亜種(エリート)
太陽が昇り、地平線を照らし始める。
キルロは、昨日オークと遭遇した村の西部を探索していた。
見晴らしのいい場所に出ると、キノがスルスルと木に上り、首をキョロキョロと動かし、オークの影を探している。闇雲に歩いた昨日と違い、ある程度の目途はついている。キルロは、マッシュとふた手に分かれ、オークらの残影を求めた。
エンカウントしても、今回は攻撃しない。
勿論、単独が危険というのもあるが、今回の探索は別のところにあった。
■□■□
—————————昨晩。
不思議な奴だな。
飄々としているが、まるで全てを見透かしているかのような言動と行動。
キルロはマッシュと、簡単な夕飯を共にしながらそんな事を思っていた。
「マッシュ、さっき途中になったが、なんで亜種が生まれたと推測しているんだ?」
マッシュは、口に運ぶ手を止め、考える素振りを見せる。
「うーん、どこから話すかな。北に行く程強いモンスターが現れるのは知っているよな? なぜ、そうなるかは知っているか?」
「北に行く程、黒素が濃くなるからだろ?」
「そうだ。逆に黒素が薄くなれば、怪物は弱くなる。黒素の濃さと、モンスターの強さは比例している。って、考えると黒素が薄ければ、強いモンスターは現れない。多分、活動限界の境界線が、黒素の濃度にあるんだろう。村が襲われないと言ったのはそこだ。ここは黒素が薄い。強いヤツは活動出来ないはずだ」
「つまり、亜種が暴れるには、黒素の濃度が足りないと⋯⋯」
「ま、なんでか? までは、学者じゃないんで見当つかないがね」
と、マッシュは最後につけ加えた。
じゃあ、なぜ? 亜種が生まれた?
あ!
キルロの中で、ひとつの仮説が立った。
「【吹き溜まり】が関係している?!」
キルロは、少し興奮気味に言い放つと、それを聞いたマッシュがニヤリと口端を上げた。
「それが関係している可能性はあるよな」
【吹き溜まり】
この世界に点在するクレーター状の窪みで、長い年月を掛けて黒素が蓄積された場所だ。
影響がほぼない数Mc程度の小さいものから、数Mk単位の巨大な窪地まで大きさや形は様々だ。大きく深いものほど、黒素の蓄積量は多く、危険なのは、ここに住む人間ならだれもが知っていた。
危険だから巨大な窪みには決して近づいてはいけないと、子供の頃から教わり、畏怖の対象にもなっている。
「地図を見ると、西と東南に【吹き溜まり】がある。東南は小さいが、西は1Mkくらいだな、割りとでかかった。そして西に目撃談が固まってる。アイツは西の【吹き溜まり】の側でしか活動出来ないはずだ」
「なるほど」
相手を知る事によって霞が少しずつ晴れてきた。
それは、前に進む推進力となる。
マッシュは真剣な眼差しをキルロに向けた。
「理想としては、普段なら巣などを持たないヤツらが、どこかに拠点を持っていて、そこを一気に叩くってのが理想なんだが⋯⋯単独行動をしていないって事は、眠る時もバラバラではないはずだ」
「でも、どうやってこの人数で叩く?」
「これでだ」
火山石を腰のバッグから取り出して見せた。
高温で熱したり、圧力を掛けると大爆発を起こすレアな石だ。
取り扱いやすく、便に優れているが、希少な為比較的高価な代物。
マッシュは、導火線のついた筒まで取り出した。
「こいつでヒョイとな」
その筒に火山石を入れ、火を点けて、投げる仕草を見せる。
「さっきは咄嗟の事で、準備出来なかった」
マッシュは、少しだけ悔いる物言いをする。ただ、準備していたとしても、バカなやつらが闇雲に突っ込んで、使いようはなかっただろう。
「あと最後にもう一点。ヤツらは多分、夜目が効かない可能性が高い。目撃談は全部日中だ」
「夜襲をかけるって事か」
マッシュがニヤリとする。
「その蛇も鼻は効くだろ?」
「鼻が利くかは分からないが⋯⋯キノ、夜でも大丈夫か?」
キノが鎌首をもたげ、キルロを真っ直ぐ見つめる。その姿をどう捉えるべきか考えあぐねてしまうが、とりあえず頷いておいた。
「まぁ、多分大丈夫だろ。アンタは? 眼鏡しているが、夜で大丈夫なのか?」
「あ、これか。オレの場合は、目が良すぎるんだよ。夜目が効きすぎてな。特に日中は眩しくて、生活に支障を来すんでかけてるだけだ。狼は基本夜行性だろ」
「そっちか!」
マッシュは小瓶取り出し続けた。
「うまい事拠点を叩いて終わればいいが、逃した場合はコイツを使う。こいつは月の光に反応して光るが、そこまで光は強くない。こいつを叩き込めれば追うのは楽になるはずだ。目安程度にはなるだろう」
「へぇーそんなものまで持っているのか。アンタ、オークのクエを受けるレベルじゃないんじゃないか? 相当な手練れに感じるけど。こっちは頼りになって助かるんだけどさ⋯⋯」
「大差ないさ。単独の依頼で一番高かったから受けただけだ」
マッシュはそう言って、視線を逸らす。
だが、すぐに気合を入れ直すように、またキルロに視線を戻した。
「で、明日だが、陽が出たら、早速ヤツらの捜索を開始だ。戻った時に、マップで照らし合わせをしよう。ふた手に分かれての探索だ。エンカウントしないように気を付けて、拠点がないかの確認だけをするんだ。陽が落ちたら本番開始、一気に叩くぞ」
キルロは、頷き返強くした。
■□■□
特に収穫ないまま、陽が落ち始めてしまい、キルロは仕方なく探索を終えた。少しでも有益な情報を得たかったが、これといった痕跡もなく、項垂れながら、マッシュとの集合場所に向った。
「すまん、こっちは収穫なしだ」
「そうだろうな。こっちがビンゴだ」
マッシュが不敵な笑みを見せる。
「巣かどうかは分からないが、固まって寝ていた。お日様が昇ると、案の定動き始めた。ヤツらは間違いなく昼行性。陽が落ちたら行くぞ」
キルロはその言葉に黙って頷く。だが、同時に何も出来ていない自分を不甲斐なく感じてしまう。
ひと仕事前の補給を取りつつ、作戦の再確認をする。ほとんどの仕事をマッシュが行い、キルロ達がそのフォローにまわる。
マッシュは、作戦の遂行から立案と、その有能性に、キルロは感嘆してしまう。
「すまないな、ほとんど役に立てず」
「そんな事ないさ、ひとりじゃ無理だよ。手練れのパーティーだったら正面突破で行ける程度の相手だ、気負い過ぎるなよ」
眼鏡を外し、切れ長の眼をキルロ達に向けた。
陽光が地平線に飲み込まれ、闇が森を覆い始める。
「行こうか」
マッシュの声に、ヤツらの拠点を目指す。
真っ暗な森を進む、木々とのこすれる音だけがやけにうるさく感じるのは、緊張のせいかもしれない。
マッシュがスピードを落とした。近いという事だろう。
止まれと、マッシュがハンドサインを送ると、緊張感は一気に増していく。
そしてキルロの目にも、月明かりにぼんやりと浮かび上がるオーク達の姿を捉えた。
(行く!)
マッシュは囁くように言い放ち、暗闇へと消える。
脱兎のごとく駆けていくスピードに、その背中はすぐに暗闇に紛れていった。
また見守ることしか出来ない。
生唾を飲みこもうとするも、口の中がカラカラだった。
ゆっくりと息を吐こう。
ゆっくりと剣を抜こう。
『『ドオオオオオ』』
爆音を伴って二本の火柱が立ち、始まりの狼煙が上がった。
爆ぜる木々の音が、パチパチ鳴り響いていた。
「スマン、しくじった」
燃える木々を背に橙色に照らされながら、マッシュが足早に戻って来た。
ニ体の巨躯が炎に燻され、体皮を焼いていた。
炎の揺らめきのに合わせて、揺らめく大きな影をキルロの瞳が捉えた。
『『『ゴァァアアアアアアッ!!!』』』
吼える、滾る、爆ぜる。
炎に照らされ亜種の姿が、確認出来た。黒い表皮は闇に紛れるも、炎がそれを炙り出す。
匂いを嗅いでいる?
世話しなく首を動かし、何かを探し求めているように見えた。
草木の燃える臭いと、オークの表皮が焼けるイヤな臭い。
数体のオークが、地面に倒れ体から細い煙を上げていた。炎の橙色を纏う亜種が、横たわるオークを見下ろし、粘る唾液をだらだらと口から垂らす。
ギチャ、ギチャ⋯⋯。
「食いやがった!?」
胃からイヤなせり上がりを感じ、キルロは、必死にこらえる。
食欲を満たそうとかがんでいる亜種へ、マッシュが駆け出した。チラチラとマッシュの手からは淡い光が漏れ、てマッシュの動きをトレースしていた。
キルロと蛇も続く。
食という欲求に忠実すぎる亜種の背後を、キルロは簡単に取る。食べる事に夢中なのか、キルロの存在など羽虫程度にしか考えていないのか、同胞を喰らい続けていた。剥き出しとなった無防備な後頭部へ、キルロは渾身の力で剣を振り下ろしていく。
終わりだ!
キルロの刃が、オーク亜種の太い首を捉える。
ゴツッ!
鈍い音がキルロの切っ先から鳴った。その刃は、強固な表皮に全く歯が立たず、簡単に跳ね返されてしまう。
食事の邪魔をするなと、キルロに向かって木の幹のように太腕が振られる。
岩のような拳が、キルロの眼前を横ぎる。
目を剥くキルロの背中から汗が滲み、一度距離を置いた。
傷すらつけられない不甲斐なさに、キルロの表情は曇っていった。
クソ。
悔しさだけが積み重なる。何も出来ない自分のふがいなさが、また積み重なった。
炎は消え、暗闇が森へ覆いかぶさる。
黒い表皮が、暗闇に溶けていく。
見えねえ、マズいな。
顔を上げたキルロの視界に、チラチラと動く微かな光の点が、暗い森の闇に浮かんでいた。
マッシュか。
暗闇から亜種を引きずり出そうと何度となく接近を試みているのが、光の動きから見て取れた。そして、苦心をしているのも、その光を模索する姿から伝わった。
腹を満たしたのだろう。オーク亜種は顔を上げ、首を何度も掻くと光の点に気が付くと、鬱陶しいとイラつく素振りを見せる。
亜種が重く緩慢な手の動きで、光の点を握り潰そうと、振りまわす。
潰す。と、腕が振り回される。
近づく。と、光の点がそれをかいくぐる。
相反する思いがぶつか合う。
炎は橙色の点となって地面に点在するだけで、月の光さえ遮る森に、視界は黒一色に塗りつぶされてしまった。
『『ゴブッ、ゴブッ、ゴブッ』』
亜種は、短く吼えイラつきを表す。世話しなく動く光の点が、マッシュの焦りを映す。
『『『ゴァァアアアアアアッツ!!!』』
亜種の怒りが限界に達した。溢れ出した怒りのままに、左右の腕を激しく振り回し、土を、石を、枝の幹を空中へと巻き上げる。
ゴン! ガン! ゴツ! っと、キルロの掲げた左腕の小盾が、降り注ぐ小石や枝に様々な音を鳴らす。
光の点が動けない。
激しく暴れる亜種を前にして近づけないのだろう。キルロも、蛇をかばいながら盾を構えることしか出来ない。
だが、亜種吼え続け、その度に瓦礫が爆ぜる。暗闇から見えない瓦礫が、次々と降り注ぎキルロを足止めしてしまう。
チッ! 動けねえ。どうすりゃあいい?
小盾から鳴りやまない打突音に、思考がうまく回らない。焦りだけがぐるぐると頭の中を巡るだけだった。思考の停滞に鼓動は上がる。何かせねばと、焦りが焦りを生む。
悪循環の環。抜けださねば。
近づく光の点に、キルロも駆け出した。
「すまん。30秒、いや10秒くれ!」
暗闇から、マッシュが光の小瓶を差しだす。
『『『ゴァァアアアアアアッツ!!!』』』
亜種が吼え、瓦礫が再び爆ぜると容赦なく瓦礫が降り注いだ。
「ゴフッ!」
瓦礫の直撃を受けたマッシュが吹き飛ぶと、光が地面に転がり落ちた。
地面を所在なく転がる光に、亜種が反応を見せる。小岩のような拳が、その小さな光に向けられる。
「⋯⋯かはっ」
マッシュも痛みに耐えながら、小さな光に手を伸ばす。
遠い。
すぐそこの光が遠い。
爆ぜる瓦礫にキルロも、身動きが取れない。
『『『ブハアッーツ!!』』』
亜種の咆哮が、暗闇に鳴り響く。ようやく動かなくなった小さな光に満足でもしたかのように高らかな咆哮をあげると、亜種は小さな光へ駆け寄った。
亜種の踏み鳴らす地響き。
マッシュの伸ばす手は、光に届かない。
ダメか。
マッシュの中で、諦めが生まれてしまう。手を伸ばしても届かない光に、悔しさが募る。
白線? 白光?
暗闇を這う白光。地面に転がる小さな光へと地を這って行く。
亜種の伸ばす手、そして白光が、小さな光へと伸びていく。
パクッ!
キノが転がる光を咥えると、亜種を引き付ける。
「行け!!」
痛みに耐えるマッシュの思いをのせた叫び。
『『『ガアアアアアアアアッ!!!』』』
自らの手の先から、こぼれ落ちた光に亜種は吼える。怒りは爆発し、重い足取りながらも、キノをしっかりと捉えていた。怒りの地響きが白光に迫る。
「逃げろー!」
キルロは叫び、キノの後を追う。
願う。逃げろ。そして速く追いつかねばと。
早く、速く。急げ!
『『『ゴァァアアアアアアッツ!!!』』』
怒り、吼える。亜種は、怒りのままに暴れる。
降り注ぐ瓦礫が、キノを襲う。
白光に向かう小さな岩。その岩は真っ直ぐキノに飛んで行った。逃げるのに必死な、キノの頭に直撃してしまう。
キノの動きが止まってしまった。
「キノー!!」
キルロが吼える。
速く!
速く!
早く!
小さな光に向かって駆ける。亜種より先に届け。
駆ける亜種に、ヘイトを向けようと、ガンガン小盾を叩いた。
派手な音を鳴らせ。亜種の動きを止めろ。
けたたましい金属音に、亜種が、首を上げ音の出所を探す。
釣れた。
刹那、キルロが駆ける。
隙を作った亜種の横をすり抜け、小さな光を握り締めた。
キノとマッシュが気になるが、今はヤツを剥がす。
来い、こっちだ!
サッサと来い!
暗闇に血走った白目が、うっすらと浮かび上がる。
キルロを見下ろす目。
来い!
来い!!
小さな光をその目に晒す。
「ほらほら! こっちだ!」
『『『ゴァァアアアアアアッツ!!!』』』
亜種は吼え、小さな光に向かって駆け出した。
逃げろ、考えるな、足を動かせ。
背後から足音が鳴り響く。吹き出す汗が傷にしみる。
走れ!
走れ!
『『『ガアアアアアアアアッツ!!!』』』
亜種が、腕を振り回し激しく吼えた。瓦礫の爆ぜる音が鳴り響く。
マズい。
背中から届くその粉砕音に、キルロの拍動が跳ね上がる。
「かはっ!」
背中から何かが襲いかかった。キルロは激しい衝撃に立っていられず、その勢いのまま、前へと吹き飛んでしまった。
岩? 木? イヤどうでもいい、この光を手放すな。
キルロは倒れたまま、拳に力を込めた。
衝撃に呼吸がうまく出来ない。
苦しい。
立て。
走れ。
だが、肺に空気が入っていかない。
苦しい。
足音が近づく。
動け、体、走れ、足。
思いとは裏腹に、体は言う事を聞いてはくれない。
その足音はすぐ側で、鳴り響く。
「うわっ!」
キルロは、突然腕を掴まれ、茂みへと引きずり込まれた。
「すまん。待たせた」
マッシュがひったくるように小さな光を掴むと、地面に小さな光と何かを置いた。
茂みへと戻るマッシュと共に息を潜める。
亜種はクンクンと小さな光の周辺を、見た事のある仕草で何かを探した。
そして何かに食らいついた。
ブォン!
こもった爆発音が亜種の口から鳴った。顔の穴という穴から、白い煙りを吐き出すのが月明かりに映る。
亜種の巨躯が、ゆったりと仰向けに倒れていく。
キルロとマッシュが、茂みから飛び出す。痛みも忘れ、ここを逃してはならないと、ふたりは刃を向ける。
キルロは刃を180度回転させると、虎の爪が剣の背に現れた。いつぞやのハルヲから貰った爪を剣の背に仕込んでいた。
亜種の喉笛に、鋭い虎の爪が表皮を削ぐ。
表皮が抉られ、剥き出しになった喉笛にキルロは剣を突き刺した。
口元から漏れていた弱い吐息は、穴の空いた喉笛から漏れ出す。
逆手に剣を持ち直し、さらに空いた喉笛に追い打ちを掛けた。
漏れる空気に合わせて血が吹き出す。マッシュの刃が柔らかな眼球を突き抜け、脳へと突き刺さると、亜種は完全に沈黙した。
「終わった」
キルロは、ほっと体の力が抜けるのと同時に、身体中から痛みが襲いかかり我に返る。
「キノー!」
辺りを必死に見渡すが、暗闇にキノの姿が見えない。
暗闇から傷だらけのマッシュが、キノを抱え現れた。
ぐたっと力の抜けた状態でマッシュに抱えられ、こちらに向かってくる。キルロは痛みも忘れ、駆け寄った。
「大丈夫だと思うが、ヒール掛けられるか?」
キルロは安堵のため息と共に詠唱をする。
「癒光」
キルロは、キノとマッシュにヒールを掛けると、安堵からその場にへたり込んしまった。
「お疲れさん」
マッシュが軽い調子で、労ってくれた。