Scene11
「どうだ? そっちは順調か?」
「いえ……。残念ながら目立った進展は無いですね……」
とある平日。男達はコンビニ弁当を机に広げ、少し遅めの昼休憩をとっていた。
ちなみに夜子は学校へ行っており不在だ。また藤の監督は夜子が担っているため、この時間は藤も来ていない。山本も夕も所用で留守にしているから、御守探偵事務所には現在琴浦と鈴切の男ふたりしかいない。
「琴浦さんのほうはどうです?」
「んー……。特に、だな。なぁんかポロポロ気になることは出てくるんだが、深田の行方や深田に成り代わった《異形の者》に繋がらねぇんだよなぁ……。点ばっかりでてきやがって線にならねぇ」
「その『点』について夜子ちゃんには?」
「話したよ。でもま、あいつもあんましっくり来てなかったみたいだ」
「ちなみにその『点』の内容、僕は教えてもらえないんです?」
鈴切が箸を止め、弁当から顔を上げると、琴浦はすでに弁当箱を片づけ始めていた。
(一緒にお昼食べ始めたのに……。相変わらずだなぁ)
御守家の人間は食事のスピードが速い。時と場合に合わせ食事を楽しみはするが、基本的には食べている時間を少なくして、なるべく仕事や他のことに使いたいという考えなのだ。
それは夜子も同じで、例え皿に載っているおかずが鈴切と同じ量だったとしても、食べ終わるのは彼女のほうが先だ。
「別にいいけど。てか、資料にまとめたからあとで送っとく。――ま、そんなたいした内容じゃないんだけどさ」
「と、いいますと?」
鈴切が可愛らしく首を傾げた。鈴切はその逞しい見た目から意外に思われることが多いが、仕草がいちいち少女めいている。
「例えば深田のお婆さんだ。あの人、騒いだ日――孫が憑かれたって言ってた日の記憶が曖昧になってるんだよ」
「え――」
鈴切は小さく声を上げる。
「異様な姿の孫を見たような気もするし、見てない気もするって」
真帆の祖母は深田夫妻が娘の失踪を《探偵》に相談するきっかけとなったひとりだ。しかも鈴切が初めて彼女に会った時、老婆は「自分の見たものは正しい」と頑なに話していた。
相当印象深かったのだろう。そんな記憶が簡単に曖昧になるものだろうか。
「琴浦さん、深田さんのお婆さんに会いに行かれたですか?」
「行ったよ。で、もう一度話を聞かせてほしいって言ったら、だいぶ前のことだし自分も年だから記憶が曖昧だっつって」
「だいぶ前って……。まだ一ヶ月も経ってませんよ」
鈴切は小首を傾げ言った。
「ま、そこはお婆さんも年だからだろ。――ともかく、深田のお婆さんは『自分はあの晩、本当に目が覚めて台所まで行ったのか』『ただ夢を見ていただけじゃないのか』って、自分の見たものに自信が無くなってんだ」
「まぁ……、さんざん息子さん達に『夢でも見たんじゃないか』って言われていたようですしねぇ……」
鈴切の脳裏に、小さな老婆がしゅんと肩を落としている姿が浮かぶ。老人が悲しそうにしているのは――辛い。
「ああ」
琴浦は目を細め頷いた。琴浦も真帆の祖母に会っている。きっとその時の姿を思い出しているのだろう。
「……そういえばお婆さんは、ちょうどその日の昼間に藤を見たって言っててさ」
「藤くん?」
鈴切がきょとり、と目を見開く。
「そ。なんでもその日、藤は深田家を訪ねてたらしい。で、お婆さんは挨拶くらいしかしなかったけど、『孫の幼馴染の《異形の者》だ』って藤のことを強く覚えていた」
琴浦はそこで「あー……」と言いにくそうに空を見た。
「まぁお婆さんも昔の人だから。《異形の者》にそんないい感情は無いんだよ。だから『狐の異形だ、恐ろしい』って印象に残ってたんだな。それで――」
「夢にまで見てしまったんじゃないかと?」
「そうそう」
琴浦は温い緑茶をすすり頷く。それを見ながら、鈴切もううん、と唸る。
「確かに……。関係ありそうで無さそうな……」
「だろ?」
「お婆さんの話って、『《探偵》に相談するきっかけ』であって、『深田さんの行方』にも『深田さんに成り代わった《異形の者》』にもあんまり関わりはありませんもんねぇ」
言って鈴切は卵焼きをひとつ口へ放った。
「あとは……。その深田のお婆さんがもうひとつ気になることを話してた」
「というと?」
「あー……。なんつーか……説明が難しいんだよなぁ」
琴浦は癖の強い髪の毛をかき混ぜ眉根を寄せる。どういう意味かと鈴切が続きを目で促すと、琴浦は言葉を選ぶように目を瞑った。
「ええ、なんなんです? 教えてくださいよ」
「んん……」
片目を開け、琴浦は鈴切をちらりと見やる。そして――。
「『あんた、周防の家には気をつけなさいよ』って」
「それは――。どういう意味です?」
鈴切がぽかんとした顔で訊くと、琴浦は「俺だってわからねぇよ」と言って茶を飲み干した。
「ま、お婆さんはさ、元々あの辺りの出で――。嫁に行って今住んでる土地に移ったらしい」
「あの辺りって、深田さんの住んでいるあたりのことですか?」
「そう。あの辺はお婆さんの出身地なんだと。――で、あそこ出身のお婆さんが言うには、周防家は昔からちょっとした噂があるらしい」
「悪い噂ですか?」
「悪くはない……と俺は思う。ま、なんだ。宗教の話だよ」
宗教――と鈴切は口の中で呟く。確かに人によっては「何かを信じている」というだけで眉を顰めることもあるだろうが、信仰自体は個人の自由だ。なるほど、琴浦が言いよどんだ理由はなんとなしにわかる。
「お婆さんの話だと周防は神官の家系で、表だって何かしているわけじゃないけど、今も自分の家だけの神様を持っているってことだった。それでその神様っていうのがお稲荷さん――狐なんだよ」
狐――。
鈴切はごくりと生唾を呑みこんだ。無意識だった。
狐に憑かれた真帆。
狐の異形である藤。
狐を祀る周防の家。
(なんだろう……)
今回の依頼には狐が顔を出しすぎている。それが何を意味するのかはわからないが、鈴切の背中にうすら寒いものが走った。
「多いだろ?」
琴浦もわかってこの話をしたのだろう。彼はひとこと呟いた。
「あの、琴浦さん……」
鈴切は空になった弁当箱をじっと眺めながら《探偵》の名を呼んだ。
「この深田真帆さんの捜査……。なんか嫌な感じじゃないですか?」
「……嫌な感じ、か。夜子も依頼を受ける前に言ってたな」
「…………」
鈴切に「《探偵》の勘」は無い。けれども不穏な気配を確かに感じる。
それを最初、鈴切は嫌悪感にも似た不快な感覚だと思っていた。――だが。
(違う。僕は『不快』なんじゃなくて『不安』なんだ)
それはいったい、何に対してなのか――。鈴切は考え込むように手元を見つめ、「琴浦さん」と呟いた。
「なんだ?」
「あの、ほんと妄想に過ぎないことなんですけど、ちょっと僕の話を聞いてもらえますか?」
恐る恐る視線を上げ訊くと、琴浦は何も言わず頷いた。そして鈴切のほうへ体を向けると、眠たげな眼で鈴切の顔を正視した。
「今回の件――深田真帆さんの失踪・成り代わり事件は、すべてができすぎている、と思うんです……」
「できすぎている?」
「……はい。なんていうんですかね……、説明が難しいんですが、僕、今回の事件に関わって、凄く居心地が悪いんですよ」
「居心地が悪い……。それが『できすぎている』にどう繋がるんだ?」
琴浦が首を傾げると、鈴切は「ええと」目線を下げる。
「上がるべきではない舞台に上がっている感覚、とでもいうんでしょうか……」
鈴切の言葉に琴浦は片眉を上げた。
「わかんねぇな」
「んん……。僕がそう感じるのは、もしかしたら夜子ちゃんと藤くんと、ほぼ毎回行動を共にしているからかもしれません」
「あいつらと?」
「はい。あのふたりのそばにいると、『ああ、僕はこの場にいるべき『役者』じゃないな』って思うんです」
「『役者』じゃない……?」
「はい。――例えが悪いんですけど、『深田真帆さん失踪事件』というタイトルの舞台があったとして」
「本当に例えが悪いな」
琴浦が苦笑すると、鈴切も同じように苦笑いを零した。
「ですね。まぁ、例えですから許してください。――ええと、それでそういう舞台があったとして、僕は本来役者じゃないんですよ。観客か、よくてスタッフ。それなのに急に舞台に上がることになってしまって……」
鈴切は「ああ、嫌だ」と腕をさすった。
「それも僕が演じるべき役なんてないのにですよ? 舞台に上がっている人には皆役割が振られているのに、僕にはそれが無い。なのに舞台にいなくちゃいけない。居心地、悪くないですか? それに僕は本来必要のない役だから、僕がいてもいなくても物語は進んでいくんです。それも気持ちが悪いですよ。確かに僕はここにいるのに――僕抜きで物語がどんどん進んでいく感覚は」
「なるほどな……。それでそう感じるのは夜子と藤のそばにいる時、ってか」
「――はい」
今は誰も座っていない夜子のデスクを見ながら、鈴切は答えた。
「だから夜子ちゃんと藤くんは、この舞台に正式にキャスティングされている役者なんだと思います」
「ふうん……。俺はなんだ、その、居心地が悪いとか思わないけどな」
「それは多分……。琴浦さんも役者のひとりだからじゃないですかね……?」
「俺がぁ?」
琴浦は素っ頓狂な声を上げたが、鈴切はそれに真剣な顔で頷いた。
「あー……。仮にあいつらが役者だとして、舞台に立っているとしよう。俺、あんまあいつらと一緒に行動してないぞ、今回。それなのに俺も同じ公演に出演してるってか?」
「僕舞台をあんまり見たことないんで詳しくは無いですけど、舞台って暗転したら、別の場所で起こっているていのシーンをやったりするでしょ? あれじゃないですか?」
「……なるほど、言いたいことはわかった。となると、夜子と藤はシーンAの登場人物で、俺はシーンBの登場人物なわけだな。で、お前は本来シーンAに出る予定が無かったのに舞台に引っ張り上げられた。だから居心地が悪い」
「はい」
琴浦はなるほどなぁ、と言いながら首を捻った。――鈴切の考えはなんとなしにわかったが、はいそうかと受け入れるのも難しい。
「なぁ、鈴切。もしお前の言うとおりだとしたら、この舞台には企画した奴や脚本を作った奴がいるわけだろ? それって誰なんだ? 何の目的でこの公演を打ったんだ?」
「あっ……それは……」
「俺達が役者だとして、俺は何の役なんだ? 夜子は? 藤は? なんでお前はキャスティングされていない? お前だって俺達と一緒に行動してるんだ。黒子くらい振ってやって欲しいわ」
琴浦の言葉に鈴切は苦笑いを零す。
「……わかりません。でも僕が役者としてキャスティングされなかったのは……多分、いてもいなくても話の大筋には関係ないから……じゃないですかねぇ?」
鈴切はそう口にして不安になったのか、ぶるりと体を震わせた。
「……なんだか僕達――といっても僕は違うんですが――役を与えられた人間は、用意されたシナリオ通りにしか行動していないのかも……。自分で考えて動いているつもりで、それは全部誰かの掌の上でのことでしかなくて……」
「どうだろうな。ま、お前の考えがもし正しいとしたら――今回俺達が受けた依頼は仕組まれたものってなるわけだ。ちっとばかし現実味が薄いが」
「でも……! 僕には《探偵》の勘はありませんがそれでもなんだか変なんです……! それに夜子ちゃんは最初この依頼が気になるって……!」
「うん、俺だって否定したいわけじゃないさ。鈴切に言われて、そういえばと思ったこともあるしな」
「……それは?」
「夜子が交戦した深田真帆――というか、成り代わった《異形の者》だよ」
言って琴浦は無精髭を撫でた。
「あれ、すごく不自然じゃなかったか? 深田夫妻から依頼を受けて、とりあえず真帆のバイト先に行ってみるかって、繁華街に入ったら――」
「そう言えば……そうですね。真帆さんのバイト先の居酒屋を探していたら、店より先に真帆さんを夜子ちゃんが見つけたんだ」
「あの日以降、バイト先近辺であいつを見つけることはできなかった。もちろん真帆の足取りもわからない。警戒して姿を隠したのかもしれないが、そうだとしたらここまで尻尾を掴ませない奴がそんなポカをするのか?とも思う」
「……!」
――ふたりの男は顔を見合わせた。
「あれは俺達の前にわざと姿を現した――ってのは考えすぎか?」
「……いえ、そんなことはない……と思います……」
「そうなるとあれも舞台に必要な要素、演出のひとつってか」
琴浦がそう言うと、部屋の中に沈黙が訪れた。
――不気味だ。
自分達は知らぬ間に舞台に上げられ、踊らされていた。舞台の目的も結末もわからないというのに――。
「僕達は、この舞台から降りたほうがいいですよね……?」
「つってもなぁ……。俺達がそう動くことすらシナリオにあったら――」
――男達は再び顔を見合わせた。
「……考え始めるとドツボにはまりますね……」
「だな……」
琴浦は大きく伸びをし、「しゃーねぇよ」と苦笑いを零す。
「俺達は一度舞台に上がっちまったんだ。流れに身を任せながら、やれることをやるだけだ」
「ですね。うん、どんな結末が台本にあるかはさておき――とりあえずこの依頼を終わらせましょう」
「そーゆーことだな。――それにさ」
琴浦は片眉を上げ、にやりと笑った。
「演技プランくらいは役者の自由だろうさ」