蠢動
虫の音が響き渡るだけで森は静かさを湛える。
馬車の荷台であぐらをかき、ひたすらに時間が流れるのだけを待っている。
地面で足を投げ出し座っているユラが大きな欠伸をした。
「ふあぁわぁわぁ~、ヒマだのう」
「ま、順調ってことだ」
ユラは涙を拭い欠伸をかみ殺す。視線を動かしても見えるのは、そびえ立つ高い木ばかりだ。
「獣人はええのう。夜でも見えて」
「ドワーフだって、パワーがあって手先が器用でいいじゃないか」
「でも、やっぱりエルフがええのう。羨ましいのう」
「ネインはドワーフに憧れていたじゃないか。無い物ねだりだ」
「ネインか……、ありゃあ変わりもんだ……」
おまえもだよ、と言おうとしたが寂しげに遠くを見つめる瞳が見えたので止めておいた。
静かな夜だ。
万事上手くいっているのか。
気に病むだけで何も出来ないのもなかなか辛いな。
「マッシュよう」
ユラが小声で呼ぶと目配せしてきた。
「何か気配がするんだが見えるか? あの辺チラチラ明るくねえか?」
「人だな。何かを探しているみたいだ」
遠くの方で点にもみたない光が森の中を動いている。
ふたりは顔を見合わせ、緊張の度合いを上げた。
「摂取、報告したいと申す者がいますがどうされますか?」
ロブは黙ったまま首を縦に振る。
顔面を蒼くする犬人がロブの前に跪いた。
後ろめたさを感じているのか俯いたまま顔をあげようとはしない。
その様子にロブは嘆息する。
「どうしたというのですか、いきなり跪いたりして。顔を上げて下さい」
「あ⋯⋯⋯、いえ⋯⋯⋯」
口ごもる犬人の肩に手を置いた。
「面を上げなさい、時間が惜しいのですよ」
「申し訳ありませんでした!」
体をこわばらせ犬人はさらに頭を下げ震えだした。
「何ですかいきなり? 何かあったのですか?」
諭すようにロブは語りかける。その静けさが逆に犬人を震えさせた。
「ま、街中で出口へ向かうおかしな馬車を見かけました。ご報告が遅れて申し訳ありません」
「おかしな馬車?」
「は、はい。パンの粉を積んだ連結馬車です。荷物の割には大きな馬車でしたが、荷を確認し、行商登録証も確認しました。現場ではおかしな所はなかったもので⋯⋯こんな事になるまでご報告が遅くなってしまいました」
ふむ。
些細なことでも報告させたのは正解だった。
行商登録証? それがもし偽造だとしたら?
そいつらはブックスの仲間と見て良さそうだ、大きな馬車⋯⋯⋯小人族を運ぶ為か?
そう考えるとオーカからそうは離れられないはず。
「良く話してくれました。とても重要な報告ですね」
「はっ! では⋯⋯⋯」
「ただし、あまりにも遅かったですね。いただけないなあ」
目を細めると犬人を睨んだ。
蔑むその瞳に睨まれ、ロブの顔を直視出来ない。
「まあ、過ぎたことは仕方ない。あなたは私と一緒に来なさい」
パチン!
と指を鳴らすと黒ずくめの獣人がどこからともなく現れる。
「出口近辺を徹底的に洗いなさい。怪しい馬車が止まっているはずです。必ず見つけ出しなさい」
黒ずくめは一礼して去っていった。
「私たちも行きましょう。あなたもここで名誉挽回のチャンスをあたえます。しっかりと働くように失敗は許されません」
「は、はい!」
犬人も踵を返し飛ぶように駆けていった。
雑音の元はそこにあるのか。
ロブの双眸が醜く弓なりになると下卑た口元から笑みがこぼれる。
これで終わりだ、雑音を消して、美しい調和を取り戻そう。
小人族の生き残りがいたとしても、そこで待ち伏せればいいだけ。余計な手間が省けたというもの。
「セロたちは残って猫の行方をしっかりと追って下さい。必ず見つけるように」
それだけ言い残し、ロブは足早にその場をあとにした。
「カズナ! 小人族たちを外に出すな! 外にいるやつらはどこでもいい中に押し込め!」
タントとカズナが森の中を駆け抜けていく。
タントの言葉にうなずくとカズナは兎人らしく一段スピードを上げて、居留地へと疾走する。
武装集団は緩慢な動きでダラダラと居留地へと侵入してきた。
何かを探すわけでもなく、求めるだけでもなく、ただただ練り歩いている。
マッシュが言っていたやつらか。
思考が停止した気持ちの悪い集団。
動きは鈍いがパワーはあるって言っていたよな。
更地となった地面をゆるりゆるりと歩いている。
「早く入レ! 敵が来タ! 死ぬゾ!」
少ない言葉で次々に残存している小屋へ押し込んでいく。考えている余裕はない。
振り向くと集団は敷地の中へと侵入していた、急げ。
月明かりにぼんやりと浮かび上がり、それは蠢く。
意思を持たぬその歩みの先に湾曲したククリ刀の刃が月明かりを吸い込む。
ずるずるとひきずる足は遅い。
集団は立ち並んだまま奥へとただただ進む、まるで立ちはだかるタントの存在などないかのようだ。
ククリ刀を構え低い姿勢から突っ込んでいくと、先頭を行く猫人の腕斬り落とした。
ドサっと重みを感じる音と共に剣を握ったままの腕が地面へと落ちていく。
ククリ刀を一振りし、べったりとついた血糊を吹き飛ばすと、隣にいた狼人の首も跳ねた。
意思をなき者は、血溜まりに沈む首など気にも止めない。
ただただ、闇に蠢く。
ただただ、定まらぬ視線で蠢く。
寒気すら覚えるその静けさに、タントは一度距離を置いた。
こいつらの気持ちの悪さは何?
奥にいた猫人がゆっくりと駆け出すと、他のものたちも駆け出した。
何? こんどは何?
経験したことのない光景にタントの思考が停滞する。
体も思考も止まり駆け出す集団をただただ見つめてしまった。
「タント!」
耳の奥へと届くカズナの叫びで我に返った。
壁を叩き、ドア叩き、窓を叩き、容赦のない攻撃が小屋にむけられ、小人族たちをあぶり出そうとしている。
カズナは小屋にへばりつく獣人をひとりまたひとりと剝がしていく。
片腕を落としても、鼻を曲げても、片目が潰れようとも小人族たちをあぶり出さんと叩き続ける。
小屋から悲鳴が飛ぶ。
その方へとタントは疾走する。
扉を破壊され、そこにのそりと意思なき猫が蠢く。
目的を見つけた。
小さき者は屠り、地に返す。
目標を見つけた。そこで肩を寄せ合いおびえる者たち。
声を発することもなく気持ちの悪い笑みをこぼすだけだ。
目標にむけて剣を振りかざす。
ゴツっと天井を叩く。
余りの狭さに何度やっても天井を叩くだけだった。
少しばかりの混乱を生んだが、すぐに振りかざすのをあきらめ肩を寄せ合う震えている小さき者を、串刺しにするべく剣を後ろへと引いた。
双眸は嬉しさから弓なりとなり、小さき者へ絶望の呼び水となる。
涙を流し震えることしか出来ない小さな自分を呪う。
目をつむりその時を待った。
ドサっという音だけ聞こえたが、その時はやって来ない。
「ごめん、遅くなった」
ククリ刀を赤く染めるタントが狭そうに体を縮こませ笑顔を見せると、すぐに出口から飛び出して行った。
助かった安堵と共に何も出来なかった自分たちがひどく小さい物に感じる。
怯え、抱き合うことしか出来なかった⋯⋯仕方のないこと。
そう思っても胸に突っかかる何かが、チクチクと小さき者たちを苛ませた。
「きゃあああ!!」
壁にひびが入る。
小屋に覆いかぶさる意思なき犬を蹴り飛ばす。
壊され半開きになった扉から意思なき狼が顔をのぞかせる。
恐怖と絶望が小さき者へと覆いかぶさっていく。
ここでもまたガタガタと震え、恐怖に身を委ね、頭を抱えることしか出来ない。
扉に出来た隙間からのぞく濁りきった瞳からは、何の意思も感じられず、ただただ恐怖だけが無言で押し寄せてきた。
半開きとなった扉に体を滑り込ませようと意思なき狼は体をよじる。
隙間から腕をいれ足をよじ入れ強引に体を押し込んだ。
手に握られたナイフは廊下に置かれた燭台の小さな炎を反射させる。
メキっと扉の音が軋むたびに小さき者たちは絶望の色を濃くしていく。
泣き叫ぶことも出来ずただひたすらに涙を流し祈る。
バギっ!!
大きな破裂音を鳴らし狼が廊下へ倒れ込んできた。
小さき者たちは目を見開きその姿を見つめることしか出来ない。
自分たちの吐息が浅く繰り返されるのがわかる。
叫びたい衝動だけはグッと抑える。
お願い、誰か。
破壊された扉から兎が閃光のごとく飛び込むと素早い動きで狼の上へと被さり動きを封じた。
すかさず後頭部へ短い刃を突き立てる。
ピクリとも動かなくなる狼を一瞥すると静かに刃を抜く。
刃の跡からは血が溢れ出し狭い廊下を真っ赤に染め上げる。
狭い家に生臭い鉄の臭いが充満すると、体中が震えだし胃の中のものをすべて吐き出した。
終わった安堵と共に見たことのない光景と、感じたことのない感情が一気に襲い小さき者たちの心を激しく揺さぶる。
「もうしばらくの辛抱ダ。頑張レ」
兎のエールに頷き、短くも優しい言葉に希望を抱く。
小さき者たちは心を落ち着かせようとギュッと手を取り合い希望へと心を繋いだ。