Scene18
「夜子ちゃん? どうして戻って――……。え……!? そ、その子は……!?」
「深田真帆さんです。ガントレットが反応しなかったので、おそらく本物の。あの蔵から出てきて――……。いえ、追い出されたみたいです。鈴切、車のなかにシートがありますから、敷いてもらえますか? 真帆さんを寝かせます」
慌てて鈴切は頷くと、自分達の乗ってきた車へと駆け寄った。
「……兄さん、遅いですね」
夜子はちらりと鈴切を見やり――ぐるりと周囲を見回す。琴浦達はまだ到着していないようだった。
「さっき連絡したら、もうすぐそこまで来てるって言ってたよ。だからそろそろだとは思う」
言いながら鈴切がブルーシートを広げた。夜子はそこに背負っていた真帆をゆっくりと寝かせる。
「深田さん……、まさか……」
「いえ、生きてはいます。ただ意識はないみたいです」
夜子は真帆の頬を軽く叩いた――が、真帆はそれに反応することなく、相変わらず何もない空中を眺めている。
「大丈夫かな……。それに、その恰好は……」
鈴切は真帆の着ている巫女装束を指差した。蔵前の闇の中ではわからなかったが、車のライトに照らされた今の彼女の姿は、痛々しいものだった。
大きな怪我はないようだが、首元や指先には幾条もの切り傷ができていた。巫女装束も薄汚れている。恐らくこの装束は古いものなのだろう。生地にも傷みが見えた。
「わかりません。でも、あの失踪後に着たのは確かでしょうね。理恵子さんが見た深田さんの最後の服装は確か……、ダウンにジーンズでしたよね」
「うん。でもこれ、いつ着たんだろう? 街中でこんな恰好していたら目立つし……、やっぱりここに来てから?」
「その可能性が高いと私は思います。ただ、なんでこんな服を……」
「……さっき藤くんが言っていた、『あの御方』は蔵の中にいるんだよね? 深田さんはもしかしたら、その《異形の者》の巫女さん……だったのかも」
「周防家の神の? なんで真帆さんが……」
「さぁ……」
ふたりは顔を見合わせ首を傾げた。――その時だった。
山道を駆けあがってくるエンジン音が聞こえてきた。それは次第に大きくなり――この場所に確実に近づいてきていた。
「琴浦さんだ!」
鈴切が声を上げたと同時に、車のライトがパッとふたりを照らす。夜子が眩しさに目を細めているとエンジン音が止み、ふたりの男女が車から降りてきた。
「悪い、遅くなった」
「兄さん。それに沼元さんも……。ご協力ありがとうございます」
「うん、いいのよ。陽一くんの頼みだもの」
助手席から降りてきた女――沼元美沙は丈の長いワンピースを翻し、跳ねるように歩き始める。よほど機嫌がいいのだろう。
「大体の話はさっき鈴切から聞いた。で、夜子。お前は蔵とやらの前で待機してるって聞いたんだが?」
琴浦はゆったりとした足取りで沼元のあとを追い始める。
「はい。そうだったんですけど、実は――」
言って夜子がブルーシートに寝かされている真帆に目を落とす。それと同時に、沼元がスッと長い指を伸ばした。
「誰? この子」
横たわっている真帆に気づいた沼元が、訝しげな顔で彼女を指す。――と、沼元に追いついた琴浦も指の先に倒れている人物に気づき目を見張った。
「おい、深田じゃねぇか。これは――」
「件の蔵から出てきたから保護しました。《武器》に反応はありませんでしたから、本人に間違いないと思います。多少やつれているようですが、大きな怪我はありませんし無事と言えると思います。ただ……」
「どうした?」
夜子は真帆の隣にしゃがみ込むと、再び彼女の頬を叩く。そして彼女の目の前で手を振ってみせるが――相変わらず真帆の反応は無かった。
「意識が無いんですよ。病院に連れて行くのが一番なんでしょうが……。この感じ、もしかしたら」
行って夜子は沼元を見上げた。
「…………」
沼元は黙って真帆を見下ろしていた。彼女の光の入り込まない漆黒の瞳からは何を考えているのかは容易には読み取れない。
「ふうん、なるほどねぇ」
沼元は独りごちると、しゃがみ込みんで真帆の顔を覗き込んだ。
「術がかけられてるよ、この子」
やっぱり、と夜子が頷く。普通ではない真帆の様子に、もしやと思っていたのだ。
「解けるか?」
沼元の隣に座りこんだ琴浦が訊く。
「うん。見た感じそんなに難しい術じゃなさそう。普通に……物理的な衝撃でも解けると思う。夜子ちゃんは優しすぎたのねぇ。もっと思いっきりぶん殴ってもよかったのに」
よくはないだろう――。
真面目にそう言っている沼元に苦笑いしつつ、夜子は「でも簡単なものでよかったです」と肩を竦めた。
「沼元さん、術を解いてもらってもいいですか」
「もちろん」
そう言うと沼元は半開きになっている真帆の目をじっと見た。――すると。
「――……」
真帆を見つめている沼元の瞳孔が、キュウッと縦に細くなった。――まるで、蛇のように。
沼元はぶつかりそうになるほど近く、真帆に顔を寄せる。
(水の匂い……)
沼元が真帆を見つめ始めてすぐ、どこからか水の匂いが漂ってきた。近くに沼でもあるかのような、湿った匂いが辺りに広がる。
「……!」
ふと夜子が沼元に目をやると、彼女の頬に鱗のような模様が浮き出ていた。これは彼女が「先祖から伝わる術」を使っている際に現れる特徴だ。
――しん、と静寂が山の中に訪れる。
夜風に吹かれた木の葉が時たま乾いた音を立てたが――それだけだ。
夜子も、琴浦も、鈴切も。黙って沼元の姿を見守った。真帆が目覚める時をただただ待った。
――どれくらい時間が経っただろうか。
恐らく五分も経ってはいないだろう。けれども沼元以外の三人には、とても長い時間に感じられた。
まだか――と少しじれ始めた頃。
「――っ!!」
はっ、と息を吐き、真帆が大きく目を見開いた。そして勢いよく起き上がろうと体を起こし――。
「いった!!」
「痛~い!!」
ゴチンと鈍い音がした。いきなり起き上がった真帆の頭が、沼元の額にぶつかったのだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「お、おい……」
頭を抱えてうずくまっている真帆に夜子が、痛い痛いと転がりまわっている沼元には琴浦がそれぞれ声をかけた。
「いや、めっちゃ痛いし……。なんなの、人の上に乗っかってさ……」
「乗ってはいないわよ! もう! せっかく起こしてあげたっていうのに……」
「ま、まぁ……、事故みたいなもんだろ。許してやれ、美沙」
ぶつくさ言う沼元の目が、いまだ「蛇の目」から戻っていないことに気づいた琴浦が、慰めるように言う。今の彼女を下手に刺激するのはよくない、と判断したのだろう。
「え~ん、陽一く~ん! 痛かったよ~!」
「おお、よしよし……」
わざとらしい泣き真似をしながら、沼元は琴浦の胸に顔を埋めた。琴浦はそんな沼元の頭を真顔で撫でてやっている。
「琴浦さん……」
「何も言うな、鈴切。今は仕事のほうが大切だ」
「ですね……」
哀れむような目で琴浦を見つめていた鈴切は深く頷くと、「夜子ちゃん」と真帆を介抱しているはずの少女を呼んだ。
「深田さんは大丈夫?」
「……あたしは大丈夫よ。ありがと。それよりもあんた達――」
だれ?と言いかけた口が、はたと止まった。
「……? あの、なにか?」
何故なら真帆の目が――夜子に釘付けになっていたからだ。
「あ、あんた!!」
頭を押さえていた右手でビシリと夜子を差し、真帆はこれでもかとばかりに目を見開いた。そして目をぱちくりさせている夜子にずいと近寄り、
「あんた、御守夜子でしょ!」
と声を上げた。
「は、はい……。そうですけど」
「やっぱり! おばさんにそっくりだからすぐわかったよ。――て、やばいな。御守夜子がここに来たってことは、藤は……」
真帆はきょろきょろと辺りを見回すと、何かを考え込むように口に手を当てた。
「じゃあ今は――――……」
女はぶつくさと口の中で何かを喋っている。そんな真帆に呆気にとられながら、とりあえず話しかけようと夜子が口を開いた時だった。
真帆は突然すっくと立ち上がった。そして周囲を見回し、「ここ、村の入り口か」と呟いた。
「私、どうしてこんなところにいるんだろ」
「それはですね、蔵からあなたが出てきて……。意識が無いようでしたので、何があるかわからない蔵の前よりも、仲間の待機している場所に合流したほうがいいと思って連れてきました」
「藤は? いないみたいだけど……」
「藤さんは……。あなたに姿を変えて蔵の中に」
「……なるほどね。じゃあ藤はおばさんの計画に逆らったのか」
真帆はうろうろと歩きながら独りごちる。どうやら落ち着かないようだ。
「すみません、深田さん――真帆さん。あなたは私達の知らない何かをご存じのようですが、それを私達に話してくれませんか? 実は私達はあなたのご両親から依頼されて――」
「知ってるよ」
足を止め、真帆ははっきりと言った。
そして夜子を正面から見つめ――様子を見守っていた琴浦達をちらりと見やる。
「私もあんた達に話さなくちゃいけない。だから聞いて。――あたし、藤を助けたいんだ」
◇◆◇
「まずあんた達に謝らなきゃいけないことがある。私が行方を眩ましたのはわざと……。狂言なんだ。……私達はある目的のためにあんた達を利用しようとした」
「利用……か……」
「――……」
琴浦と鈴切が目配せしあう。――やはり、そうだったか。
「……ごめんなさい。大変なことをしちゃったと思ってる。いくら謝ったって――」
「待ってください。謝罪よりも先に話を。蔵の中に藤さんが入ってしまったんです。中で何が起こっているかわかりません。早く助けに行かないと」
「……そうだね、時間が無い。なるべく簡潔に話すよ。色々複雑だから、あたしも上手く話せるかわかんないけど……聞いてほしい」
夜子、琴浦、鈴切は静かに頷いた。沼元は我関せずと琴浦の胸に頬をすり寄せている。まったく興味が無いのだろう。
「事の発端は……。おじさん――周防貴一さんが信仰してる神様が、周防家を訪ねるのが決まったことからなんだ」
「『流浪の神』……なんですよね?」
「そう。『焔狐様』っていうんだ。そいつは全国各地にある自分の社を定期的に旅して回ってる。で、今回の焔狐様の旅先に選ばれたのが、周防の管理してる社だったわけ」
言って真帆は、わずかに眉を寄せた。
「――焔狐様が社に来る時は先触れがある。そこから今回の計画が始まった」
「計画?」
琴浦が訊くと、真帆は神妙な顔をして頷いた。
「……おじさんが、焔狐様をもてなすために張り切ったんだ。最初おばさんは、おじさんの信仰に関しては自由にしてくれって考えだったから……。よくは思ってなかったけど、まぁできるだけ力を貸してあげようとしていたらしい。――だけど」
真帆は両拳に力を込めた。
「そのもてなしの内容が問題だった。おじさんは、前回周防の社に焔狐様が来た時のことを参考にしてもてなそうとしたんだけど……。おばさんはその内容を聞いて決めたんだ。――焔狐様を殺そうと」
「えっ!? えっと……、おばさんって周防明美さんのことだよね? そ、その人が《異形の者》を!?」
鈴切が思わず声を上げる。真帆はこくりと頷いた。
「《探偵》でもない、普通の人にそこまで思わせるなんて……。もてなしって、貴一さんは何をするつもりだったんだろう……」
鈴切が首を傾げると、真帆はそれをどこか悟ったような目で見て――話を続けた。
「生贄だよ」
「い、生贄!?」
鈴切が顔を引きつらせると、真帆は「そう、生贄」と繰り返した。
「焔狐様が各地の社を回る理由ってのが、つまるところ食事らしいんだよ。前回周防の家に焔狐様が来た時は、おじさんの叔母さんが生贄になったんだって。一応、焔狐様に仕える巫女になるって体裁だったらしいけどね」
「じゃあ、真帆さんのその恰好はもしかして……」
「そういうこと。でもまぁ、これにはいろんな理由があって――……。あとで話す。とりあえずはおばさんと焔狐様の話だ」
真帆はぎゅっと腕を抱え込むと「……おばさんは」と語り始める。
「もともと焔狐様のことが嫌いだったんだ。ただおじさんは焔狐様を熱心に信仰していたから……好きな人の好きなものは否定したくないから、見て見ぬふりをしてた。でもおじさんが藤を焔狐様にしようとしていることに気づいた頃から、『なんとかしなければ』って思い始めてたんだって」
「藤さんを焔狐に……」
夜子が眉根を寄せて呟く。それは、昼間藤から直接聞いた話だ。
「おじさんにとって藤は、尊敬している焔狐様に限りなく近い存在だった。それはおじさんにとって得難いことで……。自分の代わりに藤が焔狐様になれる可能性があることに、喜びを感じていた。でもおばさんにとっては藤は藤。だから教育方針っていうのかな……。ふたりの考えは違ったんだ。――でも、自分の尊敬している人のようになってほしいって思って育てるのは、別に悪いことじゃないじゃん? それでおばさんも始めは何も言わなかった。おじさんがコンプレックスを持っているっていうのはよくわかっていたらしいから。だけど……、藤の体質もあってさ……」
「体質?」
「あー……。言葉があってるかはわかんない。えっと、藤の《異形の者》のとしての特徴っていうのかな。それのこと」
「何か変わっているところが?」
「うん。他の《異形の者》もそうなのかはわかんないけど、藤は――……」
真帆は少しだけ目を伏せた。
「大丈夫……ですか?」
その表情があまりにも辛そうに見え、そっと夜子が尋ねる。それは真帆を案じる優しい声音だった。
「……うん、ありがとう」
真帆は一瞬ふっと表情を和らげた。だがすぐに元の険しい表情を作る。
「……藤はさ、そばにいる人間の願いを叶えられるんだよ」
「願いを叶える? おいおい、そんなのありか?」
琴浦が訊く。
「宝くじが当たりますように、とかそういうのはできない。できるのは自分の体を変えることだけ」
「それはつまり……。そうだなぁ、絶世の美女になってほしいって思ったら、その姿に変わるってこと?」
鈴切が首を傾げながら尋ねると、真帆はこくりと頷いた。
「その人間の考える絶世の美女にね。外見だけじゃないよ。例えばその人間が望んだ絶世の美女がマルチリンガルだったなら、藤も多言語を喋れるようになる。能力も再現できるんだ。どういう仕組みなのかは知らないけど」
「なるほど、それで藤さんは焔狐様に……」
「でも不思議だな。それだったら周防明美の考えを反映した姿になってもおかしくないだろ? そばにいたのは貴一だけじゃない。明美もなんだから」
「おばさんは、藤にこうなって欲しいっていうのがあんまりないんだよ。藤は藤のありのままで育ってほしいと思ってる。――だからだろうね、藤は完璧な『焔狐様』にはならなかった」
「それはどういう……?」
「……藤はおばさんの願い通り、『自分』を持っていたんだ。例えばだけど、おじさんのなかの焔狐様は神らしく威厳があって高潔な存在らしいんだけど、藤は違うじゃん?」
「まぁ……。威厳があって高潔、とは思わなかったかな、俺は」
お前らはどうだ?と言いたげに、琴浦は夜子達を見やった。夜子と鈴切はそれに頷きで返した。
「それが藤なりのちょっとした反抗でもあったんだ。無意識のね。――ただ、さ……。藤は別におじさんのことが嫌いなわけじゃないから。むしろ尊敬してるし、大好きなんだ。だから『焔狐様』になることも……拒否してたわけじゃない。葛藤はしてたけど。……あたし、子供の頃から藤と一緒にいてさ、よく聞いてたんだ、あいつの悩み」
「そうなんですね……」
真帆は小さく頷いた。
「あいつはさ……。歪なんだ」
「歪……?」
「うん……。藤は、『焔狐様』になりきれない。なってもいいとどこかで思いながらも、なりたくないって気持ちも捨てられないから。だけど『藤』として生きていくことも選べない。……おじさんが自分の体のことでずっと苦悩して……焔狐様に希望を抱いていたのを、藤を知ってるからさ。父親の期待に応えたいんだ、あいつ。――ねぇ、あんた達は焔狐様のこと、どれだけ知ってる?」
「ほとんど知りません。狐の異形、旅をする、火を扱う――ということくらいでしょうか」
「じゃあ見た目は狐ってこと以外知らないんだね。焔狐様はさ、男なのか女なのか曖昧で――外見だけはとても美しい人だ。藤もよく似ている」
「そうなんですか? でも藤さんは――」
はっきりと男だとわかる体つきだ。がっしりとしているわけではないが、少なくとも性別が曖昧には見えない。
「……おばさんが話してくれたんだけどさ、藤が男の姿なのはおじさんの望みなんだ」
「貴一さんの望み?」
夜子が首を傾げる。
「そ。――プライベートな話だけど、おじさんとおばさんにはなかなか子供ができなかった。でもおばさんはすぐに切り替えて――ふたりだけの暮らしを楽しもうと思ってたんだ。それはおじさんも同じ気持ちだったみたいだけど、でもおじさんは……。なかなか切り替えることができなくて。おばさんには直接言わなかったらしいけど、子供――それも男の子が欲しいって気持ちを諦められなかったっぽい」
「それはまぁ……。わからないでもないですが。なんで男の子を?」
「跡取りが欲しかったんだよ。自分亡きあとも社を守ってもらわなきゃいけないから」
「そんなのって――」
「まぁ、待て夜子。今はそのあたりの議論をしてる場合じゃない。――深田さん、話を続けてくれるか」
琴浦に言われ、真帆はこくりと頷いた。
「藤は男だ。だからこそ、藤は歪なんだ。――性別がわかんないのが焔狐様なんだから。再現するのがあいつの能力なのに、藤は敢えて外してる。」
「それは……。貴一さんが『焔狐は男だ』と認識していたからでは? 実際どうなのかはさておき、藤さんはそばにいる人――貴一さんの望みを再現するわけでしょう? 貴一さんが勘違いしていたのであれば――」
真帆が首を振る。
「勘違いなんてするわけない。私は直接焔狐様に会ったからわかる。あいつをどちらかの性に当てはめることはできないよ。おじさんだって会ったことあるんだから、どちらかだって言い切ることはできなかったはず。――なのにおじさんは、藤を『男』にした」
「でも、それってそんなに重要なことなのか?」
琴浦が訊くと、真帆は深刻な顔をして頷いた。
「うん。まぁこれはおばさんが言ってた話だけど――おじさんは藤を『焔狐様そのものにさせたかった』わけだ。で、そうさせるなら藤は性別不詳でなくちゃいけない。性別がはっきりしていたら、それはもう焔狐様そのものじゃないから。でも藤は性別不詳どころか、しっかり男の見た目をしている」
「……なるほど。周防貴一の葛藤が見て取れるな。自分の息子として育てたい思いと、憧れの人を再現したい欲望が」
「……だから、藤はどっちつかずな……不安定な存在なんだよ」
真帆は愁然として頭を垂れる。
(そうか……)
昼間、藤が思い切ったように話してきた理由が、今の夜子にはなんとなく――わかる気がした。
藤はきっと、理解者が欲しかったのだ。
だから境遇が似ていると感じた夜子に思いを吐露した。残念ながら夜子がそれに同調することはなかったが。
(ああ、私は――……)
夜子の胸にズキリと鈍い痛みが走る。藤の事情を知らなかったとはいえ、夜子の言動は彼を突き放す結果となってはいなかっただろうか。
「ただ勘違いしないでほしいのは、おじさんは藤のことを心底大切に思っている。焔狐様にさせたいと思ったのだって、おじさんにとっては『焔狐様』が最高に素晴らしい存在だからだ。――だからこそ、今回の計画が浮かんだ」
「そうです。その計画について私達は知りたいんです」
夜子が尋ねる。
「…………」
真帆は少女の目をじっと見つめた。
「『焔狐様』の来訪が決まって、おじさんはすぐに困り果てた。――生贄にする人間がいないから。いろいろ言ってきたけどさ、おじさんは普通の感性を持つ人間だよ。生贄だなんて……無理だった」
「でも前回の時は受け入れていたんでしょう? 自分の叔母さんが贄になることを」
「おじさんの叔母さんが生贄だって知ったのは、おじさんが大人になってからだ。当時子供のおじさんに生贄のことは知らされていない。それに、おじさんには叔母さんがとても幸せそうに見えたらしい。自分が巫女であることに納得し、むしろ誇りに感じているように。だから叔母さんが『巫女』だったことに反発心はなかったみたい」
でも、他人にそれを強いることができるかといったら別――と、真帆は顔を曇らせた。
「第一に犯罪だし。……おじさんは善人だからさ、罪を犯してまで巫女を調達することもできない。でも焔狐様を存分にもてなせないのも心苦しい。その板挟みが苦しかったんだろうね。とうとうおじさんは寝込んでしまった。それが去年の年末の話。――その時は本当に辛かったって……おばさん言ってた。どうすればいいのかわからくて」
「そうですか……」
「――でも、話はすぐに動いた。年が明けて、おばさんが実家へ挨拶に行った時のことだ。おばさんの甥に結婚話が持ち上がっていた」
日登美のことだ――。だが、それと周防の問題に何の関係があるというのか。
「――……!」
夜子が不思議に思っていると、真帆と目が合う。真帆の瞳は、どこか哀れむような色をしていた。
「その時さ、おばさんの兄さんは――」
「日佐志さん、ですね」
「ああ、そんな名前なんだ。じゃあその日佐志さんは、家の跡を取るはずの息子に相手がいないことを心配していて――条件が合う人がいないか手当たり次第探してた。何人も候補になりそうな女の子を挙げてはあーでもないこーでもないってね。おばさんはそれに付き合わされたらしいんだけど……」
真帆はゆっくり目を伏せる。
「おばさんはその時、見つけてしまったんだ。――あんたの名前を」