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エピローグ ~3~

「おや、こんなところで会うなんて奇遇だね」

「……善知鳥(うとう)さん」


 そこは通称《機関》と呼ばれる施設だった。

少女が《機関》の長い廊下を歩いていると、向かいから男がひとり歩いてくる。

 スーツ姿のその男は――名を善知鳥束(うとうたばね)という――、こちらへ向かっているのが知り合いだと気づくと、軽く手を挙げた。


 善知鳥は夜子の同業者――《探偵》だ。


「――ん? 髪、切ったんだね」

「これは……まぁ整えざるを得なかったというか」

「ああ、もしかして《流浪の神》の件かい?」

 善知鳥はニヤ、と口の端を上げた。隙間から不揃いな歯が覗いて見える。

「……相変わらず耳が早いですね……。いったい何をどこまで知っているんですか?」

「どこまで、と言われても。火之君が《流浪の神》とやらの情報をくれてね。その時に御守君には心当たりがあるようだったと話していたから。それが関係しているのかと思って訊いただけだよ」

「私にかまをかけたんですか?」

「かま? はは、そんな。ただ御守君も《流浪の神》の情報は持っているはずだから訊いてみた――ただそれだけだよ」

 夜子はジロリと善知鳥を睨む。「ただそれだけ」のはずがないと踏んでいるのだ。

「おや、ご機嫌斜めだ」

「別に。機嫌が悪いわけじゃないです」

 ただ少し、癪に障ったのだ。

「ふうん。ところで、君が髪を切らなくちゃいけないほどの強敵について聞きたいな。時間があるならどうだい? お茶でも」

 言って善知鳥は廊下の先を指差した。あちらには《機関》の職員や来客の立ち寄るカフェがある。

「嫌だといっても次に会った時また言われるだけですもんね。――いいですよ、少しなら時間ありますし」

「さすが御守君。よくご存じだ」

 善知鳥はきゅうと目を細める。


「聞かせてもらおうか。どんな《異形の者》に出会ったのか――」


◇◆◇


「はぁ、それじゃあ人間に教育をされた《異形の者》が、《異形の者》に成り代わろうとしたわけだ」

「……その言い方は止めてください。彼は成り代わろうとしたわけじゃありませんから」

「ああ、なろう(・・・)としただけだね」

 善知鳥はどうやら夜子の話にそこまで興味を惹かれなかったらしい。自分で話を求めたわりに淡々としている。

「……まぁ、いろいろ難しい依頼だったということです」

「何がだい?」

 コーヒーに口をつけながら善知鳥が訊く。

「なんというか、皆悪意っていうのはあまり無かったんですよ。焔狐は極端に人の心がわからなくて、青年を無意識に煽ってしまいました。あとになって話を聞くと、わざと怒らせようとしたわけじゃないんですよね。ほんと無意識なんです。焔狐は無意識のうちに人を虜にしたり怒らせたりしてしまう……そういう異形です」

「そりゃ厄介だ」

「だからまぁ、自業自得といえばそうなんです。それとさっきの話の青年だって、私達を利用しようと動いてはいましたが、捨て駒にしようとか思っていたわけじゃないと思うんです。最終的には迷惑がかけられないってひとりで行動することを選んでいますし……。彼の父親も自分の夢や憧れを息子に託しただけです。まぁ、独りよがりな幻想を押し付けたともいえますが。あとは青年の母も……。何かを犠牲にすることになっても息子を救う、という考えを持っていたみたいですが、好んで誰かを不幸に陥れようとは思っていません。――ま、息子以外不幸になっても知るもんか、くらいは考えていたんでしょうが。結局鬼にはなりきれなかったようですし」

 少女は「皆どうすればよかったんでしょうね……」と呟き、コップにささったストローを回した。ガランとしたカフェに、氷の涼やかな音が響く。

「自覚のない悪は最悪だよ、御守君」

「自覚のある悪も最悪ですが」

「でも、自分が悪事を働いているとわかっている奴を責めるのは、こちらも道理があるからスッキリするけど、自分の悪事を理解していない奴を責めるのはこちらが悪いことをしている気にならないかい?」

「……言いたいことはわかります。でも私は彼らを責めたいわけじゃなくて……彼らがどうすれば事件を起こさずに済んだかを――」

「難しいだろうね」

 善知鳥ははっきりと言い切る。

「今回のような事件は起こらなくても、どこかで破綻はしていたはずだ。――幸せな家族っていうのは綱渡りなんだよ。落ちていくのは簡単だ」

「ふぅん……。そういうもんですか」

 もしかして自分達家族もそうなのだろうか、と夜子はふと思う。

 養父(先生)がいて養母(京子)がいて、琴浦も含め、たくさんの兄姉代わりの人達と、年上だが弟のようでもある鈴切がいて――。夜子は幸せだ。孤児だが暖かな家庭というものを知っている。

 ただ兄姉達はそのほとんどが独立し、今はもう家にいない。琴浦だっていつか独立して出て行くかもしれない。養父母達も高齢だ。あまり考えたくはないが、もう一緒にいられる時間は少ないのかもしれない。鈴切もよく尽くしてくれているが、御守探偵事務所より条件のいい職場があれば転職してしまうかもしれない。

(落ちていくのは簡単、か)


「私、余計なことをしてしまったんでしょうか」

「さぁ? どうだろう。当事者が余計なお世話だと思ってないんなら……いいんじゃないかい?」

「……だといいんですけど」

「ま、閉ざされたコミュニティの問題は、外部の介入でよくなることもある。今回の場合にそれに当てはまった、と考えていいだろう」

 言って善知鳥は薄く笑みを浮かべた。

「君は良きにつけ悪しきにつけ、きっかけにはなったのさ」

「……良いほうのきっかけだと……いいんですけどね」

 少女は静かに目を伏せ――微笑んだ。


◇◆◇


「御守君、時間は大丈夫かい?」

 腕時計を見ながら善知鳥が訊く。夜子もスマートフォンを見てみると、カフェに入ってからそれなりに時間が経っていた。

「あ」

 スマートフォンが震える。通知を見ると、ちょうど琴浦が連絡を寄越してきたようだった。

「どうした?」

「兄さんが迎えに来てくれてるみたいです。もう門の前にいるからって」

「そうか。じゃあ今日はこのあたりでお開きにしよう。――実は僕も、このあとここのカフェで待ち合わせがあってね」

「そうですか。それじゃあ――」

 その時、夜子はふと善知鳥にも訊いてみたくなった。

「そういえば、善知鳥さんのところって家族経営ですよね?」

 善知鳥束は、「つかさ警備」という警備会社の取締役だ。つかさ警備は確か善知鳥の祖父が興した会社だと、夜子はいつか耳にしたことがあった。そして善知鳥の父も兄も経営に携わっているそうだ、とも。

 ――実は夜子が今回の話を善知鳥にしてもいいと思ったのは、家族経営(それ)を知っていたからだった。

 きっと善知鳥も夜子――そして藤と同じく、親の理想やそれに近しいものを背負ってきたことだろう。

 夜子は親のエゴ――と敢えて言おう――を重しに思ったことはないが藤は違った。

(善知鳥さんは……どうなんだろう)

 この飄々としている男も、若かりし頃は思い悩んだりしたのだろうか。

 期待をエゴだと思わない夜子は、藤に共感することはできない。――が、、善知鳥はどうだったのだろう。

 エゴに潰れそうになっていた藤の話を聞いて、何か感じ入るものがあったのだろうか。

「善知鳥さんもさっきの話みたいに期待を――そうですね、会社を継ぐことを親に望まれて、それを辛いって思ったりとか……あったんですか?」

「……………………」

 善知鳥は夜子の質問にすぐには答えなかった。ただじっと、コーヒーカップの中を眺めている。うつむいているため男の表情は見えない。――いったい、この男は何を思っているのだろう。

「…………」

 善知鳥は黙ったまま親指を口元まで持っていく――と、ハッとしたように顔を上げ、何もなかったかのように手を下ろした。

 そしてイスから立った夜子を見上げると、ニコリと笑みを浮かべてみせた。

「――それを『善知鳥』に訊くのかい?」

「え?」

 言葉の意味が分からず夜子が首を傾げると、善知鳥はコーヒーを一口飲み、「あまりお兄さんを待たせないほうがいいよ」と口の端を引いた。

「……それも、そうですね」

 夜子はどこか腑に落ちなかったが、素直に頷く。

「――あ、そうそう」

 踵を返し歩き始めた少女を、男は呼び止めた。

「火之君が言ってたけど……。御守君、君、結婚するんだって?」

「――……あー……。その話ですか」

 夜子はげんなりとした顔で肩を落とす。対して善知鳥は薄ら笑いを浮かべている。何か含むところのあるその表情は、祝っているようには見えなかった。

 善知鳥は面白がっているのだ。

「まぁ……。色々あったんです。でも結婚とか、そういう話は無しになったんで」

「おやそうかい。じゃあそれ、火之君にも伝えてあげたら? 彼、すごく動揺しているみたいだったから」

 くつくつと善知鳥は喉を鳴らす。

「そうですか……。確かに火之さんとは一度お話ししなきゃいけませんね……。『流浪の神』のことも決着がついたって知らせなくては」

「うん、それがいい」


 ひらりと手を振る善知鳥に見送られカフェを出ようとすると、目鼻立ちのはっきりした女とすれ違った。なんとなしに振り返ってみると、その女はさっきまで夜子が座っていたイスに腰掛けていた。――あの女が、善知鳥の待ち合わせ相手なんだろう。

(《機関》で待ち合わせなんて……。仕事でしょうか)


《探偵》は、「介在者」と呼ばれることもある。

 今日もきっとどこかで――《異形の者》と人間のあいだで、《探偵》は仕事をしているのだろう。


◇◆◇


「――……っ」

《機関》の玄関を出ると、サッと日の光が目に刺さった。今日は本当にいい天気だ。まだまだ春は遠いと思っていたが――きっとあっという間に花咲く季節は訪れるのだろう。


「夜子」


 眩しさに目を細めていると、横から名前を呼ぶ声がした。

 声のほうに顔を向けると、そこには琴浦と――そばに停められている車の助手席には、鈴切がいた。鈴切は夜子の視線に気づいて、小さく手を振っていた。

「行くぞ」

「はい。――そう言えば兄さん」

「ん? なんだ?」

「せっかく《機関》に来たのに、沼元さんに会っていかなくていいんですか? この前はたくさん助けてもらったのに――」

「……いいんだよ。礼はもうしたし、あいつも満足だって言ってたから」

「そうなんですか? 知りませんでした」

「………………。まぁ、それよりほら、早く車に乗りな」

 琴浦に促され、夜子は後部座席のドアを開ける。


「――――……」


 その時、空っ風が夜子の少しだけ短くなった髪を揺らした。

 髪を伸ばしているのは、表情を隠すという実用的な理由もあるが――一番は小さな頃、夕に髪を褒められたからである。

 こんな些細なことでも、夕の言動は今の夜子を構成する要素のひとつとなっている。

 そしてこれは、夕に強いられてしたことではない。

 夜子が自らの意思で選んだことだ。

「御守夜子」は御守夕によって形作られた(・・・・・)

 だが――それだけだ。夜子の心は夜子だけのものだから。


「あ――」

 ひときわ強い風が吹き、少女のこしのある髪がなびく。

 太陽の光を弾く健康的な艶髪は、その一本一本が生命力に溢れ――胸が締め付けられるほど美しかった。


《了》

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