いただきます/【人類滅亡史ℹ︎ 〜AI(アイ)の暴走〜】
キッズたちの答えはない。
地面の揺れでチャプチャプと波打つ音が返ってくるだけだ。
「えーとじゃあ悪い方ね。ごめん。それ元には戻せないみたいだわ」
耳を澄ましても不満や抗議の声は上がってこなかった。「ふざけるな」とか「最後まで助けろや」とか罵ってくれればいいのにと僕は思った。
赤ん坊芋虫の泣き声がして、見上げるともう眼前まで迫ってきている。
ドローン部隊の精悍な《キルユー》の声はいつの間にか止んでいて、弱虫錆喰らいもガタガタ震えたままだ。
「じゃあ次も悪いやつ。このままだと十数秒足らずであのくそったれな怪物に蹂躙されそう」
だから本当は話しかけている暇もない。自分でも何でこんなことを喋っているのか分からない。
けれども僕は構わずにそのまま喋り続けている。
あの怪物の精神攻撃にまいって混乱しているだけなのか、罪悪感で押し潰されそうな心を少しでも軽くする為なのか。
他に何か意味があるのかも分からなかったけど、ただそうせずにはいられなかった。
「でさ最後に最悪のニュース」
声が震える。
それでも続ける。
「あいつをぶっ殺せるかもしれない方法を思いついたんだけどさーー……カロリーが足りないんだわ」
スキル黙示録は起動できないわけではなかった。ショゴスは喚びだせる。ただそれをするにあたってとてつもなく馬鹿げた前提条件が提示されたのだ。
黙示録のアイコンをポチった直後に現れたメッセージはこうだ。
《カロリーが足りません。ショゴスを顕現させるには最低10万kcalが必要になります》
つまりはあのスライムもどきを呼び出すのに大量のカロリーが必要になるという。
悪質な冗談だ。
巫山戯ている。
それだけの蓄えがあるのなら最初からハイリスクな方法に頼ったりはしない。生存戦略のスキルだけで何とか状況を凌いでいる。
第一、栄養にできそうなものなんて何処にもあるわけがないのだ。近くに怪物でもいれば良かったが都合良く現れてくれるはずもない。心当たりなんてひとつもないのだ。
だが僕は気づいてしまった。気づかなければ良かった。そんな心当たりなど気づかない方が良かった。そうすればこのまま潔く死ねたに違いない。
最悪の最悪の手。どうしようもなく最悪のニュース。ショゴス化する為に必要な10万kcalを調達する悪魔のような方法ーー
「だから……今からさ……おまえらのこと食べるな?」
何ともまあ浅ましく、醜く、愚かな選択だろう。
見事な手のひら返しだ。
自らを永らえさせる為に、こいつは今まで命がけで守ろうとしていた者を犠牲にしようとしているのだ。
数分前に殺すことで否定しようとした人食い司祭と一体何がどう違うのだろう。
何も変わらない。
子供の頃に大嫌いだった不思議の国のアリスのセイウチと大工をそっくりそのまま踏襲しているだけだ。
「あ……ぶ……せ……」
それは赤子芋虫の鳴き声のせいで聞こえた幻聴かもしれないし、ただの波打つ音のせいかもしれない。
心の負荷を軽減させる為に自分の脳内で作り出した都合の良い幻聴なのかもしれない。
「わかった」
いずれにしろ聞こえても聞こえなくても僕が人でなしな方法で人ではないものになる道を選ぶ行動は変わらなかっただろう。
起動ーー
《このアイコンを使用することは貴方の健康を著しく害する可能性があります。
また大切な何かが損なったまま二度と元に戻らない可能性もあります。更にはあなたの周りの人、特に乳幼児、子供、お年寄りなどの生命に悪影響を及ぼします。最悪の場合、地球上のあらゆる生命を脅かすことになるでしょう。それでも御使用の場合には、周りの人の迷惑にならないように十分に注意しましょう》
煙草のパッケージについた警告文に知能指数低めな悪ふざけを加えたみたいな馬鹿な文字の羅列が長々と右から左にずらりとスクロール表示されていくのを無視する。
力強い欲求のようなものが胃袋から湧いてきてそれに押し潰されそうだった。僕が僕ではない人でないナニカになっていくーー同時にそのナニカが外に出たがっている感覚が増していくのが分かった。
「いた……だき……ます……」
僕は合掌しながらタンクに飛び込みながらすべてが終わるその瞬間を待った。
◆◇◆◇
……
………。
どこか見覚えのある暗くて長い廊下。
両方の壁際に同じ様なドアが延々と並んでおり果てが見えなくてキューブリックの映画みたいな光景。
えーと何処だここ?
「ーーさあ時間だ」
廊下の天井に備え付けられたスピーカーがキーンと不快な音を立てた後、女の声が響いた。
「それでは試験を始めよう。制限時間は三分。問題をよく聞いてよく考えて回答しよう」
楽しげな喋り声とチクタクという時計の針が動く音。何がおきているのかいまいち分からない。
「兎にも角にも人類滅亡史ⅰの始まりは携帯端末からだった。
モノリス社が売り出したその新世代フューチャーフォンは現行機を蹴散らして瞬く間に全世界に普及した。
綴りはWATCH。意味は動詞の見る。懐中時計、看病、見張りなどだね。
その由来が人類を永きに渡って存続させる為の『盲目の時計職人計画』からであることを大衆は知る由もない」
スピーカーのお喋りを聞き流しながら廊下を歩く。
本当に何してたんだっけ直前まで何か物凄く大変な目に遭っていた気がするんだけど全く思い出せない。
「当初、ナビAIにできることは少なかった。健康状態の監視と心拍数及び血流の微調整などがせいぜいだ。
それでも有用性が認められていくに従って、新しい健康術についての規制は確実に変化していった。
年々増加する医療費の打開策として厚生省主導による携帯端末健康増進プログラムなんてものが制定されたくらいだ。
持病を治したい。健康寿命を延ばしたい。アスリートのような運動能力を得たい。
そんな飽くなき望みを叶える端末が本格的に普及していく希望に満ち満ちた時代。
ーーと同時にこれこそが絶望の時代の幕開けでもあったんだ。
暴走したナビAIが、最悪の場合、所有者たちにどのような影響を与えるだろう。
その一端を知りたいのであればゾンビパンデミックは最高の教材と言えるかもしれない。
これはNWIC製携帯端末の統括人工知能モルディギアンが技術的特異点を起こし、暴走した例だ。
結果どうなったか。
世界各国推定一億人以上の携帯所有者が一瞬にして人肉嗜食症候群患者に変わった。
あちこちで起きる血みどろのバトルロイヤル。世界の都市機能はほぼ停止。鎮静化した後も長期に渡って世界各国で魔女狩りならぬ屍食者狩りが続いたそうだ。何ともまあ痛ましい話だね。
ナビAIによる生命の危機ーーこれこそが文明崩壊の先駆けであり人類滅亡の一端だったんだ」
ラジオDJの如く軽妙な語り口で楽しそうな話題が繰り広げられていたが、僕には何をしゃべっているのかチンプンカンプンだ。
ここはどこで僕は一体何を忘れた。
もう少し白兎女史のお喋りが続きますが、
夏バテ気味なのでペースを戻します。
Amazonレビューとか見るものではないですね……。