Scene14
藤の告白――とあえて言おう――をうけ、夜子はなんと言ったものか悩み、結局その日はぎくしゃくした空気のまま、彼と別れることになった。
慰めるのはおかしい気がした。藤は別に悲しんでいるわけでは無さそうだったのだ。
それに夜子は「慰める」という行為が得意ではなく――かける言葉が思いつかなかったというのが本当のところだ。
(私……もしかして間違えたんでしょうか……)
最後の藤の質問――。あれは、何を意味していたのだろう。夜子は言葉通りに質問を受け取り、思った通りに答えを返した。
(でも……。それはきっと、藤さんの求める答えではなかったんですよね……)
夜子はたくさんの人が行きかう夕暮れの都会を歩きながら、ひとり考える。
(傷つけていなければ……いいんですけど……)
夜子の素直な言葉は、時に人を突き刺すことがある。
本人としては当然人を傷つける気などない。だが、その夜子の何気ない一言のせいで、誰かが複雑な顔をするたびに――夜子のなかにわずかな罪悪感が芽生えた。
(あの時の藤さん……。少し、悲しそうだった)
間違ってはいない――と思う。
自分は正直な気持ちを口にした。けれどもそれを聞いた人間に、怒りとも哀しみともつかない微妙な表情をされてしまうと――言葉としては正しくとも、対応としては間違っていたのだと思い知らされる。
そして、そのような表情を夜子に見せるのは、大抵が大人だった。
子供は夜子の言葉に反発してくるのだ。だが、大人は違う。何かを言いたげにして、でもそれを呑みこみ、受け流す。あるいは夜子の言葉を認めてくれる。
(……藤さんは、大人なんだ)
夜子は、大人の世界で子供の頃から働いてきた。
命のやり取りも当たり前にあるその世界で子供らしくあることは好まれなかったし、夜子自身「子供らしく」あることを嫌った。
だから常に、大人のような振る舞いをしてきたつもりだ。
強制されたわけではない。自分が望んでしたことだ。そして夜子自身は、それを上手くやっている、と思っていた。だが――。
(私ってまだ子供なのかも……しれませんね)
『やっぱり、僕はお嬢さんが羨ましいです。』
夜子の頭に、そう言って寂しそうに笑う藤の顔が浮かんだ。
(藤さんは、私とさして年が変わらないのに)
――よっぽど大人だ。
いくら正しいことを言っていても、それを頑として曲げない――いや、曲げられない――のは、自分がまだまだ子供だという証だ。
夜子は深く、溜め息を吐いた。
こういう時、自分がただ大人ぶっているだけの子供のように感じられて、ひどく恥ずかしく、そして情けなくなる。
本当に大人の振る舞いをしている人に比べると、なんと自分の未熟なことだろう。
「はぁ……」
夜子は再び溜め息をひとつ吐いた。けれどもその小さな憂いは、あっというまに雑踏の中へと掻き消えた。この大都会では少女の煩いなど、結局その程度のものだ。
「――おい」
だが、少女の溜め息をしっかりと聞いていた者がいた。
「どうした、夜子」
「え?」
突然背後から呼ばれ、夜子は驚き振り向いた。そこには――。
「火之さん」
二本のツノを額から生やした、浅黒い肌の逞しい大男が立っていた。
男はわずかに目を見開くと、「それにしても珍しい」と呟く。
「夜子が溜め息とは」
「なんですか、それ。私だって溜め息のひとつやふたつ吐きますよ」
「……なんといったものか……。夜子は呆れて溜め息を吐くことはよくあるが――」
ぴくり、と夜子の眉が動く――が、なんとか言いかけた言葉を呑みこみ、男の次の言葉を待った。
「……物憂げに溜め息を吐くことなど、そう多くは無いだろう」
「そう……ですか?」
火之は小さく頷いた。
「夜子は、しっかりしているからな」
「そりゃ、火之さんよりは」
夜子がいたずらっぽく言うと、火之はニヤリと口角を持ち上げた。そして「生意気な」と大きな手で、夜子の髪をぐしゃりとかき混ぜる。
「ちょっと……! やめてくださいよ」
ボサボサになった髪の毛を整えながら夜子が睨むと、火之は笑みを深くし、「悪い」と謝った。――が、心底そう思ってないのは一目瞭然だ。
「――で、どうした?」
「別になんでもないです。最近ちょっと忙しくて。それで疲れてただけです」
火之は夜子の言葉に納得いかなかったのか、怪訝そうに片眉を上げた。――しかし、すぐに「ところで」と話題を変える。
火之と夜子の付き合いは長い。その経験から、恐らくこれ以上は訊いても何も言うまいと踏んだのだ。
「協会に行くのか?」
「はい。よくわかりましたね」
「おまえがこちらに来るのは協会への用事がある時だけだろう?」
「『だけ』ってわけじゃないですけどね」
言って夜子は、道の先にある巨大なビルを見上げた。ガラス張りの美しいビル――それが《対異形探偵協会》だった。
「仕事か?」
「いえ、ちょっとした野暮用です」
「なら、少し時間をとれるか?」
「少しなら。どうかしました?」
夜子が首を傾げると、火之はううんと唸り目を伏せた。
「たいしたことじゃないかもしれないが……」
そう前置きをし、火之はそばにあるベンチを指差す。
「そこで話そう」
そして火之は話した。
先日耳にした、不穏な話を――。
◇◆◇
「旅する……狐……」
「ああ、さっきも言ったが、そいつの言う『都』は『東京』を指す。おれも夜子も普段仕事するのは都内だ。もしかしたらいつか――」
火之はそこまで言って不思議そうに首を傾げた。――夜子の様子がおかしいのだ。
「おい、どうした?」
物憂げに俯いていた少女は、目だけを動かし男を見上げた。――が、何も言わず再び視線を戻す。
「おい――」
「聞こえてますってば」
再度火之が呼びかけ、やっと溜め息混じりに夜子は答えた。そして俯いた時に落ちてきた髪の毛を耳にかけ、「聞こえてますよ」と繰り返した。
「なら返事くらいしたっていいだろうに」
「……ちょっと考え事をしてたんですよ」
「狐についてか。夜子、お前もしかして今――」
火之の問いかけに、夜子は首を振って答えた。
「わかりません。……私が今受けている案件と少し……重なるワードが話にあったので……。でも、それを上手くひとつに繋げることができなくて」
夜子は口元に指を当て、大きな目を細めた。
旅をする狐――。
信者を集める――。
腹が減った――。
夜子は自分の脳内で、パズルがカチリとはまった音を聞いた。
(でも、まだ足りない)
今、夜子の頭の中にあるパズル。
それは少しずつ完成図が見え始めてはいるが、どこにはめればいいかわからないピースがまだいくつも転がっているし――手元にないピースすらあった。
もしかしたらここにはめるべきピースはこんな形をしているのではないか――というのはなんとなしに想像できるのだが、それはあくまで「想像」でしかない。
(確実ではない……)
ただ、あまりにも気にかかることが多すぎる。
妖狐の《異形の者》――。
周防家が祀る流浪の神――。
周防家に関わりのある家の娘が失踪――。
ひとつひとつのキーワードは、対異形の事件において珍しいものではない。
けれどもそのキーワードが、面識もないふたりの人物から発せられることは、珍しいと言ってしまって構わないだろう。
ならばこの符号が意味するところは――。
(……もし、私の『想像』が当たっていたとして。ならなぜ藤さんは私に話を? それ以前に明美さん――いえ、周防家はなぜ私に依頼を……)
夜子が作り始めたパズルは、あまりにもお粗末なものだった。一部分では絵になったとしても、全体を見てみるとまるでまとまりがない。
(藤さんは……きっと何かを知っている。もう一度、藤さんに話を……)
そう考え――夜子は瞼を閉じ眉間に皺を寄せた。
(そうするのが、きっと正しいこと……。でも……)
間違っているかもしれない――。
夜子の想像がもし外れていたら、藤と、そして藤の家族の名誉をひどく傷つけてしまうだろう。
そしてもし当たっていたら――。
訊き方次第ではすべてが水泡に帰す可能性もある。真帆の行方は確実にわからなくなるだろうし、藤を含めた周防家――そしてその『神』とやらも姿をくらますだろう。
(こういう時、先生ならどうするでしょう――……? どうするのが正しいと、教えてくれるでしょう?)
壁に突き当たっていた事件が動きそうな気配を感じるというのに――。
動く方向が、決められない。
「夜子」
すっかり黙り込んでしまった少女を見かねて、男は少女の名を呼んだ。
「火之さん……」
「お前、大丈夫か」
火之は夜子を覗き込むようにして訊いた。顔こそ仏頂面のままだが、この優しい男は、少女を心から心配しているのだ。
「もちろん大丈夫ですよ。考え事をしているだけって言っているでしょう?」
「……そうか」
火之はそう短く言うと、ベンチの背にもたれかかり、日の落ちかけた空を見上げた。
もうすぐ夜がやってくる。
人間が溢れ、異形が混じる大都会に、混沌とした夜がやってくる。
「……《探偵》には仕事内容を訊かないのが暗黙の了解だ。だからおれは、夜子が今どんな仕事をしているのかは訊かない」
火之は自身の頭を掻き、だが――と続ける。
「おれとおまえの仲だ。もしおまえが困っているのなら言え」
「火之さん」
「夜子、おまえのことだから、おれの助けなどいらないと言うかもしれないがな――。おれだって《探偵》だ。力になれることだってあるだろう」
言って火之は、隣に座っている少女を見下ろす――と、夕焼けの差し込んだ紺青の丸い瞳と目が合った。
「――……!」
思わず火之が目を見開くと、夜子は口角をわずかに持ち上げる。
「いらないなんて言いませんよ。そりゃ、火之さんは一匹狼を気取ってるくせに、案外うっかり者だし、すぐ変な人に絡まれちゃうような隙もありますけど――」
「……おい」
ぎろり、と火之が夜子を横目で睨むと、夜子は小さく笑って目を細める。
「でもね、とてもお人好しで頼りになる人だっていうことも知っています。――だから、本当に手が回らなくなったら、その時相談させてください。今はまだ、兄さんと鈴切だけでも大丈夫です」
夜子は背筋をしゃんと伸ばし、真っ直ぐ火之を見据えて言った。――とりあえずは落ち着いたのだろう。
火之はふっと笑みを零し、「ならいい」と呟く。そしてベンチから立ち上がり、
「そろそろ行くか」
と、協会のビルへと目をやった。元々ふたりは、あそこへ用があってここへ来たのだ。
「そうですね」
言って夜子も立ち上がり、ううんと大きく伸びをする。
「それにしても火之さんが慰めてくれるなんて、私よっぽどどうかして見えたんですねぇ」
「……深刻そうではあった」
「へぇ。確かに考えがまとまらなくて行き詰ってたんですけど、火之さんにはそう見えていたんですね」
「まぁな」
「人に心配させるなんて、わたしもまだまだ未熟です」
言って夜子は協会へと歩き出す。火之も少し遅れて、大きく一歩を踏み出した。
「最近考えなくちゃいけないことが多いんですよ。請け負っている案件もそうだし、婚約のことも――」
「婚約? 琴浦か? ……ついにストーカーに押し切られたか……」
哀れむように火之が言うと、夜子はふるふる首を振った。
「違います」
「なら鈴切か。――もしや、御守殿と山本殿が……」
「違います。これがちょっとややこしいんですが……私の話です。私に婚約しろっていう人がいて――……って、火之さん?」
急に足音が止み、どうかしたかと夜子が振り返る。――と、そこには棒立ちになってあんぐりと口を開いている火之がいた。
「行かないんですか? 協会?」
「……行く。……いや……というか、なんだって? 夜子が? 婚約?」
「まぁ……」
夜子はうんざりとした顔で嘆息する。
「ややこしいって言ったじゃないですか。説明を始めると長くなりそうだから、この件については解決したら話しますよ。――さ、行きましょう」
「あ、ああ……」
火之はぽかんとした表情のまま再び歩き始めた――が、すぐに早足で夜子の隣に並び、
「この年で……早くないか? おれの世代ならまだしも……」
「御守殿はもちろんご存じのことなんだろうな?」
と矢継ぎ早に質問する。
「もう、しつこいですね。火之さんのおかげで、そっちもなんとかしなくちゃいけないことを思い出しちゃったじゃないですか」
事件を追うのに必死ですっかり忘れていたが、夜子には真帆の行方以外にも、本家との婚約問題も解決しなければならない。
「はぁ…………」
夜子は深い溜め息を落とした。
しばらくは悩ましい日々が続きそうだ。




