カロリーが足りません
《次のスキルからひとつだけアンロックする権限が与えられました。選択してください》
害虫殺し
昆虫寄せ
猛獣除け
端末に未確認のアイコンが三種類現れた。
関連性の窺える名称からみても、虫除けのLevelが上限に達した結果と考えるのが妥当だろう。
「しかし選べるのはひとつだけか」
クオヴァディスに喋らせなくてもスキルのアイコンをタップするだけで簡単な説明が表示された。
読みながらじっくり検討してみる。
害虫殺しは蚊に✖︎印されたアイコンだ。
どうやら害虫除けの強化版のようだ。
虫除けの時点で蜘蛛を殺していたので効果は抜群のはず。
昆虫寄せは誘蛾灯のアイコン。
害虫除けの逆バージョンらしい。
間違って取得した瞬間を想像するだけで身慄いしてくる。
使い道もないしこれだけは絶対にないな。
最後の猛獣除けは、害虫除けの亜種のようだ。
効果の対象が虫から獣になるようで、アイコンにはゴキゲンな笑顔のクマに斜線が入っている。
「……ところでスキルLevelがカンストすると毎回こうなるの?」
《すべてのスキルは最大レベルまで強化すると派生スキル或いはよりグレードの高いスキルが得られるようになります》
なるほど。
ではさっそく三種から目当てのスキルを選択しようとしたところで――
「なんだ……? 頭がぼうっとするな……?」
急に集中力が途切れて、うまく思考が働かなくなってきた。
おまけに寒気までする。
「風邪をひいたにしても熱っぽくはなく、もう少し違う症状だけど………なんだこれ?」
《先程、一度警告しましたが余剰カロリーがゼロになったせいでしょう》
そういえば虫除けのレベルを上げている途中で何か言ってたね。
《詳しくはステータス画面の状態欄を御確認ください》
「ふむ?」
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
兵種:少年斥候Lv2
状態:飢餓、低血糖症
余剰kcal:0
消費kcal/h:94
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
スキル:
基礎体力向上Lv2、小休止Lv2、野鳥観察Lv2、
害虫除けLv10
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
「飢餓?」
《食糧不足による栄養失調です》
「って……何もしてないのにどうして飢えてるんだ……?」
確かにラーメン食べたい、こってりしたもの食べたいって思ってたけど死にかけるほど、腹が減ってたわけじゃないよ。
いったいどうなってるんだ?
《御主人様は何度もスキルの強化を行なった結果、大量のカロリーを失いました》
「カロリー?」
《生存戦略はカロリーを消費してスキルを生成強化するアプリです》
なるほど、スキルの強化をするにはカロリーが必要になるのか。
よくよく考えれば代償もなくひたすらスキルを強化できるはずがないか。
《そろそろ死に至りますので、納得していないで食料を探しましょう》
「お、おう」
急かされるのは嫌だが、ワケわからんまま死ぬのはもっと嫌だ。
覚束ない足取りで店の奥に踏み入れると目ぼしいものがないか探してみることにした。
「厨房なら何か置いてあるだろ……ラーメン……餃子……」
まずは手近な冷蔵庫を開けてみる。
「業務用のデカイやつだからきっと何か入っているはず……うわ」
何故だか電気が通っておりヒンヤリした空気が外に流れだしてきた。
だが食材はどれも時間の洗礼を受け、干からびた成れの果てと化している。
「全滅だな……ええっと他には何かないかな」
上段の冷凍庫も状況は同じだ。
ただドアポケットにあった使いかけの醤油のボトルは中身が無事そうだ。
それから戸棚を漁ると小麦粉や調味料の類がわんさかでてくる。
「質問、これまだ使えると思う?」
《塩砂糖、醤油、味噌、調理酒あたりは味さえ気にしなければ使用できるはずです》
賞味期限は何十年も前に切れているが、見た感じカビても変色してもいない。
よしきっと大丈夫だろう。
「こっちの小麦粉は?」
《適切な保管を行えば三十年以上持つと言われているようなので食べられはするかと》
なるほど、環境が適切かどうかは定かではないが食べられないこともないだろう。
飢えて死ぬよりはマシだ。
「後は……未開封のミネラルウォーター二リットルがダースであるな」
水は大事だ。
この数十年間放置されていたミネラルウォーターが飲めるか飲めないかはわりと、この先の生死に関わっている。
《ペットボトル水の賞味期限は飲めなくなる期限ではなく、通気性のあるペットボトルから水が蒸発し内容量が変わるための「期限」です。高温多湿を避けた場所に未開封のまま保管されていたので問題ないでしょう》
「よし」
先程試したが水道水はドロドロした赤錆まみれの水がちょろっと出ただけで終わったから、頼れるのはこいつだけだ。
クオヴァディスが色々と物知りで助かったな。
こいつの場合、基本的にネットとカメラと集音マイクがとらえた情報が殆どなんだけどね。
「見つかったもので何か作れる?」
《ガスコンロが使えれば幾つかのレシピを紹介できますが》
「電気が通ってるからガスもいけるはず……いや駄目か」
期待を込めながら、業務用ガスコンロのツマミをカチャカチャ回してみたが反応はない。
設備の老朽化が問題なのかガス自体が止まっているのかは不明だ。
「さて困ったな。これじゃあまともな料理は難しそうだぞ」
いい加減何か口にしないと。
寝起きの貧血を何倍もキツくした感じの状態が続いていて正直立っているだけで辛くなってきた。
《御主人様》
「ん?」
《今の状況を解決するとっておきの呪文があります》
呪文?
AIのくせに何を非科学的なこと言ってるんだと思ったが、念のために訊いておくことにした。
《『お腹に入っちゃえばみんな一緒』です》
とどのつまりは生食しろと。
小麦粉やら砂糖やらをありのまま口にぶち込めと。
だが確かに餓死しかけている状況を考えると悠長に調理方法について考えている余裕がないのは確かだった。
「素敵な呪文をありがとう……だがまさか半世紀ぶりの食事がこんな原始的なものになるとはな」
しかしAIに言われるままに原材料をそのまま口に入れるのは人類としてのプライドが許さない。
料理はできないまでも一手間かけてやりたくなってきた。
「人類の意地を見せてやる……まずは生地からだ」
《いったい何を?》
日が経って濃くなった薄口醤油とミネラルウォーターでガチガチに固まった砂糖を溶いた。
それをボウルに移した小麦粉にぶち込み、よくこねて生地にする。
こいつをまな板の上にのせ、麺棒で薄く伸ばして平べったくさせたものをひたすらつくる。
「次は餡」
肉も野菜もないので入れるのは味噌オンリーだ。
薄く伸ばした生地の真ん中に、スプーン小さじ一杯分だけのせて包む。
「仕上げにふちをひたすら小さく折って『ひだ』にする……ふふふどうだ」
《えっと……それはなんですか?》
クオヴァディスには出来上がったものがなんなのか理解できていないようだ。
外見だけならば誰がどう見ても立派な料理になっているじゃないか。
仕方ない教えてやろう。
「これは餃子です」
《Oh……(´-`)》
「なんだよその残念そうなリアクション」
《生の皮に味噌を挟んだもの、それは餃子ではありません》
ふんAIには分かるまい。
これは見栄えだけでも本物に近づけて味を誤魔化そうという人類の工夫なのだ。
《なるほど、人類は不合理な存在なのですね》
クオヴァディスの心無いツッコミを無視して、餃子を皿に並べるとカウンター席に移動する。
「ではいただきまーす……」
合掌の後、出来上がった餃子をひとつ箸でつまむと小皿の胡椒と酢を混ぜたものに浸した。
僕は辣油と醤油は使わない派なのだ。
「もぐもぐ……」
《お味はいかがですか?》
「うーん……これは、なんというか、あれだな」
《あれとは?》
「時間の洗礼を受けた素材本来の味がなんの加工もされずありのままの姿で主張してくる」
《要約すると?》
「……正直な話めちゃくちゃ不味いです」
餃子とは言ってみたものの控えめに表現してもひたすら甘塩っぱいだけの餅だ。
貧乏学生時代でさえ袋カレーと米くらいはありつけていたので、ここまでひもじい食事をするとは思わなかった。
ちなみに強力粉と薄力粉のバージョン違いを作ってみたけどどちらも不味い。
「はあ最悪だ……ああ不味い……ああ不毛な味だ……」
文句を言いながらもとりあえず食べる。
何故なら食べないと死ぬからだ。
そして腹が減り過ぎてるせいか案外食べられちゃうのが悲しかった。
こんなアポカリプスな東京で原始的な飯を食べることになるとは思わなかった。
《低血糖の症状が解消されましたʕ⁎̯͡⁎ʔ༄》
携帯端末に安堵の息を吐くような顔文字が表示された。
ステータス画面が現れると先程まで表示されていた飢餓と低血糖の文字が消失している。
一先ず危険は回避できたようだ。
「ところでクオヴァディス」
《はい》
不味いながらも食事をとってようやく落ち着いた気持ちになることができたので一旦箸を置いた。
「お前はどうやって僕の健康状態を把握しているんだ?」
余裕がなかったので後回しにしていたが、さっきから色々納得できない現象がこの身に起きている。
スキルの仕組みやカロリー消費のくだりなどがそれだ。
まず初歩的な疑問点から解決していくべきだろう。
QuoVadis:
明日の天気から今日の献立、百年前の出来事までなんでも教えてくれる携帯端末型人工知能。
ユーザーとの経験を通して成長していく為、端末毎に個性が違う。