか分からねえなぁ。
小さく嘆息すると手綱を握り直した。
「へぇー、実はオレ、ヴィトリアって初めてなんだよ。想像通りかしこまった街だな」
リブロは大通りをキョロキョロと見回していた。
小綺麗な街並みになんとも似つかわしくない、小汚い野郎ふたりが大通りを西へと逸れていく。
「どこに行くんだ?」
「アルバだ」
しばらくもしないうちにアルバの入口へと到着する。木でつくられた簡素な門だが、衛兵がふたり門番をしている姿にはキルロは口端を上げた。
いつの間にか、らしくなったな。
「ごくろうさん」
「誰だ?」
若い衛兵が馬車を止めた。小汚い野郎の二人組、止めるのが正解だ。
止められて“うんうん”と納得しているキルロの姿に、怪訝な表情を浮かべていると見知った顔が飛んで来た。
「おい! 止めるな。領主様だぞ!」
「ええええ! も、も、申し訳ありません」
「ヨルセン! 久しぶり。まぁまぁ、自分で言うのもなんだが、怪しい野郎のふたり組み、止めるのが正解だろ」
「そうですがね⋯⋯。あ! いや⋯⋯そんな事は! 領主様もお元気そうで。今日はどうされたのですか?」
「ちょっとヤクロウにヤボ用だ。しばらくいるかもしれないんで宜しく」
「分かりました。お付きの方も宜しくお願い致します」
リブロがお付きと勘違いされ苦笑いを浮かべた。
キルロはククっとその姿に吹き出し、馬車をゆっくりと進めていく。
相変わらず通りではみんながキルロへ声を掛けた、その度に手を振り返し簡単な言葉を交わしていく。
リブロはその姿を荷台から眺めていた。
話には聞いていたが本当に領主様だ。疑っていたわけではないが、いざ目の当たりにすると違和感がないのに少し驚く。
変なやつ。
「ヤクロウ! 入るぞ」
【キルロメディシナ】の二階に作った執務室へ飛び込んだ。
いい笑顔のキルロと下を向き黙々と書類と対峙しているヤクロウ。
キルロが机に積み重ねられた書類の山を指でつまんでいると、ヤクロウが睨みを利かす。
「これはこれは、領主様。一体何しに来やがったのですか」
トゲのある言い回しにキルロは愉快そうに笑顔を返した。
「忙しそうだな」
「おまえが押し付けたんだろうが!」
「ちょっとお願いがあってさ、いいかな?」
「おまえ、人の話聞いているのか?!」
ヤクロウの目の前にコロっと小さな実を転がした。
ヤクロウが黙ってそれを手にすると興味津々と繫々と眺めていく。
眉間に皺を寄せその小さな実を注視する。
通常のカコの実とは違う色味。
カコの実⋯⋯だよな⋯⋯。
指でつまむと陽の光にあて、じっくりと覗き込む。
その姿にキルロはニヤリと含みのある笑みを見せ、リブロはその姿に小首を傾げるだけだった。