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Scene1

「ようやく止まる気になりましたか」

 少女が言うと、路地裏に追い詰められた人物はピクリと肩を震わせた。

「…………」

 少女に追い詰められたその人は、ゆっくりと振り返る。そして追い詰めた少女へと向き直り、昏い(まなこ)を彼女へ向けた。


 振り返ったその人は、女だった。


特徴の無い女だ。

 派手でもなければ地味でもない、どこにでもいるような顔立ちで、着ている服も量販店のありふれたデザインのものだ。中肉中背、目を引くようなスタイルではないが、特別太っているわけでもない。

 だが、間違いなく少女が探していた少女だった。

深田真帆(ふかだまほ)さんですよね?」

 制服姿の少女が女に訊く。

「私はお話を聞きたいだけなんですよ。――あなたをね、探すように依頼されているんです、私は」

 女――真帆は長くも無ければ短くも無い髪を揺らした。首を傾げたのだ。どうして、と言いたいのだろう。

「私の依頼主は、あなたのお父様とお母様です。深田さん、あなたが突然姿を消してしまって、ご家族の皆さんは大層心配されていますよ」

 少女の言葉に、女は何も答えなかった。ただじっと、生気の無い瞳で少女を見つめている。

(駄目――でしたか)

 少女は心のなかで、ひとつ溜め息を吐く。依頼主である深田の両親は「可能性」を否定していたが――少女には「手遅れ」であるとしか思えなかった。

(ま、これは『勘』ですけど)

 少女の仕事《探偵》業において、予断は非常に危険だ。

だが、まずはすべてを疑うのも《探偵》である。

(それに、試してみれば(・・・・・・)一発でわかる)

 少女は自身の腕をちらりと見て――彼女は両腕に物々しいガントレットを装備していた――、仲間の到着を待つべきかほんの少し考える。――が、答えはすぐに決まった。

 今、ここでやろう。


「……私の名前は御守夜子(みもりよるこ)。《探偵》です」


 少女の名を聞き、真帆は目をすうっと細める。何を考えているのかわからない。


だが、もし彼女が《異形の者》であるならば――。


きっとここから逃げる算段をつけているのだろう。

 真帆はピリピリとした空気を漂わせながら、夜子が腕に着けているガントレットをちらりと盗み見た。あれが少女の《武器》だと理解しているのだ。

「大丈夫」

 真帆の警戒は夜子にも伝わった。少女は真帆を安心させるようゆっくり――そしてなるべく声の調子を和らげ言った。

ガントレット(これ)をむやみやたらに使うつもりはありません。――ただ、あなたの正体がどちらにせよ(・・・・・・)、一度確認はしなければなりませんので……。その時はこの手で、あなたのお体に触れさせていただくことになります」

 言葉の最後に夜子が笑みを浮かべると、真帆は目を三日月のように細めた。


(まるで、狐みたい……)


 夜子は真帆の表情を見て思う。

これは彼女が事前に「深田真帆は狐に憑かれたのかもしれない」と聞いていたからだろう。

「乱暴はしません。――よろしいですか?」

 夜子が訊くと、真帆はうん、と頷く。そして口の端を目いっぱい引き、笑った。


「いやです」


 真帆はそう言って、軽やかにジャンプした。

 あははは、と笑い声を上げながら、女はビルの壁を蹴り、上へ上へと昇って行く。普通の人間ではありえない脚力だ。

 こんな芸当ができるのは、《異形の者》か《探偵》だけである。


 やはり彼女は、人間ではなかった――。


「…………はぁ」

 夜子は残念そうに息を吐き、ビルを見上げた。そして一度大きく体を沈み込ませると、真帆と同じようにビル壁を蹴りあげ、屋上へ姿を消した真帆を追って飛んだ。

「やっぱりこれくらいはお手の物なんですねぇ」

 夜子がフェンスを乗り越え屋上に降り立つと、先にそこにいた真帆がくすくすと笑っていた。

「でも捕まるわけにはいかないのですよねぇ」

言って女は身を翻し走り出す。

(……それは私だって)

夜子は左足に思いっきり力を込め――地面を蹴る。

「――!?」

 真帆の耳に、ヒュッと風を切る音が届く。思わず彼女が振り向くと、いつの間にかうしろに、真帆に向かって右手を伸ばしている夜子がいた。――真帆の体と夜子の腕の距離は、もう数センチしかない。

「さすがですねぇ!」

 しかし、夜子の手が彼女に触れることは無かった。

 真帆は夜子の手を、ゆらりふらり、まるで煙のような動きで躱した。

 スピードを乗せた突きも、スカートを翻しながら放った蹴りも、すべて同じように避けられる。

(ただものじゃないですね……)

 夜子は年若いが、同年代の《探偵》のなかでは頭ひとつ抜きんでている。大人の《探偵》を圧倒することもしばしばある。

 夜子は子供の頃から養父の役に立ちたいと、厳しい鍛練を積んできた。

 きっと向いていたのだろう。小さな女の子はめきめきと技を身に着けていった。

 さらに夜子には天性の才能だけでなく、「人にふがいない姿は見せたくない」という強い意志があり――それも少女の実力を支えていた。


 夜子の養父は、高名な《探偵》だ。


そして夜子は、養父を信奉しており――その人の助手であることを誇りに思っていた。

(だから私は無様な仕事はできない。養父(先生)の顔に泥を塗るようなことはしたくない……!)

 夜子は常に全力だ。もちろん失敗する時だってある。だがそれでも、それなり(・・・・)の成果をいつも上げてきた。

 才能と鍛練と仕事に対するモチベーション。夜子にはそのすべてが揃っており――つまるところ強いのだ。

だが――。

(当たらない……!!)

 夜子がここまで《異形の者》に翻弄されるのは、なかなかないことだった。

 しかも本性を現していない、人間の姿に化けたままで能力を制限された《異形の者》にこんなにも遅れを取ることなど滅多にない。

「見た目以上にやりますねぇ」

 何度目だろう。夜子の拳が空を切ると、真帆は目を弓なりにさせ笑った。――馬鹿にしているのだ。

「……ありがとう。でもそれはあなたのほうです」

 皮肉をたっぷり込めて言うと、真帆は目をわずかに見開く。

「ま、私は避けることに集中していればいいだけなので」

そう言って夜子の蹴りを避けた。謙遜のつもりだろうか。


(深田は何を考えているんでしょう……)


 真帆は自分で言ったとおり、ただただ避けるだけだった。

夜子に一切攻撃はしない。またそのチャンスすらうかがっていないようだった。

(深田には戦う気がない……?)

 彼女はひたすら夜子の攻撃を避けるだけだ。しかし、だからといって逃げもしない。ビルの屋上へ上がったのは逃げるつもりだったから――と夜子は最初思っていたが、実のところそうではないのかもしれない。もしや真帆は――夜子が屋上に来るのを待っていたのではないだろうか。

(《異形の者》のなかには、《探偵》との交戦を楽しみに悪事を働く者もいると聞きますが……)

 真帆はそれに当てはまらない。彼女は戦おうとしないのだ。

(私がどんな攻撃をするのか見ているだけ……。まるで私の力を測っているよう……)

 だが、それこそ何のためにだ。

(……ま、今考えても仕方ないです)

 夜子は頭を切り替えることにした。

 今回夜子のもとに来た依頼は、「深田真帆を探してくれ」というものだった。戦ってくれと言われたわけじゃない。まずすべきは彼女の身柄の拘束だ。

それに確定したとは言い切れないが、八割方真帆は《異形の者》だ。

ならば、|成り代わられてしまった《・・・・・・・・・・・》本物の真帆――その生死はわからない――の居場所を知るためにも、必ず捕まえなければならない。

(本性を暴くのは、後回しです)

 捕まえるにしても排除するにしても、まずは《異形の者》の本性を暴いてから――というのが《探偵》のセオリーだ。だが、もうそんな悠長なことを言っていられる場合でもないだろう。


(だいたい、この身体能力で人間だったら驚きです。私だって《装備》が無ければ、彼女についていくことすら適わないのに。……《異形の者》だから乱暴をしていいわけでは決してありませんが……。彼女が反抗する以上、本性を暴くには――やるしかないですね)


「……?」

 夜子が攻撃の手を止めると、真帆は不思議そうに眉根を寄せた。

「――――……」

 夜子は真帆をキリリと睨みつけると、力強く両拳を打ちつけた。金属の甲高い音が響き、広がり、地上の雑踏へと溶けて消えていく。

 これは僧侶のマネだ。夜子の知り合いの僧形の男が――本当に僧侶なのか少女は知らない――、その場を清浄にさせるという意味合いで、錫杖を鳴らすのを模している。何の信仰も無く修行もしていない夜子が行って効果があるのかは定かではないが、「切り替え」という意味で少女は気に入っていた。

これは少女が「やってやる」と気合を入れる際のルーティンなのだ。

 夜子は大きく息を吸い、体をわずかに落とす。――そして。


「やば――!」


 真帆の目が、大きく開かれる。

「もう遅いです!」

 夜子が叫ぶように言う。それからコンクリートの地面を蹴りつけ――ベキッと割れるような音がした――、真帆に向かって一直線に飛んだ。そしてその勢いのまま彼女に向かって腕を振り上げる。

「――っ」


 夜子の拳が真帆の体に触れたその瞬間、ガントレットからバチリと紫の電光がほとばしった。


(――ああ、やっぱり)

 夜子は真帆を抱きしめながら、わずかに目を細める。なかば確信していたことだが――やはり彼女は《異形の者》だったか。


 《探偵》の《武器》は、人間には何の反応も示さない。電光が放たれたということはつまり――。


「ううっ」

 真帆は小さく呻き、夜子の腕から逃れようと身を捩る。だが逃げようとすればするほど、夜子は彼女の体を強く抱きしめた。

(よし。あとは鈴切の到着を待っ――……)


「――えっ!?」


 夜子は思わず声を上げた。

 腕の中で一際大きく腰を捩じった真帆を逃がすまいと、力を入れたその瞬間――ずるりと彼女の服が脱げた。


 ――いや、正確には彼女の体の皮が剥けたのだ。


 それはまるで蛇の脱皮のようだった。

夜子は手元に残ったそれ()を見て目を見張る。そしてすぐ、中身(・・・)の行方を目で追い声を上げた。

「待ちなさい!!」

 夜子は慌てて真帆のあとを追い走った。だが、その時真帆は、すでにフェンスに足をかけており――。

「……ふふ」

 今の真帆は、ただの黒い塊だった。そこはちょうど向かいのビルの影が落ちており、皮の中に入っていた彼女の姿は闇にぼやけてよく見えない。

「では」

真帆はその一言だけを残し――振り返ることなくビルから飛び降りた。

「しまっ……!」

 夜子がフェンスに駆け寄った時にはもう手遅れで――下を覗き込んでみると、ちょうど人型の影が地上の闇と混じりあうところだった。

「……!」

 影が溶け消えるその瞬間、夜子は影が自分に手を振った――ような気がした。


だがそれはきっと、見間違いだろう。


 真帆が落ちていったのは、繁華街にあるのが嘘のような、明かりの一切無い街の隙間だ。人間の目には、ただ深い闇が広がっているようにしか映らない。


 だからあれは、影が揺らめいただけなのだ。


「……はぁ……」

 夜子は深い溜め息を吐いた。今から飛び降り真帆を追いかけても、恐らく徒労に終わるだろう。こんなに暗くては、右に行ったのか左に行ったのかすらわからない。当てもなく探し回っても無駄に疲れるだけだ。

(……せめて、あの人が残した皮だけでも調べて――)

 そう思って振り向くと、肝心の抜け殻は音も無く煙を立ち上らせていた。

「………………」


 少女はもう一度、大きく息を吐いた。

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