斥候長がLevel10になりました
《警鐘がLevel(略)しています》
警鐘――五感の意識外の情報を拾い上げて危険を報せるスキルだ。手に入れて日は浅いものの何度も命を救ってもらっている。
アイコンをタップしていくに従って今度は両こめかみに疼痛が現れ始めた。
さっきからあちこち痒かったり痛かったりするのは強化による負担が原因かなと思ったら、ステータスに「成長痛」の異常表示が現れていた。
《警鐘がLevel10になりました》
《以下二種類のスキルのうちひとつをアンロックしてください》
そして端末画面にアイコンが二つポップ――次なる解除候補は夜警と御神籤だ。
「夜警は……警報の亜種強化系か」
就寝中でも危険を察知して即行動できる、らしい。
渡り鳥やイルカが不眠不休で飛んだり泳いだりできる脳のメカニズムを応用しているそうだ。
だが就寝中の見張りについてはクオヴァディスさんに一任してあるし、何かあれば小休止のお陰で即覚醒できる(はずだ)から必要ない。
不眠不休は社畜時代に散々やった。欲しいのは眠らなくて良い身体ではなく安心してグータラ眠れる環境なのだ。
よって不採用。
「それで御神籤は……一日一回運試し。当たるも八卦当たらぬも八卦? 何これ?」
よく分からないスキルだな。
まあ偶には遊び心も必要だし、ここは色物枠にしか思えない御神籤を選んでおくか。
「取得自体はひとまず保留……さて基本スキルの強化も残すところひとつ動体視力だけだな」
動体視力は戦闘に有利に働くスキル――首狩兎の長耳攻撃を捕捉できた功績は記憶に新しい。
これをカンストさせると果たしてどうなるか。
《動体視力がLevel(略)しています》
「うう….タップする度に眼球の奥がじんじんする」
熱を帯びた痒み。擦りたくなるが我慢していると涙が出てきた。これは軽い拷問だ。
《動体視力がLevel10になりました》
「う゛ぁ⁉︎」
アナウンスと共に痒みが止むかと思いきや急加速。
花粉症にかかった最初の年に、会社で花見の場所取りをさせられた思い出が蘇る辛さだ。
「眼球を取り出して水洗いしたい。爪を立てて掻きむしりたい」
ガスマスクを脱ぎ捨てていざ――そう思った次の瞬間急に痒みは治まった。
「ふう……助かった……。けどいったいなんだったんだ?」
バックパックからタオルを取り出して涙を拭っているとアナウンスが入る。
《動体視力から時間分解が派生しました》
「時間分解? 派生?」
ステータス画面を見ると、確かに時間分解というスキルが追加されている。
説明書きによれば、時間分解はごく短い期間だけ視覚を運動覚にのみ特化させ、時間分解能を向上させるとある。
なんというかSFちっくな名称だな。
「先生、質問。時間を分解ってどういう意味ですか?」
《いい質問です(❐_❐✧)>スチャ》
ノリノリだな。
《御主人様はよく動画配信サイトをご覧になっていますね?》
「mono tube?」
暇な時にゲーム実況とか料理作ってみた系の動画をよく観るね。社畜時代は殆ど唯一の趣味だったし。
それが何か?
《ああいった動画が静止画像を繋ぎ合わせたものであることをご存知ですか?》
「そうなんだ」
《人間の脳は低スペックで脆弱なのでその間断を認識処理できません。その錯覚を利用しているわけですね》
「微妙に人間ディス入るのは何故?」
実際に映像が動いているわけではないらしい。
そういえばアニメは膨大な枚数のセルをパラパラめくって動いているように見せてるんだっけ。
同じ原理なのか。
《その認識処理能力を時間分解能と言います。人間だと約50ms~100msです》
「つまりそれを向上させるスキルなのね」
《因みにハエは時間分解能が高いので、人間はハエ以下の存在です》
「その人間ディスいる?」
なかなか酷い目に遭ったわけだが手に入れたものは非常に大きかったようだ。
これは拾い物だろう。
名前の響きからして、バトルものの定番である相手の動きがスローに見える展開を期待してしまう。
《但し一時的にブーストがかかるだけなので使い所にご注意ください》
試しに使ってみようとして思い留まった。
説明文の但し書きが目に、使用に際して、一秒につき1,000カロリー程度を消費するとある。
「天丼三杯分……ありえん」
他にも注意事項があって身体に負荷がかかるみたいだし、これは余程切迫詰まった時にしか使えなさそうだ。というかそんな状況には遭遇したくないという決意を込めて心のなかに封印しておこう。
「とりあえず基礎スキルをカンストさせたぞ」
暫くして《斥候長がLevel10になりました》のアナウンスが流れた後、例によって端末画面には砂時計が現れた。
《昇格条件を確認中……暫くお待ちください》
「……まあキリがないし強化はこの辺でいいかな」
昇格先は強化進捗で変化するはず。
他のLvもあげる必要が出てくるしどうせなら落ち着いた場所で慎重に行いたい。
「続きは仕事を終えてコンビニに戻ってからでも良いだろう」
《ですです》
気を取り直してバックパックを背負うといよいよ醤油を探しに階段を降りていく。
◆
「さて以前と変わった様子は……ないな」
地下通路は相変わらず不気味なほどに静まり返っていた。
女王戦の騒動によって池袋駅の構内は壊滅的な被害を受けていたが、ここは落盤も亀裂も見受けられない。
だがひと区画離れたこちら側にはその余波は届いていないらしい。おかげで安心して探索ができそうだ。
「もうガスマスクはつけなくてもいいよな」
地下に霧は入り込まないので問題ないと判断して、被り物を剥ぎ取る。
「それにしても霧ってなんなんだろうな?」
《八号さんは高科学スモッグと呼んでいました》
光化学ではなく高科学。
正確には高度に科学的な手法を用いて人工生成された大気汚染浮遊物だ。
これまでに遭遇してきた化け物たちは皆このスモッグに汚染された結果、変異を遂げてしまった昆虫や動物たちであるそうだ。
言うまでもなく人体にも影響があるらしい。
《今のところステータス変動はありませんし直ちに有害ではないと断言できます》
「なら良いけど」
クオヴァディス曰く、健康被害があるとすれば数年或いは十年後だろうとのこと。八号のリアクションとだいぶ乖離があるのは何故か。
「まあそれを言ったら生存戦略の影響の方が心配だよな」
現状、生存戦略によって散々身体をいじくり回し人間離れしたスペックを手に入れている。
その影響で突然、肉体がドロドロの臭い汁に変化しても驚きはしない。あ、いや、というか既に一度近いものになっているな。
《ファーマーズマーケットに到着しました》
クオヴァディスと会話しているうちに商業施設に到着してしまった。
「蜘蛛とは一匹も遭遇しなかったな」
《女王蜘蛛が死んだから、縄張りを変えたのかもしれませんね》
「それはありえそ――」
――リンゴンリンゴン。
言ったそばから警鐘だよ。
音量が大きく比較的テンポが速い。そこそこ危険な状況が迫っているという御知らせだった。