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Scene7

「あはははは! それでそれで? 夜子ちゃんはそのあと?」


 関係者から《機関》と呼ばれる巨大な施設のとある部屋から、甲高い女の笑い声が聞こえてくる。

 そこは研究室とされていた。だが巨大なアクアリウムの設置された、薄暗く、ともすればバーにも見える装飾の施された室内は、とてもじゃないが研究のための場所とは思えない。

 部屋は青を基調としており、中央にはガラスのテーブルが置いてある。そしてテーブルのそばには皮張りのスツールがあり――そこに男と女が座っていた。

「珍しく膨れっ面してたわ。とりあえず仕事の説明だけはあいつ――『周防藤』な、あいつにしてたけど、その日はとっとと周防を帰しちまって、先生に相談しに行ってたよ」

 男――琴浦陽一は、癖の強い髪をだるそうにかき上げ言った。女はというと、そんな琴浦の姿を見て、うきうきと顔を明るくさせている。

「それでそれで」

「んー……」

 琴浦はちらり、と横目で女を見やる。

「んもう! ここには私達以外誰もいないんだからいいじゃない。ねぇ、陽一くん、聞かせてよぉ」

 じっとりと陰鬱な目をした女――沼元美沙(ぬまもとみさ)はそう言って、にぃっと口の端を引いた。

ここは彼女のテリトリーだ。彼女に招かれた者以外は、足を踏み入れることができない。

「……しょうがねぇなぁ……」

「うふふ! やったぁ! お礼はしっかりするからね」

「ああ、頼んだ。なんだかんだ言ってお前がいてくれると助かるわ」

「うふふふ……」

沼元は怪しげに笑うと、赤い舌で唇を舐めた。


◇◆◇


 昔話をしよう――。

 これはある地方――水の豊かな地に伝わる伝説だ。


 昔々、大きな沼の主が人間の男に恋をした。

 沼の主である白蛇は美しい娘へと姿を変え、男のもとへ通い――やがてふたりは夫婦となり子宝にも恵まれた。


 白蛇は今でいう《異形の者》で――沼元美沙は、その白蛇の子孫だった。


 普通ならばそんな大昔の話など、おとぎ話にすぎないと一蹴してしまうだろう。

だが実際に彼女の一族は自身のルーツは白蛇に在りと信じているし、何より白蛇が教え遺したという秘術が代々伝わっている。

 そして一族の――異形の血を引く者達は皆、「おとぎ話」の白蛇を現代にそのまま蘇らせたような容姿をしていた。

 もちろん沼元もそうだ。

 水面に走ったさざ波のような黒髪、じっとりと潤んだ瞳、ひんやりと冷たい白肌。これは沼元家に伝わる白蛇の特徴だ。彼女も、彼女の母親も、白蛇の血を引く者は皆同じような外見的特徴を持っている。

 さらに沼元家の人間のそばにいると、不思議なことにどこからか水の匂いが漂ってくる。

 彼女達自身の匂いではない。周囲のどこか(・・・)からだ。

 これは蛇の《異形の者》が「沼の主」と呼ばれ、水場に住まっていたことに関連していると、《機関》の研究者達は口を揃えて言う。

 沼元家に限らず、異類婚姻譚は世界中のあちこちにあるが、そのなかのうちのいくつかは――またはほとんどが――現在では《異形の者》と人間の話だと考えられている。

 そしてそのような背景を持つ子孫達は、いまだ未知の存在である《異形の者》を理解(・・)するための重要な手がかりになっていた。

 なかでも《異形の者》の特徴を色濃く持つ者、異形の力を扱える者は特に丁重(・・)に扱われている。

 沼元美沙は、丁重(・・)に扱われた結果、研究員という名目で自らの体を《機関》に預けている。

 つまり彼女は《機関》の職員であると同時に、研究対象でもあった。

 ――さて。沼元はなぜ自分の身柄を《機関》に任せているのか。これには琴浦という男の存在が大いに関わっている。

 ――琴浦は愛されてしまった(・・・・・・・・)のだ。


「白蛇は愛に生きる異形だもの。愛する人をどこまでも追いかけるわ」


 これは彼女が《機関》へ入ることを決めた時、琴浦に言った言葉だ。

 白蛇の血が濃い沼元は、ひとたび恋に落ちると、その相手を自らのもの(・・・・・)にするまでひたすら追いかけ偏愛する。それが彼女の性質なのだ。

だから沼元は、《探偵》と密接な関係にある《機関》に身を置いた。


 それが必ず、琴浦の助けになると信じて。


 しかし彼女の行動を健気だとか一途だとかいう言葉で表してはいけない。

 なぜなら沼元は、琴浦の心中を慮ることを一切しない。最優先すべきは自分の抱いた()であって、琴浦の想いなど二の次なのだ。

 かくして彼女は、「琴浦陽一へ自分勝手な想いを寄せるストーカー」と称されるようになる。

彼女に手助けを求める時、琴浦は覚悟しなくてはならない。


自分は厄介な相手から見返りを求められることになることを。


◇◆◇


「――で、夜子ちゃん、御守先生に相談に行って何言われたの? ていうか、何を言ったの?」

「藤に言われたことそのまんま。本家の長男と自分との婚約話が、本家(向こう)で進んでいるらしいんですけどって」

「それで?」

「『当事者を交えないで話を進められるなんて不快です』って」

 沼元はふふ、と吐息混じりの笑みを零した。いつも不機嫌に見える夜子が、さらに不快そうに眉をひそめている姿が容易に想像できる。

「そこなのねぇ。夜子ちゃんらしいわ、自分の知らないところで話が進むのを嫌がるところとか。――私だったら、『絶対イヤ! イヤイヤ!!』って暴れちゃうわね」

「……はは。お前だったらな」

 琴浦はどこか達観した目で沼元を見た。

 沼元は一見大人しげだが、内面に激流のごとき荒々しさを秘めた女だ。――琴浦はそれをよく知っている。

「うふふ、陽一くんが私のことをわかってくれてるなんて嬉しいわぁ。――で、それから?」

「……それから、先生もその話……婚約とか? 初耳だったらしくて。一応先生から本家に連絡を入れることになった」

 琴浦は視線を手元に落とし、「なんつーか」と呟く。

「……先生としてはさ、今回のこと――本家に挨拶に行くってことだけど――きっかけのひとつになればいいと思って勧めたんだと」

「きっかけ……?」

「ああ。――ほら、夜子って俺達他のきょうだいと違って、最初からレールが敷かれてるだろ。だから先生は――」

 琴浦はそこで言葉を切ると言い辛そうに目を泳がせた。

「――――……」

琴浦は小さく息を吐く。そしてもう一度、「先生は」と繰り返した。

「夜子に選択肢を増やしてやりたかったんだ」

「選択肢」

「そうだ。だから本家に行くことを勧めたのは、俺達家族以外とも繋がりを持っておいたほうがいいからと考えてのことらしい」

「ふうん、確かに御守先生ってそういうところあるわよね。夜子ちゃんに業界内外問わず色んな人紹介してるし」

「それも先生曰く、自分に何かあった時、夜子を助けてくれる人をたくさん作っておきたいってことなんだとさ。――先生はさ、これから先自分が死んだあと……。夜子がどう生きていくかが心配なんだよ」

「……ま、わからないでもないわねぇ」

 沼元は頬に手を添え、夜子の姿を思い浮かべた。

 線の細い、けれども下手な大人よりも強い少女――。

沼元は彼女のことを逞しい娘だと思っている。――と同時に、輪郭がぼんやりとした生き物に感じることもあった。

「……例え先生が亡くなっても、山本さんだっているし、兄さんや姉さん……俺や鈴切もいる。これまで夜子のこと放っておいた親戚なんかより、よっぽど信頼できると俺は思うんだけどよ……」

 琴浦はふと水槽に目をやった。

「けど…………」

 色とりどりの魚達が、水槽の中を泳ぎ回っている。

「……やっぱ選択肢は多いほうがいいんだろうな。無いよりはマシだし。婚約だとかは想定外だったけど、先生は間違ってはいないと思うわ」

「……そっかぁ」

 沼元が湿り気のある声で相槌を打つ。

「まぁ、そう言う考え方もあるわね」

「美沙は違うのか?」

「ふふ、私が一番頼りにしてるのは私だからね。それに陽一くんがいてくれたら、私の人生はそれで十分。他には誰もいらないの」

 沼元はくすりと含みある笑いを漏らす。

「はは……、そーかい……」

琴浦は乾いた笑いを漏らし――「と、とりあず」と言葉に詰まりながらも話を続けた。

「うちの考えはそれだな。先生は夜子のコネを増やそうと思ってる。で、夜子は人脈を広げろと先生が言うなら従うけど、向こうが――特に先生にも秘密でゴチャゴチャやってるのが気に喰わねぇって感じだ」

 ふうん――と沼元は息を漏らす。

「御守先生は、もう夜子ちゃんをプロデュースする(・・・・・・・・)ことは止めたの?」

「……先生だって気づいてんだ。いい加減あいつを自分の足で立たせなきゃいけないって。――つーかやめろよな、俺の前で先生のことそう言うの」

「はぁい。ごめんね?」

 沼元はおどけたように肩を竦め――そしてゆっくり目を細めた。

「それにしても――」

「ん?」

「なーんで、本家さんは夜子ちゃんと自分とこの子を婚約させようなんて思ったのかしら」

「それか……」

 琴浦は頭を掻き、「くだらない理由だ」と吐き捨てる。

「くだらない?」

「ああ。例の藤の話によると、後継ぎ問題らしい」

「後継ぎって……。息子さんはいるわけじゃない?」

 ふぅ――と琴浦が深く息を吐く。

「その息子がさ、まぁいわゆる引き籠りのニートで……。親父である当主が、代替わりに備えてそろそろ息子に結婚を――って考えた時に、恋人どころか知り合いすらいない息子に危機感を覚えたんだと。これじゃあ何代も続いた御守家が息子の代で途絶えちまうって」

「でも、まだ三十代でしょ? そんなに焦る話かしら」

「息子はまだ若くても親父は年なわけだ。心配になったんじゃねぇの?」

「そういうものぉ?  ――ま、いいわ。だけど、だからって夜子ちゃんとって話になる?」

「……それがなぁ」

 琴浦は眉根を寄せ、困ったように笑った。

「周りに――本家筋の知り合いにってことだけど――未婚者がほとんどいないらしくてさ。御守本家としては嫁にするなら、それなりにしっかりしたところの娘がいいみたいで――ま、息子が選んだなら最悪どんな娘でもって思ってはいたみたいだけど……息子はさっき言った通りだしよ。さてどうしようってなった時に、そういえば分家の人間が本家筋の娘を育てていたなって思いだしたんだってよ」

「なんだか無茶苦茶ねぇ」

「だよなぁ? 俺もそう思う。なーんか無理やりなんだよな。――ま、向こうの考えだと、夜子は年頃もいい(・・)し、《探偵》っていう社会的地位もあるから、嫁としてはぴったりなんだとさ」

 琴浦は嘲笑的に口角を上げると、「思わず笑っちまうけど」と言った。

「今の当主は、息子の嫁をどうしても肩書のある女にしたかったんだ」

 それを聞いて沼元は、首を軽く傾げた。

「そりゃ……、無いよりはあるほうがいいだろうけど……」

 そんなに肩書とやらは必要だろうか――。

 今でこそ沼元は、一応《機関》の職員という立場を得てはいるが、もともと高校を卒業したらすぐに琴浦と結婚するつもりだった。――もちろん沼元が勝手に考えていただけだが。

 進学や就職はするつもりはなかった。

 沼元にとって一番重要なのは、自分が愛する琴浦と家庭を築くことであり――自分が高卒と呼ばれようが無職だろうが、それらは「結婚」するにあたりなんの意味も問題もないと思っていた。

 もちろん、世間的には学歴も職歴も結婚を考慮するために必要な事柄であるということは理解していた。――が、沼元は「自分こそが選ぶ存在」であり、「自分は受け入れられる存在」であると信じて疑わない。

 だから彼女は、結婚に立場や肩書の話を持ち出されると、どうにもしっくりこなかった。沼元にとって結婚に必要なものは「好きか否か」「選ぶか選ばれるか」それだけだ。

「――なんでも、『御守家』っていうのはどんどん格が落ちてるそうだ」

 組んだ足の上で頬杖を突き、琴浦が言う。

「格?」

「そ。これは藤の話だが、あいつが言うには、御守家のご先祖は元々どっかのお殿様の専属医で……。子孫も医者だったり、製薬会社を興していたり……」

 琴浦はとある製薬会社の名を口にした。

「美沙、知ってるか?」

「知らない」

 沼元が素直にそう言うと、琴浦は「そうか」と苦笑する。

「あとは教師やら研究者やらだな。――それに、《探偵》も」

「なるほどねぇ、なんとなくわかったわ。『そういう仕事』をしている人達がいると、『格が高い』っていうのね」

「くだらないだろ?」

「さぁ。そういうことは私わかんないわぁ。――陽一くんだって知ってるでしょ?」

 沼元は高校入学のため東京に出てくるまで、ほとんど社会と閉ざされた山村で暮らしていた。――ゆえに、一般的とされている常識に疎い。

 琴浦は彼女が村で「お姫(おひい)様」として暮らしていた時のことを思い出し――フッと口角を持ち上げた。

「だな」

「ややこしいわよねぇ、外の世界って」

 言って沼元は首を傾げる。彼女の波打つ髪がふわりと揺れた。

「そうなのか? 俺はお前ならそういうのわかるんじゃないかと思ったんだけどな」

「私が?」

 沼元は驚き、目を開く。

「ああ。だってお前達一族も『結婚』を大事にしてるわけだろう?」

「それはそうね」

 でも、と沼元が続ける。

「私達が大切にしてるのは、子孫を残すことで……。それさえ叶えば現代の『結婚』なんてシステム、どうでもいいんだけど」

 どうでもいい――とあっけらかんと言ってのける沼元に、琴浦は苦笑する。なんせ子孫を残すために狙われているのは自分自身なのだ。

「伝えられてきた秘術を遺すため……か?」

「ええ。でもなんていうか、私達――(白蛇)様の血を引く者は、子孫を残したいっていう想いが強いのよ。遺伝子に刻まれてるの。だから、そういう(・・・・)体質なだけっていうか……」

「役目とか使命感は無いってことか?」

「そういうことかもねぇ」

 だから逆にわかんないのよね――沼元は目を細め言う。

「その、御守の本家さんは別にそういう(さが)があるわけじゃないんでしょ? ――それとももしかして、一子相伝のなんとやら~みたいなのがあるの?」

 沼元がちらりと琴浦を見やる――と男は首を振った。

「そういう話は聞いてないな」

「ふうん、だったら途絶えたっていいじゃない」

 あっさりそう言ってのける沼元に、琴浦は苦笑する。

「それは――極端な気もするが。そうだな、子供や孫が生まれることで、自分が存在したってことが明確に意識できる……とかどうだ?」

「ああ、そういう考え方もあるわねぇ。でも、それなら『格』とかどうでもいいじゃない」

「それは多分……金の問題だろうな。貧乏貴族でもなけりゃ、『格』とか『肩書』とかあるやつはまぁまぁ持ってる(・・・・)だろ?」

「なぁに、本家さんはお金に困ってるの?」

「今はまだ別に困窮してるわけじゃなさそうだ。ただ片手間に調べた感じ……二、三十年前に比べると、大きく資産が減っているみたいだった」

「へぇ、じゃあ夜子ちゃんのお金目当てなわけだ。《探偵》って命がけな分高給取りだもんね」

「ま、決定的な理由かはわかんねぇけど。資産が減ったっつっても、今だって十分裕福層だし」

 ああ、めんどくせぇ――呟くと、琴浦は深く嘆息した。

「悪いな、変な話して」

「いいのよ。陽一くん、このことを誰かに話したかったんでしょう? その『誰か』に私を選んでもらえて嬉しいわ」

 沼元は熱い目で琴浦を見つめ、笑みを浮かべた。

「………………まぁ、な」

琴浦は彼女と目を合わさず頷く。

「先生の――いや、夜子の問題に俺が口出すのも違うだろうけど……」

「思うところがあったってわけね」

「ああ」

 苦笑い混じりに琴浦が答える。沼元は「そりゃ、大切な妹のことだもんねぇ」と頬に手を当てた。

「本人同士が――夜子ちゃんは絶対ないだろうから、せめて本家さんの長男さんが、夜子ちゃんのことが好きなら、話は変わってくるけど」

 沼元は「ねぇ?」と琴浦に同意を求める――が、琴浦はこれを完璧に無視した。

沼元にとって恋愛というのは「自分が愛していれば」それでいいという自分勝手なところがある。

 今だって琴浦は、沼元からの一方的な愛情を日々押し付けられていて――それをどうにかしようと思わない琴浦も琴浦なのだが――、これに同意してしまえば、ただでさえ思い込みが強く強引な沼元がその気(・・・)になってしまう。

「うふふ……」

「なんだよ、その意味深な笑いは……」

「ふふ……、なぁんでもないわぁ」

「………………」

 沼元はまるで、底なし沼のような女だ。その内面は深く、荒々しく渦巻いている。気を抜いて流れに身を任せればどうなるか――。

(…………はぁ)

琴浦の背中に、冷たいものが走った。


「……そろそろ本題に入ろうぜ」

 何事も無かったかのように琴浦が言う――と、沼元は「ああ、はいはい」と立ち上がった。

 そして部屋の片隅にぽつんと置いてあるデスクへ向かい、静かに発光していたパソコンのモニターを覗き込んだ。

「ちゃんと調べておいたよ。『周防藤』のこと」

 言って沼元はマウスを操作し――画面上の文字を読み上げ始めた。

「――周防藤。《機関》への登録は十八年前」

「……自己申告は嘘じゃなかったか」

 そう呟き、琴浦は無精髭をさすりながら目を細めた。


 ――実のところ、琴浦は藤のことをわずかに疑っていた。


 悪い奴では無さそうだったが、これまで夕とも夜子とも距離を置いていた御守本家が送り込んできた人物なのだ。

 手放しで「よその人間」を信じられるほど、琴浦はお人好しじゃない。

 だから夕と夜子のふたりが彼の協力を受け入れたとしても――自分だけは一歩引いたところで協力者を観察したほうがいいだろう、そう考えていた。

 これは「御守家」の一員ではあるが、「御守本家」とは関係のない自分の役目だ。

「そういうことになるわねぇ。――ちなみに、ほとんど同時期に周防貴一と明美夫妻の養子にもなってるわよ。ま、普通に考えると養子になることが決まったから、《機関》にも登録したって感じかしらね」

 言って沼元は長い髪を耳にかけ、「ええと」と文字の続きを追う。

「《異形の者》としての分類は『妖狐』。主な能力は変化」

「変化……。ああ、夜子が何か言ってたな。本性だけど本性じゃない姿とかなんとかって。それが変化か? 《異形の者》が奪った人間の姿なるのとはまた違うのか?」

「知らない」

 沼元は興味が無いのか、だるそうに頬杖をついた。

「私、名ばかりの職員なんだもん。機関本来の仕事(こういうの)なーんにも知らないわ。――だいたい登録名簿だって本当は私と同レベルの職員はアクセスできないのよ」

「じゃあどうして……。まさか」

「悪いことはしてないわよ。――ま、私は腫物だからね。この程度のわがままなら通るのよ」

 琴浦は苦笑いを零しつつ、あっけらかんと言ってのける娘に、「悪いな」と両手を合わせる。

 自身が「研究対象」であることをよく理解し、上手く利用している沼元を、琴浦は逞しく思うと同時に――不憫にも思う。

 本人が気にしていないのだから、琴浦が口を挟むことではないが、こうして自身の仕事のために彼女に便宜を図ってもらうたび、琴浦は僅かに胸が痛む。


「うふふふ。陽一くんのためだからねぇ」

 沼元は口元に笑みの形を浮かべ――琴浦に向かって手招きをした。

「周防藤の資料、外部に持ち出しはできないからね。――見ていくでしょ?」

「ああ」

「お礼はデートでいいからね。うふふ、どこに行こうかしら」

「……はは」

 琴浦は顔をひくりと引きつらせ、パソコンへ向かう。

 そしてモニターを眩しそうに覗き込み――「周防藤」について書かれた項に視線を走らせた。

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