Scene12
「藤さん、急に呼び出してしまってすみません」
「いえいえ、お気になさらず。呼んでいただけたということは、『藤は何かの役に立つだろう』と判断してもらったということでしょう? むしろ嬉しいですよ」
「そう……ですか? 今日のご予定が崩れたりとかは」
「今日じゃなければいけない用事なんて無かったですから。ぜーんぜん大丈夫ですよ」
言って藤は白い歯を見せ笑う。つられて夜子も微笑みを浮かべると、藤はなぜか満足そうに頷いた。
「それでお嬢さん、今日はどのようなご用件で?」
御守探偵事務所内にある、普段誰も使っていないデスク。藤は御守探偵事務所で仕事をする際、仮のデスクとしてそれをあてがわれている。藤はそのデスクに腰掛け、慣れた仕草でノートパソコンを立ち上げた。
「これまで集めたデータを、そろそろ一度まとめようと思って。いつもならデータ整理くらいはひとりでやっつけてしまうんですが……。今日は早く終わらせて《武器》のメンテナンスと、ついでに協会にも行かなきゃいけないんです。だからちょっとお手伝いが欲しくて」
「なぁるほど。それならじゃんじゃん仕事を言いつけてくださいね。お嬢さんが早く出かけられるよう、僕も頑張ります」
藤は力こぶを作り、自信に満ちた表情を作る。夜子は藤のそんなおどけた様子がおかしくて――くすり、と笑みを零した。
「ふふ、助かります」
藤はいえいえ――と首を振る。そしてこてんと首を傾げ、「ところで」と切り出した。
「他の方々は、今日はいらっしゃらないんで?」
「はい。先生と山本さん、兄さんは所用で外出中です。鈴切は兄さんについて出ています」
言って夜子は藤にUSBを差し出した。これで仕事をしろ、ということなのだろう。
「必要なデータと指示内容は入れてあります。まずは目を通してもらって、気になることがあったら言ってください」
「了解しました」
それからふたりは黙々と作業を進めた。聞こえてくるのはキーボードを叩く音だけだった。
それが止んだのは、夜子が「少し休憩しましょう」と藤に声をかけてからだ。
「はい、お嬢さん。紅茶でよろしかったですか?」
「なんでも大丈夫です。ありがとうございます」
藤の淹れた紅茶に口をつけながら、夜子はぼんやりこのあとの予定について考える。
《武器》のメンテナンスを先にと考えていたが、先に協会へ寄って野暮用を済ませたほうがいいかもしれない――などと考えを巡らせている時だった。
ふいに、自分に投げられている視線に気がついた。
「……何か?」
この部屋には夜子と藤のふたりしかいない。当然この視線の主は藤だ。夜子は青年に視線の意味を問うた。
「……いえ、なんでも。それよりお茶のお味はいかがですか? 鈴切さんみたいにはいかないですが、僕の淹れたお茶も不味くはないでしょう? なんせ僕は、奥様がお菓子を作った日のお茶係を任されているんです」
おどけるように言って藤は笑った。そして自分も紅茶を飲み、「うん、美味い」と頷く。
(……有耶無耶にしようとしている)
けれど夜子はそれを許さなかった。少女は青年のデスクに向かい、手近にあったイスをそばに寄せる。
「お、お嬢さん?」
そしてそのイスに座ると、じっと藤の目を見つめ言った。
「何か言いたいことがあるんじゃないですか? ――遠慮せず、言ってください」
「――――……」
夜子の目には、不思議な力があった――。
といっても《異形の者》が持つ特殊な力のような、超常じみた類の話ではない。
ただ、夜子にじぃっと見つめられると、不思議とうしろ暗くなってしまうのだ。
実際にうしろめたいことがなくとも――あったとしたらもちろんのこと――、夜子の深い色をした眼に見据えられると、どこか落ち着かずそわそわとする。
ある人は言った。
『それはきっと、彼女の目の中が空っぽだからだ』――と。
空虚な瞳に見つめられることで――まるで鏡を覗いた時のように――少女の瞳に映った自身の本当の姿を見てしまい困惑するのだ、と。
もちろん誰もが夜子の目に動揺してしまうわけではない。自分をしっかり持った者や、同じ空っぽの瞳を持つ者は、彼女の目を見てもなんとも思わないだろう。――だが。
きっと藤は見てしまったのだ。見たくなかった自分を。
「えっ……? 言いたいこと……ですか?」
そう答える藤の声はかすかに震えていた。――本当に、誰も気づかないほどの震えだったが。
「はい。――私、わかるんです。藤さんは何かを私に隠している……というと言い方が悪いですね。ええと、秘めていることがあるっていうのが」
少女はうっすらと笑みを浮かべた。
「私、嘘が巧みな人や、感情が読みにくい人と仕事することも多いんです。《探偵》や《異形の者》って変わり者ばかりですからね」
夜子の薄い唇から出てくる言葉は、藤にとってまるで呪文のようだった。
声音だろうか、喋り方だろうか、そのどちらもであろうか。
彼女の言葉が耳から入ってくるたびに、藤は脳みその奥がビリリと震えるのを感じた。
「それは……」
「あるんじゃないですか? だってあからさまですよ、藤さん。そうですねぇ……、言いたいことがないのだとしたら、私に思うところがある――とかでしょうか」
「そんなそんな! お嬢さんに言いたいことだなんて!」
「ふうん」
夜子はただ「そうなんですか」という意味合いで言って顔を背けた。言う気が無いなら仕方がない、と思ったのだ。
だが藤はそう感じなかったらしく、珍しく細い目を見開き――唾を呑みこんだ。
――こういう時、夜子の感情の見えづらい困り顔と、表情を隠す前髪は有効だ。勝手に相手が夜子の考えを推しはかり、自分の都合のいいように解釈する。
もちろん夜子はそんなことをさせている気はないから、「都合のいいように解釈した」結果が、彼女にとって良いように転ぶ時もあれば悪いように進んでしまうこともある。
「……僕は、ただ」
だが少なくとも今回は、夜子の思うように事が進んだ。
「ただ?」
「…………」
藤は黙って逡巡し、自分の手と、夜子の顔を交互に見つめた。
それからどのくらい経っただろう。待ちくたびれてしまうほど長かった気もするが、大して長くは無いような時間をおいて、藤は口を開いた。
「……僕は、ずっとお嬢さんが羨ましかったんですよ」




