これでゲームオーバーですか?/【記憶の残滓】
けれど――。
どれだけ強い動機があろうと、どれだけ正しいプランを練ろうと、どれだけ途中が順調だろうと、どれだけ見込みがあろうと――
破滅はやってきてしまう。
「あ……れ……どうなって……?」
呼吸が苦しくなり、目が霞み脚に力が入らなくなり、その場に跪いた。
バックパックからライトミートを取り出そうとするが指先が震えて力が入らない。
《警告します。生存戦略で大量のカロリーを消費しました》
《生命活動を続けるための基礎代謝に支障が出ております》
ああそうか……余剰カロリーが尽きたんだ。
おもちゃの兵隊を得た辺りからクオヴァディスの警告が出てたもんな。
ハッピートリガー使って底を突いたところで、更に精密射撃を取得してんだからそりゃこうなるわ。
【(うふふ、うふふ、頑張ったみたいだけど、そろそろ限界かしら?)】
ただカロリー不足は正直大した問題ではなかった。
既に目の前にいた大神と唐獅子は片付けている。
今からカロリーを取れば十分に取り戻しがきく算段だった。
だが本当の破滅が訪れる。
気がつくと周囲のシルクカーテンが一枚ずつせり上がっていた。
そして向こう側にいたものたちがずらりと現れる。
女王蜘蛛の配下――百をゆうに超えた数の蜘蛛の群れ。
いつの間にか地上での狩りが終わり戻ってきたのだ。
皆、背に糸で繭状にした唐獅子を背負っている。
ぐるりと取り囲まれてどこにも逃げ場がなかった。
逃げ延びる術も思いつかない。
【(楽しかったわ、とても素敵だった、滑稽な姿をありがとう、さあ終幕にしましょう)】
半ばパニックになりながら、バックパックを弄り食料を探す。
こんな時に限ってろくなものが出てこない。
「クオヴァディス……どうすればいい……?」
《大丈夫。とっておきの方法があります》
おお、さすがクオヴァディスさん。
それにしよう。
それ以外に手はない。
《私を遠くに投げ捨ててください》
「は?」
《私がアラームを鳴らし注意を引きつけるのでその隙に逃げてください》
このAIは何言い出してるんだ。
まあこれだけ蜘蛛に囲まれたら混乱するのも無理ないけど正直しっかりしてほしい。
《見込みは数%ですがこれに賭けるしかないでしょう》
ほらシュールストレミングが出てきた。
多少、臭いけど我慢してこいつを食べてガチャを回そう。
そうすればきっと大逆転だ。
《ガチャはもう回せません。未習得スキルが不足しています。何より百を超える蜘蛛たちを相手にするのは非常に困難です》
「くそっ……缶が……うまく開かない……」
《はー……御主人様は仕方ありませんね┐( -"-)┌》
クオヴァディスがこちらの話も聞かずに勝手にアラームを鳴らし始めた。
目覚ましに使っている音だったが次第に強さを増していく。
ちょっと止めろって蜘蛛が寄ってくる。
「アラームを止めろ。却下だって言ってる」
《なら、このまま私と死にますか? この世で初めてAIと心中する面白人間に認定されますね?》
くそっ何故操作できない。
携帯の所有者はこの僕だぞ。言うことを聞けよ。
「僕はお前を捨てるつもりはないんだ。良いからさっさと逃走経路を教えてくれ」
《でもね御主人様。私の主命は貴方をサポートすることなんです(╹◡╹)》
ふいに何かが視界を過ぎった。
門ヶ前さんが銃弾のように飛ばしてきたワイヤー糸だと気づいた時には既に携帯端末は貫かれていた。
ひび割れた端末が手から弾け飛んだ。
一層激しく鳴り響き始めたその音めがけて入道蜘蛛たちが群がっていく。
《逃げてください》という微かな声がした。
クオヴァディスは自分を投げ捨てるのがとっておきの方法だと言った。
だがそれは間違いなく悪手だ。
何故なら僕は動けずにいる。
クオヴァディスがいなければ何もできず立ち竦んでしまうほどの僕のこの不甲斐なさを計算に入れて――
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛⁉︎」
雪崩れ込んできた蜘蛛たちがこちらにも襲いかかってくる。
大入道蜘蛛が背中を踏み倒すようにのしかかり、問答無用で左腕を斬り落としてくる。
更には別の入道蜘蛛に腹部を前脚の爪でブスッと刺された。
大量の血を流しながら激痛に呻きを上げることしかできなかった。
「おごはっ……うげほっ……」
あ、これは無理なやつだ。
悪いクオヴァディス。命張ってもらったけど逃げられそうにない。
残りの蜘蛛たちが群がってくる。
女王を襲った不敬な賊として八つ裂きにされるのか。間抜けな新しい餌としてストックにされるのか。
混濁していく意思のなかでそれでもはっきりと聞こえていたはずのクオヴァディスのアラームが不意に止んだ。
……これでゲームオーバー?
…………もう打つ手はないのか?
◆◇◆◇
これは多分、夢――
いつかどこかの記憶の残滓。
ゆらゆらと揺れている。
生温い水溶液のなかではちみつ漬けのナッツみたいにたゆたっている。
そこでは何もすることがない。
何もすることができない。
ただ微睡みに身を委ねながら「ちょっとした昼寝」を繰り返すだけ。
「やあダーリン」
薄ぼんやりした意識のなか、円い窓の向こう側にひょっこりとひとりの人物が現れる。
三十代前半くらいの白衣の女性だ。
胸のプレートには「Dr.白兎」とある。
ええとどなた様でしたっけ?
そしてここは?
「いつもの三分間がやってきたよ。さてさて今日の授業は何がいいかな?」
蓋から湯気の漏れるシーフード味のカップ麺を書類の散乱した机におくと、首から下げた懐中時計をこちらに向けてくる。
「ふむ……そうだな、今日の授業は『種の起源』についてにしようか」
彼女はそうやって一方的に語りかけてくる。
初めて見るはずの人物だった。
ただ何故か毎日会っているような気もした。
彼女は成人の女性らしく寝癖をトレードマークにはしていないし、薄化粧もしている。
眼鏡越しに向けてくる眼差しはまるで長年連れ添った配偶者を見るように優しく、口元には柔らかい笑みが浮かんでいた。
「地球上のあらゆる生物は共通の祖先から長い時間をかけて通して進化した。
そのことを一般大衆に広く浸透させたのはイギリスの自然科学者で地質学者で生物学者でもあるチャールズ・ロバート・ダーウィン
――そう御存じ『種の起源』の著者だね」
ダーヴィンて白髭の剥げあがった老人学者だっけ。
知ってる知ってる。
教科書の肖像画をよく悪戯描きしたっけな。
「この地球上にはかつて5,400種以上の哺乳類が存在していた。
だがそれは複雑に枝分かれをした結果に過ぎない。
数百種類いる犬もたった一匹の狼から派生したものだし、飼育用に品種改良された鳩もすべてカワラバトという原種から派生している。
あらゆる生命は大元を辿ればたったひとつの種が起源なんだ」
白衣のポケットから取り出した携帯端末の画面を見せてくる。
フリーハンドで描かれた恐らく「人間」と「犬」と「鳩」の絵が「?」に繋がっている大雑把過ぎる系統樹だった。
画力が残念過ぎる。
人間が棒人間だし犬も猫みたいだし鳩に至ってはひよこみたいだし小学生でももう少しレベル高いぞ。
「ただ『種の起源』はそのタイトルとは裏腹に大元の起源とやらがなんなのかはどこにも記されていない。
そして160年以上が経過した今でも特定できていないことになっている」
推理小説読んでるつもりでページ捲ったけど、何処にも犯人が書かれてなかった感じだな。
気になって夜も眠れないな。
ちなみにぼくが今気になっているのはシーフード味のカップ麺だ。
非常に美味しそうでじゅるじゅる涎が出てくる。
「でも実はそんなことはない。知っている人は知っていた。
ダーヴィンだって知ってたうえでぼかして書いたに違いない。
まさか我々の大元が『古のもの』に駆り出されていた奴隷だと公表するわけにいかなかったから。
まさか身の毛もよだつほどに醜い不定形の原型細胞だと公表するわけにはいかなかったから」
古のもの?
醜い不定形の原型細胞?
いったいなんの話をしているんだ。
「まあ実在が証明されたのは割と近年、弊社の南極調査団が氷床4,500mから遺物を回収してからだけどね」
実際に話していることは陰謀説か与太話にしか聞こえないものだったが、その目には熱があり、話には説得力があった。
「……ねえダーリン」
彼女は急ににっこりと微笑んでくる。
それから硝子窓が吐息で曇るくらいの距離まで近づいてくると囁いた。
「君にはその欠片が与えられているんだよ」




